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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第三話『西洋人形の電話』
17/310

西洋人形の電話 八(完)

【これまでのあらすじ】

 衛は、西洋人形の妖怪──マリーの主人を探すために、彼女と共に、ある男の家を訪ねる。その人物とは、マリーの主人である北村さつきの、かつての担任教師、君島であった。だが、君島の自宅で2人が耳にしたのは、予想外の事実であった……

8            

 静まり返った部屋の外から、雨音が流れ込んでいる。

 雨の勢いは一向に衰えることはなく、地面や建物を打つ激しい音が聞こえていた。


「……」

 ソファーに座りながら、マリーは虚ろな表情を浮かべていた。

 相変わらず、その瞳は何も写してはいなかった。


「……」

 その様子を、衛は背後から見つめていた。

 気持ちの整理がつくまで、言葉を掛けず、そっと見守っていた。


 ──君島宅を訪問した後、二人は衛のマンションへと帰宅した。

 マリーはその間、一言も喋らなかった。

 今と同じく、虚ろな表情を浮かべ、ただ虚空を見つめていた。


「……」

 マリーは、部屋に到着しても、未だに一言も言葉を発していない。

 まるで魂が抜けてしまったかのように、力なくソファーに身を任せていた。


(……無理もない)

 衛はそう思いながら、静かに目を伏せた。

 六年間──他の妖怪に追われ続けながらも、会いたいという願いを胸に抱き、マリーはひたすら主人を探し続けていたのである。

 その結末がこれでは、彼女がショックで放心状態になるのも無理はなかった。


(……俺は、何もしてやれないのか……?)

 衛は、目を伏せたまま考え込む。

(このままじゃ、あまりにもこいつが報われない。俺がしてやれるのは、主人の冥福を祈ることだけなのか……?)

 歯痒い思いをしながら、衛はひたすら思考を繰り返していた。


 その時。

「……最低だ……」

「……?」

 今にも消え入りそうな声で、マリーがぽつりと呟いた。

 君島の自宅を出て以降、初めて口を開いた。

 その声に、衛は伏せていた目を僅かに開く。


「あたし……最低だよ……。……あたし……自分のことしか考えてなかった……」

「……」

 肩を震わせながら、マリーは声を絞り出した。

 その声を聞いた衛は、己の心が悲しみに染まっていくように感じた。


「……あたし……あたしは……捨てられたんだと思ってた……さっちゃんは……あたしのことが嫌いになったから……あたしを捨てたんだって……あたしがいらなくなったから、捨てたんだって……」

「……」

 マリーの声に、徐々に嗚咽が混じっていく。

 肩の震えは、だんだん大きくなっていた。


「でも……違った……。……さっちゃんは……死んじゃってたんだ……。……あの時……あたしが海岸にいたのは……捨てられたんじゃなくて……事故の時に……車から放り出されただけだったんだ……! ……けど……そんなことも知らないで……あたしは……あたしは……! 『何で捨てられたんだろう』って……! 一人で、勝手に……裏切られたような気持ちになって……!」

「……」

 何かが滴る音がした。

 衛には、何が零れたのか分かった。

 それが何なのかは見えなかった。

 しかし、それでも分かった。


 鼻を啜り、嗚咽を堪えながら、マリーはまた呟いた。

「さっちゃんは……天国に行けたのかな……? パパとママと……天国で、仲良く暮らしてるのかな……?」


 その時であった。

(……? 『天国』……?)

 マリーの発した呟き。

 その言葉が、衛の頭の中に、ある疑問を生んだ。

(……さっちゃんは……本当に死んだのか……? もし死んでいたとして……彼女は、本当にあの世に行けたのか……?)

 君島から聞き出した、事故の状況。

 その話と、マリーが口にした『天国』という言葉が、ゆっくりと結び付き始める。


 衛が再び考え込み始める。

 が、しばらくして──

「……衛」

「……?」

 ──不意に呼び掛けられ、衛が思考を中断した。


 マリーがソファーから立ち上がり、衛のそばに歩み寄っていた。

 涙と鼻水で、顔中がぐしゃぐしゃになっていた。


「……お願いがあるの」

「……何だ」

 マリーの言葉に、衛が尋ねる。

 だが衛は、マリーが何を頼もうとしているのか、何となく理解していた。


 マリーは一度鼻を啜り、悲しい笑顔を浮かべながら頼んだ。

「……あたしを、殺して」

「……」

 その願いを聞いても、衛の顔色は変わらなかった。

 衛が予想した通りの言葉であった。


「……それで、良いのか?」

 衛が問う。

 それに対し、マリーはこくりと頷いた。


「……さっちゃんに、謝らなきゃ……」

 力なく、マリーが呟く。

「さっちゃんは……天国にいるんだ……だったら、あたしも、天国に行かなきゃ……天国で……さっちゃんを疑ったことを……謝って来なきゃ……」

 俯きながら、マリーが声を絞り出す。


「あんたは今まで……何体も妖怪を殺してきたんだよね……? ……だったら……あたしも殺せるでしょう……?」

「……ああ、俺なら殺せる」

「……だったら……あたしを、殺して……? あたしを……さっちゃんの所まで送って……?」

 そう言うと、マリーは顔を上げ、寂しそうに笑った。全てに絶望し、生きることを諦めた者の目であった。

 そんな笑顔を浮かべながら、マリーは衛の返事を待った。

 彼ならばきっと、了承してくれる。そして、自分を必ず、天国へと送ってくれるはず──表情に、そう浮かんでいた。


「……」

 沈黙の後、衛がゆっくりと口を開いていく。

 マリーの頼みに対し、返答をするために。


 だが、衛の答えは──

「……それは、出来ない」

「えっ……?」

 ──マリーの望みとは、反するものであった。


「……なんで……? どうして……!? どうして、あたしを殺さないの……!?」

「……悪かった。 言葉が足りなかった。『俺の話を聞いてからもう一度考えろ』って言いたかったんだ」

 衛のその言葉に、マリーが眉を寄せる。

 何を言っても無駄だと言わんばかりに。

 不満と怒りが、そのまま顔に浮かんでいた。


 だが、そんなマリーの様子など意に介さず、衛は語り始めた。

 自分が今、言おうとしていることが、どれほど残酷なことなのかを知りながら。

 そして、これから示そうとしていることが、マリーにとってどれほど過酷な道なのかを知りながら。


「確かに、お前が死ねば、天国にいるさっちゃんに会えるかもしれない。ただし、それはさっちゃんが成仏して、天国に行っていたらの話だ」

「……どういうこと?」

 怪訝な顔でマリーが尋ねる。


「君島先生が仰っていたことを憶えてるか?」

「……?」

「あの事故の後、両親は遺体で発見されたけど、さっちゃんは結局見付からなかった。六年経った今もな」

 衛の言葉によって、数時間前の出来事が、マリーの頭の中に甦る。

 その時のマリーは、『さつきが死んだ』という一点に囚われ、その他の情報を気に留めてもいなかった。


「……『さっちゃんはどこかで生きてるかもしれない』……ってこと?」

「それも有り得るかもしれない。奇跡に近い確率だけどな」

「……ハッ……」

 マリーはやさぐれたように笑う。

 衛が口にした可能性に対し、『現実を見ろ』と小馬鹿にするように。

 そして──そんな衛の話に、僅かでも希望を抱いてしまった己を自虐するように。


「……あり得ないわよ。なら今、さっちゃんはどこにいるの? 第一、もう六年も経ってるのよ……? そんなに長い時間が経ってるなら、さっちゃんはどうして、自分は生きていますって申し出ないの……?」

「まあ、そうだな。確かに俺も、あんな状況で彼女が生き延びているとは思えないよ」

「ほら見なさいよ。だったら──」

 一気にまくし立てようとするマリー。

 そんな彼女の話を、衛は片手で制した。


「聞いてくれ。……俺も、彼女は死んでるんじゃないかと思う。だが本当に死んでいるんだとしたら──」

 衛はそこで、目を僅かに伏せた。

「……彼女の遺体は、一体どこにあるんだろうな」

「……? それは……当然、海の底に沈んでるんじゃないの……?」

 怪訝な顔のまま、マリーが答える。

 その返答に対し、衛は小さく頷いた。


「おそらく、その通りだ。彼女の遺体は今も、海の底に沈んでいる。突然の事故で死んで、両親の遺体だけが引き上げられて、暗く冷たい海の底に、一人ぼっちで……」

 衛の声が、だんだん小さくなっていく。

 その声につられるように、マリーはだんだん心細い気持ちになっていくように感じた。

「そんな状態で、彼女があの世に行けたと思うか……?」

「……あ……」

 マリーの表情に、驚きが混じる。

 絶望、悲しみ、驚き──それらが混じった、複雑な表情であった。


「生き物が思いも寄らない最期を迎えた時、その霊魂は迷うことがある。彼女の魂も、まだこの世に留まっているのかもしれない。もしそうだとしたら……いずれ悪霊になって、人々に危害を与えてしまうことも有り得る」


「な……!?」

 マリーが目を見開く。

 直後、怒りと動揺を堪えながら、衛に反論した。

「う……嘘、嘘よ! さっちゃんはそんなことしないわ!!」

「あくまで可能性だ。俺の考え過ぎかもしれない。だけど、実際にそうなる可能性もゼロじゃない」

「そっ……そんな……!」

 マリーが悲痛な声を上げる。


 その声に、衛は己の心が若干傷むのを感じた

 だが、表情は全く変わらなかった。

 依然として、無表情のままであった。


「……何とか……何とか出来ないの……? さっちゃんを、天国へ送ってあげることは出来ないの……?」

「……あるにはある。確実なのは、彼女の遺体を探し出し、きちんと弔ってやることだ」

「……」

 そのやり取りの後、マリーが沈黙する。

 これから自分はどうすればいいのか──混乱し、頭の中が滅茶苦茶になっていた。


「……もう少し、生きてみないか?」

 その時、衛が優しく語り掛けた。

「ここで死んでも、さっちゃんに会えるとは限らない。さっちゃんを見つけて、しっかりと弔ってやって、その後にあの世に行くってのも手だぞ」

 マリーはなおも沈黙していた。

 衛の提案を咀嚼し、どうすべきか考えるように。


 しばらくして、マリーが口を開いた。

「……無理だよ……」

「……」

「無責任な事言わないでよ……。もしあたしが生きることを選んでも……きっとまた、意地の悪い妖怪に狙われて、結局殺される……! 第一、お金も住む所もないのよ……? これからどうやって生きていけって言うの……!? また必死に逃げ続けなきゃ行けないの……!?」

「……」


「それとも……そんなこと提案するんだったら、あんたがここに、あたしを置いてくれるとでも言うの……? あたしを、悪い妖怪共から守ってくれるとでも言うの……!? 退魔師のあんたが、妖怪のあたしを……!」

 そうまくしたてた後、マリーは嘲るような笑みを浮かべた。

 蔑むように細めた目の端には、涙の粒が滲んでいた。


 しかし、衛は──迷うことなく、真剣な表情で即答した。

「ああ。そのつもりだ」

「えっ……!?」

 衛の返答に、マリーが驚愕する。

 そんなことをしてくれるはずがない──そう思って投げ掛けた問いであったため、衛が承諾したことが信じられなかった。


「ただし、条件がある。ここにいる以上、やるべきことはやってもらう」

「……やるべきこと?」

「退魔師の助手として、俺の仕事をサポートすること。それが条件だ」

「え!?」

 衛が突き付けた条件。

 その内容に、マリーは再び驚愕した。


「む、無理よ! あたしには、闘う力なんて無いのよ!?」

「落ち着け。最後まで聞くんだ」

 衛はそう言って、マリーをなだめる。

 そして、冷静な調子を崩さずに話を続けた。


「お前には闘う力は無いかもしれない。けど、昨日お前は『道具から持ち主の居場所を特定する能力を持っている』と言ったな。それさえあれば、仕事のサポートには十分だ。妖怪共との殴り合いなら、俺が引き受ける」

「……」

「もしまた、お前を狙う妖怪が来たのなら、俺が一匹残らず叩き潰してやる。売られた喧嘩は買う。仲間の喧嘩は俺の喧嘩だ」

 衛は淡々と──しかし、力強さを滲ませながら、そう言った。


「俺の提案はこれで終わりだ。選ぶのはお前自身だ」

「……」

 マリーは一度、下を向いた。

 そのまま、しばらく黙り込む。


「……一つだけ、教えて」

「何だ」

 衛が短く返事をする。

 それを聞いて、マリーはもう一度顔を上げた。

 そして、衛のやさぐれた悪人のような目を見つめ、問い掛けた。


「どうして、そこまでしてくれるの……?」

「……」

「あたしは人間じゃなくて、妖怪なのよ……? それなのに、どうしてそこまで親身になってくれるの……? あたしが子供だから……? それとも、あたしがかわいそうに見えるから……?」

「いいや、違う」

 衛は、マリーの言葉を否定する。

 そして、彼女の目を真剣な眼差しで見つめながら、答えた。


「主人を想うお前の気持ちが、本物だからだ」

「……!」

「お前はこの六年間、自分が命の危機に晒されている状況でも、主人を探し続けた。普通ならそんなこと出来ない。主人のことを本当に想っているから出来たんだ。……だから俺は、一人の人間として、お前に対して敬意を払いたくなった。ここでお前を死なせる訳にはいかなかった。主人を想うお前の気持ちを、無駄にはしたくなかった。ただそれだけだ」

「……」


 衛が、マリーに目線を合わせるようにしゃがみ込む。

 その瞳には、強い意志が──決意が宿っていた。

「もう一度言う。選ぶのはお前自身だ。さあ、どうする?」

「……」

 驚きに染まったマリーの表情。

 その両目から、涙が零れ落ちた。


「……そんなの、決まってるじゃない」

 マリーはそう呟くと、流れる涙を腕で拭った。

 その腕をどけると、そこには笑顔があった。

 先程のような、自虐的な笑みではない。

 生きようとする意志と、主人を探し出すという決意に満ちた、力強い笑顔であった。


「……あんたの助手になる。そして、絶対にさっちゃんを見つける。さっちゃんを見つけて、パパとママのお墓に一緒に入れてあげる……!」

「……そうか。分かった」

「うん……だから──」

 そう言うと、マリーは微笑みながら右手を差し出した。


「これからよろしくね、衛」

「……ああ」

 衛は、マリーが差し出した手をしっかりと握る。

 そして、真剣な表情のまま、言った。

「よろしく頼むぜ、マリー」


 ──外は未だに、雨であった。

 しかし、先程よりも雨足は弱まっており、水滴はまばらに地上に降り注いでいる。

 その雨を降らせている雲の隙間から、夕焼けの明かりが優しく差し込んでいた。


                                   第3話 完

 今回で、このエピソードは完結となります。次回から、新エピソードを掲載していく予定です。

 新エピソードでは、戦闘描写もちょくちょく挟みつつ、サスペンス色の強めなストーリーを目指して書いていこうと思っております。

 その導入部を、今晩の7時に投稿する予定です。

 それでは、ここまでお読みくださいましてありがとうございました。

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