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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十話『祖父の現影』
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祖父の現影 四十

 その時──再び周囲の闇が薄れ、光が全てを包み込んだ。

 光で世界は白く染まり、やがて収まり始める。

 そして、その光が消え失せた時、明日香と廉太郎は、またしてもあの道場に佇んでいた。


 道場の中央には、やはり二つの人影が。

 青木衛と、過去の東條廉太郎。

 だがしかし、二人は先程のような会話をしている訳ではなかった。

 立ち合い──殺し合いを、行っていた。


『はぁ……はぁ……はぁ……』

 衛は構えながら、荒く乱れた呼吸を整えようと努めていた。

 身に纏う衣類には、何かで斬り裂かれたようにボロボロになっており、そこから覗く皮膚からは、赤い血が滲み、流れていた。

『畜生……!畜生……!!何で……っ!』

 衛は、焦りと動揺の込められた言葉を吐き捨てる。

 その表情は、怒りと悲しみで大きく歪み、前方を憎しみの眼で睨みつけていた。


 その視線の先には──

『『『『ふはははははは!!甘いわ小僧め!あの程度の小細工で、この男を我々から救い出せると思うたか!!』』』』

 ──愉快そうに笑っている、過去の廉太郎の姿があった。

 その口から、複数の男の笑い声が飛び出している。

 右手には、刃先から赤い血が滴っている日本刀。

 それを手にしたまま、廉太郎は邪悪な笑みを浮かべていた。


「ひっ──」

 その祖父の姿を見て、明日香の背筋に戦慄が走る。

 そして、悟った。

 これが、つどいむしゃなのだ──と。


『『『『おおおおおっ!!』』』』

 つどいむしゃが、手にしている得物を振るう。

 綺麗な斬撃が、衛の喉元を喰らわんと疾走する。

『くぅっ……!』

 衛は後退、そして回避。

 斬撃は空しく宙を斬る。


『……』

 無手の衛は、前に出して構えた右手の手刀を、一定のリズムでゆらゆらと動かす。

 敵の攻撃を誘っていた。

 まるで、獰猛な肉食獣の前を獲物がチラチラと動いているかのようであった。


『ちぃっ!!』

 ──つどいむしゃが握る鉄の獣が、動いた。

 呼気を漏らしながら、刀の男は再び斬撃を放つ。

 その動作の速度は、先ほどよりも増している。鋭さもまた然り。

 まともに喰らえば絶命、掠っただけでも重症となるほどに。

『ぐ……ッ!!』

 衛は、間一髪のところでそれを躱す。

 皮一枚──まさにそのような近さを、刀が通り過ぎていた。


 直後、つどいむしゃの背後に、三本の刀が浮かび上がった。

 そして、切っ先が衛の方へと向き、突撃する。

『っ!?』

 衛はそれらを、飛び込み前転の要領で回避。

 すぐに立ち上がり、構え直す。


 霧と共に満ちた殺気と緊張感が、両者の身体に纏わりついている。

 それらを薙ぎ払うかのように、両者は攻防を続ける。

 突き。

 ──逸らす。

 横薙ぎ。

 ──引き下がる。

 袈裟斬り。

 ──掠りつつも、何とか飛び退く。

 斬撃を放っては避けられ、放たれては避ける。

 そんな攻防が、幾度も続いた。

 その合間に、つどいむしゃの身体からは、無数の黒い残像がほとばしるようになっていた。

 廉太郎が身に宿していた、現影身の力であった。


『『『『ふはははははは!!どうした小僧!一向に手が出ておらぬぞ!!そのような様で我々を打ち倒すことが出来ると思うておるのか!?ふはははははははは!!』』』』

 つどいむしゃは斬撃と残像をばら撒きながら、衛を嘲笑う。

『黙れ……!黙れ……!!』

 つどいむしゃの愉快そうな挑発に、衛は憎しみの言葉を返した。

『貴様さえ──!』

 衛は斬撃を避けながら、、絞り出すような声を漏らし続ける。

『貴様さえ、いなければ──こんなことには、ならなかったんだ!!東條先生は、明日香ちゃんと一緒にいられたんだ!!明日香ちゃんだって、辛い思いをすることもねえんだ!!貴様が……!貴様がそれを台無しにしやがったんだ!!』

 心の底から湧き上がる憎悪が、その声を黒く染め上げていた。


『返せ──!返せよ──!!』

 衛の表情が、酷く歪んでいく。

 憎しみと殺意を皺に刻み込みながら、つどいむしゃの斬撃を捌き続ける。

『東條先生に、返せよ!!』

『っ!?』

 現影身による残像を掻い潜りつつ、衛が右拳を放った。

 つどいむしゃの顔面に当たり、パン──と、軽い音が響いた。

『その身体を、返せよ……!東條先生に、返せよォォォォォッ!!』

 続けて、左拳。

 もう一度右拳。

 二発の拳打が、つどいむしゃの顔面に命中。

 そのどちらの打撃音も、肉を打つだけの軽い物であった。


『『『『フン、虫けらめが!!』』』』

『がっ!?』

 つどいむしゃが一喝し、左拳で衛の顔面に拳を叩き込む。

 その一撃で、衛の体が後方にふっ飛ばされた。

『っ……が……く……!』

『『『『は!何だ小僧、そのひ弱な当て身は!?やはり東條の身体には傷は付けられんか!?この青二才めが……!ふはははははははははは!!』』』』

 つどいむしゃの更なる嘲笑が、道場内に木霊した。

 複数の人間の声が混ざりあった嘲りの嵐は、耳にしただけで不快感を掻き立てた。


『……ぐ……クソ……クソ……!』

 衛は膝を付き、歯軋りをしながら、つどいむしゃを睨みつけた。

 その表情が歪んでいるのは、恩人に取り憑いている亡霊への憎悪のためだけではない。

 自分自身への怒りのためでもあった。

 大切な人一人救うことの出来ない、自身の無力さに対する憤りのためでもあった。


『『『『ククク……良い面だ……!その面が見たかった……!退魔師が悔しげに歪める、その愉快な様が見たかった……!!』』』』

 つどいむしゃは、にやにやと笑いながら、膝を付いた衛へと歩み寄る。

 そして、衛を見下ろせる位置で立ち止り、両手で刀を構えた。

『『『『だが……遊びはここまでだ……!!死ねぃ、青二才の退魔師め!!』』』』

 つどいむしゃが叫んだ。

 同時に、上段の刀を勢い良く振る。

 狙うは、衛の頭頂部。

 その最後の一太刀を以て、敵を一刀両断するために。


 しかし、その時──

『『『『……!?』』』』

 ──つどいむしゃの刃が、静止した。

『『『『な、何だ、これは!?』』』』

 刀を振り下ろす格好のまま、驚愕の形相を浮かべるつどいむしゃ。

 直後──

『『『『っ!?ぐ、が!?』』』』

 硬直状態しているつどいむしゃが、表情を歪めた。

 そのまま、苦悶の声を漏らし始める。

『『『『こ……小僧……!お主……い……一体……ぐっ……これ……は……!グッ、がぁあああっ!?』』』』

『……!?』

 訳も分からぬまま、つどいむしゃが絶叫を上げた。

 その様を、衛は困惑しながら見つめている。

 ──衛が何かをした訳ではない。

 つどいむしゃに対して、衛が策を仕掛けていた訳ではない。

 故に、つどいむしゃに何が起こっているのか、衛には全く分からなかった。


 ──その時であった。

『……青……木……君……!』

『……!!』

 つどいむしゃの顔が、変わった。

 表情が変わった訳ではない。

 相変わらずつどいむしゃは、硬直したまま苦悶の形相を浮かべている。

 だがしかし──つどいむしゃの表情がまとう、『雰囲気』が変わっていた。

『……!まさか……!?』

 その刹那、衛は気付いた。

 その表情が、そしてその声が、廉太郎のものであることを。

『今……だ……青木、君……!!』

『せ……先生っ!!』


『『『『ぐぉぉっ!!馬鹿、な……おのれ、東條……!邪魔、を……!』』』』

 再び、廉太郎の表情が、つどいむしゃのそれへ切り替わる。

 いくつもの男の重なった声で、廉太郎への呪いの言葉を吐き出す。

 しかし──またしても、表情が変わった。

 廉太郎の意識が戻り、衛へと声を掛ける。

『っっ……ぐ……ぉ……!青木君……!わ、私が、抑えている間に……!私ごと……!つどいむしゃを、殺せ……!!』

『……!そ、そんな、先生!!』

『早く!!やるんだ、青木君!!』

 廉太郎の決死の言葉に、衛は愕然と立ち尽くした。

『もう……手遅れだ……!!時間がないんだ……!!やってくれ、青木君!!』

『あ……あ、ああ……!』

 衛の体が、震えていた。

 全身から汗が吹き出し、ただただ眼前の光景を、震える瞳で見つめていた。

 廉太郎を殺さなければならない──それを衛が躊躇っているのは明白であった。


 その時──

『頼む……青木君!』

 ──廉太郎の目から、涙がこぼれた。

 透き通った涙ではない。

 血涙──赤黒く濁った、血の涙であった。

『頼む!!私は……!明日香や、君を……殺したく、ない……!!』

『せ……先……生……!』

 衛が、はっとした表情になる。

『これ以上は……持たない……!頼む!早く、こいつらを……!私ごと、殺してくれ!!殺せえええええええええええええっ!!』

『……っ!!』

 廉太郎の絶叫が、道場内に響き渡る。

 悲鳴のような懇願が、幾度も幾度も壁に跳ね返り、衛の耳へと入り込んでいく。


『……っ……く……!!』

 衛は、苦し気に顔を歪め、両目をきつく閉じる。

 そして、数秒経った後、再び目を開いた。

 鋭い形となった目──そこに収まった瞳には、悲壮な決意があった。

『クッ……ソ……ォ、オオオオオオオオッ!』

 衛は拳を握り締め、己の顔の前に掲げた。

 硬くごつごつした、岩のような拳。

 そこから、赤い光が噴き出す。

 炎よりも、血液よりも赤い光が、衛の右拳を包み込む。

『すみません…………先……生…………!!』


『『『『うぉおおおおおっ!!やめろ、やめろ、小僧!!』』』』

 つどいむしゃの意識が戻った。

 震える足でゆっくりと歩み寄る衛から逃れるべく、固まった全身を動かそうと試みていた。

 しかし、やはりつどいむしゃの身体は、動かなかった。

『『『『考えなおせ!!こ、こんなことをしても良いと思っておるのか!?お主は、お主は東條を殺せるのか!?やめよ、この男はお主の恩人ぞ!!今ならまだ間に合う!!足を止めよ!近寄るな!!』』』』

 つどいむしゃが絶叫する。

 凄まじい大声と必死の形相で、衛へと命乞いをする。

 しかし、衛の足は止まらない。

 震えてはいるが、前へと踏み出す足は、決して止まることはない。


『ぐ…………!!』

 衛は、心から湧き上がるものを堪えるように歯ぎしりをした。

 獣の如く向き出した歯の隙間から、血が滲み、流れていた。

『『『『ひ……っ!やめよ……来るな……!やめろ、やめろおおおおおっ!!』』』』

 つどいむしゃが戦慄し、一際大きな叫び声を上げた。

 そんな悲鳴を完全に無視し、衛は尚も歩み続ける。


 そして──

『う……ぉ……おおお──!!』

 ──つどいむしゃの眼前に、衛が立った。

 躊躇いを振り払うかのように、腹の底から大声を放つ。

 怒号とも、悲鳴ともつかぬ、凄まじい声であった。

 そして、大きく拳を振り被り──

『おおおおおおおおおああああああああああああああああっ!!』

 ──つどいむしゃの心臓部に拳を叩き込み、ありったけの抗体を注ぎ込んだ。



『『『『っがああああああああああああああああああああああああ!?』』』』

 つどいむしゃが、断末魔の叫び声を上げる。

 激痛に対する苦悶と、死への恐怖とが混ざり合った声が、道場に渦巻き、床や柱を震撼させた。

『『『『あああああっごあああああああああああああああ──!!……あ……ぁ……』』』』

『……!?』

「……!!」

 その瞬間──つどいむしゃの悲鳴が途切れる、その一瞬。

 衛は──そして、傍らで見ていた明日香も、確かに見た。

 ──つどいむしゃの表情が、ふっと和らぐのを。

 ──廉太郎が、悲し気に微笑む、その光景を。


『あ……あ……』

 震える声を漏らす衛。

 同時に、つどいむしゃの体が──否、廉太郎の体が、床にがくんと崩れ落ちる。

 力なく開いた、廉太郎の目。

 その瞳に、もはや生気の光はない。

 目も口も、心臓も──もう、動くことはない。


『……ぅ……ぁ……』

 衛は、よろよろと後退った。

 数歩後ろへと下がり──そこで、がくんと両膝を付いた。

『……何で……だよ……』

 衛は、片手で顔の半分を覆った。

 覆われていない、もう半分の顔。

 そこから覗く目に、涙は無かった。

 代わりに──絶望があった。

 ──大切な人を、救えなかった。

 ──大切な人を、殺してしまった。

 その絶望が生み出した虚無の闇が、衛の瞳に渦巻いていた。

『……何で……俺……俺……は……!』

 震える声で、衛はそう呟いた。

 そうしながら、衛は絶望の瞳で、廉太郎の亡骸を見つめていた。


 そして──そこで道場は、再び光に包まれた。

 やがて、ゆっくりと光が薄れていき──またしても、明日香と廉太郎のみが佇む闇へと戻った。


『…………。……これが、あの日の真相だ』

「……。……うん……」

 呻くような廉太郎の言葉に、明日香は鼻を啜った後、返事をした。

「……青木さんは……本当に、おじいちゃんのことを助けようと……」

『……ああ。だが……それが余計に、彼を苦しめてしまった。……彼には、本当に申し訳ないことをしてしまった……』

 廉太郎は、苦し気な様子でそう呟いた。

 それから、自責の念を振り払うように頭を振り、また口を開く。


『……時間が無い、話を戻そう。さっき、お前に見せた通り……私の肉体はあの日、青木君の手によって死を迎えた。それによって、つどいむしゃと私の霊魂は、あの世へと向かうはずだった』

「『はずだった』……?」

『ああ。だが、実際にはそうならなかった。……ふと気が付くと、私はお前の心の中にいた。あの世には行かず、何故かお前の心の中に入り込んでいたんだ』

「……私の……心に……?」

 明日香は、驚いたように目を丸くする。


『……最初は、何故私が明日香の心にいるのか、全く分からなかった。私はもう、あの世に旅立っているはずだと、そう思っていたからな。……しかし、しばらくして──私の耳に、あの恨めしそうな声が入って来たんだ。殺せ、殺せと、何度もあの声が響いて来たんだ。その声を聞く度に、私の霊魂が、何か別の存在になろうとしているのを感じた』

「……それって、もしかして──」

 廉太郎の言葉に、明日香は嫌な予感を覚えた。

 彼の語る内容と、現在の状況──それらを照らし合わせると、一つの答えが浮かんできた。

『ああ──』

 廉太郎は、神妙な面持ちで頷く。


『……つどいむしゃは、生きていたんだ。つどいむしゃは、自分達が死んだのだと、青木君に思わせた。そして、彼が屋敷を去った後に、帰宅したお前の身体に取り憑いたんだ。私の霊魂を、取り込んだ状態で』

『……!それじゃあ、今のおじいちゃんは──!』

『そうだ──』

 そして廉太郎は──真剣な眼差しで、言った。


『今の私は、つどいむしゃの一部だ』

 次の投稿日は未定です。

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