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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十話『祖父の現影』
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祖父の現影 三十九

「……?」

 ──しばらくしてから、明日香はゆっくりと目を開ける。

 そこに映し出されたのは──やはり、東條家の道場内の光景。

 そしてそこには、廉太郎と衛の二人の姿があった。

 しかし、現在両者は立ち合ってはいなかった。

 どちらも道場の床に正座し、会話を行っていた。

 否──それは会話と言うよりは、『口論』と言ったほうが正しかった。

 そう表現出来るほどに、両者の間には緊迫した雰囲気が漂っていた。


『そんな……!そんなこと、私には出来ません!!』

 衛は苦悶するように眉を寄せて、そう訴えていた。

『頼む、青木君……!これは、君にしか出来ないことなんだ!!』

 その向かいに正座している廉太郎は、焦燥感に駆られた表情で、衛に懇願していた。


 その光景を、明日香は傍らで見つめていた。

「これは──」

『……一年前の、あの日の光景だ』

「……!おじいちゃん……」

 隣から聞こえる声。

 明日香がそちらに顔を向けると、もう一人の廉太郎──『現在』の廉太郎が佇んでいた。

 その廉太郎は、過去の己と衛が口論をしている姿を、神妙な面持ちで見つめていた。


『どうして……!どうして貴方が死ななければならないんです!』

『これしか、方法はないんだ!今ならば、私の体が完全に乗っ取られる前に、つどいむしゃを葬り去ることが出来るかもしれないんだ!!』

 その間にも、両者は悲痛な表情で言葉を交わし続けていた。

『いいかね、青木君……もう一度言うぞ……!君の拳で私の肉体を破壊し、同時に抗体を流すんだ!それでおそらく、つどいむしゃを消滅させることが出来る!!』

『で……出来ませ──』

『その後に、君がいた痕跡を可能な限り消せ!それが終わったら、この家からすぐに離れるんだ!!』

『で……っ、出来ね──』

『そして、今日のことを全てを忘れるんだ!今日ここで起こったことの全てを忘れ、元の日常に戻るんだ!そうすれば、誰も被害を被ることなく、この事態を収拾できる!!だから青木君、どうか──』


 ──その時であった。

『出来ねえええっ!!』

 衛の叫び声が道場の中に反響し、道場の空気を震わせた。


『……!あ、青木君──』

 廉太郎は、はっとした表情で衛を見つめる。

 衛の表情は──解らない。

 顔が俯いており、どんな表情を浮かべているのかを確認することが出来ない。

 しかし──衛の肩が、小さく震えていた。

 その震えに、衛が抱いている感情が表れていた。


『出来ねえ……!俺には……!出来ねえ……っ!』

 衛は叫びながら、頭を垂れ、床を叩いた。

 叩く度に、大粒の水滴が床にぼとぼとと落ちていく。

『何でだよ……!出来ねえよ……!!そんなこと……っ!!出来るわけねえだろおおおっ!!クッソおおおおォォォォォッ!!』

『青木君……』

 慟哭する衛の姿を目にし、廉太郎が顔を歪めた。

 悲しみと喜びが混ざった、複雑な表情であった。


 ──廉太郎は腰を上げ、衛に歩み寄る。

 そして、また腰を下ろし、衛の肩に優しく片手を置いた。

『……すまない、青木君。こんな役目を、君に背負わせてしまって』

『……』

『だが……君が責任を感じる必要はない。私が未熟だったから、つどいむしゃに乗っ取られるような隙を見せてしまった。悪いのは、全て私なんだ』

『……!』

『……だから青木君。私とつどいむしゃが死んだら、君は全てを忘れるんだ。君には何も罪はないんだ。全てを忘れ、元の生活に──』


 次の瞬間──

『……っ、ふざけんじゃねえええええっ!!』

 ──衛が突然叫び、立ち上がった。

 そして、廉太郎の胸倉を思い切り掴み上げ、強引に立たせた。

『……!?あ、青木君、何を──』

『ふざけんな……!ふざけんなよ、馬鹿野郎!!』

 再び、衛が怒鳴る。

 両目から熱い涙を迸らせながら、廉太郎に感情をぶつける。

『何で俺の心配してんだよ!!俺の心配なんかしてる場合じゃねえだろ!!あんたにはもっと気ィ遣ってやんなきゃいけねえ人がいるだろう!!』

『な……何を──』

 ──廉太郎は、困惑していた。

 衛が自分に対して怒鳴りつけて来ることなど、これまでに一度も無かった。

 故に廉太郎は、現在の衛の反応に対して、大きく動揺していた。

『一体、誰のことを言って──』

『明日香ちゃんに決まってんだろうが!!』

『……!!』

 衛のその言葉に──廉太郎は、大きく目を見開いた。


「……青木、さん……!?」

 驚いたのは、過去の廉太郎だけではなかった。

 両者のやり取りを傍らで見ていた明日香も、同様に驚愕の表情を浮かべていた。


『あの娘……あの娘は……!まだ中三なんだろ!?まだ子供なんだよ!!あの娘にはまだ、あんたが要るんだよ!!家族が必要なんだよ!!』

『…………』

『俺には解るよ……!俺にもばあちゃんがいたから、あの娘の気持ちが解るよ……!俺のばあちゃんが死んだ時、俺はめちゃくちゃ悲しかった……!死にたくなるくらい辛かった……!でも俺には弟がいた……!だから一人ぼっちにはならずに済んだよ……!!我慢出来たんだよ……!!けどあの娘には、あんたしかいねえんだよ!!あんたが死んだら、あの娘は完全に一人ぼっちになっちまうんだよ!!一緒にいた家族が死んだ辛さを、一人で抱え込まなきゃならねえんだよ!!』

『青木……君……』


『だから……頼むよ……!』

 衛が、廉太郎の胸倉から手を離す。

 涙と鼻水でボロボロになった表情が、またくしゃりと歪んだ。

『まだ……時間はあるんだろ……!なら……助かる方法を見つけてくれよ……!俺も手伝うから……!俺も、探すから──!だから……最期まで、闘ってくれよ……!あの娘のために……最期の瞬間まで……!諦めないでくれよ……!頼むよ……!!東條……先生……!!』

 そして、その場に再び座り込んで──両手を床に付け、頭を下げた。

 ──廉太郎を、死なせたくない。

 明日香の為にも、死なせるわけにはいかない──その悲哀に満ちた想いが、土下座する衛の姿から溢れていた。


『…………。青木君──』

 廉太郎は、再び腰を下ろした。

 そして、今度は片手だけではなく、両手を衛の両肩に置く。

『──ありがとう、青木君。明日香の身を案じてくれて』

 廉太郎はそう言いながら──寂しそうな笑顔を浮かべた。

『……君の言う通り、明日香はまだ子供だ。あの娘にはまだ、見守ってくれる者が必要だ。だから、私は今、死ぬ訳にはいかない』

『……!先生……』

『……そう……死んではならない……分かっている……分かっているんだ……。……だが、それも無理なんだ……もう……手遅れなんだ……』

『え……?』

 廉太郎の表情から──笑顔が、消えた。

 そこに残ったのは、悲哀。

 そして、待ち受けている現実に対する、憂いであった。


『どういう……ことですか……?』

『……私の肉体と精神は、もう限界だ……。おそらく……あと数日──いや、一日としないうちに完全に侵食され、私は身も心もつどいむしゃとなってしまうだろう……』

『……!?』

 涙で濡れた衛の顔が、愕然とした表情を形作る。


『実を言うと……もう……体が言うことを聞かなくなっていてね……。頭痛も眩暈も酷い……。何より……私の中から聞こえる声が、だんだん大きくなっているんだ……。退魔師を憎む、あの声が……』

『……そん……な……』

『……もう……時間がないんだよ……だから……もう、私は死ぬしかないんだ……』

『……そんな……そんな……!』

『…………』

 絶望に打ちひしがれる衛の表情。

 それを見ながら、廉太郎はしばし、無言を貫いていた。


 十秒ほど経った頃であろうか。

『……本音を言うとな……』

『……え?』

 廉太郎の口が、ようやく開いた。


 そして──

『……死ぬのが……怖い……』

『……!!』

 ──廉太郎の表情が、くしゃりと歪んだ。


『……死にたく……ない……』

『……先……生……』

 廉太郎の瞳から──涙が零れる。

 熱く大きい涙の雫が、顔に刻まれた皺を伝い、床へと落ちていく。

『……まだ……死にたくない……。あの娘と……一緒にいたい……!』

『先生……!』

『……もっと、生きていたい……!あの娘が学校を卒業して……進学して……!恋人を見つけて……結婚して……!そうやって、あの娘が幸せになっていく姿を……!ずっと傍で見ていたい……!!それなのに──!』

『う……っ……』

『それなのに……!!何故だ!!何故こんなところで死ななければならないんだ!?どうして!!……どうして……!』

『……っ……く……』

『……どうして……私は……生きることが出来ないんだ……!私は……生きたい……!生きて……せめて、あの娘が卒業する姿が見たい……!そんな……ささやかな願いすら……!どう……して……!!』

『……ぅっ……ぅ……先生……先生……!!』

『……無念だ……青木君……。……本当に……無念だ……!!……っ……く……う……ぅ……!!』

『……先……生……っ!……っく……ぅ……!』


 それから両者は、しばしそのまま涙を流し続けた。

 ──廉太郎は、自身の死を受け入れざるを得ないという、への悔しさを。

 ──衛は、大切な人を救えないという、無力な己への怒りを。

 待ち受ける運命に対する感情を涙へと変え、むせび泣き続けていた。


「…………」

 その光景を見ながら──明日香は、静かに泣いていた。

 涙を拭いはしなかった。

 両者が慟哭する姿を黙って見つめながら、涙を流し続けていた。


 ──それから、どれほど経った頃であろうか。

 廉太郎が、涙を右腕でぐいっと拭う。

 そして、涙の乾ききらない目で、衛を見た。

『……っく……。……青木君……もう一度……頼む……』

『……ぅっ……く……』

『……私を、殺してくれ』

『…………』

『……私が、つどいむしゃにならないうちに……。つどいむしゃとなって、明日香や君を斬り殺さないうちに……!』

『……』

『私を……殺してくれ……!頼む……!!』

 そして廉太郎は、両手を床に付き、思い切り頭を下げた。

 怒りや悲しみ。自身の内から噴き出る感情を全て振りきるような、一人の老人の切なる願いであった。


『…………』

 ──衛は、そのまま無言を貫いた。

 黙ったまま俯き、己の真下の床を、じっと見つめていた。

 その目から、熱い涙が滴っていた。


 すると、唐突に──衛もまた、ぐいっと涙を拭った。

 そして、俯いたまま、口を開く。

『……すみませんでした、東條先生。我が儘を言ってしまって……』

『……青木君……』

 廉太郎が顔を上げ、衛を見る。

『本当に辛いのは、先生のはずなのに……。私は、勝手なことばかり言って……』

『いや……いいんだ、青木君。君が怒ってくれたから……私は少し、救われたような思いがしたよ』

 衛の言葉にそう答えながら、廉太郎は、まだ涙の乾いていない顔で、僅かに微笑んだ。


『……やってくれるかね』

『……はい。分かりました』

『そうか……すまない、青木君』

『いえ、いいんです。……ですが、その前に』

『……?』

『その前に……一つだけ、試してもらいたいことがあるんです』

『試す……?一体何を──』

 眉をひそめる廉太郎。

 衛が何を言っているのか。そして何をしようとしているのか、全く解らなかった。


 そんな廉太郎に対し、衛は顔を上げ、右手を掲げて見せる。

 そして──

『……これですよ』

 右手から、赤い光──抗体の光を輝かせた。

 それはまるで、松明の先端でめらめらと燃え上がっている炎のようであった。


『抗体……?それで、一体どうするつもりなんだ……』

『これを、貴方の身体に流し込みます。そして、つどいむしゃのみにダメージを与え、消滅させるんです』

『何!?』

 廉太郎は目を見開き、驚愕の声を上げた。

『そんなことが、出来るのか……!?』

 思わず、廉太郎は衛に問い掛ける。

 その問いに、衛は僅かに目を伏せながら答えた。

『……正直なところ、分かりません。力の弱い憑き物の類ならば、私の抗体で難なく払うことが出来ます。しかし、貴方のお話を聞く限り、つどいむしゃの憑依能力は相当高いはずです。成功する確率は、限りなくゼロに近いでしょう』


 その時──衛が、再び目を開いた。

 瞳の中には、力強い意志が。決意の光があった。

『ですが、ゼロではありません。一パーセントか、あるいはもっと少ないか……。限りなく不可能に近いけど、それでも完全なゼロという訳ではありません』

『…………』

『これはいわば賭けです。命を賭けた、分の悪すぎる賭けです』

『…………』

『……ですが、もう手段はありません。このままでは、もう貴方はつどいむしゃと心中するしかありません。……ならば、せめて最後に』

『……悪足掻きをしてみたらどうか……そういうことかね』

『……はい。後は、先生の判断にお任せします』

『……むぅ……』


 廉太郎は、顔を伏せ、瞼を閉じた。

 そしてそのまま、沈黙する。

 衛の案に乗るべきか否か──それを考えているようであった。

 そのまましばらく、時間が経過した。

 永遠のように長いような、一瞬のように短いような、そんな時間であった。


 そして──

『……分かった、青木君』

『……!』

 ──廉太郎が、顔を上げた。

 そこにあるのは、諦観の意志ではない。

 衛と同じく、力強い意志が──生きようとする決意があった。


『……君の賭けに乗ろう。確かに、私はここで死ぬわけにはいかない。だから、最後まで足掻いてみようじゃないか』

『先生……!』

 衛が、思わず立ち上がる。

 廉太郎も同様に立ち上がり、衛に言った。


『青木君、力を貸してくれ。私に……みっともなく足掻こうとするこの老いぼれに……!君の力を、貸してくれ!!』

『……っ!はい!!』

 廉太郎の言葉に、衛は力強く頷いた。

 ──必ず救う。

 ──必ず、助ける。

 そんな強固な決意が、全身から立ち昇っていた。

 もはや両者の間に、諦めの空気は漂ってはいなかった。

 ──生きる。

 ──どれだけ無様な姿を晒しても、必ず生きてやる。

 そんな、決して諦めない不屈の意志が、両者の全身から放たれていた。


 ──その時。


「……!?」

 ──その光景を最後に、周囲は再び、闇に包まれた。

 道場も、衛も、過去の廉太郎も、もはやそこに姿はない。

 その闇の中には再び、明日香と現在の廉太郎の二人が、ぽつんと佇んでいた。


『……これが、あの日──あの瞬間の直前に起こったことだ』

 現在の廉太郎は、ぽつりと呟いた。

 その表情には、悲しみの想いが浮かんでいた。

「……青木さんは、本当におじいちゃんを助けようとしてたんだね」

 明日香は、ようやく己の涙を拭いながら言った。

 その言葉に、廉太郎はゆっくりと頷く。


『……そして青木君は、作戦を実行した。私の身体と心に巣食うつどいむしゃを打ち倒すために、全神経を集中させ、抗体を流し込んだんだ』

「……だけど……失敗だった?」

『……ああ』

 廉太郎は、悔し気に顔を歪めながら、話を続けた。


『青木君が抗体を流している時に──つどいむしゃは持てる妖気を振り絞り、私の肉体を乗っ取った。そして最悪なことに……私の肉体を乗っ取ったまま、青木君と闘いを始めてしまったんだ』

 次の投稿日は未定です。

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