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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第二話『構え太刀』
2/310

構え太刀 一

1

 春とは思えぬほど冷たく、強く激しい風が、その草地に吹きすさんでいた。

 時刻は深夜零時。空は暗雲が覆い隠しており、月の光も地上には届いていない。

 辺りは闇夜と、強風により煽られた草がたてるザワザワという乾いた音によって支配されていた。


 草地の中央に、一人の男が佇んでいる。

 袴姿で、腰元に刀を差している。

 年齢は、六十代後半と言ったところであろうか。口周りには、白と黒の入り混じった長い髭が生えている。

 顔の至るところには、無数の深い皺が刻み込まれている。その男が生きてきたであろう、波乱の人生を象徴するかのような皺であった。


「……」

 男は黙り込んだまま、両目を静かに閉じている。動く気配は微塵もみられない。

 が──その両目が突如、かっと開かれた。

 その視線の先に、いつの間にか、黒い人影が佇んでいた。


「来たか」

 目の前の人影に向かって、男が声を掛ける。

 その声には、僅かに殺気が込められていた。

「立ち合いを受けてもらえたこと、感謝する」

 人影は声を発しながら、男の方へ歩み寄る。五歩程歩いたところで、その人影は立ち止った。


 黒い人影の正体は、整った顔立ちをした若い男であった。

 闇に溶けるような黒いスーツを身にまとっている。

 身長は、日本人の平均よりも、やや高めで、太っても痩せてもいない。

 一見すると、どこにでもいる社会人のような姿であった。ただし、右手に握られている抜身の刀と、スーツに覆い隠されている鍛え上げられた肉体──そして、ぞっとするほどの鋭い目つきを除けばの話だが。


「覚悟はよろしいか、草間進太郎殿」

 スーツ姿の男が、道着の男──草間進太郎に、確認の言葉を投げ掛ける。

 その言葉に対し、草間が答える。

「この道を志した時から、元よりその覚悟は出来ておる。そちらの方こそ、覚悟はよいか」

 スーツの男は、何も答えない。その反応を、草間は無言の肯定と受け取った。


「立ち会う前に、名を聞いておきたい」

 草間は、目の前の男を警戒しながら問い掛ける。

 スーツの男は、表情を変えずに名乗った。

「構え太刀三兄弟が長兄。名は剣一郎」

「『構え太刀、三兄弟』──?」

 草間の表情が、若干曇ったものになる。初めて耳にする名であった。


(この男、一体何者──?)

 草間の脳裏を、疑問がよぎる。

 一つ疑問が浮かぶと、次々に疑問が湧いてきたので、草間は一度深呼吸を行い、頭をからっぽの状態に戻した。

(彼が何者かなど、今はどうでも良い。そんなものは、立ち合ってみれば分かることだ。今はただ、全力で己の剣を振うのみ……!)


 草間は己の刀を抜き、相手に向けて構える。

 一方の剣一郎は、無言のまま、全く動かない。

「……」

「……」

 両者はそのまま、互いに睨み合う。

 言葉を発する者はいない。

 殺気を発しながら、眼前の敵がどう動いても反応できるよう、全神経を研ぎ澄ませる。


「……!?」

 その一瞬、草間の顔に驚きと戸惑いの色が浮かんだ。


 ──剣一郎が、先に仕掛けたのである。

 剣一郎は、無構えの状態から素早く低い姿勢を取り、足元の草を切り払うかの如く、刀を横薙ぎに振ろうとしていた。

 しかし、両者の間合いは、刀が届くような距離ではない。それなのに、剣一郎はその距離から全力で刀を振ろうとしている。


 それを見た草間は、こちらの虚を突くための策ではないかと考えた。

 フェイントでこちらを誘い、その隙に何らかの行動を起こすつもりなのだろう、と。


 ──その時である。


「──キエエエエエッ!」

 剣一郎の甲高い叫びが、夜の草原に響き渡った。

 直後、草間は己の足元を、冷たい風が駆け抜けたように感じた。直後、両脚の太腿から、じわじわと熱いものが込み上げてくる。

 何が起こった──草間の表情に動揺が滲む。


 次の瞬間、草間の視界が、ぐらりと揺れた。

 剣一郎や草地、周囲の光景。草間の視界に映る物全てが、独りでに動いているように見えた。

「!? ……ぬうっ!」

 草間は思わず、そのまま尻もちをつく。そして、熱さを発している両脚に目を向けた。

「ぐっ……一体何が……ッ!?」


 その時──草間はようやく、己の身に何が起こったのかを理解した。

 草間の両太腿が、真横に綺麗に切断されていたのである。


「ぐっ……!? ば、馬鹿な……何だ、これは……!?」

 切断面から湧き上がる激痛を堪えながら、草間が声を漏らす。動揺、恐怖、そして絶望──様々な感情が込められた声だった。


 そんな草間を、剣一郎は、落胆と侮蔑の目で見下していた。

「フン……。草間進太郎、相当な手練れだと聞いていたのだが……所詮はこの程度の男だったか」

 その言葉を聞き、草間は痛みと屈辱に顔を歪めながら、剣一郎に怒りをぶつけた。

「き、貴様……! これは……! 一体、何をした!?」

「知る必要は無い。これから死ぬ者には無縁の技なのでな」


 言い終わるよりも早く、剣一郎は己の刀を真横に振った。それを見た草間は、震える両手で握った刀で、何とか斬撃を受け止めようとした。

 しかし、剣一郎の刀は、草間が掲げた刀を軽々と弾き飛ばす。その勢いのまま、草間の首を、スパンと撥ね飛ばしていた。

 草間の首は、鮮血を撒き散らしながら、草地をごろごろと転がり、数メートル程先で静止した。


「…………」

 剣一郎は、無言で生首に歩み寄る。

 そして、空いている左手で、生首の髪を掴んで持ち上げると、その両目を至近距離で覗き込んだ。

 草間の両目は、驚愕で見開かれていたが──その瞳は、もはや何の光も灯してはいなかった。


 それを見た剣一郎は、口の端を僅かに歪め、一度だけニヤリと笑った。

「……フン」

 生首を無造作に投げ捨て、背後を振り返って歩き出す。

 すると、その姿は徐々に闇に紛れ、深く溶け込んでいき──そして消え失せた。

 後に残されたのは、無残に斬り捨てられた、草間進太郎の亡骸のみであった。

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