人喰いタクシー 二
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「……う~……ふあ~……」
真夜中の寂れた飲み屋街、その外れにある、道路脇の歩道。
その上を、一人の男がよろよろと歩いていた。
男は、四十代から五十代ほどの年齢のようであった。
顔は真っ赤に染まり、目はとろけたようにトロンとした形になっており、口からはアルコールの混じった吐息が零れていた。
「あ~……あ?」
男が歩き続けていると、彼の後方から音が聞こえて来た。車の音である。
男は面倒くさそうに振り返る。すると、男の眠そうな両の眼が、喜びによって大きく見開かれた。
背後から聞こえた車の正体は、ゆっくりと前進して来ているタクシーであった。
「ヘーイタクシーィ!たーくしーい!うはははははは!」
これは僥倖と言わんばかりに、男はタクシーに向かって、上機嫌で声を張り上げながら、右手を振った。
タクシーは、ゆっくりとした速度を更に緩め、男の傍らで停止。後部座席の扉を開けた。
「どっこいしょっと!!助かった助かった!丁度通ってくれて良かった!えーっと!隣町のホテルね!一つしか建ってないから、名前言わなくても分かるでしょ!うはははは!」
男は座るなり、行き先をやかましく喚いた。
「……はイ……」
帽子を目深にかぶったドライバーは、そんな客の様子を気にすることもなく、掠れた声で返事をする。
それを合図に、タクシーは再び、ゆっくりと発進を始めた。
「いや~いやいやいや!こんな時間にお仕事しなきゃいけないなんて、タクシーの運転手さんも大変ですなぁ!なはははは!」
「…………」
男は後部座席で、げらげらと大笑いしながら喚き続ける。
しかし、ドライバーに気分を害したような様子はない。
ただ前を向き、静かにハンドルを握っている。
「いやまぁ、あたしらの仕事に比べたら、タクシーなんてまだ楽な仕事ですよ!ただ座って車を運転してりゃあいいんだから!ぎゃはははははは!」
「…………」
男は悪びれた様子もなく、失礼な言葉を更に車内に撒き散らしていく。
しかし、それでも運転手は何の反応も示さない。
男の言葉に相槌も打たず、黙々と車を運転し続けている。
「えぇ?あたしが何の仕事してるかってェ?そりゃああんた、記者ですよ記者ァ!『月刊怪文』って雑誌、聞いたことあるでしょ!?ホラ、都市伝説とか猟奇事件とか扱ってる、あのオカルト専門雑誌!あたしね、その雑誌作ってる記者の一人なんですわ、あはははは!」
記者は、少しの反応も示さない運転手の様子を気にすることもなく、聞かれてもいないことをペラペラと話し始める。
「いやぁ最近ねえ!日本各地で色んな怪事件や都市伝説の情報が続出してるんですよ!やたらと長い付け爪をした集団、のっぺらぼうの屋台、高速道路に出没する謎の老婆!枯れ木みたいに干からびた人間に、包帯で顔を隠して怪物を殴り倒す『怪人X』、爬虫類を殺しまくってるって噂の信仰宗教!とある村で行われている殺し合いの儀式に、世界政府を影で操っている秘密結社!!こんな感じで、胡散臭い情報がわんさかわんさか!この中からどれか一つでも真相を究明すれば、間違いなく我が月刊怪文の売り上げは倍増!!ってなわけでねェ、あたしらは血眼になって取材しまくってたワケなんですよ!!なはははは!!」
「…………」
「ところが困ったことに、ちっともこいつらの正体に行き当たらないんですわ!こんなに噂がいっぱいあるってのに、どんだけ調査を続けても、ちっとも連中の尻尾が掴めない!こいつは困った、これじゃあ記事が書けないし、一銭にもなりゃあしない!どうしたもんかとあたしら一行は途方に暮れていた、まさにその時だった!」
「…………」
「遂にあたしらは、とある怪物が、この街の辺りに何度も出没しているって情報を掴んだんですよ!そう、『人喰いタクシー』についての噂をね!!」
記者は、そこで一旦言葉を区切り、呼吸を整えるよう努めた。
それが終わると、再び記者が口を開いた。そこから出る声は、先ほどのような興奮気味のやかましい声とは打って変わっていた。わざとらしさを感じさせる、低く暗い声であった。
「その噂ってのはこうだ。……約十数年前、この辺りで働いていたとあるタクシーの運転手が、亡くなったらしいんです。死んだ理由は、仕事中の『交通事故』だとか。まだ生きて、やりたいこととかもいっぱいあったでしょうに……かわいそうな話ですわ……」
「…………」
「……で、案の定……そのドライバー、この世に対する未練がどうしても捨てきれなかったみたいでね。悪霊となってこの世に留まり、未だにタクシーの仕事をしてるらしいんですよ。
「…………」
「そのドライバーが乗ってるタクシーは、あんたが今運転してるみたいに、ゆっくりとしたスピードで走ってるらしいんです。で、そのタクシーに乗った客は、一応目的地に送ってもらうことは出来るんですけどね……?賃金代わりに、持って行かれちゃうらしいんですよ。その乗客の……命をね」
「…………」
「なーんで他の人間を殺しちゃうんですかねぇ。自分が死んじゃったから、生きてる人間が妬ましいってことなんですかねぇ。全く、傍迷惑な話ですわ。……でもまぁ、あたしら記者にとっては、メシの種になる有り難い話なんですがね」
そう言うと、記者は歯茎を見せて、にししと苦笑した。歯の隙間から、僅かに唾が飛んだ。
「……この怪談を初めて聞いた時、あたしらは皆、『ありきたりな怪談だなぁ』って思いましたよ。でもまぁ、ありきたりなネタでも、一向に情報が掴めない特上のネタよりはマシだ。……ってなワケで、こんな田舎町までわざわざ取材に来たってワケなんですよ!分かってもらえたかな!?わはははははははは!!」
「…………」
記者の声の調子が、わざとらしさを感じさせる低いものから、再び上機嫌なものへと変わった。
「と、いうことで……あんた!この辺りでお仕事してんでしょ?だったらさ、人喰いタクシーについての情報知らないかなぁ?」
記者は身を乗り出し、猫なで声でドライバーに尋ねた。
「…………」
が、ドライバーは無反応。依然として、前を向いて安全運転を続けている。
「ほら、あんたも何か聞いたことがあるんじゃないの?あんたも同じタクシードライバーなんだからさぁ!同業者さん達の間で、何か噂になってたりするんじゃないのぅ?」
記者は諦めることなく、ドライバーから情報を聞き出そうと試みる。
「…………」
しかし、やはりドライバーからの返答はない。
少しも口を開くことなく、ただ運転に集中している。
「お願い!どうしても教えてほしいんだってば!この都市伝説逃したら、あたしら当分飯にあり付けなくなっちゃうかもしれないんだから!ほらほら、人助けだと思ってさ!少しでもいいから何か教えてよぉ!」
記者の尋ねる声が、困りと焦りを含んだものになる。自身が進退窮まった状況にあると感じさせることで、相手の同情を誘い、情報を引き出そうとしているのである。
が、しかし──
「…………」
──それでもドライバーは、何も答えなかった。
黙々、黙々と。ただ前を向いて、車を運転している。
寂れた飲み屋街を越え、隣町へと入ってもなお、交通規則を守り、安全運転を維持している。
完全なる無視。無反応であった。
その態度に対し、先程まで上機嫌だった記者の顔が、いよいよむっとしたものになった。
「……。ねぇ、あんた」
男は、低いトーンの声で囁いた。その声からは、先程のようなわざとらしさは全く感じられない。
「あんたさぁ。俺の話、ちゃんと聞いてる?さっきから何の返事もしてくんないけど。……ねえ」
ねっとりとした調子で、男は運転手にまた囁いた。
しかし、やはりドライバーは、何も答えなかった。
「……俺はねぇ。大事な話をしてんの。分かる?理解できてる?ねぇ」
「…………」
「……まただんまりかい。……あんたねぇ。俺のことナメてんの?ん?」
「…………」
「…………おい。……おーい。……おいコラ!!何とか言えってんだよ!ああ!?」
遂に、男が激昂した。
酒による赤ら顔が、突き上げてくる怒りによって更に紅潮する。
「あのなぁ!?俺は客だぞ!?あ!?タクシードライバー風情が調子こいてんじゃねェってんだよ!!ああ!?はいとかいいえとか簡単な返事もできねぇってか!?それとも俺とは口もききたくねェってか!?ナメてんじゃねえぞこの!!おお!?」
男はシートベルトを外し、運転を続けるドライバーの肩を掴み、思い切り力を込める。
しかし、ドライバーは何の反応も示さない。苦悶の声一つ上げることなく、じわりとブレーキを踏み始めただけであった。
「聞いてんのかこのヘボドライバー!大体何だてめェさっきからトロトロトロトロ運転しやがってよォ!?」
「……した……」
「……あ?」
「……到着いたシまシた……」
その言葉に、思わず記者は、車の外の光景に目をやった。
そこは、既に目的地。記者が現在宿泊している、寂れたビジネスホテル。
記者が一方的にまくし立てている間に、そこに到着していたのである。
「……それでは……」
「……?」
ドライバーが、目深にかぶった帽子を、ゆっくりと脱いだ。
そして、同じくらいゆっくりと首を動かし、その記者に向かって振り向いた。
「…………?」
その顔を見た直後、記者の表情から、感情と呼べるものが、全て抜け落ちていた。
直前までの怒りの感情は全て掻き消され、無表情になっていた。
その代わりに──無数の冷たい汗の粒が、記者の肌の上にじわじわと滲み始めていた。
「……え」
──そのドライバーの顔は、腐っていた。
口。鼻。頬。額。それらの部位は、ことごとく腐食している。
皮膚は、所々が剥がれて変色した肉が丸見えになっており、その表面には、膿のようなねとねととした液の粒と、もぞもぞと蠢いている蛆がへばりついていた。
そして、記者を捉えている両目。そこに収められた丸い瞳は、完全に濁り切っている。生者の目ではない。死者の目であった。
「……ほ」
「……お命……」
「……本物?」
「……ちョうダイいたシまああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ──」
──ドライバーの口が、大きく開く。
口の端の肉が、みちみちという音をたてて千切れながら、限界以上に広く大きく開いていく。
そうしながら、ゆっくりと、凍り付いた記者の顔に、口を近付けていく。
──記者が最期に見たのは、ドライバーの暗い口の中。
最期に嗅いだのは、腐った肉と血の臭い。
そして、最期に耳にしたのは──自身の顔面が噛み千切られ、骨が砕ける音であった。
次回は、明日の20~21時頃に投稿する予定です。




