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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十二話『妖花絢爛』
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妖花絢爛 十六

12

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 大きな木の影に身を隠し、シェリーは呼吸を整えるよう努めていた。

 そのまま幹に背を預け、腰を下ろす。

 直後、右足首がズキンと痛んだ。先ほど、敵の蔦による攻撃で絡み取られた箇所だ。どうやらくじいているらしい。

 ついさっきまでは、我慢できる痛みであった。しかし、逃走している際に、痛みは徐々に増していった。これ以上、走ることは出来そうにない。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

 木の影から顔を出し、周囲の様子を窺う。

 暗闇の中に生い茂る、鬱蒼とした木々と雑草。散策用の歩道から大きく離れた、凸凹とした傾斜。

 よくもまあこんな場所を、こんな状態の足で走って逃げることが出来たものだ──これまでに走って来た場所を改めて目にし、シェリーはそう思った。


 ──ここは、奥多摩内のとある森の地点。朽木人間が目撃されたという地点の近くである。

 SNSにて、朽木人間と思しき怪物の目撃情報を得たシェリーは、目撃者たちとのコンタクトをとり、取材を行った。

 そして、目撃者たちの証言から、朽木人間がこの地点の周辺で目撃されていることを突き止めたのである。

 シェリーは早速、白のレディーススーツから、黒の戦闘用レザースーツに着替え、その森の入口へと向かった。そして、衛とここで落ち合うために、彼と連絡をとろうとした。

 しかし──その直前に、予期せぬアクシデントに見舞われたのである。


(……まさか、こんなに多いだなんて……!)

 シェリーは苦し気に顔を歪め、己の甘さを呪った。

 そして、どうやってこの危機を乗り切ろうかと、焦る頭脳を冷却させ、思考を巡らせていた。


 その時──シェリーのスマートフォンが振動し、着信を訴え始めた。

 こんな時に、一体誰が。シェリーは腹立たし気にスマートフォンを取り出し──直後、画面を見て、目を見開いた。

 そしてすぐさま、耳にスマートフォンを当てた。


「……もしもし、衛?」

『良かった、繋がった……!』

 電話をかけて来た相手──青木衛の声が、耳の中に入ってくる。

 酷く焦燥感に駆られた声である。一刻も早く、何かを成さねばならないと思っているような──そんな声であった。


『シェリー、まだ奥多摩にいるのか!? だとしたらすぐに逃げろ! そこら一帯は奴らの巣窟かもしれねえ!!』

「え……!? 朽木人間のこと、何か分かったの……!?」

『ああ! 奴らの正体は、枯人だ! 妖桜っていう桜の妖怪によって、時間をかけて生命力を吸い尽くされた美女のなれの果てだ!』

「……! ……そう。『ゾンビみたいだ』って思った私の勘は、あながちハズレでもなかったみたいね」

 シェリーはそう言うと、自嘲気味に小さく笑った。


『馬鹿、笑ってる場合か……!』

 電話越しに、衛が叱り付ける。

『妖桜は、美女の生命力を養分にしている! 女性の連続失踪事件の犯人は、きっと妖桜だ! この間あんたが遭遇した朽木人間も、男の子を狙ってたわけじゃなくて、あんたを狙ってたんだ! その森の中にもし、妖桜が封印されていた場所があったとしたら、大勢の枯人に取り囲まれる! そうなる前に──』

「もう遅いわ」

『……何?』

 切羽詰まった衛の声に、シェリーは冷静に答えた。

 達観した声であった。


『……おいシェリー。あんたまさか──』

「ええ」

 シェリーは再び、木の影から僅かに顔を出す。

 ──がさがさという音と、蠢く茂み。その隙間から、苔の生えた枯木を思わせる顔の怪物の姿が見えた。

 一体ではない。数体いる。


 それだけではない。その周囲に目を向けると、更に数体の怪物がいる。

 更に、シェリーの後方からも、生い茂る草をかき分けて忍び寄る、無数の音が。

 そして更に、シェリーの左右からも聞こえてきた。

 これが──否。これらが、『アクシデント』の正体であった。


「……囲まれてるの。おそらく、十数体はいる」

『く……!』

 衛が、苦し気に言葉を詰まらせた。

 無理もないとシェリーは思った。自分が衛の立場なら、きっと同じ反応をするはずだから。


『……武器はあるか』

 動揺を押し殺しているかのような低い声で、衛が尋ねる。

 シェリーは右手で、ホルスターから銃を引き抜きながら答えた。

「ナイフが二振りに、拳銃が一つ。残弾は、予備の弾倉一つ分。……殲滅は不可能ね」

『……なら、一体だけでも倒せそうか? 包囲網に穴を空けて、そこから逃げるという手は』

「……難しいわ。さっき攻撃を受けて、足首を痛めてしまったの。走ろうにも走れない」

『クソ……完全に八方塞がりか……』

 衛の押し殺した声から、じわじわと焦りが滲み出ていた。


『……なら、周囲に何か利用できそうなものはないか? 上手く奴らの気を逸らすことさえ出来れば──』

「いいえ、利用できそうなものは見当たらないわ。……それよりも衛。教えてほしいことがあるの」

 シェリーは、衛の言葉を遮り、尋ねた。


『え……?』

「……『妖桜』だったかしら。……あなたは、『その妖怪は、時間をかけて、人間から生命力を吸い尽くす』と言ったわね。それはつまり、妖桜が人間を枯人に変える時間は、すぐではないということよね?」

『……。……ああ、すぐじゃない。生け捕りにした状態で、人間の生命力をじわじわ吸い取っていくそうだ。少しでも多くの生命力を吸い取る為に、必要最低限の養分を人間に与えた上でな。……そういう工程を経て、全ての生命力を吸い尽くされた人間が、枯人になるそうだ』

「……そう」

 シェリーは、短くそう言った。

 そして、僅かな安堵と希望を抱きながら、また口を開いた。


「……なら、まだ手はある」

『……何?』

 電話越しに衛は、シェリーの意図が汲み取れないという声を漏らした。

 それを聞きながら、シェリーは片手で、予備の弾倉を取り出した。


「……衛。私のボールペン、今持ってきてるのよね?」

『え……? あ、ああ。一応持ってる』

「良かったわ。なら、そのボールペンをマリーに渡して、私を探知してもらって。……私がいる場所に、他の攫われた人たちや、犯人たちがいるわ」


『……! あんたまさか!?』

 衛の声に込められた感情が、より濃いものになる。

 ようやく、シェリーの意図を理解したようであった。

「ええ、その通りよ」

『よせ、早まるな! 絶対に安全だっていう保証はねえんだぞ!』

 衛が、シェリーを必死に止めようと叫ぶ。

 しかし、シェリーの決意は固かった。


「逃げる手段はもう残されていないわ。……それに、時間がないのよ、衛。最初の失踪事件から、もう一ヶ月よ。被害者たちの命が危ない。もう手段を選んでいられないわ」

『でも──!』

「……大丈夫。信じてるわ。きっと助けてくれるって」

 シェリーは最後にそう言うと、衛の答えを待つことなく、通話を切った。

 そして、空になった愛銃の弾倉を捨て、取り出した予備弾倉を装填した。


「……本当に、信じてるからね」

 シェリーは、苦笑しながらそう呟き、目を伏せる。

 そして、愛銃のリアサイトを額にあてながら、静かに深呼吸をした。


(……せめて一体。……いや、二体だけでも倒す)

 シェリーは心の中で、今自分が成すべきことを唱えた。

 そして──右足の激痛を堪えながら、木の影から勢いよく飛び出した。


 ──待ち受けるのは、十数体もの枯人たち。

 その中の一体に、シェリーは銃を向けた。

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