スクルトーレ・モーストロ 十五
「……!? 貴様、一体……!?」
ルチアーノの顔を目の当たりにし、衛は目を見開いて驚愕した。
「ククク……」
ルチアーノが、また笑った。
硬いはずの青銅の顔がぐにゃりと曲がり、口角を大きく吊り上げて笑みの形を作っていた。
「……驚いたか、魔拳よ。これが私が手にした力だ」
「何……!?」
その時であった。
「うわっ……! 何だよこれ!?」
雄矢が大きな声を上げて後ずさった。彼の右腕が、周囲を包み込む緑青の粉塵の中から露になった。
雄矢の右腕は──肘先から拳にかけて、光沢のあるブロンズと化していた。
「クソッ、感覚がねえ……! どうなっちまったんだ、俺の腕!?」
「奴の妖術だ! 気をつけろ、食らうとブロンズになっちまうぞ!」
「はァ!? マジかよ、何だよそれ!?」
衛の言葉を聞き、雄矢は狼狽した。その様子のまま、青銅と化した右腕をぶんぶんと振り回したが、彼の右腕は元には戻らなかった。
「ククク……無駄だ」
ルチアーノが、もう一度低く笑った。
彼のその顔から、徐々に青銅が崩れ落ち、元の血色の悪い皮膚が露になる。
「ただの人間に、我が術を打ち消すことは不可能……!」
そう呟くと、ルチアーノは再び右手を雄矢に向けた。
「危ない!」
衛は素早く走り、雄矢の盾になるべく仁王立ちする。
直後、ルチアーノの右手から、緑青色の輝きが生じた。
放たれたブロンズ弾は真っ直ぐに進み、立ちはだかる衛へと襲い掛かる。
しかし──衛の五体が青銅化することはなかった。
直撃するその一瞬、彼の肉体に宿った気──妖術を打ち消す抗体が、ルチアーノのブロンズ弾を打ち消したのである。
「フン……強化されても、やはり貴様には通じんか」
不服そうな顔で、ルチアーノは衛を睨む。
直後、その表情が再び、一瞬で青銅に覆われる。
そして次の瞬間、舞依による礫の雨が、再びルチアーノの頭部に降り注いだ。先ほど以上にその勢いは増しており、常人が食らえば潰れたスイカのような姿と化してもおかしくない。
しかし、ブロンズと化したルチアーノの頭部には、傷ひとつついていなかった。その場に押し留め、ブロンズ弾の射出を食い止めるのがやっとであった。
「衛、今のうちじゃ! 雄矢を!」
「分かった!」
舞依の声に従い、衛は雄矢に駆け寄る。
そして、雄矢の青銅化した右手を掴み、赤色の気を流し込んだ。
しかし──
「……! これは……!?」
──変化は起こらなかった。
衛の抗体を流し込んでも、雄矢の右腕はブロンズ化したまま、元に戻ることはなかった。
「衛、どうしたんだい!?」
「早く雄矢にかかった術を!」
マリーを抱き抱えた綾子と、彼女たちを背に銃を構えたシェリーが、そう声をかけてくる。
「駄目だ、抗体が効かねえ! 術が解けないんだ!」
二人の言葉に、衛は焦りの混じった声を返す。
「ほう。貴様には通じんが、既に変化したものは解けんようだな。これは面白い」
礫を受け続けるルチアーノが、そうこぼした。
直後、礫の雨の中から脱出し、衛の元へと距離を詰める。
「チッ……!」
気配を察知した衛も、振り返りルチアーノに向かって疾走。人中を目掛け、右拳を見舞う。
それをルチアーノは、左の掌で軽々と受け止めてみせた。
「フンッ!!」
次の瞬間、ルチアーノが右拳を突き出した。肌色の皮膚ではなく、緑青色の物体に包まれた塊が、衛の顎を砕かんと迫り来る。
「クッ……!」
衛は顔を歪め、腕で敵の攻撃を逸らす。
直後、左の青銅の拳が、衛に襲い掛かる。右頬を掠め、わずかに冷たい感触が伝わってきた。
ルチアーノは更に、左右の拳を使って、衛に連続突きを繰り出した。
衛はそれらを素早く、且つ丁寧に捌いていく。
「フッ──!」
攻撃を捌いた直後──衛が反撃の裏拳を放った。
「む!?」
ルチアーノは腕を立ててガード。
そのまま、鍔迫り合いをするかのように衛の右腕を押し留め、裏拳のこれ以上の進撃を遮る。
「おい、ルチアーノ……!」
衛は、眼前のルチアーノを睨み付け、敢えて腕に力を込めた。そうしながら、全身の抗体を操り、身体強化の準備を行っていた。
対するルチアーノは、ブロンズ化した顔でニヤニヤと笑いながら、負けじと衛の腕に圧をかける。
「その力は何だ……!? どこで手に入れやがった!」
「ククク……! 素直に答えると思うか?」
「答えろ!」
「ぬおっ!?」
──刹那、衛は腕の力を抜き、ルチアーノの側面に回り込んだ。
不意に支えを失ったルチアーノは、よろけて前傾姿勢になる。
その顔面を目掛け、衛は左膝を突き上げた。
「でやッ!!」
「ぶッ!?」
人中に直撃。ルチアーノの頭部がかち上げられそうになる。
が──その直前、衛は左の掌でルチアーノの後頭部を押さえ、留めていた。
直後、右膝を打ち上げ花火のように繰り出し、同時に右肘を、杭のように振り下ろす。
膝と肘──強固な部位を用いた攻撃は、ルチアーノの胸と背中に激突。境目に存在する心臓を挟撃する。
更に衛は、丹田に意識を込めつつ、前屈みになったルチアーノよりも腰を低く落とす。
そして、左の掌底アッパーで、ルチアーノの顔面に攻撃。今度こそ、頭部をかち上げた。
──その時、衛はようやく、身体強化の術を発動した。凝縮された抗体を拡散し、筋骨に吸収させ、体の輪郭に赤い光が灯る。
同時に、握り締めた右拳に、凝縮させた抗体を宿す。
衛の右拳が、抗体によって松明のように輝き始めた。
「これで──」
そして、その右拳を──
「──どうだッ!!」
──渾身の力を込め、ルチアーノの顔面に叩き込んだ。
「がッ!?」
ルチアーノが、激しくきりもみしながら吹き飛ぶ。
青銅の破片を撒き散らしながら、その体は数メートル先の地面に叩き付けられた。
「……」
衛は、静かに呼吸を整えながら、残心の構えをとった。
右拳に、わずかに痛みがあった。鋼鉄のように固いブロンズを裸拳で、それも限界以上の力を込めて殴りつけたため、拳を壊している可能性があった。
「グッ、グ……ククク」
地面に倒れた直後、ルチアーノがまたあの笑い声を漏らした。
衛は構え続けながら、敵の行動を警戒した。
「……最後の一撃……少々、堪えたぞ」
ルチアーノはそう呟きながら立ち上がり、ゆっくりと顔を上げた。
苦笑を浮かべる、緑青色の顔。そこに亀裂が生じ、破片がぼろぼろと崩れ落ち、隙間から肌が露となっていた。露出した肌には、打撲痕のような赤みがあった。
「……だが、まだ小手調べだ。勝負はこれから──グッ!?」
その時、ルチアーノに異変が起こった。
顔を覆う青銅が、全て塵状になって霧散。そこから、苦悶に顔を歪めるルチアーノの顔が現れた。
「グッ……げぼッ……!」
ルチアーノの口から、吐瀉物が溢れる。
黒々としたタールのような粘液が、滝のように流れ落ちていく。
大量の雨水と混ざり合っても、そのおぞましい黒色は一向に薄れることはなかった。
「ハァ……ハァ……。……時間切れか」
蒼白な顔で、ルチアーノはそう呟く。
「……少々、浮かれすぎたな。やむを得ん。当初の目的のみ遂行することにしよう」
「ふざけてんのかてめえ!」
衛は目を剥き、腹の底から怒号を放つ。
「絶対にマリーは渡さねえ!! 貴様にはここで死んでもらう!!」
「クク……ククク……! ク、ハハ……! フハハハハハハハハハハ!」
その時、ルチアーノが高笑いを始めた。
嘲りの意図が浮き彫りになった笑い声が、雨の中に響き渡り、一同の耳に入り込んだ。
「ハハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハハハ!! ──ハッ!!」
次の瞬間──ルチアーノが、凄まじいスピードで動いた。
最後に残った力を振り絞り、後方へ──舞依の傍らへと後ずさった。
そして、素早く彼女を脇に抱き抱えたのである。
「な……キャッ!?」
舞依の短い悲鳴が聞こえた。
「舞依ッ!!」
衛が叫ぶ。
驚愕の最中、衛はようやく悟った。ルチアーノが、何をするために姿を現したのかを。
「クッ……は、離せ! 離さぬか、馬鹿者!」
舞依は体を捩らせ、必死に抵抗する。
しかし、非力な舞依には、ルチアーノの束縛から逃れることは出来なかった。
「フハハハハハ! まんまと騙されたなこの馬鹿め、今回の目的はその少女ではない、この小娘だ!! アハハハハハハハ!!」
愉快で堪らないという笑い声を響かせるルチアーノ。
直後──
「ま、舞依……!? 舞依、 舞依ーっ!!」
──マリーの叫び声が、後ろから聞こえてきた。
衛が一瞬振り替えると、マリーが目を見開いて叫ぶ姿が見えた。
それを目にした衛は、全身の血液が頭に昇っていくように感じた。
「ルチアーノォッ!!」
「動くな!!」
ルチアーノが笑いを止め、素早く一喝する。
そして、口の端を歪め、ニヤリと笑った。
「……魔拳よ。この小娘を取り返したいのであれば、その少女を連れて、我がアトリエへと来るがいい。場所は、その少女の妖術で探せ。……喜ぶがいい。ろくな妖術も使えん低級妖怪が、最期の最期で役に立てるのだからな。……ク、クハ、フハハハハハハハ!」
そう言うとルチアーノは、歓喜に満ちた高笑いを、周囲に響かせた。
「クッ……! マリー!」
舞依は抵抗を止め、代わりにマリーに向かって声を上げた。
「衛を……! みんなを、頼むぞ!」
悔しげな覚悟を湛えた表情で、舞依はそう叫んだ。
同時に、ルチアーノが素早く身を沈める。
撤退の姿勢に入ったのだ──衛はそう思った。
「待て!!」
我慢出来ず、衛は足を一歩踏み出す。
同時に、芸術家の妖怪は、地を蹴り跳躍していた。
刹那──眩い稲光と、地を揺らすほどの轟音が、辺りを包んだ。
その一瞬のうちに、ルチアーノと舞依は、姿を消していた。
気配を探っても、辺りにはルチアーノらしきものの存在は、察知出来なかった。
「舞依! 舞依っ! 舞依ーっ!! いやああああああああっ!!」
マリーの叫び声が聞こえる。
目をやると、泣きながら己を責めている彼女の姿が見えた。
そんな彼女を、綾子は必死になだめ、落ち着かせようとしていた。
シェリーと雄矢は、ルチアーノと舞依がいた場所を、愕然と見つめていた。
仲間たちのそんな様子を見ながら、衛は──痛む右拳を震わせ、力強く握り締めた。




