妖花絢爛 三十四
あけましておめでとうございます。本年も『魔拳、狂ひて』をよろしくお願い致します。
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──どれほどの時間が経過したのであろうか。
「はあ……はあ……ッ……チッ……!」
衛は、未だに桜花の攻撃を捌き続けていた。
肉体も精神も、当に限界寸前のところまで近付いている。
それでも衛は、体を動かし続けていた。
敵があげる高笑いの声を耳に入れないようにしながら、全神経を集中させていた。
そうしながら、逆転のための策を見出そうとしていた。
衛の心は、決して折れてはいなかった。
(……ん?)
その最中──一瞬、衛は思わず己の目を疑った。
サディスティックな笑みを浮かべて攻めかかって来る桜花──その背中の向こう側に、見知った人物がいた。
──雄矢だ。
大きな体をやや屈め、こちらをしきりに気にしている。
そうしながら、近寄りつつ攻撃してくる枯人たちを躱し、小走りでどこかへ向かっていた。
そうしながら、小走りでどこかへ向かっていた。
(あいつ、一体何を……!?)
「隙あり!」
「ぐッ!?」
鉄扇が、衛の水月に直撃する。
鍛えていない人間ならば、今の一撃で内臓破裂──否、胴体を刺し貫かれていたであろう。
胃液が逆流するのを堪えながら、衛は後退り、構え直した。
「ホホホホホ、余所見をするだなんて、随分と余裕がおありですわね! それでは、一層激しくいきますわよ!」
桜花の攻撃が、よりトリッキーなものになる。
緩急の差が激しさを増し、軌道が更に見え辛くなる。
「く……!」
衛は顔を歪め、両腕でそれらの攻撃を捌きにかかる。
そうしながら──雄矢が何をしようとしているのかを考えた。
──雄矢は、空手バカである。
しかし、空手バカではあるが、頭が悪い訳ではない。
いざとなったときの冷静さ──とりわけ、喧嘩や試合で劣勢になった際には、凄まじい頭のキレを見せることがある。
衛は、それを知っていた。これまでに、鍛錬や立ち合いで、何度も雄矢と拳を交えていたから、それを理解していた。
だから衛には、今の雄矢の行動にも、何か理由があるのだと思った。
自分に出来る範囲で、この闘いに助勢しようとしているのだと考えた。
(……何か考えがあるんだ、あいつには。この状況を打破出来る何かが!)
衛はそう思いながら、桜花の攻撃に対応し続けた。
そして、桜花に気取られぬよう細心の注意を払いながら、雄矢が何をしようとしているのかを見極めようとした。
──その、次の瞬間のことであった。
「……!」
衛は、全てを目撃した。
──妖桜が、強く光った。
──桜花の姿が、霧散して消え失せた。
──雄矢がいた。
──妖桜に近付いていた。
──桜がもう一度光った。
──自身の右側から、桜花の気配がした。
「せいッ!」
「っ!」
右側面から迫る桜花の攻撃を、衛は屈みながら回避。
すぐさま構え直し、再び鉄扇による攻撃の雨を防ぎ始めた。
そうしながら、衛は先ほど目撃した一連の光景を、頭の中で何度も反芻した。
そして──遂に、理解した。
(……そうか)
──桜花の消失・出現の謎。
──妖桜と桜花の繋がり。
──そして、雄矢が今、妖桜へ向かっている理由。
──桜花の目と枯人を掻い潜りながら、雄矢がしようとしていること。
それらの全てを、衛は理解した。
(……そういうことか……!)
衛の体に、力が漲る。
潰えかけていたはずの体力と精神力が、再び湧き上がってくる。
──ここで倒れる訳にはいかない。
雄矢は今、勇気を振り絞って闘おうとしてくれている。
ならば自分も、闘わなければならない。
彼がやろうとしていることを成功させるためにも、敵の注意を逸らし、時間を稼がなければならない──そう決意した。
「ハッ!!」
「く……!」
衛は両腕を交差させ、振り下ろされる鉄扇を受け止めた。
桜花は構わず、鉄扇に重みと力を込め、そのまま衛の両腕をへし折りにかかる。
「ぐ……っ……!」
鉄扇が腕の肉に食い込む。
みしみしという骨の軋む音が、腕の中から聞こえてくる。
衛は歯を食いしばり、何とか堪えた。
そうしながら、起死回生のための一手を見出すべく、思考回路をフル回転させていた。
「ホホホホホ! あなたは私に勝てないということが、まだ分からないのかしら! 観念して、この場で事切れなさいな!」
「グ……ッグ……!」
「まあ、なんて酷い表情! ただでさえ醜い顔なのに、堪えた顔はまた格別に酷いですわね! まるでこの世のあらゆる悪を働いた外道のような顔ですわ! ホホホホ!」
「……ッ」
衛は苛立ちを堪えるべく、一層強く歯を食いしばった。
──自分が悪人のように醜い顔をしているという自覚なら、充分にある。
毎朝、髭を剃るために鏡を見ると、つい溜め息が出るくらいであった。
しかし、それを過剰に、何度も指摘されると、流石に腹が立った。
「……あら? 何ですの、その不満そうな顔は? もしやあなた、『醜い』と言われるのが嫌なんですの? 醜いくせに、『醜い』と言われるのが嫌なんですのォ!? ホホホハハハハハ!!」
「う……る……っせえ……!」
「まあ、何て生意気な口を! 醜男の分際で! 万物の中で最も美しいこの私に向かって! 『自分は醜くなどありません』と仰るのォ!? ホホホハハハハハハハハ!!」
「っ……ぐ……!」
「それでも、恥じることはありませんわ! 何しろ、私と比べれば、全ての者は全て醜いのですもの! 肥やしに選ばれたこの者どもも、人の中ではまともな部類に入っておりますが、それでも私の美しさに比べればありきたりな顔ばかり! 生きる価値などない、有象無象の塵ばかりですわ!! ホホホホホホハハハハハハハ、ハハハハハハハハ!!」
「……っ……貴様……ッ!」
衛の苛立ちは、最早限界を超えていた。
苛立ちは怒りに、怒りはやがて、殺意へと変わっていった。
もはや、衛の内なる殺意の炎は、爆発寸前であった
自身を貶されるだけならば、腹を立てるだけで済んだ。
他の人々を侮辱され、『価値がない』と断じられたことが、一番許せなかった。
命と心を侮辱し、弄び、己と妖桜こそが至高の存在と考えている、この女妖怪が許せなかった。
──その、刹那のことであった。
(……!)
──衛は、思いついた。
起死回生の一手を。
雄矢を桜花の目から逃し、時間を稼ぐ方法を。
「さあさあ、早く息絶えなさい、この醜男! 五体を引き裂いて、すり潰して肉片に変えてばら撒いて! この桜を支える土の一部へと変えて差し上げますわ! ホハハハハハハハハ!!」
「……だよ……」
「……は?」
桜花が、呆けた顔をした。
衛が何と言ったのか、聞き取れなかったようであった。
「何ですの、醜男? 塵の分際で、私に何か仰りたいことでもあるんですの? それならば、大きな声で仰って下さらないかしら? それとも、虫の息だから小さい声しか出せないのかしら?」
桜花はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、猫なで声で衛を煽った。
「あ……? 聞こえなかったのか……ならもう一回言ってやるよ……」
衛が顔を上げた。
両目には殺意があった。
しかし、表情には、殺意も怒りもなかった。
代わりに──『哀憐』があった。
過剰といっても良いほどの、強い同情と憐み。
それを刻み込んだ表情を浮かべながら──ゆっくりと、はっきりと、大きな声で言った。
「『化粧が濃い』っつったンだよ、この『ババア』」




