祖父の現影 三十八
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『……私が体の異変を感じ取ったのは、今から一年半ほど前のことだった』
重苦しい表情で切り出す廉太郎。
彼の表情を見て、明日香の顔に、悲し気な表情が浮かぶ。
『何の前触れもなく、突然起こる頭痛。そして、謎の悪夢。ここ一年の間、お前が悩まされていた症状と同じものだ。……これは、先程青木君から聞かされたばかりだから、明日香も知っているだろう』
「う……うん」
『その時に、この症状の正体に気付き、何か手を打っておけば、このようなことにはならなかったのかもしれない。……だが、あの時の私は、つどいむしゃが自身に取り憑いているとは思いもしなかった』
「あたし……気付きすらしなかった……。おじいちゃんの体調が悪いなんて、ちっとも……」
『はは……それは当然さ。明日香に心配を掛けたくなくて、そんな素振りは見せないようにしていたんだからな』
そう言いながら、廉太郎は静かに苦笑した。
しかし、その表情はすぐに、元の沈痛な面持ちへと戻っていた。
『……そんな症状がいつまでも続くものだから、ある日、お前が学校に行っている間に、こっそり病院に検査を受けに行ったんだ。……きっと、風邪か何かだろう。疲れが溜まって、こんな症状が出ているんだろう──そう思いながら、一通りの検査を受け終わった』
「結果は……解らなかったんだよね」
『……ああ。案の定、病院の先生からは、疲れが溜まったんだろうと言われた。私は不安な気持ちを抑えながら帰宅し、処方された薬を飲みながらいつも通りの生活を送った。……だが、症状は良くなるどころか、どんどん深刻になっていった』
「…………」
『他の病院に行っても、結局原因は解らなかった。症状はますます進行して、回復の兆しも見られない。……そんなある時、昔読んだ文献に載っていた、とある妖怪のことを思い出したんだ』
「それが……『つどいむしゃ』?」
『ああ、そうだ。──武者たちの肉体に取り憑き、苦痛や悪夢、幻覚を見せて弱らせ、肉体を奪う。それだけでなく、多くの武者たちの霊魂を取り込むことで強くなる。そんな妖怪のことを、ふと思い出した』
「…………」
『そんなはずはない──その時は、そう思った。つどいむしゃは、私が生まれるよりも遥か昔に封印され、眠りについているはずだった。それに、その封印も自力で易々と破れるような弱いものではない。大妖怪ですら逃れられない、極めて強力な封印だったと記録されている。だからきっと、この病気はつどいむしゃが取り憑いているからではないはずだ──そう自分に言い聞かせながら、悪霊憑きを専門とする退魔師の知人に診てもらったんだ。……だが、結果は……。…………』
廉太郎はそこで目を伏せ、口を閉じた。言葉の続きは、なかった。
しかし、続きはなくとも、明日香は既に結果を知っていた。衛から聞かされていたため、廉太郎につどいむしゃが取り憑いていたことは、解っていた。
『……結果を知った後、私は愕然とした。余命を宣告された病人がどんな気持ちなのか、はっきりと解ったよ』
しばらくして、廉太郎が話を再開する。
『それから私は、つどいむしゃを引き剥がすために試行錯誤した。色んな文献を調べたり、他の退魔師達に悪霊払いを頼んだりして、つどいむしゃを身体から追い出そうとした。つどいむしゃの魔の手から逃れるために、思い付いた手段を片っ端から試した。……だが、どんな方法を試しても、つどいむしゃは私の身体から出ていくことはなかった』
「……」
『そうしている間にも、症状はじわじわと進行し、頭痛や幻覚はより酷いものになっていった。これ以上侵食が進めば、つどいむしゃに完全に身体を乗っ取られてしまう──そう思った私は、覚悟を決めた』
「『覚悟』って……?」
不安げな表情で訊ねる明日香。
対する廉太郎は、瞳に悲しき決意を湛えたまま、答えた。
『……つどいむしゃを道連れに、この世を去る覚悟だ』
「……!」
その言葉を聞いて、明日香の脳裏に記憶がフラッシュバックした。
あの日──床の上に横たわった祖父の亡骸を見つけた、あの絶望の記憶が。
『……最初は、自ら命を断とうとした。そうすれば、誰にも迷惑を掛けることなく、一人で死ぬことが出来る──そう思ったからだ。……だが、すぐにやめた。もしこのまま死ねば、つどいむしゃは私の魂を吸収し、別の人間の肉体を求めて彷徨うことになる。それだけは、何としても阻止しなければならない。……だから私は、青木君に協力を頼んだんだ』
「え……?どうして、青木さんに……?」
『……青木君の身体に流れている気は特殊でな。霊気や妖気といった力を消滅させることが出来る。だから、つどいむしゃが彼に取り憑こうとする心配はない。また、彼の気を使えば、つどいむしゃをこの世から完全に消し去ることが出来るのではないかと考えたんだ』
「だから、青木さんに殺してくれって頼んだの……?」
明日香の言葉に、廉太郎は『そうだ』と言いながら、ゆっくりと頷いた。
『……だが、私の考えたその策に、強く反対をする者がいたんだ』
「え……それって──」
眉をひそめる明日香。
廉太郎はそこで、悲し気な笑みを浮かべながら、呟いた。
『それはな……他ならぬ、青木君自身さ』
「……!青木……さん、が……?」
明日香は驚愕し、廉太郎の顔を見つめた。
廉太郎は、依然として苦しそうな笑みを浮かべたまま、静かに頷く。
その顔が──ゆっくりと右を向いた。
そのまま廉太郎は、右手を同じくらいゆっくりと動かし、視線の先を指差す。
「……?」
祖父のその行動に、明日香はきょとんとした表情を浮かべる。
そして、廉太郎が指差す先──闇の奥深くを見た。
その時──
「……!」
──先程と同じように、闇の彼方から光の波が押し寄せて来た。
眩い光は、明日香と廉太郎のの周囲の闇を洗い流し、二人を包み込んだ。
「っ──!」
明日香はぎゅっと目を瞑り、その輝きから目を守った。
今度は、瞼の隙間から光が入って来ることはなかった。
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