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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十三話『スクルトーレ・モーストロ』
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スクルトーレ・モーストロ 五

 こんばんは。多忙により、投稿までしばらく間が空いてしまい、申し訳ありません。

 それでは、よろしくお願いします。

4

 ──土砂降りの雨が降り注ぐ森の中を、あたしは逃げ続けていた。

 地面は泥でぬめぬめしていたし、木の根や草がぼうぼうと生えていて走りにくかった。

 少しでも油断したら、すぐに転んでしまいそうなほどだった。

 そんな道の中を、あたしは全力で走っていた。

 転ぶかもしれないなんて、考えなかった。

 転ぶことよりも、あたしを追いかけてくる奴らのほうが、何十倍も恐かったから。


『はあ、はあ、はあ……!』

 自分の口から、激しい息の音が出ている。

 その音に混じるように、あたしを追いかけてくる連中が喧嘩している声が聞こえてくる。

 声はだんだん大きくなっていて、それにつれて、あたしの心の中の『恐い』という気持ちが、風船みたいに膨れ上がっていく。

 駄目、追いつかれる。

 やだ、やだ、捕まりたくない……!


『垢! 垢垢垢垢垢!!』

 その時──おぞましい声と一緒に、あたしの背中に、勢いよく何かがぶつかってきた。

『きゃあっ!?』

 あたしは悲鳴を上げて、ぼうぼうと生えている草の上に倒れ込んだ。

 直後、うつ伏せの姿勢から、無理矢理仰向けの状態にされた。


 そしてあたしは、あたしにぶつかってきた奴の顔を見た。

 禿げ上がった頭に、脂ぎった肌。

 にたにたと笑いながら開いている口。

 そして、そこからうねうねと伸びている、蛇のようにとても長い舌。

 あたしを襲っている連中の一人、垢舐めのポチだ。


『ひ、い、や、嫌ああああっ!!』

 地面に押さえ付けられたまま、あたしは叫んだ。

 いやだ、放して!

 何であたしを狙うの!

 やだ、助けてさっちゃん……! さっちゃん……!!


『邪魔だ!!』

『あぎゃ!』

 その時、怒ったような叫び声と、ポチの悲鳴が聞こえた。

 そしてすぐ、ポチの体が吹っ飛んで、あたしの体から重みがなくなった。


 誰が助けてくれたの?

 もしかして、さっちゃん?

 それとも、別の誰か?

 あたしは思わず、逃げることも忘れて、ポチをやっつけてくれた人の顔を見ようとした。



 そして、その人の顔を見て──あたしは、すぐに逃げ出さなかったことを後悔した。

 ぼさぼさの長い髪。

 やせこけた頬と、少しだけ生えたまま剃られていない髭。

 そして、普通の人とは明らかに違う目付き。

 あたしをずっと狙い続けている、彫刻家の妖怪──ルチアーノだった。



『あ……あ……』

 ──声が出ない。

 言いたいことはいっぱいあるのに。

 見逃してほしいとか、どうしてあたしを襲うんだとか、そんな風にいっぱい言うことはあるはずなのに、全く声が出ない。


 ──ルチアーノが、にやりと笑った。

 それを見ただけで、声だけじゃなく、体もがちがちに固まって動けなくなった。

 まるで、体が銅像か何かになってしまったみたいだった。


『来るのだ!!』

『きゃっ!?』

 突然、ルチアーノがあたしを無理矢理抱えて走り出した。

 激しい振動が、体に伝わって来る。

 その揺れが怖くて、とても怖くて──ようやくあたしは、固まっていたはずの声を出すことが出来た。


『い、いや、いやあああっ!!』

 自分の口から、凄い悲鳴が飛び出すのが聞こえた。

 だけど、ルチアーノは嬉しそうに走り続けていた。

 あたしの叫び声を、うるさいと思っていないみたいだった。

 それどころか、あたしの悲鳴を聞く度に、どんどん機嫌がよくなっているみたいだった。


『ハッ、ハッ、ハッ、ハハッ、ハハハハッ、ハハハハハハハハハハハ!! 待っていろ少女よ、すぐに君をミケランジェロの彫刻よりも素晴らしき芸術作品に仕立て上げてみせよう! 見た者の心を恐怖で激しく揺さぶる、究極の彫刻へ! ああ少女よ、君は持っているのだ、他者へと伝わる恐怖の感情、それを表現できる可憐なる容姿を!』

 走りながら、ルチアーノがあたしに話しかけてきた。

 怖かった。

 何を言っているのか、全く分からなかった。

 こいつがあたしに何をしようとしているのかは知っているし、何のために攫おうとしているのかも分かってる。

 それでも、どうしてあたしをこんなにもいじめてくるのか、あたしには全く分からなかった。


『いや、いやっ! 放して、放して! いやあああっ!!』

 あたしは泣きじゃくりながら、ひたすら叫び続けた。

 それでも、ルチアーノは全くあたしを放そうとしない。

 あたしは無我夢中で、ルチアーノの腕に思い切り噛み付いてやった。


『ハハハハハ、放してなるものか、ハハハハハ──っ、痛ッ!?』

 ルチアーノが怯んだ声を上げて、あたしの体を放す。

 あたしは風を一瞬だけ感じて、それからすぐに地面に落ちた。

『うっ……!』

 地面に叩き付けられて、あたしは思わず呻き声を上げた。

 そして次の瞬間、思い切り引き起こされ、両肩を鷲掴みにされた。

 

 目の前には、ルチアーノの顔があった。

 さっきみたいな嬉しそうな顔じゃなかった。

 怒ってるような、悲しんでるような、色んな気持ちがごちゃごちゃになったような顔だった。

 そんな顔をあたしに見せながら、ルチアーノは口を大きく開けながら怒鳴り始めた。

『何故だ、何故理解してくれない!? 良いか少女よ、君はただの低級妖怪だ! 大して強くもなく、まともな妖術すら使えない、何の役にも立たないゴミのような存在なのだ!』


 ──そんな言葉が、あたしの心を思い切り殴り付けた。

 ルチアーノの言葉で、あたしの心が、おかしくなっていった。

 あたしの心が、あたしの心じゃなくなっていくみたいだった。

 どんどん、どんどん冷たくなっていって、ぐちゃぐちゃに、めちゃくちゃになっていく。

 言いたいこととか、泣きたいこととか、怒りたいこととか、気持ちがミキサーにみたいにごちゃ混ぜになって、自分が分からなくなっていく。


『あ……う……う……!』

 何故か分からないけど、また涙が出て来た。

 さっきまでのような、怖いから出て来た涙じゃなかった。

 悲しかったから、辛かったから出た涙だった。


『何の価値もない役立たずの君が、唯一光輝く方法は、私の芸術の糧となり、命を捧げることだけなのだ! 何故それが分からない!』

『ち、違う、あたし、あたしは、ゴミなんかじゃない……!』

 あたしは、必死にルチアーノに言い返した。


 どうして……?

 どうしてそんなひどいこと言うの……!?

 あたしはゴミなんかじゃない。

 あたしは、さっちゃんのお人形なんだ……!

 さっちゃんのお友達なんだ……!

 あたしは、ゴミなんかじゃない……!

 役立たずなんかじゃない……!


『良く考えるのだ! あの下品なカスどもによって食い殺され、無惨な姿となるか、私の手で大衆を恐怖と感動させる作品となるか! 君のそのちっぽけな命をどう散らすのか、さあ選べ、選ぶのだ! 選べえええええっ!!』

 ルチアーノが、更に怒り始める。

 真っ赤になった目を見開いて、口を更に大きく開けて、あたしに思い切り怒鳴り散らしてくる。

『い、いや……いや……! あたしは、生きたい……死にたく、ない……!!』

 あたしはぼろぼろと涙を流しながら、そう叫び返した。


 どうしていじめるの……?

 あたしはただ、生きたいだけなのに。

 あたしは、ただ生きて、さっちゃんに会いたいだけなのに。

 あたしが、何をしたの……?

 どうして、あたしをいじめるの……!?

 どうして、あたしにひどいこと言うの!?

 あたしは、ゴミでも役立たずでもないのに!!


『……! く、この……!』

 ルチアーノが、手を振り上げる。

 あたしのことを、今度は言葉じゃなく手で叩くつもりだ。

 あたしは思わず、両目をぎゅっと瞑った。


『いい加減に──ぐわっ!?』

 その時──ルチアーノの悲鳴が聞こえた。

 あたしが目を開けると、顔を歪めたルチアーノの後ろに、男がいた。

 金髪で、すごく怒った顔をしていて──右手の爪が、ナイフみたいに鋭くて長かった。

 つめながの、庄吉だった。


『この……クソ野郎がッ!』

『ぶッ!?』

 庄吉が怒鳴って、ルチアーノの顔に、おでこを叩き付けた。

 そして、尻餅をついたルチアーノを、何度も何度も蹴り始めた。


 ルチアーノは、自分の顔を両腕で庇っていた。

 そうしながら、あたしの方に顔を向けた。

 焦ったような目が、あたしを見ていた


『……!』

 あたしは、慌てて立ち上がった。

 そして、足をもつれさせながら、もう一度必死に走り始めた。

 途中、何度も振り返って、ルチアーノたちが追いかけてこないか確かめた。

 庄吉は、ルチアーノに怒鳴り続けていた。

 ルチアーノは、まだあたしのことを見続けていた。


『はあ、はあ、はあ……!』

 あたしは、更に必死になって走った。

 ルチアーノと庄吉が言い争う声が遠ざかっても、ひたすら走り続けた。


 森の中を走っているうちに、あたしの目から、また涙が零れ始めた。

 悔しかった。

 ルチアーノから言われた言葉が、本当にショックだった。


『違うもん……違うもん……』

 走りながら、あたしは呟いた。

『……あたし、ゴミじゃないよ……』

 聞いている人なんていないのに。

 それでも、あたしは呟かずにいられなかった。

 せめて、自分にだけでも言い聞かせなきゃと思ったから。

 だから、あたしは呟いた。


『……あたしは、役立たずじゃない……。……あたしは──』

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