祖父の現影 四十五
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──一方その頃、東條家の庭では。
「『『『……馬鹿……な……』』』」
つどいむしゃの表情が、苦悶の形相から、愕然としたものへと変わっていた。
もはやその姿からは、苦しみから逃れるためにもがく気力すらも感じられなかった。
それらの、つどいむしゃの様子の変化──その原因は、衛から教えられた事実によるものであった。
自身の勝利を確信したはずが、実は衛と廉太郎の掌の上で踊らされていただけに過ぎなかったという事実──それによる屈辱と戦慄が、つどいむしゃの心を満たしていた。
「『『『……我々が……知らぬ間に、陥れられておっただと……!?東條の奴が……あの老いぼれが、わ、我々を、謀っただと……!?』』』」
「信じられねえってか。けどな、全部本当のことさ。その証拠が、今てめえが晒してる無様な姿さ」
衛は、刃物のように鋭くなった目でつどいむしゃを睨み続けた。
そして、ドスの効いた声を絞り出し、目の前の少女に宿る存在を挑発した。
「……よォ。どんな感じだ、落ち武者。自分が気付かねえ内に、策に嵌められてた気分ってやつは」
「『『『ヌ……っぅぐ……ググ……!!」
「辛いか。悔しいか。……解るよ。一年前、俺と東條先生も同じ気分を味わったからな」
「『『『グゥッ……!だ、黙れ……っ!』』』」
「俺達だけじゃねえ。貴様がこれまでに利用してきた魂のほとんどは、その気分を味わってきたんだよ。……これで解ったか、つどいむしゃ。大勢の人達が感じて来た苦悩が、ようやく解ったか!!」
「『『『だ……黙れ、小僧!!黙れィッ!!』』』」
つどいむしゃが激昂する。
しかし、衛の目から見たその姿は、もはや哀れみしか感じぬほどに無様で、滑稽であった。
「『『『よくも……!よくも、我々を謀ってくれおったな……!!こ、このような……こ、の、ぐ──ォごッ!?』』』」
その時、つどいむしゃを、更なる苦痛の波が襲った。
乗っ取ったはずの少女の体が、ぶるぶると痙攣を始める。
つどいむしゃは苦しみに耐えきれず、握った刀を地面に落とした。
同時に、明日香の周囲を浮遊していた三本の刀も、地面に落ち、力なく転がる。
「『『『馬、鹿な……!我々が、こ、この、よ、うな、こ、小僧、こ、こ……!ッグ!?いぎャあァあああアアアァぁあああああああああああ──!?』』』
」
絶叫──最大級の苦痛が、つどいむしゃを責め立てる。
五体が裂け、脳が弾け飛びそうなほどの激痛。
堪らずつどいむしゃは、両腕で頭を抱え、悶え苦しむ。
その時──
「『ぁ……ぐ……い、今だ、青木君……!』」
──少女の口から、声が漏れた。
つどいむしゃが放つ、あの声ではない。
明日香と、もう一人の声──老いた男性の声であった。
そして衛は、その声を──その声の主を、確かに知っていた。
「……!東條先生!!」
衛が、その人物の名を──廉太郎の名を叫ぶ。
それに応じるように、少女の顔が、衛の方を向いた。
その顔にはもう、つどいむしゃの歪んだ表情など浮かんではいない。
生前の廉太郎と同じく、強い意志に満ちた表情が表れていた。
「『上手く、行ったぞ……!神経は取り除き、明日香にも事情は説明した……!後は、君の抗体を流すだけだ……!頼む!!』」
「はい!!」
廉太郎の要請を受け、衛が動いた。
一瞬の内に、少女の体に向かって躊躇無く踏み込む。
「『『『ぐおぉっ!!や、止めよ小童!!お主、一度ならず二度まで──ぐぉ!?』』』」
再びつどいむしゃの意識が現れ、命乞いの言葉を吐き出す。
しかし衛は、耳を傾けることなく、悶え苦しむつどいむしゃの顔面を右手で鷲掴んだ。
「『『『う、ッゴ!?は、離せ小僧……!離さ──』』』」
「黙りやがれ!!」
衛が一喝し、つどいむしゃの足掻く声を消し飛ばした。
そのまま、自身の肉体に残った抗体を、右手に集中させる。
そして──
「その娘の身体から、出ていけェエエエエエエエエエエエエエッ!!」
つどいむしゃに向かって、抗体を思い切り流し込んだ。
「『『『ッグオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?』』』」
闇夜と雨雲に覆われた屋敷の庭に、恐るべき怨霊の絶叫が木霊する。
つどいむしゃの霊体が、衛の抗体によって傷付けられていく。
その激痛はつどいむしゃにとって、先程まで自身が感じていた苦痛以上に、耐えられないものであった。
そして、それと同時に、明日香の心を蝕んでいた泥が、衛の抗体によって消滅していく。
少女の肉体と、つどいむしゃの霊体を辛うじて繋ぎ止めていた負の感情が、急速に洗い流されていく。
「『『『あああっ!ッグ、ぉゴぉ!?あッ、ぐわァああああああああああああああああああっ!!』』』」
耐え切れなくなったつどいむしゃは、もう一度凄まじい絶叫を上げた。
その時、少女の全身から、黒い瘴気がどろどろと滲み出る。
瘴気は徐々に色濃くなり、少女の周囲の光景を、墨汁の墨の如く塗り潰し始めた。
そして──
「『『『おあがァッ!!』』』」
──少女から湧き上がった瘴気が、爆ぜるように四散した。
自らの死を恐れたつどいむしゃは、霊体が完全に消滅させられる前に、少女の体から自ら脱したのである。
「──か、ごほっ……うっ、げほっ……!」
直後、糸の切れた人形のように、少女の体が地面に崩れ落ちる。
そして、その場にへたり込んだまま、喉のつかえをとるように、激しくせき込んだ。
「大丈夫か、明日香ちゃん!!」
衛が、少女に呼び掛ける。
そうしながら、少女の両肩に手を乗せ、優しく揺する。
「えほっ……こほっ……!はぁ……はぁ……」
むせ込んでいた少女が顔を上げた。
荒い呼吸を繰り返しながら、衛を見る。
そして──答えた。
「はぁ……はぁ……!はい……大丈夫です……青木さん……!」
その表情は、つどいむしゃの禍々しい形相でも、東條廉太郎の凛々しい表情でもない。
本来の体の持ち主──東條明日香の、決意に満ちた表情であった。
『『『──おのれ──おのれ、雑兵共めが──!!』』』
その時、衛と明日香から数歩離れた距離に、四散したはずの瘴気が集まり始めた。
拳ほどの大きさの瘴気が、幾つもそこに集まり、不定形の塊となっていく。
やがて、瘴気は直径一八〇センチほどの大きさとなり──ゆっくりと、人の形を作り上げた。
「……見えるか、明日香ちゃん」
「……はい」
明日香は、その人型の瘴気──妖気と霊魂が混ざり合って出来た存在を、臆することなく睨みつけた。
「……あれが、つどいむしゃの本体なんですね」
「そうだ。身体を持ってないのに『本体』なんて言うのも変な話だけどな」
衛もまた、そう言いながら、つどいむしゃに殺気を送り続けていた。
『『『よくも、我々をコケにしてくれたな……!我々の野望を阻んでくれたな……!!』』』
つどいむしゃが、怒りの言葉を吐き掛ける。
その顔には全身と同じく妖気の塊で出来ているため、表情と呼べるものは存在しない。
あるのは、顔と思しき場所に浮かぶ、黒々とした瘴気のみ。
しかし、現在つどいむしゃが憎悪の感情を煮え滾らせているということは、誰が見ても明白であった。
『『『そして……東條廉太郎……!我々の力の糧でしかない哀れな人間の分際で、よくも我々を謀ってくれおったな!!我々の中でコソコソと蠢くことしか出来ぬ、哀れな溝鼠めが!!』』』
つどいむしゃがそう言った、その時──
『フン。何とでも言うがいい、この魍魎め』
──つどいむしゃが、廉太郎の声を発した。
否、つどいむしゃの中に取り込まれている廉太郎の魂が、声を発したのである。
『『『──!?ぬおっ!?』』』
次の瞬間、つどいむしゃの霊体から、一つの残像が生じた。
残像は、影となり、つどいむしゃの動きを真似ることなく、独りでに動いた。
そして、衛と明日香の側へと、一っ跳びで飛び退いた。
『『『ぬぅ……!!貴様、東條か……!!』』』
つどいむしゃが恨めし気な声をこぼす。
「え……!?おじいちゃん!?」
そのつどいむしゃの言葉を聞いた明日香は、傍らの影を見て、目を丸くした。
「…………」
衛はと言うと、そんな二者とは違い、僅かに目を細めるだけであった。
まるで、最初からその影の正体を知っていたかのような──そんな反応であった。
三者三様の反応の中──その影は、極めて冷静な調子で答えた。
『如何にも、私は東條廉太郎だ。貴様の横暴な企みによって糧とされた、愚かで哀れな魂の一つだ』
『『『ぐぐ……!おめおめと我々の前に現れよって……!この痴れ者めがァ!!』』』
『何とでも言うがいい。最も、どの言葉も全て、貴様が言えたことではないだろうがな』
影は──廉太郎は、声に怒りを滲ませながら、つどいむしゃを煽った。
「いずれにせよ……貴様はもう、明日香ちゃんの体を乗っ取ることは出来ない。」
衛は、そんな廉太郎の横に歩み寄った。
そして、つどいむしゃを睨み続けながら、廉太郎の挑発に加勢をする。
「彼女に根付こうとしていた神経は、東條先生が断ち切った。心に巣食っていた泥も、俺が全て消し飛ばした」
『仮にまた乗っ取ろうとしたところで……貴様はまた一からやり直す羽目になる。明日香に取り憑いて、幻覚や苦痛を与えて負の感情で満たし、神経を心に根付かせる──それだけで一年掛かる。だが、そんなことなど出来はしない。我々は既に、貴様の憑依への対処法を見出したのだからな。一年どころか、一日で貴様をまた引き剥がしてやろう。……いや、そうする必要もないだろうな。何せ貴様は、今ここで本当の死を迎えるのだからな』
『『『ぐ……ぬ……ぐぅう……!!』』』
つどいむしゃは、呻くような声を漏らした。憎悪に塗れた、どろどろとした声を。
そんなつどいむしゃに、衛は一歩近寄る。
そして──言った。
「さぁ……年貢の納め時ってやつだ。大人しくここで死ぬがいい、つどいむしゃ!!」
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