表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十三話『スクルトーレ・モーストロ』
232/310

スクルトーレ・モーストロ 二

2

「──ああああああああああっ!!」

 断末魔の如き絶叫を上げながら、ルチアーノはソファーから跳ね起きた。

 顔面は血の気が失せて蒼白になっており、肌の上には大粒の汗が無数に張り付いていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……!?」

 荒い息を繰り返しながら、ルチアーノは混乱した様子で周囲を見回した。

 ──暗いが、森の中ではない。今は、数ヶ月前の『あの夜』ではない。

 ここは、自身の住処だ。あの森とは違って安全な、自慢の隠れ家(アトリエ)だ──そのことを理解し、ルチアーノは大きく安堵の息を吐き出した。


「……クソッ」

 安堵した直後、ルチアーノは苛立たし気に悪態をつき、ソファーから立ち上がった。

 そして、テーブルの上に置いてある瓶を手に取り、中の安酒を勢いよく呷った。


 最悪な夢であった。

 あの夢を見るのは、今回が初めてではない。

 何度も何度も、あの夢を見た。

 数ヵ月前の、あの雨の夜──西洋人形の妖怪を追い掛ける最中、怪物の如き退魔師の襲撃を受けた、あの時から。


 それ以来、ルチアーノはトラウマに苦しみながら、惨めな生活を送っていた。

 腕を折られたせいで、妖術を使えず、ろくに獲物も襲えない。

 退魔師や、他の妖怪の襲撃に怯えながら、ネズミのようにこそこそと隠れて生きていかなければならない。

 全てはあの退魔師と、自分の申し出を突っぱねた西洋人形のせいだ──トラウマに苛まれる心の裏側で、ルチアーノはそんなことを考えながら、憎悪の炎を燃やし続けていた。


 しかし、そんな生活も終わりを迎えた。

 退魔師に複雑に折られた右腕は、正常な形を取り戻した。

 手先も、かつてのように自由に動かせるようになった。

 右腕さえ治ってしまえば、あとはルチアーノの思いのままであった。

 生活も。狩りも。──そして、復讐も。


「……ふう」

 酒を飲み干したルチアーノは、空き瓶を床に放り捨てる。

 一泊した後に響き渡る、ガラスの割れる音。

 それとほぼ同じタイミングで、高く小さな悲鳴が聞こえた。

 女の叫び声であった。


「……」

 ルチアーノは、ふらふらと壁まで歩み寄り、そこに設置してあるスイッチを押した。

 途端に、薄暗かった部屋の中が、光で照らし出された。


 ──広い部屋の中央には、九体のブロンズ像が置かれていた。

 それぞれ、ポーズが違っている。

 両手を前に掲げて制止を促すようにしているもの、頭を抱えてしゃがみ込んでいるもの、へたり込んだまま後退ろうとしているもの。様々なポーズの像が並んでいる。

 共通するのは、九体とも女性の姿をしていること。

 そして、九体全てが、恐怖の表情を浮かべていること。


 それら九体の傍らに──ブロンズ像ではない何かがいた。

 ワンピース姿の女性である。

 天井から吊るされたロープで、頭の上で両手首を縛られたまま立たされていた。

 騒がないよう、強力なガムテープで口を覆い隠されている。

 怯えの色に染まった瞳の下には、涙の乾いた跡が残っていた。


「……再開だ」

 ルチアーノはそう呟くと、女性のガムテープを勢い良く剥がした。

「──!」

 女性の口から、声にならない小さな悲鳴が迸った。

 瞳の中の怯えの色に、恐怖の色が溶け込んだ。


「い、いや……やめて……! 助けて……!」

 女性が、涙を浮かべながら命乞いをする。

「お願い……助けて……! 『この人たち』みたいになりたくない……!」


 ルチアーノは、無精髭の生えた口を、女性の耳元に近付けた。

「シーッ……静かに。手元が狂う」

 無感情な声で、そう囁く。

 そして、左手を女性の腹部にあてた。


 ゆっくり、指先で女性の体の上をなぞっていく。

 指は、腹から胸へ。胸から首、そして顎へ。

 そのまま、顎を指先で軽く引き、女性の目を見て──右の手で、平手打ちを見舞った。


「きゃっ!?」

 部屋の中に、乾いた音と、悲鳴が響いた。

「っ!」

「ひっ!?」

 返す手で、もう一度平手を見舞う。

 少女の瞳の中の恐怖は、顔全体を経由し、やがて全身へ、震えとなって広がっていった。


「……ふむ。いいぞ」

 ルチアーノはそう呟きながら、女性の頬を右手でゆっくりと撫でた。

「……恐いか。いいぞ。お前の中の恐怖が広がっていくのが分かる。その調子だ」

「ひ……ひ……!?」

 女性は、恐怖に顔を引きつらせながら、そのまま撫でられ続けた。

 その姿には、抵抗しようという意志も、反抗的な感情も感じられなかった。

 ルチアーノが次に何をしてくるのか分からぬまま、怯えて身構えることしか出来ない様子であった。


「……だが、やはり」

 ──不意に、ルチアーノの表情に苛立ちの色が差した。

 直後、右手を女性の頬から離し、彼女の足元へかざした。

「……絶望が足りない」


 ──次の瞬間、ルチアーノの右手から、サッカーボール大の物体が放出された。

 緑青色をしたそれは、揃えられた女性の両脚に向かって凄まじい速度で直進し、激しい音を立てながら着弾した。


「きゃああああっ!」

 女性は一際大きな悲鳴を上げながら、苦痛により表情を歪めた。

 直後に、その表情に戦慄が表れた。


 ──女性の足が、青銅(ブロンズ)へと変わっていた。

 ルチアーノが放った物体が、直撃した箇所。

 その周辺が、ブロンズでコーティングされた状態に変わっていた。


「ひ──!?」

 女性が声を引きつらせる。

 それと同時に、無機物と化した足に、更なる変化が生じた。

 緑青色に変わっている箇所が、範囲を拡大し始めたのである。

 爪先から、膝へ。

 膝から太腿。

 そして、脚の付け根、腹部。

 まるで、水溜りに浸したハンカチが、ゆっくりと水気を吸い込んでいくかののように、女性の体をブロンズが侵食しているのである。


「い、いや、いやあああっ! や、やめ、助けてっ、助けて……!」

 泣き叫びながら、激しく取り乱す女性。

 そんな彼女の左肩に、ルチアーノは右手をかざした。

 ──次の瞬間、ブロンズ弾を射出。

 直後、今度は女性の右肩に手を向け、もう一発撃ち込んだ。

「きゃああああっ!!」


 女性の両肩が、ブロンズへと変質する。

 そこを源とし、胸が、吊り上げられた腕が、身にまとうワンピースまでもが、みるみるうちに無機質な物体へと変わっていく。

 もはや、彼女の肉体でブロンズ化していない箇所は顔のみ。

 そこさえも青銅の物体へと変わってしまえば、彼女は完全なブロンズ像と化す。


「や、いや、いやあああっ! お母さん! 助けて、お母さん、助け……!」

「……何、怯えることはない」

 ルチアーノは、狂乱する女性の頭を撫で、再び耳元で囁いた。

「お前は死ぬわけではない。私の手で、生きたまま彫像へと変わるだけなのだ。時が来れば、お前を元の人間に戻してやろう」


 そう言うと、ルチアーノは女性の目を見つめた。

 涙で潤った女性の瞳に、僅かな希望が芽生えつつあるのが分かった。

 その様子を確認したルチアーノは、静かに微笑み──低い声で呟いた。


「……まあ、その時が来ることはないがな」

「……えっ」

「……お前はもう人へは戻れん。生きることも死ぬことも出来ぬまま、私の作品として現世に留まり続けるがいい」


 そう言うと、ルチアーノは女性のほうを向いたまま、後ろに数歩下がった。

「……いや」

 女性が呟いた。

 その姿に、芽生えかけたはずの希望など残ってはいなかった。

 代わりに──深い恐怖と絶望が、女性の顔と瞳に刻み付けられていた。

「いや、お願い、助け──」


 ──直後、ルチアーノは最後の一発を撃ち出した。

 弾は、唯一ブロンズ化していなかった顔面に直撃し、小さな粉塵を撒き散らす。

 粉塵が薄れていくと──そこには、ワンピース姿の女性の全身像があった。

 女性の彫像には、希望を崩され、絶望の淵へと叩き落された瞬間の表情が浮かんでいた。


「……」

 ルチアーノは無表情で、再び彫像と化した女性に歩み寄った。

 そして、絶望の表情を浮かべている顔を、右手で優しく撫でた。

 しばらくルチアーノは、女性の顔を撫で続けた。


「……違う」

 不意に、ルチアーノが震える声で呟いた。

 何かを踏ん張って堪えるような声であった。


「……違う。……違う、違う!!」

 その時、ルチアーノが怒号を放った。

 表情に浮かぶのは、苛立ちから生じた激しい怒りの感情であった。


「違うのだ! 恐怖も絶望も、全く足りていないではないか!! 何故作れない!! 何故私には作れないのだ!! 何故だ!?」

 怒鳴り散らしながら、ルチアーノは女性の額に、自らの額を打ち付けた。

 そして、希望を打ち砕かれたまま固められている女性の瞳を、激しく睨みつけた。

「やはり、この女どもでは駄目だ!! 駄目なのだ!! 私が表現したいものは、この女どもでは生み出せんのだ!!」

 そう叫ぶルチアーノの目から、一筋の涙が流れ落ちた。

 透き通った涙ではない。

 赤黒く輝く、どろどろとした血涙であった。


「……やはり……あの少女でなければ駄目だ……! 彼女をモデルに使わなければ、私の満足する作品は完成しない……!!」

 ぶつぶつと呟き、背後の壁に向かって早足で歩く。

「彼女が浮かべる、恐怖と絶望の表情は格別だ……。彼女を絶望の奥底に叩き落せば、素晴らしい傑作が完成するはずだ……。そのためにも──」

 ルチアーノが、壁のすぐそばで立ち止る。

 目の前にあるのは、壁に貼られた、一枚の真新しい写真であった。


 ──そこに映っているのは、三人の人物。

 ルチアーノが追い求める、西洋人形の妖怪である少女。

 その友人の、市松人形の妖怪。

 そして──数ヶ月前に、ルチアーノたちを襲撃した、あの魔拳の退魔師であった。


「──あの少女は、私がいただく……!」

 唸るようにそう言うと、ルチアーノは写真の真横に、拳を叩き付けた。

 次回の投稿日は未定です。目処が立ち次第、あらすじ冒頭のお知らせに追記いたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ