表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第三話『西洋人形の電話』
16/310

西洋人形の電話 七

【これまでのあらすじ】

 マリーの主人、北村さつきを探すために、彼女が通っていたと思われる小学校を訪問した衛。そこで、さつきのかつての担任教師であった人物の情報を掴む。早速衛とマリーは、その男性の自宅へ向かったのだが──

7          

「ほう、東京から……。それはそれは、遠い所からはるばる、お疲れ様で御座いました」

 座敷に正座する、 皺と白髪を蓄えた男性。

 その人物は挨拶をすると、丁寧にお辞儀をした。

 この家の家主にして、北村さつきのかつての担任教師、君島和久であった。


「いえ……こちらこそ、突然押し掛けてしまいまして、申し訳ございません」

 衛の方も、丁寧にお辞儀をする。

 それに倣い、隣に座るマリーも、黙ってお辞儀をした。


 君島はそれを見て、嬉しそうに笑った。

「いやいや、久し振りの来客だったので、嬉しい限りですよ。古くからの友人や教え子のほとんどはこの町から出て行ってしまって、うちを訪ねる方がめっきり少なくなりましてね。やることも殆どなくて、退屈なんですよ」

 そう言うと、君島は少し寂しそうな顔をした。

 これまでの人生の殆どを、教職に捧げて来たのである。

 その誇りと僅かな喪失感が、君島の様子から伺えた。


「定年を迎えてからは、代わりに農業に打ち込むようになりましてね。美味しい野菜が作れるように試行錯誤する毎日です」

「農業ですか」

 林田が口にした言葉に、衛が反応する。

「ええ。ひょっとして、あなたも経験が?」

「はい。故郷で過ごしていた頃はよく田畑を弄っていました。作物が実った時の喜びも、夏場や雨季の苦労も、よく分かります」

 世間話をしているうちに、衛の心に懐かしい思い出が甦る。

 言葉の節々には、経験者が持つ独特の感情がこもっていた。


 それを感じ取り、君島は再び嬉しそうに笑った。

「そうでしたか……。今の私にとって、農業は数少ない生き甲斐です。今日も朝から、畑の方に出てましてね。帰って来てから、『林田校長先生から電話があった』と家内から聞きました」

 そこで林田は、神妙な顔をした。


「何でも、北村さつきさんのことを調べてらっしゃるとか……?」

「はい。何かご存知ありませんか?」

 本題に入り、衛の表情が一層真面目なものになる。

 マリーも、緊張した面持ちで君島の答えを待った。


「……」

 衛の真剣な顔を見て、しばらく君島が沈黙する。

 そして、少し間を置いてから、遠い目をした。

「……久し振りに聞く名です。もう六年も経つんですねえ……」

 しみじみとした調子で、君島が呟く。

「……ええ。彼女がこの街を去ってから、六年になります」

「君島先生、さっちゃんのこと、教えてください」

 先程まで黙っていたマリーも口を開き、真剣な表情で頼み込む。

 それを見て、君島は悲しげに笑った。


「そうですか。……もう六年か。……もし彼女に、あんなことが起こらなかったら、もう中学生になってる頃なんですね……」

「……? 『あんなこと』……?」

 君島がぽつりと零した呟き。

 その言葉が、衛の頭に引っ掛かった。

「……六年。……この六年間、色んなことがありましたが、あれほどまでに悲しい出来事はありませんでした……」

「『悲しい』……?」

 ぽかんとした表情で、マリーが呟く。

 衛もマリーも、君島が何を言っているのかが分かっていなかった。


「あの後、テレビや新聞の取材が何度も来ました。その時に全てをお話ししたんですが……良いでしょう。私の知っている限りのことを──」

「──すみません。少々、よろしいでしょうか……?」

 君島の言葉を、衛が遮る。

 衛の頭の中の引っ掛かりが、嫌な予感へと変わりつつあった。


「……? はい、何でしょう?」

 君島がきょとんとした表情で聞き返す。

「……確かに我々は今日、北村さつきさんのことについて、伺いに参りました。さつきさんの──今の住所や、連絡先について」

「住所……? 連絡先……?」

 衛の言葉に、君島が眉をひそめる。

 今度は逆に、君島が話の内容を理解出来ていなかったようであった。


「はい。私の傍らのマリー──彼女は、北村さつきさんの、友人なのです。ですが、さつきさんは六年前から消息が掴めなくなっています。今回我々が訪問したのは、さつきさんの現在の居場所を捜索することなのです。……ですが、先ほどから伺っていると、あなたが仰っている内容は……まるで、その……」

 そこで衛は言葉を切った。

 口にしなくなかったのである。

 まるで、自分の最悪の予想が現実になってしまうようだったためである。


 それから、横のマリーの表情を伺った。

 不安そうな顔をしていた。

 それを見て、衛は一瞬だけ躊躇ったが──すぐに意を決し、君島に顔を向けた。


「……まるで、さつきさんの身に何かが起こったような。……そんな言い方に聞こえるのですが……」


 衛のその言葉により──しばしの間、沈黙が訪れた。

 君島の表情が、徐々に暗く重苦しいものへと変わっていく。マリーの表情も、徐々に不安に侵されていく。


 その間、誰も話さなかった。

 君島も。

 マリーも。

 そして衛も。

 誰一人も、言葉を発しなかった。

 壁に掛けられた時計の針が刻む音のみが、座敷部屋の中に静かに響いていた。


「……どうやら……」

 痛い程の静けさの後──君島が、おずおずと口を開いた。

「……私の、早とちりだったようですね。……家内からは、北村さんのことについて知りたいとしか聞いていなかったので、私はてっきり……。……ですが、あなた方はさつきさんに何が起こったのかご存じないようですね……」

 君島の声は、少し震えていた。

 それを思い出し、口にすることが恐ろしい──そう物語っているかのように。


「……何が……あったんですか……?」

 マリーが口を開く。

 相変わらず、不安そうに眉をひそめていたが──その表情に、若干の絶望感が混じっていく。

「……さっちゃんに……さっちゃんに、何があったの……!?」

「……」

 マリーのその言葉に、君島が苦しそうに顔を歪め、俯き、沈黙した。しばらく、そのまま沈黙していた。

 

 やがて──君島が顔を上げた。そして、重苦しい口調で語り始めた。

「北村さんは……。北村さんは……あの日……」

 そこで君島は、一旦言葉を切った。

 わざと切った訳ではなかった。

 思うように、言葉が出せないようであった。


 衛とマリーは、次に発せられる言葉を、辛抱強く待った。

 マリーには、どんな言葉が飛び出してくるのか分からなかった。

 しかし衛は、何となく察していた。

 具体的なことは分からなかったが、これまでの君島の様子から勘付いていた。

 そして──ゆっくりと、君島が告げた。



「……新居に向かっている途中……交通事故に遭ったんです……」



 ──沈黙が、再びその場を包み込んだ。

 先程よりも痛々しく、そして長い沈黙が、三人を呑み込んだ。


「……嘘だ……」

 沈黙を破ったのは、マリーの一言であった。

「……嘘だよ。……ねえ、先生。……嘘でしょ……? ……嘘、なんでしょう……?」

 呆然とした表情で、マリーが問い掛ける。

 悲痛な感情が、その声に嫌という程こもっていた。


 その言葉に対し、君島は俯きながら頭を振った。

「……いいえ……本当のことです……」

 君島の目は、真っ赤に染まり、その表面が涙で濡れていた。

 少しでも気を緩めると、大粒の涙が零れ落ちそうな程であった。


「事故現場は、横浜の首都高速でした……。あの時、北村家の車は……ハンドルの操作ミスで、破損して修理中だった道路の壁を突き破り、海へと転落してしまったんです……」

「……」

「……車の中からは、北村さんのご両親が遺体で発見されたんですが、北村さんは見つかりませんでした。車の窓が割れていた為、彼女のみ車中から逃れたのではと、必死に捜索活動が行われたのですが。……結局発見されず、六年が経過しました……」

「……そん……な……」

「おそらく……彼女は……まだ、海の中に──」

 そこで、君島が言葉を詰まらせる。

 口元を手で覆い、嗚咽を漏らしていた。

 両目を固く閉じ、堪えていた涙が、その隙間から溢れ出ていた。


「……」

 衛は、暗い表情で俯いていた。

 無言で、君島が話した真実を、ゆっくりと噛み締めていた。

 こんな結末があって堪るか──そう、心の中で呟きながら。


「……じゃあ……」

 マリーが震える声で呟く。

 愕然とした表情であった。

 大きく見開かれている目は、君島の方を向いていた。

 だがその瞳は、何も写してはいなかった。


「……それじゃあ……あたしは……あたしは……」

 絶望に満ちた声が零れ出る。。

 待ち受けていた事実を受け止めることが出来ぬまま、彼女はうわごとのように、そう呟き続けた。

 次回でこのエピソードは完結となります。既に書きあがっているので、近日中に投稿致します。宜しければ、最後までお付き合い下さればと思います。

 それでは、よろしくお願い致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ