妖花絢爛 三十
22
──遡ること数十秒前。
「ッ……おおおおッ!!」
雄矢は、桜花の相手を衛に任せ、残りの枯人たちの相手をしていた。
ただひたすらに、突き、蹴り、砕く。
そうし続けなければ、心のざわめきを抑えられなかった。
ざわめきの正体は──悔しさであった。
本音をいうと、雄矢は悔しかった。
桜花の相手を友に任せ、引き下がる自分に対して、悔しさを感じた。
──大丈夫だ。俺ならやれる。俺なら、奴に勝てる。
そう言って、逆に衛を下がらせ、桜花に己の正拳を打ち込んでやりたかった。
しかし──雄矢は、理解してしまった。
自分が桜花と真正面から闘っても、勝つことは出来ない、と。
ほんの少し前に喰らった、桜花の妖術。
花びらを、まるで投げナイフのように投擲する、あの妖術。
あれを喰らって、雄矢は、完全に理解してしまった。
──凄い激痛であった。
それらの痛みとは、まるで違う。
初めての痛み。
初めての感覚。
これまでに雄矢の肉体は、様々な痛みを経験してきた。
殴られた痛みは言うまでもない。
刃物で刺されたり、斬り付けられたこともある。
しかし、『この痛み』は、今までに喰らったことのないものであり、凄まじいショックを雄矢にもたらした。
体が吹き飛ぶほどの衝撃とともに花びらは直撃したが、体に潜り込み、貫かれることはなかった。
体の頑丈さが幸いした。鍛えていたおかげだ。
皮膚に突き刺さった花びらは、とうに雄矢の体から消えていた。
枯人の駆逐の最中に、体から抜け落ちたのか。
それとも、時間の経過とともに花びらが勝手に消滅したのか。
そのどちらかであろう。
しかし──花びらは消えても、痛みは残った。
痛みとともに、戦慄も──恐怖も残った。
花びらは貫通しなかったが、恐怖は紛れもなく、雄矢の心を貫いていた。
俺は、この怪物には、絶対に勝てない──雄矢は、そう思ってしまった。
だから雄矢は、衛に闘いを任せた。
雄矢は、それが悔しかった。
堪らなく、どうしようもなく悔しかった。
だからこそ雄矢は、今すぐにでも引き返し、桜花と闘いたかった。
負けると分かっていても、そうしたくてしょうがなかった。
(……やめろ。泣き言を言うな)
回し突きを放ち、枯人を砕きながら、雄矢は心の中で己を叱咤した。
──これは喧嘩ではない。
進藤雄矢個人が楽しむ闘いではない。
これは殺し合い。
それも、他人の命がかかった殺し合いだ。
この闘いに負ければ、大勢の人が死ぬことになる。
故に、負けるわけにはいかない。
被害者たちを助けるためにも、絶対に勝たなければならない。
だから、自身のプライドを守るためなどという理由で、身勝手なことをするわけにはいかないのだ──。
雄矢は、自身にそう言い聞かせ、じわじわと湧き上がる悔しさを、無理矢理塗り潰した。
「どっこい──しょッ!!」
「……!」
舞依の気合いの掛け声を耳にして、雄矢は我に返った。
声のした方向に目をやると、数メートル離れた場所に、舞依の姿があった。念力で、枯人を数体葬った直後のようであった。
傍らには、心配そうな表情のマリーが。
そして足元には、未だに生首のような状態のシェリーがいた。
「だ、大丈夫なの舞依……? あんた今、ものすごく顔色悪いわよ……?」
「う、うはは、何のこれしき……! は、はは……ぜえ……ぜえ……」
マリーの言葉に、舞依はそう返し、笑って見せる。
しかし、気丈に振舞おうとしているが、青ざめた表情は隠せていなかった。
「無茶をしないで。妖術を使いすぎて、消耗してるのよ。しばらく休んだ方がいいわ」
その様子を見て、シェリーがそう気遣いの言葉をかけた。
──三人は気付いていなかった。
彼女たちが気付かぬうちに、枯人の一体がすぐ傍らに迫っていることに。
気付いたのは、やや離れた場所からその光景を見ていた、雄矢のみ。
躊躇することなく、彼は駆け出していた。
「ッ──りゃああッ!!」
跳躍──そして、足刀。
強烈な一撃により、枯人の朽ちた体が砕けた。
枯人の破片が地面に散らばり、埋められている女性の首のそばに落ちる。
「んむっ!?」
すぐ傍で鳴った音に、女性の顔は怯えるようにびくりと震えた。
それを見た雄矢は、すぐに謝罪をしようと考えたが、それよりも優先すべきことがあった。
「油断すんな! まだ敵はいるぞ!」
構え直し、雄矢は三人に声をかけた。
「舞依ちゃん、ちょっと休んでろ! 後は俺がやる! マリーちゃん、敵が来たら教えろよ!」
「は、はい!」
雄矢の指示に、マリーは慌てて返事をした。
──自分にはまだ、すべきことが残っている。
悔いるのも、恐怖するのも後回しだ。
今は、自分に出来ることをやるだけだ──そう思い、構え直した。
そして、周囲から迫る枯人を目視しつつ、衛の姿を探した。
自己嫌悪に陥っていた雄矢は、衛の闘いを見ることを忘れていた。
──衛と桜花の闘いは、どうなっているのか。
そう考えていると、衛の姿を捉えた。
妖しく輝く巨大な桜を背後に、闘っているところであった。
相手は、複数の桜花。妖術で分身しているようだ。
彼女たちの攻撃を、衛はギリギリまで引き付けて反撃し、一体ずつ消滅させていた。
直後──雄矢は見た。
分身が消え、最後に残った桜花に向かって、衛がボディアッパーを放つ光景を。
そして、直撃しようとしたその刹那──桜花の姿が、一瞬で消える光景を。
「何……!?」
雄矢は思わず目を疑った。
「え……? 何、どうしたの? 何があったの……?」
雄矢の驚く声を聞いて、シェリーが尋ねた。
シェリーは今、地面に埋められており、身動きがとれない。
自身の背後で起こった出来事を、彼女は見ていなかった。
「消えたんだ、あの桜花って奴が!」
「『消えた』……!? どういうこと!?」
「わ、分からねえ……でも、本当に消えてるんだ! 衛が突こうとしたら、当たる直前に、影も形も無くなっちまったんだ!」
雄矢は、動揺を隠しきれずにそう叫んだ。
──消えた。
桜花が、確かに消えた。
跳んだわけでも、衛の背後に回り込んだわけでもない。
確かに、桜花が消えたのだ。まるで、テレビの画面が一瞬で消えたかのように。
闘っている衛も、何が起こったのか分からなかったようだ。
消えた桜花の姿を求めて、周囲の様子を伺っていた。
──その時、衛の背後に、消えたはずの桜花が、突如出現した。
「!」
雄矢は、すぐに衛に呼び掛けようとした。
しかし、衛はそれよりも早く振り返り、桜花の鉄扇を左腕でガードした。
それを見た雄矢は、わずかに安堵し、同時に焦燥感も抱いていた。
「あの女……一体何をしやがったんだ!?」
「ゆ、雄矢、枯人来てるわよ!」
「!」
マリーの指示を聞き、雄矢が左を向く。
観戦している間に、枯人が二体迫っていた。
「おおッ!!」
一体目に右回し突きを叩き込み、粉砕。
直後、後ろをついてきていた二体目に、勢いよく接近。
そして、顔面に刻み突き。
よろめいている胴体に向かって、逆突きをぶち込んだ。
「よし……!」
素早く残心をとる。
そして、敵が倒れたまま動かないことを確認した後、すぐに衛と桜花に目を戻した。
──衛は、果敢に桜花へと攻撃を繰り返していた。
ワンツーパンチからの、右回し蹴り。
桜花はそれを難なく防ぐ。
衛はもう一度、ワンツーと回し蹴りの連続技を放つが、桜花はそれらも楽々と防いだ。
更に衛は、三度目のワンツー。
そこから、三度目の回し蹴り──と見せかけ、蹴りの軌道を変え、ブラジリアンキックを放つ。
上手い──雄矢は瞬時にそう思った。
桜花はフェイントにつられており、やや下の位置をガードしている。
衛の蹴りは、そのガードの上を飛び越える。
桜花の首を、確実にへし折る──そう確信した。
その瞬間──
「……!」
──光った。
空間内の光が、一瞬強まった。
それと同時に──桜花の姿が、再び消滅した。
(……! 何だ……今のは……!?)
消えた桜花を探す衛を見ながら、雄矢は動揺していた。
──桜花が消える直前。
この空間が、ほんのわずかに明るくなった気がした。
妖しい桜の輝きによって、ただでさえ明るく照らされているこの場所が、より一層明るくなったのである。
(何だ……? どうして、一瞬だけ光が強くなったんだ……!?)
雄矢は考えた。
どうして、今の一瞬だけ、この空洞の光が強まったのかを。
──この場所に光をもたらしているものは、一体何か。
当然、ここの中央にそびえ立つ、不気味な桜の木だ。
では、あの桜の木に、先ほど空間が明るくなった秘密があるのではないか──そう思った。
だから雄矢は、目を凝らした。
周囲を見回す衛を視界に入れつつ、中央の桜の木に、意識を集中させた。
そうしながら、桜花が出現するのを、息を殺して待った。
そして──
「……!」
──雄矢は、見た。
妖桜の枝に咲く花々の輝きが、一瞬だけ強くなった光景を。
その強い輝きと同時に──桜花が、再び姿を現した光景を。
そして、次の瞬間──桜花の鉄扇による一撃が、振り向いた衛の側頭部を、力強く打っていた。
「……! 衛!!」
雄矢は、無意識のうちにそう叫んでいた。
「……!? 衛が、どうかしたの!?」
「え……!? ま、衛!?」
「しまった……! 今のは相当効いておるはずじゃぞ……!」
雄矢の叫びに、シェリーとマリー、舞依が反応する。
──一撃を喰らった衛は、すぐに構え直し、桜花の追撃を捌き始めた。
しかし、普段よりも動きにキレがない。
脳震盪でも起こしているのであろうかと、雄矢は推測した。
──その時。
「……わ、わわっ、ゆゆゆ雄矢、右、右ー!!」
「え──うおっ!?」
マリーの悲鳴を聞いて、右を向くと──三歩ほど先に、枯人がいた。
右手の蔦で、雄矢を絡め取ろうとしているところであった。
「クソが……!」
雄矢は拳を固め、その枯人に向かって踏み込んだ。
その頭の裏には──妖桜が、一瞬だけ強く輝くあの光景が、妙にこびり付いていた。




