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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十三話『スクルトーレ・モーストロ』
233/310

スクルトーレ・モーストロ 三

3

 時刻は夜八時。

 慎ましくも美味な食事を済ませ、後片付けを終えたばかりのリビング。

 青木衛、舞依、そしてマリーの三人は、そこにいた。


 衛は現在、床の上で腕立て伏せ(プッシュアップ)を行っていた。

 ただのプッシュアップではない。拳立て伏せである。掌で体を支えるのではなく、拳で体を支えて行うプッシュアップである。

 両腕の筋力だけでなく、拳の表面や手首を鍛えるトレーニングである。


「ふっ。ふっ。ふっ。ふっ──」

 安定した上下運動に合わせて、衛の口から規則的な呼吸音が漏れる。

 食後の小休止を終えてから、僅かなインターバルを挟みつつ、ずっとプッシュアップを行っていた。

 その姿からは、僅かな疲労すら感じられなかった。


 衛の傍らのソファーの上には、パジャマ姿のマリーと舞依がいた。

 彼女たちが行っていたのは、妖術のトレーニングであった。

 舞依が独自に編み出した妖術を、マリーに教授しているのである。


 今後も、怪異や超能力者との激しい闘いは続く。

 衛の武術や、舞依の妖術だけでは切り抜けられない闘いにも直面するかもしれない。

 そのため、マリーも様々な妖術を会得し、今以上に、戦闘をサポート出来るようになる必要があった。


「良いかマリー、何べんも言ってきたが、もう一度教えておくぞ。妖術を使う上で大事なのは、『イメージ』をすることじゃ」

 舞依は、真面目な顔でそう言った。

「『術を使った時、何が起こるか』。あるいは、『術を使って、どんなことをしたいか』。……そういったことを頭の中で思い描き、妖気を操って、具現化すること。それが妖術じゃ。例えば、今練習しておる『治癒術』は、怪我を治すことを目的とした術じゃ。しかし、イメージを高めれば、呪いの類すらも打ち消すほどの力を秘めた術となる。イメージを高めることは即ち、高等な妖術を使いこなすことに繋がるわけじゃ」


「うん……イメージ……」

 マリーが呟く。表情は、舞依に劣らぬほどの真剣さを帯びている。

 しかし、その顔にはどこか、陰りのようなものが見られた。


「イメージが難しいのなら、どうしたいかを口にするのも良い。身振りや手振りなどをしても良い。妖術を上手く使う方法は、妖怪(ひと)それぞれじゃ。自分なりのやり方を研究し、見つけ出すことが大事じゃ」

「うん……やり方……」

 うわごとのように、マリーが呟いた。


「よし、それじゃあ、もう一度じゃ」

「う、うん……」

 マリーが不安げに返事をする。

 それを聞いた舞依は、テーブルの上のナイフを手に取る。

 そして、自身の人差し指の先端に、ナイフの刃先を軽く押し付けた。


「あいてて……よし、やってみせい。イメージじゃ。イメージじゃぞ」

「うん……イメージ……」

 マリーはそう呟くと、舞依の指に両手をかざす。

 そして、両目をゆっくりと閉じ、妖気を練り始めた。


「……治れ……治れ……舞依の指……治れ……!」

 ぶつぶつと呟きながら、意識を集中させる。

 舞依の指先の小さな傷には、滲み出た少量の血が溜まっている。

 現時点では、まだ変化は見られない。

「治れ……治れ……治れ……!」

 マリーの眉間に皺が寄る。

 未だに変化は起こらない。


 およそ二分後──彼女の周囲に、ようやく変化が起こった。

 足元から頭上に向かって、妖気が螺旋状に立ち昇り始めたのである。


「……ふっ……ふっ……ん?」

 衛は拳立て伏せを止め、マリーを注視する。

 そして、下手に声を掛けて集中を途切れさせぬよう、静かに見守った。


「よし……良いぞ……もう少し……もう少しじゃ……。湧き上がる妖気を手に込めて、わしの指に向かって放ち、注ぎ込むんじゃ……」

 舞依は両手を握り締め、小声でアドバイスを行う。

 マリーは頷き、更に妖気を練り続ける。

 立ち昇った妖気は、やがてマリーの両手に収束していく。


「治れ……治れ……!」

 マリーの声が、徐々に必死さを帯び始めた。

 肌に汗の雫が浮かび、眉間には深い皺が生じ始める。

 それらに反比例するかのように、手に収束した妖気の輝きが、だんだん弱々しくなっていく。


「治れ……治れ……お願い……治って……!」

 悲痛さを湛えた祈りの言葉を、マリーが口にする。

 しかし、祈りが届くことはなく──光は更に小さくなり、やがて、消え去ってしまった。


「……ああ……」

 目を開いて己の手を目にしたマリーは、悲し気な顔で、落胆の声をこぼしていた。

「だーーー! あとちょっとの所でー!」

 頭をかきむしりながら、我が事のように舞依が取り乱す。

「惜しかったな。最後以外は上手く行ってたぞ」

 そう励ます衛の両手には、冷蔵庫から取り出した、二本のオレンジジュースの缶が握られていた。

 衛はその内の一本を、優しくマリーに差し出した。

「……ありがと」

 マリーはそれを受け取ると、暗い顔でちびちびと飲み始めた。


「それなんじゃよ! 途中までは良いんじゃ、途中までは! でも最後の最後で術が発動しないんじゃ! 普通あそこまで行ったら術が発動するはずじゃぞ!?」

「し、知らないわよ、あたしも……」

 ぷりぷり怒って詰め寄って来る舞依に、マリーはもごもごと答えた。

「気合いじゃ! 気合いが足りんのじゃ! 妖術の発動でもっとも大事なのは想いじゃ! 気合いと根性を出して、自分の想いを形に換えるのが妖術なんじゃ! もっと腹の底から気合いを込めんかい!」

「こ、込めてるわよ……。気合い……頑張って、出してるもん。……やってるもん」

 マリーは、声をだんだん小さくしながら、静かに俯いた。

 ただでさえ小さい彼女の体が、尚更小さく見えた。


「よせ舞依。これでも飲んで落ち着け」

 そう言いながら、衛はもう一本のオレンジジュースを舞依に差し出す。

 舞依はしばらくそれを凝視した後、渋々受け取って飲み始めた。


「誰だって得手不得手はある。時間はかかるかもしれないけど、焦らず地道にやっていこう。もう一回やってみろ」

 衛は諭すような調子で、マリーに語り掛けた。

「……」

 マリーは、何も答えなかった。

 身じろぎすらすることなく、俯いたまま、床の一点を見つめていた。


「? どうした?」

 衛は訝しみ、しゃがんでマリーの顔を見る。

 彼女の両目の端に、小さな涙の粒が溜まっているのが見えた。


「……ごめん。あたし、今日はもう寝る」

 小さい声が、マリーの口からこぼれ落ちた。

「ね、寝る!? ま、まだ練習は途中までしか──」

 舞依が驚いた様子で声を上げ、マリーを引き留めようとする。

 しかし、舞依の言葉を、マリーはか細い声で遮った。

「……本当にごめん。具合悪いの。……お休み」

 そう言うと、俯いたまま、自分達の寝室の中へと入っていった。

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