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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十一話『人喰いタクシー』
190/310

人喰いタクシー 三

3

 ──それから、二日が経った。

 その日の夜は、雨の雫がしとしとと降り注ぐ、蒸し暑い夜であった。


「…………」

 人喰いタクシーのドライバーは、安全運転を心掛けながら、愛用のタクシーで街を回っていた。そうしながら、このタクシーに乗りたいと望むものを、探し求めていた。


 生前からそのドライバーは、真面目で誠実なのが取柄であった。法定速度をしっかり守り、道路標識は見逃さない。一時停止と目視確認、信号無視などもっての外。そして何より、お客様の要望を第一とすること。それが、彼が生前から固く守り続けているルールであった。

 彼は今も、そのルールを守りながら、隔日でタクシー業に励んでいた。自分が死んでいるということにも気付かず、このタクシーを運転し続けていた。


 安全を心掛けて、タクシーを運転する。そうしながら、乗車を希望する客を探す。客を乗せたら、目的地まで確実に送り届け、到着したら代金()を頂く。

 何もおかしいことはない。やましいことも、後ろめたいこともない。何故なら、悪いことなど一切していないのだから。真面目に、誠実に、彼はタクシー業務を行っているに過ぎなかった。


「…………」

 無言で運転を続けるドライバー。視線の先にあるのは、フロントガラス越しに見える、夜の街の姿であった。


 歩行者は、誰もいない。

 対向車線上には、車の影はない。

 ミラーに目をやる。後続車両も見当たらない。

 フロントガラスが雨粒に塗れ、前方の視界が悪くなった。直後、作動させているワイパーが水を切り、再び視界が良好となる。

 そして再び、乗車を希望する者の姿がないか確認する。

 ──それらを何度も何度も繰り返しながら、彼は夜の街を、安全運転で走っていた。


 すると──

「…………!」

 ──ようやく、人影を発見した。

 前方、数十メートル程先の道路脇。そこに、傘もささずに佇んでいる、小さな人影があった。

 幸運にも、乗車を望む客らしい。その人影に近付くに連れて、黒い手袋をはめた手をあげていることが分かったからだ。


 ──その人影は、青年であった。

 妙に目付きが悪い。眉間には皺が寄っており、瞳は闇のように黒く濁っている。

 体格は小柄であった。しかし、貧弱さは感じない。ジャケットをまとうその体は、アスリートのような引き締まった体をしていた。

 そんな青年が、この雨の中傘もささずに、道端でタクシーを待っていたのである。


「…………」

 ドライバーはウィンカーを点滅させると、緩やかに速度を落とし、その青年の傍らで停車した。

 そして、運転席脇に備え付けてあるレバーを引き、後部座席の扉を開く。青年を迎え入れるために。


「…………」

 青年は、無言で後部座席に乗り込んだ。

 そして、右側の座席に座り、シートベルトを締めた。


「三塩山のふもとの広場まで」

 青年が、行き先を告げた。低く、冷静ではっきりとした声であった。


「……ハい……」

 青年の言葉に、ドライバーは小さく返事をした。

 そして、右のウィンカーを点滅させると、緩やかにアクセルを踏み、発進を始めた。


「…………」

 青年は、無言であった。

 口を結んだまま両腕を組み、静かに両目を閉じている。

「…………」

 運転手もまた、無言であった。

 口を開くことなくハンドルを握り、速度を守って運転している。

 そのまま、どちらも一度も口を開くことなく、タクシーは夜の町を通り抜け、目的地を目指して向かっていった。


 ──それから十五分。

 タクシーは何事もなく、目的地──三塩山のふもとに辿り着いた。


 三塩山は、この田舎町の端にある小さな山である。

 高さはそれほどなく、傾斜も緩やかだが、滅多に訪れる者のいない場所である。

 山のふもとには、まばらに草が生えている広場がある。広場には、電灯もトイレもない。駐車場としての機能を果たすための白線もない。

 その広場の端で、タクシーはゆっくりと減速し、やがて停車した。


「……到着いたシまシた……」

 タクシーを停止させると、ドライバーは前を向いたまま、後部座席の客にそう告げた。

「ありがとうございました」

 乗客は、落ち着いた様子でそう言った。降りようとする様子も、財布を取り出そうとする仕草もない。先ほどまでと同じように、両腕を組んだまま座り続けていた。


「……それでは……」

 ドライバーが、ゆっくりと帽子のつばに手をかけた。

 乗客に要求しようとしているのである。この人喰いタクシーに乗車した代償を。いつも通り、乗客から貰ってきた利用料()を。

 ──早く受け取らなければ。早く利用料を、この口で受け取らなければ。

 狂気というカーテンで覆い隠されたドライバーの意識。その隙間から、そんな考えが零れていた。

「……おイノ──」


「その前に」


 その時、乗客の一言が、ドライバーの要求の言葉を遮った。

「…………?」

 ドライバーが、言葉をこぼすのを止めた。そのまま、乗客の次の言葉を待つ。


「……その前に。もう一ヵ所、行って頂きたい所があるんです」

「……もウ……一ヵ所……?」

 ドライバーは、乗客の言葉を反復した。

 乗客からの要望である。お客様からの要望は、可能な限り受け止めなければ。そう思い、ドライバーは帽子のつばから手を離した。

 そして、乗客に尋ねた。その乗客が望む場所を。

「……どチラで……しョうか……?」


「『あの世』です」


「……アの……世……?」

 ドライバーが、また反復する。

「ええ。あの世です。……ですが、逝くのは私ではありません」

 青年は、静かで落ち着いた言葉を、そこで区切った。

 そして、一呼吸分の間を置いた後──どすの効いた声で言った。



「逝くのは、てめえだ」



 その時、タクシー車内の空気が一変した。

 静かで落ち着いた空気が一瞬で煮え立ち、地獄のような熱さを孕んだものになった。


「…………!?」

 それを感じ取ったドライバーは、反射的にルームミラーに目をやった。

 そこには、右後部座席に座っている乗客の姿があった。

 乗客は、腕を組むことを止め、両目を開き、ミラー越しにドライバーを睨みつけていた。

 先程のような、濁った瞳ではない。殺意に満たされた恐ろしい瞳が、眼前の獲物に照準を定めていた。



「魔拳、参上」



 その言葉が耳に入った直後、ドライバーは弾かれたように背後に向かって振り向いていた。

 その視界いっぱいに──乗客の鬼のような形相と、黒い拳が映った。

次回、完結です。

明日の20~21時頃に投稿する予定です。

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