スクルトーレ・モーストロ 七
6
マリーが泣き止むまで、衛はマリーの背中をさすり続けた。
そして、落ち着きを取り戻すのを待ってから、マリーをソファーに座らせ、台所に立った。
傍らには、冷蔵庫から取り出した牛乳と蜂蜜。
それらを小さな鍋に注ぎ、たまじゃくしでゆっくりとかき回しながら、火にかけて温めた。
その後、丁度良い温度となったホットミルクを、二つのマグカップに注ぎ、ソファーの上で鼻をすすっているマリーに片方を差し出した。
「俺が小さい頃に、ばあちゃんがよく作ってくれたんだ。『眠れない時は、これがよく効くんだ』っつってな」
衛はそう言いながら、マリーの傍らに座りミルクの入ったマグカップに口をつけた。
ミルクの柔らかみのある香りと、蜂蜜の甘みが、口の中一杯に広がる。
ゆっくりと喉を通り、胃に入っていくと、徐々に体がぽかぽかと温まり始めた。
「……」
マリーもまた、ホットミルクをくぴくぴと飲み始めた。
表情は相変わらず暗いままであったが、一口飲む度に、険しさは和らいでいった。
「……落ち着いたか?」
「……少し」
衛が尋ねると、マリーは小さな声で答えた。
「そうか」
衛もまた、呟くように言った。
それから二人は、しばらく無言であった。
口を閉ざしたまま、静かにテレビを見つめていた。
画面の中では、若い男性歌手が歌っている映像が流れている。
しっとりとした曲調と力強い歌声によるバラードが、居間全体に響き渡っていた。
「……それで、どうして泣いてたんだ?」
マリーがホットミルクを飲み終えた頃、衛が神妙に切り出した。
マリーは、マグカップをテーブルに置き、たっぷりと沈黙した後、言いにくそうに答えた。
「……怖い夢、見た」
「それだけか?」
「……」
マリーは、答えない。
俯いたまま、己の膝を見つめていた。
「悩んでること、あるんじゃねえのか?」
もう一度、衛が尋ねた。
「……」
マリーは、黙ったままであった。
口を閉ざしたまま、答える気配はなかった。
「言いたくないなら、無理に言う必要はねえよ。……でも、本当に辛くなったら、我慢しないで言えよ。それだけで、スッキリすることもあるからな」
衛は、諭すようにそう言った。
それ以上、無理に言わせるつもりはなかった。
それから衛は、再びテレビに視線を戻した。
バラードを歌い終わった男性歌手がお辞儀をし、司会が場を繋いでいるらしかった。
トークの内容は、全く入ってこなかった。
その時──
「……あたし」
──マリーが、口を開いた。
先程までよりも小さく、ぼそぼそとした声であったが、衛の耳は、はっきりと捉えていた。
「……役立たず……なのかな……」
「……? 何言ってんだお前」
衛は思わず、そう呟いた。
そして、困惑した表情で、傍らのマリーに目を向けた。
「……すう……」
マリーは、それ以上語らなかった。
涙でまだ濡れている瞼を閉じたまま、小さく寝息を立てていた。
「……」
衛は、心配そうな顔でマリーを見つめていた。
しばらくして、起こさぬよう注意して抱き抱えると、彼女と舞依の部屋へ運んだ。
そして、彼女のベッドに寝かせ、布団をゆっくりとかけ直した。
「……んん……?」
その時、衛の気配に気付いた舞依が、眠りから覚め、身を起こした。
「……んん……あれ……どしたんじゃ……?」
寝ぼけ眼を擦りながら、舞依が尋ねた。
衛は、人差し指を口の前に当てながら、囁いた。
「大丈夫、ちょっとぐずってただけだ。まだ寝てていいぞ」
「……ん……わかった……おやすみ……」
舞依は、こくりと頷いてそう言うと、再び身を横たえた。
それから、彼女の寝息が聞こえてくるのに、そう時間はかからなかった。
「……はあ」
二人が寝静まってしばらくした頃、衛は神妙な面持ちでため息をついた。
そして、助手達の頭を交互に、優しく撫でた。
それしかしてやれない己の無力さが、無性に歯痒かった。




