祖父の現影 三十六
『うおおおおおおおっ!!』
廉太郎が叫んだ。
その体は徐々に加速しながら、降り積もった泥に向かって落下を続けていた。
そして、泥に着地する直前、逆手に持った刀を、落下しながら思いきり下に突き刺した。
次の瞬間──泥が、爆ぜた。
水面に水滴が落ちたかの如く、泥は刀が突き刺さった地点を中心に、王冠状の飛沫となって弾けていた。
更に次の瞬間──その王冠状の飛沫を残したまま、泥が固まった。
月面に浮き彫りになった巨大なクレーターの如き凹みが、闇の空間内に出来上がっていた。
そのクレーターの中心には、刀を地に突き立てたままの廉太郎が。
そしてその目の前には、明日香の姿があった。
彼女が身に纏う道着には、泥による汚れは少しも付いていない。
しかし、依然として、あの謎の植物が身体にまとわり付いていた。
『明日香!!大丈夫か!?』
真剣な表情で、廉太郎は明日香の傍に駆け寄る。
そして──
「むん──ッ……!!」
明日香の頭上──天から延びる植物に向かって、手にした刀を横薙ぎに振る。
明日香が抵抗をものともしなかった植物は、その一閃によって、綺麗に切断されていた。
「お、おじいちゃん……!?なっ、何で、どうして、ここに……!?」
涙をボロボロと零し続けながら、明日香はそう言った。
歓喜、そして驚愕。その二つによって、明日香は混乱し切っていた。
その合間に廉太郎は、明日香に絡み付いたままの植物の断片を、素手で引き剥がしていた。
素早く、しかし丁寧に。
明日香の体中の蔦を、必死の形相で除去していく。
そして、それら全てを除去し終え、明日香の身体に異常がないことを確認した後──
『良かった……!根は完全に食い込んではいない……!間に合ったか……!!』
ほっとした様子で、廉太郎は、そう呟いた。
『明日香、もう少し我慢してくれ……!今、青木君が時間を稼いでくれている……!その間に──』
「……!」
その時、明日香の表情が凍り付いた。衛の名を耳にした、まさにその瞬間であった。
明日香の脳裏に、この短時間の間に起こった出来事がフラッシュバックした。
──祖父の死。
──真実。
──退魔師。
──つどいむしゃ。
──青木衛。
──殺害。
──愛情。
──侮蔑。
──憎悪。
──鮮血。
──苦悶の声。
──泥──泥──泥──。
一瞬のうちに、明日香の脳内に、数多くの出来事と真実の記憶が甦り、暴走する。
「っ……!ま、待っておじいちゃん……!」
明日香は後退り、祖父から距離を置いた。
そして、混乱する頭を必死に抑えようとしながらも、訊ねてしまっていた。
「じ、『時間を稼いでる』って、何のこと……!?青木さんは、青木さんは、おじいちゃんのことを嫌ってるんじゃなかったの……!?青木さんは、おじいちゃんを殺したんだよ……!?」
明日香はその後も、頭の中に渦巻く疑問を次々に放っていく。
「そもそも、おじいちゃんはどうして生きてるの!?おじいちゃんは死んだはずでしょ!?一体何がどうなって──」
「明日香……!」
そんな彼女に近寄り、廉太郎はなだめた。
『落ち着きなさい……!青木君は敵ではない……!彼は──』
「嘘だ……!おじいちゃんは、青木さんに殺されたんだ!あたしはさっき、その時の光景を見たんだ!あ、あれが!あれが真実なんだ!だから、だからおじいちゃんは、あたしに『憎め』、『殺せ』って──」
『明日香!!』
「……!!」
廉太郎の一喝。
錯乱状態になっていた明日香は、祖父の声によって、我に返っていた。
『騙されるな!先程のあの光景は、真実ではなくまやかしだ!先程から鳴り響いていたあの恨めしそうな声も、私が発したものではない!』
「え……?じゃ、じゃあ、一体……!?」
『つどいむしゃだ……!』
「え……!?」
『お前の身体には今、つどいむしゃが取り憑いている』
「……つどい……むしゃ……が……」
『そうだ。そしてここは、お前の心の中だ。つどいむしゃによって浸食されかけている、お前の心の世界なんだ。つどいむしゃは、お前の心と体を完全に乗っ取るために、私の記憶と声を改竄して、お前を押し潰そうとしているんだ』
廉太郎は、そこで一旦言葉を区切った。
そのまま目を閉じ、何度か息を吸い、吐く。
そして、呼吸が整ったことを確認した後、再び口を開いた。
『そして、青木君のことだが……。確かに……結果的に私は、彼の拳によって命を落とした。……だが私は、彼を憎んではいない。それどころか、彼に感謝をしているくらいだ』
「え……?ど、どうして……!?」
『彼は、本当は私を助けようとしてくれていたからだ。そして彼は今も、私とお前を救うために闘ってくれている。一年前のあの日のように、己の持つ力の全てと、命を懸けて』
「……!『救う』……?『命を、懸けて』……?」
目を見開き驚く明日香。
祖父が言っている言葉の意味が、芯から理解できていなかった。
そんな孫の様子を見た廉太郎は、一度ゆっくりと頷き、語り始めた。
『全てを話そう、明日香。一年前のあの日、何が起こったのかを。そして今、お前の身に、何が起こっているのかを』
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