妖花絢爛 二十九
「減らず口を……!」
桜花が両腕と、両手の鉄扇を開いた。
左手の鉄扇を胸に寄せ、右手の鉄扇を天へ掲げる。
そして、その場で左向きに、くるりと回転した。
同時に、柔らかな風が吹き、桜花の周囲を包み始めた。
その風に付いて行くかのように、無数の花びらが旋回する。
花びらは風に乗りながら、徐々に集まり始めた。
やがて、花びらは五つの大きな塊に。
更に、塊の形から、五体の人の姿を形成していく。
そして──風が止んだ。
同時に、人型の花びらが、パッと舞い散り──桜花の周囲に、着物姿の五人の女性が佇んでいた。
五人の誰もが、桜花と瓜二つの姿をしていた。
着物も、顔も、髪型も、鉄扇も──そして、着物に付着した泥の汚れも。
「……参りますわよ」
美しき顔に殺意を乗せ、桜花は鉄扇で衛を指した。
次の瞬間、桜花本体と分身五体が、低空を駆けて迫る。
そして──六体の桜花が、衛の周囲を、メリーゴーランドの如く旋回し始めた。
「……!」
衛は無言で、姿勢を低くする。
そして、両拳の間隔をやや広めにとるようにして構え直した。
前方はもとより。側面、背後にも意識を拡散させ、僅かな気配の変化も汲み取ろうと神経を研ぎ澄ます。
そして──背後の空気が、変わった。
「……!」
瞬時に後ろを向く衛。
その瞳に映り込むのは、冷笑を浮かべながら迫る、桜花の中の一体──。
「せィッ!」
振り向き様に放たれる、右の裏拳。
それが、桜花の分身の体を一閃し、大量の花びらへと分解した。
──直後、もう一体の桜花が、衛の側面から強襲する。
「チッ!」
衛は舌打ちし、首を横に動かして鉄扇を回避。
同時に、右の強烈なフックをぶち込み、また分身の一体を花びらへ変えた。
──同時に、三体の桜花が、三方向から中央の衛を襲撃する。
一体の攻撃に対応すれば、残りの二体の攻撃の直撃は必至。
そうなれば大きな隙が生じ、死に繋がる──。
「ッ──!」
──瞬間、衛がその場で、体を左に捻った姿勢のまま屈む。
そして、右に回転しながら素早く跳躍し、後ろ回し蹴り。
金属バットをフルスイングするかのような一撃が周囲を薙ぎ払い、分身三体を同時に、塵へと変えた。
──そこへ、最後の一体──本物の桜花が、音もなく接近。
既に距離は、目と鼻の先まで詰められていた。
「──!」
衛は、実戦経験と本能的直感に従い、上半身を屈める。
その上を、殺気の乗った鉄扇のスイングが通り抜けた。
勝機──衛の瞳に、闘志と殺意が燃え上がる。
「うお──」
屈んだ姿勢のまま、右肘を引く。
そして、右拳を握り込み、桜花の水月を目掛け、渾身のボディアッパーを繰り出した。
「──らァッ!!」
──しかし。
「!?」
──拳打の感覚が、ない。
当たらなかった。
衛の右拳は、桜花の水月を抉ることなく、空を切っていた。
確実に当たる──そう思っていた。
角度、スピード、タイミング、その他の要素、全てが合致した一撃であった。
しかし、それでも当たらなかった。
何故なら──。
「何!?」
──桜花の姿が、消えたのである。
(どこだ!?)
驚愕の表情を浮かべたまま、衛は辺りを見渡す。
──やはり、いない。
この空洞の中に、桜花の姿は、どこにもない。
何故桜花は消えてしまったのか。
本物だと思って攻撃した最後の一体は、実は分身だったのだろうか。
否、だとすれば、この空洞のどこかに桜花はいるはず。
しかし、桜花の姿はどこにもない。気配すら感じない。
ならば、一体どこに──数秒の間に、そんな考えの数々が衛の脳内を目まぐるしく駆け巡った。
──その時であった。
「……!」
衛の全身が総毛立つ。
──背後からの殺気。
瞬間的に振り向く。
──桜花だ。嘲笑している。
左から風を感じた。
左腕を盾にし、顔面を守る。
──直後、軋むような激痛が、左腕から発せられた。
桜花の鉄扇が、衛の腕を打ったのである。
「ぐうっ!?」
衛は呻き、後方へ飛び退く。
そして、腕の痛みを堪えながら、構え直した。
視線の先には──やはり、桜花がいた。
「おほほほほ……! どうかなさったのかしら? 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして。私の美貌に見惚れているのかしら?」
鉄扇で口元を隠しながら、小馬鹿にしたように嘲笑する桜花。
しかし、衛の心に怒りは湧かなかった。
それよりも、疑問が勝ったからだ。
──こいつは一体、何をしたのだ、と。
先ほどまで桜花は、完全に姿を消していた。
姿はおろか、気配すらなかった。
この空間から、完全に消えていたのだ。
それなのに、この女は一体、どこへ消え、どこから現れたのであろうか。
そのことに対する疑問が、衛の頭から溢れ出ていた。
(駄目だ……動揺するな)
衛はその場で軽く跳んだ。
余計な考えを頭から振り落とそうとするように。
(もう一度、奴を攻撃する。奴の動きと気配に集中するんだ)
衛は、自身にそう言い聞かせた。
そして、眼前の桜花の全身に意識を集中させ、僅かな動きも察知できるよう努めた。
「──ッ!」
衛が踏み込む。
左右へのフェイントも交えながら、素早く、そして勢いよく距離を詰める。
「ふッ……!」
左右のパンチ。
桜花は両手の鉄扇を用い、それらを的確にいなしていく。
間髪入れず、衛は右の回し蹴りを放つ。
「……!」
桜花はそれを、左の鉄扇を立てて防いだ。
「シッ……!」
衛はもう一度ワンツー。
またしても桜花は、それらを冷静に鉄扇で防いだ。
「フンッ……!」
もう一度、右回し蹴り。
先ほどと同じ軌道。同じ高さである。
「ふ……!」
桜花はそれを、先ほどと同じく、左の鉄扇を盾にして防ぐ。
口元に冷笑が浮かんでいるのが見えた。
「フッ……!」
衛、三度目のワンツー。
しかし、それもまた簡単に捌かれた。
「ッ──!」
三度目の回し蹴りを敢行すべく、右脚を上げた。
これも、先の蹴りと同じ高さである。
「プッ……!」
桜花が呆れ顔で吹き出した。
そして、三度目の蹴りも同じように防ごうと、鉄扇を立て──。
(今だ!)
その時──衛の蹴りに変化が生じた。
崖を駆け昇るような軌道から、燕が急降下するような軌道へ。
──ブラジリアンキック。
衛の右足は、鉄扇の盾の上を越え、桜花の首元へ──。
(どうだ!!)
──しかし。
「……!?」
──それもまた、当たらなかった。
衛の右足は、その場にいたはずの桜花を捉えられず、その場を薙いでいた。
「これは……!?」
衛は見た。
桜花が消える光景を。
ブラジリアンキックが、桜花の首を刈る直前。まるで、急速に霧が晴れていくかのように、桜花が忽然と姿を消したのである。
奴は一体どこへ──そう思いながら、衛は周囲を素早く見回す。
──やはり、いない。
どこにもいない。
そして、気配もない。
その時──風を感じた。
(……! しまっ──)
僅かに、タイミングが遅れた。
衛が振り替える頃には、あの冷笑を浮かべた桜花が、既にそこにいた。
直後──衝撃と共に、衛の視界が明滅した。




