祖父の現影 三十七
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「『『『ふんっ!!』』』」
「っ、ぐ!」
衛の右肩が裂け、鮮血が迸った。
宙を舞う赤い液体が、ばらばらと落下する。
それらは、そのまま水溜りの上へと落ち、雨水と混ざり合って色を薄れさせていく。
「『『『っ──!!』』』」
つどいむしゃの追撃が迫る。
無数の残像を伴いながら、衛の首元をかき斬らんと襲い掛かる。
「く……!」
呻きながら、衛は抗体に包まれた柳葉刀で捌く。
鋭い刃は衛の横へと逸らされ、黒い残像は赤光に触れた瞬間、跡形もなく消え失せていた。
黒い残像と赤い光が、薄暗い屋敷の庭に舞い続ける。
互いの持つ刃が散らす火花が、両者の姿を照らし出す。
二つの肉体が、水を弾き、泥を蹴散らし、空気を切り裂いていく。
──そのような妖しく壮絶な闘いを、どれほど続けていたのだろうか。
いつのまにか雨風の勢いは穏やかなものへと変わっていた。
しかし、その天候の変化に反比例するかのように、戦は台風の如く激しいものとなっていた。
「『『『行けィッ!!』』』」
つどいむしゃの一声と共に、三本の刀が投射される。
「『『『カァッ!!』』』」
つどいむしゃが踏み込んで来る。
ここで雌雄を決する算段なのだ──衛がそう悟った時、既に投射された刀は衛の眼前にあった。
「っ!!」
それらを衛は、最小限の動きで弾き、軌道を反らす。
防御行動を終えた衛の目前には、つどいむしゃの嗤い顔が。
「『『『セイッッ──!!』』』」
横凪ぎ──狙うは首元。
これならば回避できる──そう思った衛は、体を屈める。
頭上を通り過ぎる刃。それに追随する無数の残像。
避けきった──そう思った。
しかし直後──衛の視界に、妙な動きをするものが見えた。
残像──現影身による影の一つ。
その一つが、凄まじい速度で直進し、衛の真上を通過した。
──ぞくり。
「……!」
衛の背筋を、嫌な予感が駆け抜ける。
瞬間的に、左側へと跳んだ。
同時に──
『むん──っ!!』
「がぁっ!?」
衛の背中に、焼けるような激痛が走った。
「……っ、ぐ……!!」
衛は痛みを堪えつつ、跳びながら距離をとる。
そして、振り返った。
その目に、こちらに迫り来る影が映った。
影は、投射されたはずの太刀を手にし、構えていた。
剣一郎の、影であった。
『せいっ!!』
剣一郎の影が斬り掛かる。
衛は後退りながら、その斬撃を捌き続ける。
「『『『ぬおおおっ!!』』』」
その斬撃の応酬に、つどいむしゃも加わった。
「糞……!!」
衛は柳葉刀を用い、防ぎ、捌き、躱し続ける。
一対二という圧倒的に不利な状況の中、それでも諦めず、生にしがみつこうと必死に足掻き続ける。
が──やがて、限界が訪れた。
「『『『おおおおおおっ!!』』』」
「……っ!しまっ──!?」
つどいむしゃが放った、渾身の斬撃。
それによって、柳葉刀は衛の手から弾き飛ばされ、宙を舞った。
『もらった!!』
その隙を狙い、剣一郎の影が一気に踏み込む。
衛はその動作を見て、思い切り後方へと跳躍しようとする。
しかし──完全に離し切ることは出来ない。
剣一郎は、衛の右脇腹から左肩までをなぞるような軌道で、思い切り斬り上げた。
「っ──がああああっ!?」
衛の体がきりもみし、鮮血を撒き散らしながら後方へと吹き飛ぶ。
そのまま、地面にべしゃりと叩きつけられていた。
「っ……ぐ……が……!」
歯を食いしばりながら、衛は片膝をつき、立ち上がろうとする。
その胸元は刃で斜めに斬り裂かれており、真っ赤な血が滲んでいた。
しかし、生命が断たれるほどの傷の深さはない。
刃が触れる直前、衛は咄嗟に筋骨を締め、刃が潜り込もうとするのを阻止したのである。
『何と頑丈な肉体……真っ二つに斬り裂くつもりで斬り付けたはずだったが……』
剣一郎の影が、悔し気にそう呟く。
「『『『クハハハハハ!!良い良い!一太刀で斬り裂けぬならば、幾度も斬り付けるのみよ!!』』』」
剣一郎の傍らで、つどいむしゃが愉快そうに笑い声を上げた。
「『『『よし、剣一郎よ、戻れ!』』』」
『応』
つどいむしゃの指示に従い、剣一郎は不定形な黒い妖気と化す。
妖気はそのまま、傍の明日香の身体に溶け込み、再びつどいむしゃと一体化した。
それを待った後、つどいむしゃは衛に挑発的な言葉を投げ掛ける。
「『『『どうだ小僧!我々の現影身の凄みは!東條の奴の霊魂を吸収した際、あやつの異能の力は、我々と溶け合ったことで、更なる高みへと到達した!この力を打ち破ることなど、お主の力量では不可能よ!!』』』」
「……はぁ……はぁ……!」
つどいむしゃの言葉に対して、衛は何も言い返さなかった。
ただ無言で、荒い呼吸を整えていた。
その姿を見て、つどいむしゃは確信した。
──言い返さないのではない。
言い返す言葉が見つからないのだ──と。
そう思ったつどいむしゃは、ますます気分を高揚させ、にんまりといやらしい笑みを浮かべた。
「『『『さぁ──……ん?』』』」
つどいむしゃが口を開く。
が、その直後、再び左手に違和感を感じた。
「『『『ぬう……忌々しい……何だというのだ、この手は……』』』」
つどいむしゃは、ぶつぶつと小さく呟く。
そして、その手を軽く振り、感覚を確かめる。
違和感は──消えていた。特に問題はなかった。
「『『『……。……良し』』』」
手の感覚を確かめたつどいむしゃは、気を取り直し、改めて高らかに宣言した。
「『『『さぁ小僧……いよいよ年貢の納め時よ……!我々の剣技にて、お主のその首を掻き切ってくれるわ!!』』』」
が──直後。
つどいむしゃの歓喜に満ちた表情が、神妙な表情へと変わった。
「『……油断するな、つどいむしゃよ』」
その口から、声が飛び出す。
つどいむしゃの、複数の声ではない。
剣一郎の声であった。
「『『『……何が言いたい?』』』」
明日香の表情が不機嫌そうなものになる。
そして、口から複数の声が──つどいむしゃの声が飛び出していた。
「『奴の目を見るがいい』」
再び明日香の口から、剣一郎の言葉が漏れる。
つどいむしゃは、自身が吸収した霊魂のその言葉に従い、衛の目をじっと観察した。
「……はぁ……はぁ……」
衛の瞳──そこには、諦観の念は無かった。
そこにあるのは、強い意志。
怒り。
憎しみ。
闘志。
決意。
それらの静かなる激情が、衛の瞳の奥深くで、確かに燃えていた。
「『……あの目だ。我ら兄弟は、かつてあの目によって討ち滅ぼされたのだ』」
剣一郎が呟く。
押し殺したような声の節々には、恨みの感情が感じられる。
「『……あァ。そうだったな兄貴。あン時、このチビはこォいう目をしてやがった』」
つどいむしゃがまた口を開いた。
そこから飛び出すのは、剣一郎の声ではなく、剣次郎の声。
「『そうだったな、兄者達よ……!あの目は、あの戦の際の目だ……!何かを企んでおる、あの忌々しい目だ!!』」
剣次郎の声に代わり、剣三郎の声が飛び出る。
次男と三男の声にも、怒りと恨みの感情が込められていた。
「『……もう一度忠告しておこう、つどいむしゃよ。決して慢心してはならん。奴はただの人間ではない。奴は極めて危険な退魔師だ。僅かでも気を緩めれば、奴はこちらの首に飛び掛かって来るぞ』」
再び剣一郎の声が放たれる。
つどいむしゃを諫め、確実に衛を仕留めさせようとする声が。
しかし──
「『『『く……くは……!ふはははははははは!!』』』」
直後に放たれたつどいむしゃの笑い声には、構え太刀の忠告を受け入れたような響きなど、全く無かった。
「『『『馬鹿馬鹿しい!!我々が何故、このような小僧に怯える必要があるのだ!』』』」
嘲るような笑みを浮かべながら、つどいむしゃは話し続ける。
「『『『構え太刀共よ……確かにお主らは、この小僧の小細工によって敗れた。故に、この小僧が何かを企んでおるのではと勘繰る気持ちも理解できる……。だがしかし、我々は違う!我々があの戦で敗れたのは、東條の馬鹿者めが邪魔をしてきおったからよ!あやつめの邪魔さえなければ、この小僧が躊躇しておる間に首を跳ね飛ばせたのだ!』』』」
つどいむしゃはそういいながら、表情を怒りによって歪めた。廉太郎に対しての憎しみが、そして、一年前の闘いの屈辱が、その形相に深く刻み込まれていた。
が、直後、つどいむしゃは再び嘲り笑う表情を浮かべ、口を開いた。
「『『『しかし……此度の戦は違う!東條の奴の意識は既に、我々の魂に完全に溶け込んでおる!あやつの邪魔はもう入りはせぬ!その上、この小僧はもはや虫の息!あのような姿を晒しているようでは、我々に切り捨てられるのを待つことしか出来ぬわ!!くははははは……!がははははははははァ!!』』』」
つどいむしゃはそう言いながら、ゲラゲラと笑った。
勝利の確信に、つどいむしゃは酔いしれていた。
一年前のあの日、自身の野望を阻んだ憎むべき青二才。その男を、ようやく抹殺することが出来る──その喜びに満ち溢れていた。
その歓喜の感情を迸らせながら、つどいむしゃは右手に握っている刀の切っ先を、衛に向けた。
「『『『さぁ行くぞ小僧……!その薄汚い五体を、八つ裂きにしてくれようぞ!!』』』」
「……はぁ……はぁ……はぁ……っ、く……!」
衛は呼吸を整えつつ──静かに目を閉じ、残り僅かな力を振り絞る。
治癒術の行使──全身に生じた傷口の肉が盛り上がり、塞がっていく。
そうやって、裂けた皮膚の出血を抑えた。
「……っ……ぐ……!」
歯を食いしばり、足に力を込める。
──膝が笑っている。眩暈がする。上手く力が入らない。
そんな全身の不調に対し、衛は心の中で喝を入れ、何とか立ち上がった。
「…………。『慢心』……か……」
「『『『……?』』』」
衛がこぼした呟き。その意図が汲めず、つどいむしゃは眉を寄せる。
「……確かに……げほっ……その通りだ……」
「『『『……』』』」
「お前には……慢心する癖がある……」
「『『『何……?』』』」
つどいむしゃが睨む。その視線には、微弱な怒りが混ざっている。
衛はそんな眼光を気にも留めず、話し続けた。
「……お前は今、完全に油断している。『こいつにもう勝ち目はない、自分達は間違いなく勝利する』──完全にそう思っている。……一年前のあの日もそうだった」
「『『『…………』』』」
「あの時──お前は俺と闘っている間、自分の勝ちを信じて疑わなかった。東條先生から奪った体と力に酔いしれ、慢心していた。……だから、東條先生の意識がまだ残っていたということにも気付かなかった。だからその隙を突かれ、その結果敗北した」
「『『『……』』』」
「それだけじゃない。今よりももっと昔、お前は何度も敗北してきた。まだ人間だった頃に経験した合戦での討ち死に。つどいむしゃとして他者の体を奪った後の死。そして、退魔師と立ち合った末の封印。何度も何度も、お前は敗北してきた」
「『『『…………』』』」
「これはあくまで、俺の推測でしかねえが──それらの敗北の原因もきっと、お前の慢心によるものだ」
「『『『……!っ……黙れ……!』』』」
「お前は死を迎える度に甦る。そうやって他者の魂を吸収し、強くなる。だがお前は……決して反省はしなかった。『新しい魂を吸収したから、強くなった。だからもう敗けたりはしない』──そう思うだけで、過去の敗北から、何も学ばなかった」
「『『『だ……黙れ……!』』』」
「だからお前は、何度も何度も負け続けた。全ては、お前の慢心のせいだ」
「『『『黙れええええい!!』』』」
つどいむしゃが、凄まじい剣幕で怒号を放った。
「『『『黙れ!黙れ!黙れ!!この小僧めが!!このうつけめが!!どこまでも我々を愚弄しおってからに!!』』』」
ビリビリと空気が震えるほどの怒鳴り声が、庭中に響き渡った。
つどいむしゃは、どす黒い憎悪に満ちた瞳で、衛をぎょろりと睨みつける。
そして、改めて刀を構えた。刀を握る両手は力んでおり、わなわなと震えていた。抑えきれないほどの怒りと憎しみによる震えであった。
「『『『もはや八つ裂き程度では済まさぬ!!血も肉も骨も、跡形も残らぬほどに斬り裂いてくれようぞ!!これで終いだ、憎き退魔師めがァ!!』』』」
「……ああ。そうだな」
衛はそう呟き、僅かに目を伏せる。
そして、静かに深呼吸をした。
「……これで、終いだ」
もう一度、衛が呟く。
「ただし──」
次の瞬間──衛は両目をくわっと見開き、怒号を放った。
「終わるのは……!てめえの方だ!!」
「『『『何──っ、ぐ!?』』』」
その時──
「『『『ァ、ガアアアアアアアアアアッ!?』』』」
──つどいむしゃの口から、無数の絶叫が迸った。
突如、つどいむしゃの全身に凄まじい激痛が襲い掛かったのである。
全身が引き裂かれ、押し潰され、燃やし尽くされるかのような痛みの波。
つどいむしゃはその激痛を少しでも和らげるべく、その場でもがこうとした。
が──
「『『『ッガ、ぁ……がぁッ!?何……だ、これはァ!?』』』」
──体が、動かない。
痛みと共に、先程から左手に生じていた、あの違和感が発生していた。
しかし、今回の違和感は、左手から感じるものではない。
全身が、違和感を訴えていた。
腕が──足が──胴が──全く動かない。
先程まで肌が感じていた、湿り気のある空気も、ずぶ濡れになった道着の不快感も、今は何も感じない。
自分の体が、自分の物ではなくなる感覚。
奪い取ったはずの明日香の体が、言うことを聞かなくなる感覚──それを、つどいむしゃは感じていた。
「『『『っご……が……ァ……!!お……主……ッ、何を、した……!?』』』」
つどいむしゃは、吐き気と激痛を堪えながら、衛に問う。
「俺は何もしちゃいねえよ。『俺は』な。俺がやったのは、ただの時間稼ぎだ」
「『『『ふざ……けるな……!!ならば、っぐ、この、痛み、は──!?』』』」
「──東條先生だよ」
「『『『……!?な……に……!?』』』」
つどいむしゃは目を剥き、驚愕した。
「『『『東條……だと……ッ!?』』』」
「……ああ。そうだよ」
対する衛は、鬼の如く恐ろしい形相を浮かべ、依然としてつどいむしゃを睨みつけている。
「てめえはまた油断してやがった……!俺が時間稼ぎをしていることにも気付かないくらいに、慢心してやがった……!だから嵌められたんだよ!てめえが吸収したはずの、東條廉太郎にな!!」
次の投稿日は未定です。
次回から、一年前の事件の真相に迫ります。




