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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十話『祖父の現影』
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祖父の現影 五十三

『…………』

 剣一郎は、残心の構えをとった。

 剣次郎、そして剣三郎も、同様に残心する。

 衛を中心に取り囲む三つの人影は、そのまましばらく構え続けた。

 青木衛がどんな行動を起こしても対応できるよう、鋭く睨みながら待ち構え続けていた。


 一方の衛は──動かない。

 頭を垂れたまま、全く動かない。

 その目は虚ろで、生気が全く感じられない。

 瞳はもはや、何も映してはいない。


『…………』

『…………』

『…………』

 構え太刀三兄弟はまだ、そのまま構え続けていた。

 構えたまま、ピクリともしない衛を警戒し、睨み続けていた。

 一分か、二分か。あるいは、もっと長い間であったか──。そのくらいの時間が経って、ようやく三人は、構えを解いた。

 そして、悟った。──青木衛の命は、潰えたのだ──と。


『……どうだ、魔拳よ。己が肉体が死を迎えた気持ちは』

 冷酷に、剣一郎が尋ねる。

 衛がもはや何も答えぬことを──物言わぬ屍と化したことを承知しながら。

『それが、死だ。何も出来ず、何も見えず、何も言うことが出来なくなる。それが、死というものだ。我ら兄弟が、かつて貴様に押し付けられた、理不尽極まりない贈り物だ』

 そう語りながら、ゆっくりと衛のもとへと歩み寄る。

『だがしかし……。貴様は私に、それ以上に許せぬ行いをした。……我ら兄弟の誇りを汚すという、決して許せぬ行いをな』

 冷たい調子であった剣一郎の声。

 それに──静かに怒気がこもった。


『……あの時の屈辱は、決して忘れることが出来ぬものであった……。……幾多もの猛者共との果し合いを、共に乗り越えて来た同胞達……。……それを……その我らの誇りを……!貴様は侮辱し、虫けらを踏みにじるかの如く汚し、その末に我らを殺めたのだ……!』

 声を荒げながら、剣一郎はそう言った。

 そして足を止め、右手に握る刀を、衛の胸元へと突き付けた。

『その時の怒りが、憎しみが!貴様に分かるか、魔拳よ!!』

 もう一度、剣一郎が怒鳴った。

 衛に突き付けた右手の刃が、憤怒によって小刻みに震えている。

 いつ手元が狂い、衛の身体に突き立てられてもおかしくはなかった。


 しかし──それでも衛は、何の反応も示さなかった。

 剣一郎の罵倒を受けても、何も答えない。

 ただ膝を付いたまま俯き、地面の一点を見つめ続けていた。

 もう、ピクリとも動かなかった。


「…………」

 その様を、剣一郎は刃を突き付けたまま見つめていた。

 しばらくそうした後、浅い溜め息を吐く。

 そして、ゆっくりと刃を下した。

『……。やはり……死んだ、か』

 剣一郎がそう呟いた。

 その声には、普段通りの冷たさが戻っていた。

『……ハッ。呆気ねェもンだな、案外』

 淡々と、剣次郎もそう言葉をこぼす。

『……先の戦のように、また何かを狙っておるのではないかと思ったのだが、どうやら我らの考え過ぎだったようだな』

 剣三郎が、拍子抜けしたような調子で語った。


 ──物足りない。

 恨みを晴らすには、まだ足りない。

 もっと、苦痛を与えてから殺したかった。

 もっと、惨たらしい方法で殺したかった。

 それなのに、これでもう終わりなのか──そう思っていた。

 心のどこかで、構え太刀三兄弟は、確かに不満を感じていた。


『……まあいい。首を斬り落とした後、つどいむしゃと合流するぞ』

『ああ』

『承知した』

 剣一郎の言葉に、弟達は静かな声で答えた。

 二人の返答を聞いた後、剣一郎は、蜻蛉の構えをとった。

 無論、衛の首を斬り落とすためである。

 この一太刀で、衛の首は宙を舞い、胴体に永遠の別れを告げることになる。

 それで、つどいむしゃが抱き続けていた悲願は成就される。


『…………』

 剣一郎は、意識を集中させる。

 心の中にくすぶる不満の心を払いのけ、衛の首元に狙いを定める。

 やがて、刀と精神の狙う先が合致し──

『──ッ!!』

 ──その刹那、剣一郎は、刀を振るった。


 ──刃が大気を裂く。

 裂きながら、空間を進む。

 そうやって、衛に向かっていく。

 刃が、衛の首へと距離を詰めていく。

 そして──。



 ──ぞくり──。



『…………っ!?』

 ──剣一郎が、刃を止めた。

 衛の首に到達するまで、あと三ミリというところで、剣一郎は刀を振る手を静止させていた。

 全身に怖気が走り、無意識の内に、斬撃を止めていた。


『……!?おい!どうしたンだよ兄……え……!?』

『一体何が……っ……!?』

 次男と三男が、兄の異変に気付き声を掛けた。

 が、次の瞬間、彼らの体にも、凍り付くような冷気が襲いかかっていた。


 そして──気付いた。

 消失したはずの衛の生命の鼓動が甦ったことに。その鼓動が、周囲の空気を震わせていることに。


 ──ドクン──。

 空気が震える。

 衛の体が、僅かに震えた。


 ──ドクン──。

 空気が震える。

 地面についていた衛の膝が、立ち上がるために動いた。


 ──ドクン──。

 空気が震える。

 右足の裏が、地面に触れた。


 ──ドクン──。

 空気が震える。

 左足の裏が、地面を踏み締めた。


 ──ドクン──。

 空気が震える。

 しっかりと立ち上がり、両足が地面を力強く踏み締めた。


 ──ドクン──。

 空気が震える。

 それに同調するように、前屈みになった衛の体が、ビクンと震えた。


 その時──

『………………!』



 ──衛の姿が、消えた。



 そして、次の瞬間。


『…………!?』



 ──剣一郎の刀と両腕が、宙を舞った。



『あ、兄貴ッ!!』

『おのれ!一体何が──』

 剣次郎、剣三郎が動揺する。

 背後から見ていた彼らにも、何が起こったのか分からなかった。


『ぐ……!馬鹿……な……奴は、死んだ……はずでは……!?』

 剣一郎は、苦悶を堪えながら呟く。両腕には、肘から先がない。

 直後、剣一郎の傍の地面に、宙から落ちてきた刀が突き刺さった。柄の部分には、もやもやとした黒い影が絡み付いていたが、ゆっくりと空気の中に溶けていき、消滅した。その消滅した影こそが、切断された剣一郎の両腕であった。


『クソが……!一体どこに行きやがっ──!』

 剣次郎は、己の背後から凄まじい圧が放たれているのを感じ取った。

 弾かれたように振り向き、小太刀を構える。

 遅れて剣三郎も、そして剣一郎も、背後を見た。


 そこには──

「…………っ……ゲホッ……ゴ……!!」

 ──消えたはずの衛が、血を吐き出しながら佇んでいた。

 その体は、依然として満身創痍。

 動くことはおろか、立つことすらままならないほどの深い傷が、そこかしこに刻み込まれている。


 それらの傷が──急速に塞がり始めた。

 胸元。

 腕。

 大腿部。

 全身の、至る所の傷。

 肉と肉の間に刻み込まれた、グロテスクな切創の隙間。その隙間の中に広がる闇。

 その奥から、新たな肉と血の管が生成されていく。


『なッ……!?』

『これ、は……!?』

 剣次郎と剣三郎は戦慄した。

 剣一郎もまた、目の前の人間に起こっている超常現象が信じられず、唖然としている。

 ──動けない。心の奥底に生じた、言葉に出来ない恐怖が、動くことを拒んでいる。


「……う……げッ……えほッ……!!」

 その間にも、衛の肉体の治癒は進行していた。

 みるみるうちに、切創が盛り上がり、塞がっていく。

 地割れの如き皮膚の谷間が、肉という名の土で埋められていく。

 そして遂に──衛の全身の傷が、完全に塞がれた。

 身にまとう衣服はボロボロに斬り裂かれたままであったが、そこから覗く皮膚には、僅かな傷跡しか残っていなかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い呼吸を繰り返す衛。

 俯いているため、その表情は分からない。

 どんな表情を浮かべているのか、そこにどんな感情が現れているのか、構え太刀三兄弟には見えていないため、全く分からない。


「…………はぁ…………はぁ…………。……何が……『誇り』だ……」

 衛が呟いた。

 空気が凍てつくほどの、冷たい声であった。

「……何が……『怒り』だ……何が……『憎しみ』だ……」

 呟きながら、衛は更に、自身の中の炉へと蒔を送り込む。

 構え太刀三兄弟が犯した行いを。これからやろうとしていた行いを。呼び覚ました記憶の中から、憎悪を引きずり出し、心の中へと注ぎ込んでいく。


「……何が……『貴様に分かるか』だ……」

 ──三人の剣術家を襲撃し、立ち合いと称して惨たらしく殺した。

 ──自分勝手な思惑のために、平和だった渋谷を地獄へと変え、多くの人々を斬り殺し、未来を奪った。

 ──残された人々の心を深く抉り、悲しみと絶望を与えた。

 そして──つどいむしゃと結託し、廉太郎と明日香の心と命を弄んだ。


『……グ……貴様……一体……!?』

 苦痛と戦慄に震えながら、剣一郎が声をこぼした。

 ──分かっていなかった。

 剣一郎も、剣次郎も、剣三郎も、分かっていなかった。

 青木衛の身に、一体何が起こっているのかを。


「そんなもの……!」

 ──これこそが、衛に残された『術』。

 条件を満たすことで発動する、正真正銘、最後の切り札。

 一──自身の肉体が重症を負い、死に瀕している状態であること。

 二──抗体と体力を、極限まで消耗している状態であること。

 そして、三──自身の心が、狂おしいほどの感情で満たされた状態であること。


 この三つの条件が揃った時に起こる、諸刃の剣とも呼べる超常現象。

 即ち──

「そんな、下らねえもの……!!」


 ──抗体の、『暴走』。


「分かる訳ねえだろうがアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 庭中に響き渡る、耳をつんざくような凄まじい怒号。

 同時に全身から溢れ出す、おびただしいほどの禍々しき赤光。

 抗体の炎をまといし地獄の魔人が今、邪悪なる三匹の外道を抹殺すべく、咆哮を上げながら突撃を開始した。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

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