妖花絢爛 三十三
諸事情により、更新が遅くなり申し訳ありません。
それでは、よろしくお願いいたします。
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「シェリー……? どうしたの? だ、大丈夫!?」
マリーの動揺した声を耳にして、雄矢は闘いを中断し、顔を向けた。
「マリーちゃん、どうした!?」
「ゆ、雄矢、シェリーが変なの……!」
マリーは泣きそうな顔をしながら、雄矢に助けを求める。
雄矢は駆け寄り、マリーの傍に埋まっているシェリーを見た。
「……はぁ……っ、く……はぁ……はぁ……!」
シェリーの白い肌が、上気したように紅潮している。
表情は苦し気に歪み、瞳は力なく虚ろになっていた。
「おい、しっかりしろ。大丈夫かシェリーさん……!?」
「はぁ……はぁ……だ……大丈夫……まだ、何とか……!」
シェリーはそう言ったが、彼女が危機的状況に陥っているということは、誰の目にも明らかであった。
「貴様、何をした!?」
その時、衛の逆上した声が、空洞の至る所に響き渡る。
直後、からからという桜花の高飛車な笑い声が聞こえてきた。
「私は何もしておりませんわ! 今はちょうど、我が愛しの桜の食事の時! 肥やしどもから、生命力を吸い取っているだけですわ!」
「……!」
「ここの肥やしどもには、あらかじめ桜の根を絡み付かせた上で、土の中に埋めてあるのです。そして日に数回、体に絡んだ根が、肥やしの体から生命力を奪い取っていきますのよ」
嬉々とした表情で、桜花はそう語った。
「……クソッタレが……そういうことかよ……!」
離れた場所で聞いていた雄矢は、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
それからシェリーに視線を戻すと、彼女が先ほどよりも辛い様子をしていることに気付いた。
──このまま桜が生命力を吸い続ければ、シェリーたちはますます衰弱する。
衰弱するだけならばまだいい。
もし吸われ続けて、完全に干からびて死んでしまった人間は──。
(衛から聞いた通りに、枯人になっちまう……!?)
雄矢がそう思った、まさにその時であった。
「……! あれ見て!」
マリーが叫び、指差す。
人差し指から遥かに離れたその先に──震えているミイラの生首があった。
震えているのは、その一体だけではない。
この場所の、完全に干からびてしまった全てのミイラが、ぶるぶると震えていた。
それらのミイラの首元から、根のようなものが生え、干からびた皮膚を包み込んだ。
次の瞬間、根がミイラと同化を始めた。
根と混ざり合った皮膚は、枯れ果てた木のような状態となっていた。
──生命力を吸い尽くされた人間が、枯人と化したのである。
同化を終え、枯人と化したミイラは、次々に地面の中から這い出し始めた。
まるで、墓穴の中で目を覚まし、地上へ甦るゾンビのように。
「……!」
その光景を目の当たりにし、雄矢は思わず唾を飲み込もうとした。
しかし、口の中がからからに乾いており、空気しか呑み込めなかった。
「ほほほほほ……! 何と美しい光景……! 新たな下僕が産声を上げる瞬間は、いつ目にしても美しいものですわ!」
桜花の歓喜の声が、地下空洞に響き渡った。
その声が鼓膜を震わせる度に、雄矢の心に、少しずつ絶望が滲み始めた。
「栄えよ桜……朽ちよ人々……! 永久に花咲け、妖怪桜……! 我が悲願にして、我がさだめ……! 優雅な桜よ、永久に咲き誇れ……!!」
「やかましい、アバズレが!!」
怒号と共に、衛が地面を蹴り、泥を飛ばした。
直後、また妖桜が強く発光──同時に、桜花の姿が霧散する。
衛は戸惑うことなく、走る体勢に移行。
一歩、二歩と足を前に踏み出し──その時であった。
「ぐッ!?」
衛が呻き、吹き飛ばされた。
桜がまたしても強く輝き、桜花が出現。そのまま衛の胴体目掛け、鉄扇を勢いよく叩き込んだのである。
「痴れ者!!」
桜花が怒りの咆哮を上げた。
「二度ならず三度までも!! その上、私に向かって阿婆擦などと!! もう許しませんわよ!!」
そう叫ぶと、桜花は素早く跳び、上空から衛を襲う。
衛はそれを転がりながら回避し、立ち上がる。
直後、桜花が低空飛行を行いながら詰め寄る。
そのまま、両腕を上げてガードを試みる衛へ、鉄扇を叩き付けようとし──その直前に、桜の強い発光と共に消失。
──直後、発光と同時に、衛の背後に桜花が出現。がら空きの背中に、鉄扇の一撃。
「うお──! ……!?」
後ろ回し蹴りを放つ衛。
しかし既に、桜花はその場から消えていた。
直後、桜の輝きと共に桜花が出現し、衛を頭上から襲う。
それを衛は、寸でのところで横へと回避した。
──桜花が攻めると、衛が動く。
直後に消え、再び現れ、衛を攻める。
そんな光景が、幾度も幾度も繰り返されていた。
闘いの勢いは、もはや桜花に傾いていた。
序盤に衛が見せた勢いは、完全に覆されていた。
(衛が……危ねえ……。助けねえと……早く、助けに行かねえと……!)
雄矢の心が、体に指示を送る。
危機に陥っている友を何とかして助けようと、自身に言い聞かせる。
しかし──動けない。
足が、一歩も前へと進まない。
その時──雄矢は、己の右手が震えていることに気付いた。
否、右手だけではない。
左手が、両足が、全身が震えていた。
(おい……何でブルってんだよ……!? こんな大事なときに、何でビビってんだよ……!?)
雄矢は顔を歪め、両拳を握りしめた。
短く切り揃えた爪が肌に食い込むくらい、思い切り強く握り込んだ。
しかし──それでも、震えは治まらなかった。
雄矢の心は、絶望に支配されようとしていた。
桜花の妖術によって味わった、負傷と痛み。
眼前で繰り広げられる、怖ろしいホラー映画の世界を現実にしたような光景。
そして──苦痛に等しいほどの、己の無力感。
それらがぐちゃぐちゃに混ざり合い、言いようのない虚無と絶望が生じていた。
──勝てない。
──こいつらには、勝てない。
──ここで、死ぬ。
──ここで、殺される。
──全員、この恐ろしい場所で、あの化物どもに殺される。
雄矢の心に──そんな考えが、いくつも浮かび上がった。
(……よせ……やめろ俺……! 弱い考えを起こすな!)
雄矢は歯を食いしばり、己を叱咤する。
まだ諦めるわけにはいかない。
衛はまだ闘っている。
マリーも舞依も、シェリーも諦めていない。
なのに、何故自分だけ絶望するのだ──そうやって、中に巣食う弱い自分を責め、奮起しようとした。
しかし──やはり、震えは止まらなかった。
一歩も、前へ進むことが出来なかった。
「っ……ク、ソッ……!」
──その時。
「……!」
ふと──雄矢の瞳に、茶髪のボブカットの女性の顔が映った。
シェリーの隣に、間隔を空けて埋められている女性であった。
目隠しと猿轡が巻いてあるため、どんな顔なのかは分からなかった。
ただ一つ分かるのは──その女性が、苦悶し、泣いているということだけであった。
「ん……む……。グスッ……う……む……!」
泣き声は、口に巻かれた布によって阻まれ、くぐもったものになっていた。
滲み出る涙は、目を覆い隠している布を濡らしつつ、薄汚れている白い頬の上を伝っていた。
そうやって泣きながら──女性は、静かに震えていた。
生命力を奪われる苦しみと、この状況から逃れることが出来ないという恐怖。
それらに打ちひしがれて生じた絶望が、ほんの僅かな光明すら届かぬほどに、彼女の心を覆い隠していた。
「……」
雄矢は静かに、その泣いている生首を見つめていた。
それから、己の右手を見た。
──手は、相変わらず震えていた。
外敵に怯える小動物のように、小刻みに震えていた。
その手を──もう一度、握った。
力は込めていない。軽く握っただけである。
手は、まだ震えていた。
「……!」
初めて、力を込める。
手の震え方が変わった。
小刻みであったはずの揺れが、大きくなっている。
更に力を込める。
揺れが、更に大きなものへと変わる。
最大限の力を込め、拳を握り込んだ。
短く切り揃えた爪が、掌に食い込むほどに、渾身の力を込めた。
そして、わなわなと震えるその拳を──
「……ッ!!」
──己の右頬に、思い切り叩き込んだ。
「な……ゆ、雄矢!? いきなり何をしとるんじゃ!?」
調子が幾分か戻った舞依の顔色が、驚愕によって再び青くなる。
「……おう。気にすんな」
雄矢は顔をしかめ、そう言った。
──口の中から、鉄の味がした。
血の味だ。
口の中が切れて、出血したのだ。
雄矢は、この味を知っていた。
雄矢はこれまでに、この味を何度も感じてきた。
空手の試合。
武術家との立ち会い。
ならず者との喧嘩。
本気の闘いの時に、いつも感じてきた味であった。
──これは、闘いの味だ。
──これは、不屈の味だ。
──これは、生きようとしている味だ。
──これは、命の味だ。
「……」
もう一度、右拳を見た。
固く握り込まれた拳は、まだ震えていた。
しかしそれは、最初のような、恐怖や戦慄による震えではなかった。
別の感情により迸った震えであった。
心の中には、まだわずかに恐怖が残っていた。
しかし、それしかないという訳ではなかった。
恐怖とはまた別の、強い想いが宿っていた。
雄矢はもう、怯えるつもりはなかった。
「……ッ!」
雄矢は、消失と出現を繰り返す桜花──そして、空間の中央に居座る、巨大な桜を睨みつけた。
闘いの最中、雄矢は何度も『ある現象』を目撃していた。
桜花が消える直前。そして、消えた桜花が再び現れる直前。
その二つのタイミングで、妖桜の輝きが、一瞬強くなるのである。
何故、そのタイミングだけ光が強まるのか──それは、雄矢にははっきりとは分からない。
しかし、偶然光っているわけではなかった。
必ずそのタイミングで、あの巨大な桜は強く輝いていた。
──桜花の消失・出現と、あの桜の輝き方には、何か関係がある。
あの桜に、秘密が隠されている。
妖桜を何とかすれば、桜花も倒せるはずだ──雄矢は、そう確信した。
直後、雄矢は体を屈めた。
そして、地べたに座り込んで休む舞依に、小さな声で尋ねた。
「……舞依ちゃん。ちょっとは回復出来たか?」
「う、うむ……念力であれば、あと何度かは使えそうじゃが……」
「分かった。なら、ここを頼む。マリーちゃんとシェリーさんを守ってやってくれ」
「え?」
舞依は、わけが分からないといった顔で雄矢を見た。
「え、どうしたの雄矢……?」
「待って、あなた何をする気なの……!? 危険な真似は──」
狼狽えるマリーと、雄矢を制止しようとするシェリー。
そんな彼女たちに、雄矢は口に人差し指を当てる仕草をして見せた。
「考えがある。静かにしててくれ」
そう言い、雄矢はぎこちなく笑った。
それから、シェリーの隣の女性を見た。
女性は、まだ泣いていた。
苦し気に呻きながら、乾くことのない涙を、ずっと流し続けていた。
「……」
雄矢は、その女性の頬に、右手で優しく触れた。
その瞬間、女性は驚いたように、一度だけびくんと大きく震えた。
「……大丈夫だ」
優しい声で、雄矢が言った。
諭すように──あるいは、自身に言い聞かせるように、雄矢は言った。
「……絶対、助ける」
「……!」
雄矢の言葉を聞いた女性が、もう一度大きくびくんと震えた。
彼女が震えたのは、それっきりであった。
絶望に震えることも、驚愕することも、もうなかった。
安堵したかのように、その女性は、震えるのをやめていた。
そして雄矢は──静かに。
桜花の視界に入らないよう注意を払いつつ、回り道を始めた。
目指すべき目標はただ一つ。
中央で妖しく輝き続けている、不気味で巨大な妖怪桜であった。




