祖父の現影 五十五
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「ふんッ!!」
『『『シッ!!』』』
「せいッ!!」
『『『とァッ!!』』』
「はァッ!!」
『『『アアアッ!!』』』
明日香とつどいむしゃが放つ、気合いの掛け声。両者の刃が立てる、激しい剣戟音。そして、影と影とがぶつかり合い、消滅する音。
それらの音が道場の中で反響し、喧騒たる様を見せていた。
──どのくらい、こうして打ち合いを続けているのか、明日香には分からなかった。
打ち合っている間に、明日香の時間間隔は麻痺を始めていた。
ずっと長い間打ち合っているようにも感じたし、ほんの数十秒と経っていないようにも感じた。その間、彼女は決して休むことなく、つどいむしゃと剣戟を交わしていた。
刀を振るう両腕は、既に限界に達しつつある。現影身による体力の磨耗も著しい。体が溜め込んでいる疲労は、確実に増していた。
『『『りゃあああっ!』』』
「くっ──!?」
明日香の斬撃が、つどいむしゃに打ち負けた。
両腕が痺れ上がるような、強烈な一撃であった。
『『『ごあああっ!!』』』
「──っ!」
すかさず襲い来る刃。
明日香は慌てて刀を身に寄せ、防御の姿勢をとる。
「ぐっ──!?」
刀の斬撃と、影による無数の斬撃が、閻魔弐式を大きく震わせる。衝撃は先程以上に強い。
明日香は堪らず、顔を苦し気にしかめた。
──衝撃が刃を通して腕へと伝わり、明日香に残された体力を徐々に削ぎ落としていく。
予想以上に消耗する速度が速い。
このまま打ち合いを続ければ、間違いなく明日香は押し敗ける。
何とかして、この状況を打開しなければならない。
しかし──今の明日香には、その方法を見出すことは困難であった。
彼女の心には、焦りと恐れが渦巻いている。そしてそれらは、明日香の体力が削られていくにつれて、より強く、濃くなっていく。
何とかしなければ──そう思うたびに、ますます動揺の幅は広がっていく。
闘志を燃やそうとするも、逆に心は萎縮していく。
『『『せいやぁああッ!!』』』
「きゃあっ──!?」
つどいむしゃの、現影身を伴った全力の一撃。それを斬妖刀で防いだ瞬間、明日香の体は吹き飛ばされ、道場の床を転がっていた。
「う……ぐ……!」
明日香は苦痛に顔を歪めながら顔を上げた。
その視界の中央に、刀を振り上げたつどいむしゃが迫り来る姿が見えた。
『『『もらったァアアアッ!!』』』
つどいむしゃが叫ぶ。
そして、刀を振り下ろした。
床に倒れたままの明日香の首、それを狙って。
「──!」
──スローモーションとなった世界で、明日香はその光景を、息を呑んだまま見つめていた。
そして、イメージしてしまった。次の瞬間の己の姿を。頭部を失った己の胴体が、鮮血に塗れながら横たわっている姿を。
(おじいちゃん……!)
明日香は死の恐怖から、無意識に廉太郎のことを想った。
己を愛してくれた祖父のことを。
闘う術を──強さとは何なのかを指導してくれた師のことを。
──怯えるな、明日香──。
「……!」
その時、明日香の耳に、懐かしい声が甦った。
かつて、この道場で聞いた、祖父の言葉が。
かつて、この道場で受けた、祖父の教えが。
「っ、く!!」
諦めかけていた明日香の心身に、再び力が宿った。
同時に、明日香は倒れた姿勢のまま、床の上を丸太のようにごろごろと転がった。
次の瞬間、彼女が直前まで横たわっていた場所を、つどいむしゃの刃の切っ先が抉っていた。
『『『何!?』』』
つどいむしゃは驚いた。今の斬撃を明日香が躱したことが、つどいむしゃには信じられなかった。
「はぁ……はぁ……!」
明日香は荒い呼吸を繰り返しながら、慌てて立ち上がった。
すぐに構え、切っ先をつどいむしゃへと向ける。
そうしながら、己の身に何が起こったのか、混乱する頭脳を必死に動かして考えた。
──明日香の耳に甦ったのは、間違いなく祖父・廉太郎のものであった。
何故彼の声が聞こえたのか。彼の魂は今、つどいむしゃに囚われている。恐らく、自由に声を発することは出来ないはず。
では一体何故、廉太郎の声が明日香の耳に響いたというのか。
(……あたしの、記憶……?)
何度も何度も自問自答した末に、明日香が導き出した答えが、それであった。
明日香の中の記憶──廉太郎が剣術を指導してくれた思い出。
そこで耳にした声が、自身の耳と心に甦ったのでは──そう思った。
その考えが正しいのか、間違っているのか。それは分からない。
ただ一つ言えるのは──その廉太郎の声が、委縮した明日香の心身に、光を与えたのである。
闘うための力と、闘うための心構えを。
──良いか明日香、良く聞きなさい──。
再び響く、廉太郎の声。
それと同時に──
『『『おおお──!!』』』
──つどいむしゃが、刀を構えて突進してくる。
明日香は、つどいむしゃの攻撃に備えながら、記憶の中の廉太郎の教えに耳を傾けた。
──相手が力で攻めてきていたとしても、こちらも力で迎え撃っては駄目だ。そんなことをしてしまえば、小柄なお前は、間違いなく押し潰されてしまうだろう──。
『『『──おおおおお──!!』』』
前方から、つどいむしゃが迫っている。
剛なる一撃を以て明日香を両断せんと、力を漲らせながら疾走してくる。
──そんな時はな。相手の攻撃を『受け止める』のではなく、『受け流す』んだ。柳の木が風を受け流すように、相手の力を流してしまえ──。
(……!はい、先生!)
明日香は思い出した。祖父であり、師でもあった男が、何度も何度も教えてくれたことを。
先ほどまでの明日香は、焦りと委縮によって、そのことが頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
しかし──もう忘れない。忘れることはない。
焦りも委縮も、今の明日香の心身にはない。廉太郎の声を聞いて、吹き飛んでいた。
──今この場に、祖父はいない。眼前の邪悪な妖怪の中に囚われている。
しかし、祖父の教えは、そして祖父との鍛錬は、今も己の中で生きている。
ならば、己は一人ではない。手は届かなくとも、己と祖父は繋がっている。
だから、こんな最低な妖怪には、絶対に負けられない。祖父のためにも、絶対に負けない──明日香はそう決意しながら、押し寄せる邪悪な妖怪を、鋭く睨みつけた。




