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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十一話『人喰いタクシー』
191/310

人喰いタクシー 四(完)

4

 三塩山内。『整備された山道』と言うにはあまりにも粗末な、ひび割れたコンクリートで出来た、歩行者用の緩やかな坂。

 その上を、一台のタクシー車輌が駆け上がっている。

 車輌の正体は、つい先ほど一人の乗客を乗せ、安全運転でこの山のふもとに辿り着いた、あの人喰いタクシーである。


 しかし、その走る姿は、これまでのような安全を心掛けた丁寧なものとは全く違う。

 エンジンは獣の如く唸りを上げ、タイヤは凄まじい速度で回転し、車体は上下左右に激しく揺れている。

 人喰いの名に相応しい、恐ろしさと暴力性を感じさせる暴走であった。


 一体何故、このように様変わりした運転が行われているのか。

 その理由は、タクシー車内にて、激しい乱闘が繰り広げられていたからである。


 否──『乱闘』と言う言葉は、この場合適切ではない。

 正しく言い換えるならば、『乗客がドライバーを一方的に殴り付けている』という言葉の方が適切であった。


 その乗客──退魔師・青木衛は、後部座席から身を乗り出し、運転席に座っているドライバーの首を、運転席越しに右腕で裸絞めにしていた。

 その状態で、ドライバーの横っ面に、左フックを執拗に叩き込んでいた。

「フンッ!!かぁッ!!」

「ぶ……!アが……!?」

 衛の拳打が顔面に突き刺さる度に、ドライバーの腐った顔は裂け、皮膚の上の蛆は潰れ、骨は軋み、口から苦悶の声が漏れた。

 そして、徐々にアクセルを踏む力は増し、速度もまた上昇していった。

 しかし、いくら加速しても、逃れることは叶わない。何故なら敵は、この車内にいるのだから。


「く──ッ!!うおらァッ!!」

「ッぶ……!!」

 さらに突き刺さる拳打。

 ドライバーは痛みに耐えかね、思わずハンドル操作を誤ってしまう。

「っ!?」

 車内が大きく揺れ、その衝撃で、衛の打撃が強制的に一時中断された。

 タクシーは一度右へ曲がり、直後、大きく左へと進路をとる。


 そこは、山道ではなかった。

 山道の端にある、鬱蒼と生い茂る木々の間に出来た、獣道。

 車一台通れるかどうかといった大きさの、小さな抜け道。

 偶然にもタクシーは、その獣道に突っ込み、更に暴走を続けた。


 周囲の木の枝や幹にぶつかり、車体が歪み、傷付いていく。

 左後部座席側のドアが、何度も木にぶつかった衝撃で開いていた。

 凸凹とした地面の上を通る度に、車体は激しくバウンドを繰り返す。

 狭い車内もまた、その影響を受け、人や物が激しく揺さぶられていた。


「っ──邪魔ァッ!!」

 衛が、運転席のヘッドレストを両手で引き千切る。

 障害物が無くなり、ドライバーの後頭部が露わとなった。

「オラアアッ!!」

 そこに衛は、今度は両拳で、情け容赦なく連打を叩き込んでいく。


「……が……!」

 後頭部を襲う鈍痛に、ドライバーが目を閉じて苦しむ。

 何とか堪え、目を開いて前を見た。

 直後、ドライバーの視界に、獣道を遮るような大きな木がそびえ立っている光景が映った。

「がァ……!!」

 連打の痛みを堪えながら、ドライバーは右にハンドルを大きく回し、急ブレーキをかける。

「くッ!?」

 衛の体が遠心力によって大きく揺さぶられ、左へと転がる。

 タクシーは、狭い獣道の中でドリフトを行う形となり──巨木に助手席側のドアがぶつかり、ようやく停止した。


「がっ!!」

 巨木にぶつかった衝撃で、衛の体は開いていた左後部座席のドアから放り出された。

 すぐさま受け身をとり、濡れた地面を転がって体勢を整えつつ、タクシーを睨んだ。

 タクシーはタイヤを激しく回転させ、衛から逃亡しようとしていた。

「待て!!」

 衛が叫び、車体に跳び付くようにしがみ付いた。

 同時に、タクシーは再び爆音を上げ、細々とした木々を弾き飛ばしながら走り出した。


「ぐ──っ──ぉ──!!」

 車の激しい振動を全身で感じながら、衛は四つん這いの姿勢で車の屋根によじ登る。

 そして、丁度運転席の真上の辺りまで辿り着くと──

「──っらあああっ!!」

 再び、攻撃を再開。

 屋根に向かって、左肘を何度も叩き込む。

 鉄で出来た屋根は、肘が一発当たるごとに、クレーターの如く凹んでいく。


 そして、クレーターが直径三十センチほどの大きさに達した時──

「うりゃあッ!!」

 左手を貫手へと変え、中心に向かって突き込んだ。

 左手は屋根を突き破り、タクシー車内に潜り込み、ドライバーの左耳を削ぎ落としていた。


 直後、衛は左手を素早く引き抜く。

 手刀によって開いた、横長のスリット。そこに衛は、両手の指をかけた。

 そして、自らの肉体に強化の術を施し、スリットを無理やりこじ開けていく。

「っ……お……お……おっ!!」

 みしみしと音を上げながら、屋根に大穴が空いていく。

 そこから見えたのは、左耳のあった場所を左手で押さえながら、右手でハンドルを操作し、穴の開いた天井を仰ぎ見ている、死人のドライバーの姿であった。


 その顔面に──

「おおおおっ!!」

 ──衛は、素早く右拳を叩き込んだ。

「ぶ……!?」

 ドライバーの腐った鼻が、ぐしゃりと潰れた。

「らあああっ!!」

「が……!?」

 続けて第二打。

 多くの乗客の肉を噛み千切った前歯が、粉々に砕け散る。


 ──三打。

 ──四打。

 ──五打。六打。七打。

 隕石の如き衛の右拳が次々に叩き込まれ、ドライバーの腐った顔を変形させていく。


 その時──

「っ!?」

 ──タクシーが、また大きく跳ね上がった。

 これまでで、一番大きな揺れである。

 その衝撃で、衛の体が一瞬宙に浮き、再び屋根に着地。

 直後、タクシーが左へと大きく曲がり、上を目指して加速を始めた。


 タクシーは再び、あのひび割れたコンクリートの道を走っていた。

 獣道や木々を掻い潜り、この山道に復帰したのである。


 ──タクシーは、更に加速を掛ける。

 現在、時速八十キロ。

 車体はがたがたと揺れ、屋根の上にしがみ付いている衛の身体も、そのまま弾き飛ばされてしまいそうなほどに震えている。


 直後、タクシーが急ブレーキをかけた。

「ぐっ!!」

 衛の小柄な体が、前方へ投げ出される。

 十メートルほど先のコンクリートに叩き付けられ、そこからごろごろと転がる。

 更に転がり続け──二十メートルほど先で、ようやく停止した。


 そのまま──両者は全く動かなかった。

 衛は倒れ伏したまま、ピクリともしない。

 ドライバーは、運転席に座ったまま、濁った両目で、倒れている衛を呆然と見つめていた。

 しばらくそのまま、両者はその場に留まっていた。


 ──数秒後、変化があった。

「…………っ」

 ──衛が、動いた。

 俯いたまま、地面に両手をつき、両足に力を込める。

 そのまま、ゆっくりと。ゆっくりと立ち上がる。震える体に力を込め、ゆっくりと──しかし、しっかりと立ち上がる。

 そして、顔を上げ──ドライバーを見た。


「…………」

 ──衛の額が、割れていた。

 額の皮膚が裂け、その傷口から、真っ赤な血が滝のように溢れていた。

 その傷口の下の辺りには、同じくらい真っ赤な目があった。

 怒りと、憎しみと、殺意に塗れた怪物の瞳が、ドライバーの首を狙っていた。


「…………!!」

 その時、ドライバーの目に変化が起こった。

 白く濁った死者の瞳。

 その瞳に──恐怖と怒りが宿った。

 死と狂気によって隠された意志に、初めて人であった頃の感情が甦った。


 直後、再びタクシーのエンジンが唸り声をあげた。

 衛が佇んでいるのは、坂道の上。タクシーの位置は、坂道の下。このまま全速でバックを行い、緩やかな坂道を下れば、逃走出来るかもしれなかった。

 しかし、タクシーからバックをする気配は感じられなかった。それどころか、衛を全速力で轢殺しようとする気迫が伝わって来た。


「…………」

 衛は、人喰いタクシーのドライバーを、じっと睨み続けていた。

 そのまま、無言で低い姿勢をとり、身構える。


 直後──衛の右足から、赤い光が零れ始めた。

 超常的な力を打ち消すことの出来る、衛の身体に秘められた特殊な気、『抗体』の輝きである。

 光は、そのまま右足を包み込み、強い輝きを放ち始めた。

 まるで、松明の先端で燃え盛っている炎のように。


 両者はそのまま睨み合い──ドライバーが、先に動いた。


「…………!」

 タクシーのエンジンが、一際大きな唸り声をあげた。

 同時に、ギャルルルルル、という凄まじい摩擦音を放ち、タイヤが猛回転を始め、前へと進み始める。


「……ッ!」

 衛は、思い切り歯を食いしばる。

 抗体がまとわり付く右足を後ろへ下げ、地面を思い切り踏み締めた。

 

 ──タクシーは、急激に加速をかけながら、坂道を駆け上がって来る。

 前方で待ち受ける、凶悪な乗客を排除するために。

 死後も頑なに守り続けたルールを投げ捨て、その乗客を跳ね飛ばすためにアクセルを踏みつける。


「…………ッ!!」

 衛は、逃げなかった。

 それどころか、こちらに突っ込んでくるタクシーに向かって駆け出す。

 赤く輝く右足が、地面を踏み締める度に、炎の足跡のような赤い残滓が刻まれる。

 無数の足跡を残しながら、迫り来る鋼鉄の獣へと、全速力で立ち向かっていく。


 そして──衛が、跳んだ。

 右足を振り子のように高く振り上げ、それにつられるように体が浮き、左足で地面を蹴って跳躍。

 宙へと浮かび上がる最中、抱え込むように両脚を曲げ、力を溜める。

 そして、タクシーに衝突する寸前に──燃え上がった右足を、槍のように思い切り突き出した。


 ──武心拳における跳躍技法の一つ。

 足に気を収束させて放つ、強烈な跳び蹴り──その名は、『疾空脚(しっくうきゃく)』。


「うおりゃああああああああああああああああ──!!」


 衛の右足は──


「──ああああああああああああああああああ──!!」


 ──フロントガラスを突き破り──


「──ああああああああああああああああああ──!!」

「!!」


 ──ドライバーの頭部を爆散させ──


「──ああああああああああああああああああ──!!」


 ──リアガラスを粉砕し──


「──あああああああああああああああああああっ!!」


 ──コンクリートの地面を踏み締め、力強く着地していた。


「ッ……!!」

 着地後、衛は素早く立ち上がり、タクシーの方へと向き直る。

 そして、残心を決めつつ、敵の生死を見極めようと試みた。


 ──タクシーは、頭部を失ったドライバーを乗せたまま、しばらく坂道を上り続けた。

 しかし、ドライバーの亡骸が、溶けるかのように消滅すると、次第に減速を始め、真っ直ぐであった進行方向も、徐々に蛇行運転気味な動きに変わっていく。


 やがて人喰いタクシーは、道脇にあった大きな溝へと脱輪し、停止。

 そのままエンジン音は小さくか細いものになっていき──数秒後、完全に沈黙した。

 直後、力尽きたタクシー車輌が、急激に錆び始めた。

 戦闘が始まる直前までは、通常のタクシー車輌と見比べても遜色なかったはずの外装。

 しかし、そんなタクシーの姿は今や見る影もなく、数十年前に乗り捨てられた廃車のようになり、哀れな姿を晒していた。


「…………」

 衛はしばらく、その廃車を睨んだまま構え続けていた。

 タクシーにこれ以上の変化が起こらないことを悟ると、ようやく構えを解いた。

「…………」

 しばしの沈黙の後、額から溢れる血を、手の甲で拭う。

 だが、まだ出血は完全に止まっておらず、一拍置いた後、傷口から再び血が滲み始めた。


 血が止まるのを待つことなく、衛は踵を返し、その坂道を降りていった。

 降っていく間、衛は一度も振り返らなかった。


 錆と泥で酷く汚れたその棺桶は、とうとう動くことはなかった。

 後部座席のシートの上には、噛み砕かれた人骨の欠片が散らばっていた。


                               第十一話 完

これで、今回のエピソードは完結です。

お読みくださいまして、ありがとうございました。


ちなみに次回についてですが、中編~長編くらいの長さのお話になるのではないかと思っております。

また、新エピソードの執筆のため、これより再び休載期間に入ります。

皆様にはまたご迷惑をお掛けしてしまいますが、何卒ご了承ください。

それでは、次回もよろしくお願いします。

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