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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第四話『爆発死惨』
18/310

爆発死惨 一

1            

 若い男女が、濃厚に唇を重ね合っていた。

 時刻は午前四時を回っている。その上、ここは人目につかない路地裏の奥。見咎める者など、誰もいなかった。


「……っはぁ……ンっ……ふぅ……」

 派手なドレスに身を包んだ女が、一度顔を離し、吐息を漏らす。

 刃物のような美しさを持つ美女であった。

 女の内面をそのまま形にしたような、美しい顔立ちであった。


「っ……へへ……」

 男が顔を歪めて笑う。

 顔立ちは整っているが、がらの悪そうなフンイキをまとっている。

 年は女とさほど変わらないであろう。

 白いスーツに派手な色の髪型で、ホストのような風貌であった。


 男は再び口を重ね、己の舌を女の舌に絡める。

 女はそれに抵抗せず、男の行為を受け入れる。

 両者の舌の絡み合いは、しばらく続いた。辺りには、湿った口付けの音が響いていた。


 そこに──何者かの足音が混じった。

 歩いたり走ったりした時のような、規則的な音ではない。よろけた時に鳴るような、ばらけた足音であった。

 不規則な足音は、徐々に大きくなっていく。

 まるで、男女の下を目指して何者かが歩いて来るかのように。

 だが、男女はその音に気付かなかった。口付けに熱中しており、周りの状況など、意に介していなかった。


 ──その時。

「ふひ。ひひひ。うひひひひ──」

 足音が止み、不気味な笑い声が路地裏に響いた。

「……!?」

「誰……!?」

 その声を耳にし、ようやく男女は口付けを止めた。

 互いに離れ、笑い声が上がった方を向く。


「隆史……!」

 女が呻き、憎々しげに顔を歪める。

 彼女の視線の先には、一人の男が立っていた。お世辞にも美形とは言い難い顔に、にたにたといやらしい笑みが浮かんでいる。年齢は、女よりも一回り程上であろうか。足元はおぼつかず、体が微妙に、左右に揺れていた。


「……っひぃ。ひひひ。くひひ。……見つけたぞ夏希ぃ……!」

 隆史と呼ばれた男が、言葉を漏らす。口の端から、ねっとりとした涎を垂れ流していた。

「おい夏希ぃ……なんで俺を捨てたんだよぉ……戻って来いよぉ……うひ……いひひ……!」

 男はそう言いながら、にたりと笑った。

 その両目には、どろどろとした狂気が宿っていた。


「……フン。言ったでしょ。あんたのことなんか最初っからこれっぽっちも想ってないわ。あたしは最初っからマサト一筋だったの。ねぇ、マサト……?」

 そう言いながら、夏希は白スーツの男──マサトを、熱っぽい視線で見つめた。

「ああ。バカな奴だよな、てめえは。俺らに騙されてるって全く気付かなかったんだからなあ」

 マサトはにやにやと嫌らしい笑みを浮かべる。

 そして、傍らの夏希を、力強く抱き寄せた。


「てめえの金は、俺達がしっかりと利用させてもらうぜ。痛い目を見たくないなら、尻尾を巻いてとっとと消えなよ」

 マサトが下衆な笑顔を浮かべながら、隆史を脅す。

「ふひ……ふひひ……!」

 だが隆史は、相変わらず奇妙な笑い声を発していた。


「ひひひひひ……痛い目ぇ……? 誰が……? 誰に痛い目見せるってぇ……?」

 眼前の二人を小馬鹿にするように、そう呟く。

「俺はなァ。カミサマになったんだよ。お前みたいなクズが、俺に歯向かえると思ってんのかぁ……?」

「……ああ?」

 マサトの顔が、見るからに不愉快そうな表情に変わる。


 マサトは元々、喧嘩っ早い性格であった。

 気に入らないことがあると、その原因となる人物にすぐに殴り掛かるのである。相手が血まみれになろうと、泣いて許しを請おうと、己の心が晴々とするまで、徹底的に。

 この時も、マサトは己を苛立たせる隆史を、しこたま殴ってやろうかと企んでいた。

 相手が血まみれになろうと、泣いて許しを請おうと、決してやめるつもりはなかった。何が何でも、殴り続けるつもりであった。いつも通り、己の心がスカッとするまで。

「てめぇ……俺をナメて──」


 その時である。

 マサトの身に、異変が起こった。

「は──ご──!?」

 呼気を漏らしながら、マサトが己の胸と腹を、手で押さえた。

 それを見た夏希が、マサトの身を案じ、彼の肩に手を当てる。

「……? どうしたの、マサ──っ!?」

 心配そうな顔をした夏希の目が、驚愕で見開かれた。


 夏希が目にしたもの──それは、胴体が膨れ上がり、膨張したマサトの姿であった。


「ま……マサト!? 一体──」

「う……ご……が…………!」

 マサトは、苦しそうに顔を歪める。

 悶えている間にも、胴体は徐々に肥大化していた。

 腹が妊婦のように膨らんでいる。

 腹だけではない──脇腹や背中も丸く膨張している。

 まるで、体が風船で出来ているかのように。

 白いスーツが内側からギチギチと音を立て、所々が裂けていく。

 膨れ上がった肉は、彼の両腕と両足、そして首の付け根を次第に飲み込み始めた。


「ひゃははははは! うっうひっ、のほほほほほほほほほ!!」

 その姿を見た隆史は、狂ったような笑い声を上げた。

 マサトの身に起こった怪奇現象が、可笑しくてたまらないと言った様子であった。

「た……隆史……! 隆史、あんた一体何をしたのよ!」

「ふひっ、ふひひひひひひ! いっ、言ったろ!?カミサマになったんだよ、俺っ、俺は、うへっ、きへへへへへへ!!」

 隆史が身を捩りながら笑い狂う。


 その時、何かが引き裂かれるような音が鳴り響く。

 マサトのスーツが、完全にバラバラに千切れた音であった。

 胴体の肉はなおも膨張している。その時既に、彼の顔の鼻から下は肌色の皮膚に呑まれ、四肢は肉風船の中に埋もれ、手首と足首の先だけがピョコピョコと動いていた。


「んぐ……おご……んごご──」

 マサトのくぐもった呻き声がこぼれる。肉で口が塞がれ、言葉を話せない。

 顔は苦痛と恐怖で引き攣り、両目から涙を垂れ流していた。先程までの、暴力的で威圧的な面影など、微塵もなかった。


「ぬふ……! ぬひひひひひひ!!」

 隆史はなおも狂った笑い声を上げる。

 そしておもむろに、風船と化したマサトに右手を掲げた。まるで、己の内面から溢れ出る、狂気のエネルギーを注ぎ込むかのように。

「た、たす、け──!? ぐっ……むぅぅ! んんんんんんんん!!」

 マサトが苦悶の悲鳴を上げる。

 それを切っ掛けに、更に体が膨張していく。遂には、頭部と両手足が肉の中に完全に埋まってしまった。


 そして───

「ぐぼっ!?」

 ──弾ける音と共に、風船となったマサ卜が破裂した。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 夏希の悲鳴が木霊する。

 その悲鳴が鳴りやまぬうちに、マサトだったものが周囲に飛び散った。

 膨張して千切れた皮膚と、その中に収まっていたはずのもの。

 そして、血濡れとなりつつも原型を綺麗に留めている両手足と、恐怖に引き攣った彼の頭部が。


「げ……うぇっ……おぇ……!」

 込み上げる吐き気に抗えず、夏希がその場で嘔吐する。

 吐瀉物と血の混ざった凄い匂いが、辺りに充満していた。


「やははははははは!! ざっ、ざざ、ざまあみろだ!! うへへへははははっはっはっはははははは!!」

 高笑いを上げる隆史。

 目の前で起こった惨たらしい現象を、心の底から楽しんでいた。

 まるで、面白いテレビ番組を見て無邪気に笑っている子供の様に。


「くきき……どうだぁ夏希ィ……凄ェだろォ……!?」

 隆史はそう言いながら、かつての想い人に声をかける。

「ひ、ひっ……!?」

 隆史に目を向けられた夏希が、引き攣った声を漏らす。

 マサトの血液で真っ赤に染まったその表情が、満ち溢れんばかりの恐怖で歪んでいた。


「ごっごめっ、ごめんなさい、ごめんなさい!! 違うの隆史! ち、ちょっとからかってやろうと思っただけだったの!」

 おぞましい様子を見せる隆史に屈し、ひたすら謝り続ける夏希。

 見開かれたその両目から、恐怖の涙が迸っていた。


「うひ……! ぬひひ……! 頼むよぉ夏希ぃ……戻ってきてくれよぉ……! 俺はお前のことをこんなに愛してるんだぜェ……!? こいつはふっ飛んじまったけどよぉ……お前には何もしないからさぁ……! 今ならまだ間に合うからさぁ……戻って来いよ夏希ぃ……!!」

 隆史が猫なで声で夏希に語り掛ける。

 声の調子は至って優しいものであったが、それが尚更、恐怖を助長させていた。


「分かってる、分かってるわ! あたしも本当は隆史のことを愛していたのよ!? マサトのことなんてどうでもいいと思ってた! あたしが本当に大好きなのは、あなた一人よ!」

 引き攣った笑みを浮かべながら、夏希は都合の良い言葉を並べ始める。

 それに気分を良くしたのか、隆史は再び高笑いを上げた。


「ひゃはははははははははは!! ならよぉ夏希ぃ……俺の所に戻ってきてくれるんだよなぁ……? 嘘じゃねぇんだよなぁ……?」

「ほんとっ、本当よ! 戻って来るわ!」

「俺のこと愛してるんだよなぁ……?」

「当り前よ、愛してるわ! 隆史のことを、ずっと愛し──うぐっ!?」


 その時──呻き声を上げ、夏希がその場にうずくまった。

「な……あ……? あ……!?」

 夏希が己の鳩尾を凝視し、絶望した顔を見せる。

 彼女の視界に移ったのは、マサトの様に、徐々に膨らんでいる自分自身の胴体であった。


「い──嫌──嫌あああああああっ!!」

 夏希の頭の中に甦る、マサトが破裂した瞬間の光景。

 自分もそうなってしまうのであろうか──その最悪なイメージが恐怖の悲鳴となり、彼女の口から放たれていた。


「ぶはははははははははははは!!」

 そんな彼女に向けて右手をかざしながら、隆史は笑い続けていた。

「へへへ……どうも信用出来ないんだよなぁ……! 本当に嘘吐いてないか夏希ィ……!」

「ほ……ほん、とうよ……隆史……!お願、い、助け……!」

 苦痛に悶えながら、夏希が許しを請う。


 それを見た隆史は、一度笑い声を止めた。

 そして、ぞっとするような冷めた目付きで、夏希を睨み付ける。

「本当か……? 本当に愛してるのかぁ……? マサトって奴とは何も無かったのか……?」

「ひっ……」

 その威圧感に、夏希は顔を歪める。

 両目からは、涙がぼとぼとと溢れており、それが彼女の濃い化粧を流しつつあった。


「あ、愛し、てる……わ……! あたし……も、マサ……トに、騙されて、だか……ら……」

「……ふぅん……?」

 隆史はにやにやとした笑みで、夏希の言い分を聞く。

 しばらくそのままにやけ続けていたたが、突然無表情になる。


「……嘘だろ」

「……!」


 直後──凄まじい怒りを顔に宿し、夏希に怒鳴りつけた。

「嘘だろうが!! 分かってんだよ最初っからなぁ!! オラ言えよ夏希ィ! 正直に謝ったら、命だけは助けてやる!! 全部嘘なんだろうが夏希ィィィィィ!!」

「あ……! あ……!」

 怒りによって、大きく見開かれた隆史の両目。そこには、誰が見ても明らかなほど、狂気の光が満ちていた。

 正気を失い狂人と化した隆史と、己の身に起きている異変──現実から大きくかけ離れたこの事態に、夏希は歯をガチガチと鳴らしながら戦慄した。


「……これが最後のチャンスだ。ほら、謝れよ」

 隆史が右手を下ろす。

 同時に、夏希の体の膨張が停止した。

 だがその時点で、夏希の胴体は球体と化していた。

 マサトの鮮血で真っ赤に染まった風船のような体と、肉の膨張に耐え切れず千切れかけているドレス。その姿はまるで、真っ赤に熟し、所々の皮が破けた林檎のようであった。

 もう動かせるのは、まだ肉の中に埋もれていない手首と足首と頭部だけであり、逃げ出すことは不可能である。

 生き延びるための唯一の手段──それは、隆史に己の所業を懺悔することのみであった。


「ご……ごめん……なさい……」

 涙をぼろぼろと流し、苦痛を堪えながら、夏希が謝罪する。

 肉から突き出し、先程まで激しく動かしていた手を、力なく下げた。

「嘘……です……あなたの……ことを……騙して……ました……。最初から……あなたを……嵌める……ために……近付き、ました……! 許して……ください……お願い……します……!助け……て……ください……う……ぅぅぅ……!」

 目をぎゅっと瞑り、顔をくしゃくしゃにしながら、夏希が子供の様に泣きじゃくる。

 彼女は今、嘘偽りのない真実を語っていた。

 先ほどまでの高飛車な様子とは真反対の態度。それが何よりの証拠であった。


 その言葉を聞き、隆史は満足そうに微笑んだ。

「うんうん……最初からそうやって謝ってくれれば良かったのになぁ……全く、夏希は本当に困ったヤツだなぁ……!」

 笑みを絶やさぬまま、うんうんと大げさに頷いて見せる。

「……でも、良く本当のことを言ってくれたなぁ、夏希……俺は嬉しいぞぉ……!」

「グスッ……ヒック…………許して……くれるの……?」

 夏希が目を薄く開き、隆史を見つめる。

 瞳に、僅かな希望が灯った。

「ああ、もちろん──」

 

 その時、微笑んでいた隆史の顔が、再び無になった。

「──許す訳ねぇだろうが」


「……!? あぐっ!?」

 再び夏希に、苦痛が襲い掛かる。

 同時に、停止していた夏希の体の膨張が再開した。

 隆史が再び右手をかざし、夏希を膨らませ始めたのである。

「あ……! い、嫌……嫌……! 嫌ああああああああああああああああああっ!! たっ助け──むぐっ!?」

 夏希は悲鳴を上げるが、それが突然止んだ。

 夏希の口を、膨れ上がった肩回りの肉が呑み込んだのである。


「むぅぅぅぅぅっ……!! んんんんーっ……!!」

「うっひひひ、ははあははは、はははははへへへっへ!! おほっ、ほほほほへへへへ、ぶはははははは!!」

 夏希の無様な姿と、苦悶の声を認識し、隆史は歓喜する。

 膨張した肉風船の中に、彼女の両手足、頭部が完全に埋もれてしまっても、隆史の笑い声は収まらなかった。


 そして遂に──

「んんんんんんんんっ!! むぐううう……!? が、ば……ごばっ!?」

 ──夏希の体が、弾け飛んだ。


 夏希の血肉と汚物が混ざり合って辺りに散乱し、凄まじい悪臭が立ち込める。隆史は、己の足元に転がっている、夏希の生首を見た。

「ふ! ふひっ……! ぬひひ! くっせェなぁ夏希ィ……! お前の中身は糞だらけじゃねぇか……! ぬひひひ、うひひひひ……! ひぇはははははははははははは!!」

 そう言うと、隆史はその生首を蹴り飛ばす。

 生首は、建物の壁に当たって跳ね返り、再び地面に転がった。

 それを確認すると、隆史はその場に背を向け、立ち去ろうと歩き出した。

 その間も、隆史は狂ったように笑い続けていた。


 夏希の生首が、転がるのを止める。

 粉々になった肉体と異なり、顔は綺麗に原型を留めていたが、マサトと自身の鮮血により、真っ赤に染まっていた。

 瞳にはもう、何も映ってはいなかった。

 次回は、火曜日の朝10時頃に投稿する予定です。

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