祖父の現影 三十二
前回の投稿から日が空いてしまい、申し訳ありませんでした。
それでは、よろしくお願いします。
22
「『『『くあっ!!』』』」
「ふんっ!!」
──雨の降り注ぐ、東條家の庭。結界という名の、黙視出来ぬ檻によって隔絶された空間の中。そこでは未だ、つどいむしゃと衛の壮絶な果たし合いが繰り広げられていた。
「『『『オオオッ!!』』』」
怒号と同時に、つどいむしゃの周囲を漂っていた三本の刀が射出された。降り注ぐ雨粒をものともせず、殺気と妖気をまとった刃が、衛を突き刺さんと迫る。
「──!」
それを見た衛は、刀背を身体にまとわり付かせるようにして柳葉刀を振った。その刀の軌道に従うように、刀を包む赤光が、竜巻の如く宙を舞う。
直後、甲高い音と共に三本の日本刀が弾かれ、庭の水溜りの上に転がった。
「『『『けああっ!』』』」
次の瞬間、つどいむしゃが大きく一歩踏み出した。砂利を蹴飛ばし、水溜りを踏み潰し、衛に向かって距離を詰める。
そして、黒い残像を振り撒きつつ、手にした刀を振り下ろした。
「──っ!!」
自身の皮膚に触れようとした刹那──衛は辛うじてその刀を、自身の得物で逸らした。
それに遅れ、現影身が突風を起こさんばかりの勢いで柳葉刀へと迫る。
が──直後、黒い分身は跡形もなく霧散した。柳葉刀を包む抗体が、現影身を分解・消滅させたのである。
もし抗体でコーティングしていなかったら、今の分身の猛攻で、柳葉刀は折れていたかもしれない──衛はそんなことを考えながら、つどいむしゃの放つ斬撃を防ぎ、躱し続けた。
「──!」
刹那──衛の背筋を、ぞくりとした感覚が駆け抜ける。
妖気、そして殺気──背後からである。
「っ!!」
衛は無意識の内に跳躍し、その場を離れる。
直後、射出された三本の刀が、先程まで衛が立っていた場所に突き刺さった。
「『『『ぬおおっ!』』』」
着地し、体勢を立て直そうとする衛に、またしてもつどいむしゃが迫る。黒い残像をばらまきながら、横凪ぎに刀を振った。
「チッ──!」
首元に迫る刃を、衛は柳葉刀で辛うじて逸らす。
間髪入れずに、つどいむしゃによって斬撃が放たれる。
それもまた、衛は何とか弾いた。
「『『『──っ!!』』』」
つどいむしゃが、更に斬りかかって来る。
実体の持つ刀と、分身による無数の残像による嵐の如き猛攻が、衛の五体を切り刻まんと迫り来る。
「『『『ふんッ!!』』』」
「ぐ──っ!」
「『『『エエエイッ!!』』』」
「──っ!」
「『『『ちぇァアアッ!!』』』」
「クソッ──!!」
──立ち合っている両者の声が。そして、刀同士の打ち合いによる甲高い音が、雨の夜空に響き渡る。
音は更に──より一層激しさを増して、果し合いの場に満ち溢れていく。
既にそれらは、豪雨が地面を打ち鳴らす音よりも、騒然たるものになっていた。
それらの音の中に──疲労の色の滲む声が混じり始めた。
つどいむしゃの声ではない。
衛の声であった。
「っ……く……!」
柳葉刀に抗体を流し続けながら闘わなければならないため、衛は著しく体力を消耗していた。
その瞳に宿る闘志は潰えてはいないが、表情にはうっすらと、疲労の痕跡が浮かび始めていた。
「『『『──ッ!!』』』」
「っ……ぐ!」
──斬る。
──突く。
──斬る。
──斬る。
──薙ぐ。
──突く。
──払う。
更に激化するつどいむしゃの攻め。
衛は疲労を気合いで堪え、それらの攻撃をいなしていく。
「『『『せやァアアッ!!』』』」
その時、つどいむしゃの横薙ぎの斬撃が、衛の右腕を裂いた。
「ぐぅっ!?」
衛の口から苦悶の声が漏れる。
血液が宙を舞う。幸いにも、少量である。傷は浅いようであった。
「『『『オオオッ!』』』』」
殺気を全身から迸らせながら、つどいむしゃが衛に向かって素早く足を運ぶ。
そして、刀を大上段に構えた。その姿から、衛を真っ二つにせんとするどす黒い意志が伝わってきた。
「チィッ!!」
つどいむしゃが刀を振り下ろす直前、衛が動いた。
後方へではない。
前方へ──つどいむしゃに向かって踏み込んだ。
目と鼻の先と言って良いほどの至近距離──そこで衛は、つどいむしゃの腹部を、思いきり押し蹴った。
「うらッ!」
「『『『ご……ふッ!?』』』」
呼気を漏らしながら、後方へと吹き飛ばされるつどいむしゃ。
すぐさま後転して受け身をとり、衛の行動に対して備える。
が──衛は、追撃して来なかった。
つどいむしゃとの距離が離れた瞬間、衛は塀の方へと駆け寄り、よじ登っていた。そこから更に、道場の屋根へと飛び移ったのである。
「『『『小癪な!!!』』』」
つどいむしゃは、苦悶の表情を、邪悪な笑みへと変えて怒鳴った。
そして次の瞬間、両足で地面を蹴って跳躍。一っ跳びで、道場の屋根へと着地した。
そこでは──
「はぁ……はぁ……」
棒立ちになった青木衛が、荒く乱れた呼吸を整えようと務めていた。
その姿を見たつどいむしゃは、嘲るような笑みを浮かべた。
「『『『逃げられると思うたか、小僧。どれだけ足掻こうと、お主の死は避けられぬ定めなのだ。観念して、己が生の終わりを受け入れるが良い』』』」
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
つどいむしゃの言葉を受け、衛は悔し気に表情を歪ませた。
そして、震える足を曲げ、屋根の上に敷かれた瓦の上に、がくんと片膝をついた。
諦めたか──つどいむしゃは、そう思った。
「『『『ククク……それで良い……それで良いのだ……』』』」
つどいむしゃは、笑い声を漏らしながら、衛に歩み寄る。
一歩──また一歩。ゆっくりと歩み寄る。
そうしながら、刀を静かに構える。つどいむしゃの周囲を浮遊する三本の刀も、その切っ先を衛に向ける。
「はぁ……はぁ……ぐ……っ……!」
その光景を見た衛は、更に表情を歪ませた。
──こんな所で死んでたまるか。
──何とかして立ち上がらなければ。
──自分はこんな所で死ぬ訳にはいかないのだ。
──絶対に諦めてたまるか。
そんな意志を表情に滲ませながら、衛は悔しがった。
否──『悔しがる振り』をした。
(そうだ……。そのままこっちに来い……!)
悔し気な表情を浮かべている中で、衛は内心、そんなことを呟いていたのである。
実際の所──衛は、そこまで疲労してはいなかった。
確かに、抗体の放出によって体力を大きく消耗してはいた。しかし、『これ以上戦闘を続行できない』というほど、体力を使い果たした訳ではなかったのである。
そう、全ては演技。
衛が計画していた『つどいむしゃを無力化するための策』──それを成功させるためのハッタリであった。
衛が考えた計画は、次の通りである。
まず最初に、つどいむしゃに対して、闘いの中で衛が体力を大幅に消耗したように思わせる。方法は簡単──大きく動き回ったり、抗体を使い続けたりと、疲労が溜まるような行為を見せつければ良い。
次に、その状態で、衛が何らかの形で負傷をし、逃走する。
それを見たつどいむしゃは、闘いの仕切り直しをはかるために──あるいは、体力を回復する時間稼ぎのために、衛が逃げたのだと思うはず。
そして、そうはさせまいと、間違いなく衛の背中を追い掛ける。逃げる衛の首を、自らの刀で刎ねるために。
──現に、つどいむしゃは追い掛けて来た。衛は、既に理解していた。つどいむしゃがこの状況で、背中を見せた獲物をみすみす見逃すはずがない──そう理解していた。
そうやって、衛はつどいむしゃに追い掛けられながら、とある『術』を行使する用意をする。
その術の名は──『鋼鎧功』。全身の表皮に、鋼のような硬度を持たせる、武心拳の中の仙術の一つである。
この術を使うために、衛は逃走しながら、気を練る。そうやって、いつでも鋼鎧功を発動させるようにスタンバイしておくのである。
そして──衛に追い付いたつどいむしゃは、彼を八つ裂きにしようとするはずである。自身の持つ刀と、周囲を漂う三本の刀。その全てを以て、衛の体を突き、斬り、薙ぎ、首を刎ね落とそうとするはずである。
その瞬間──衛は、鋼鎧功を発動。自身に襲いかかる四つの凶刃を、一本残さず粉々に粉砕する。そうすることで、つどいむしゃから刀を取り上げ、無力化するのである。
──これが、衛が計画した策であった。
つどいむしゃは、様々な剣術家の魂を吸収したことで、凄まじいほどの剣術の腕前を持っている。故に、刀同士の闘いでは、衛に勝ち目はない。防御に徹するだけならばまだ何とかなるが、つどいむしゃを討ち滅ぼすまでには至らない。
しかし、そのつどいむしゃから刀を奪ってしまえば、軍配は間違いなく衛に上がる。剣術の腕前ならば、衛は間違いなくつどいむしゃに劣る。しかし、素手同市での戦いの実力ならば、衛の方が圧倒的に強い。煮るのも焼くのも、自由自在であった。
「……はぁ……はぁ……」
衛は呼吸を整えながら、こちらへと歩み寄るつどいむしゃを、凄まじい形相で睨みつける。
既に計画は第三段階──鋼鎧功の準備までが完了している。後は仕上げの、鋼鎧功の発動のみ。
(そうだ……来い……!そのままこっちへ来い……!)
衛はつどいむしゃの接近を待ちながら、心の中でそう唱えた。
そして、そんな考えが表情に浮かばぬよう、必死に悔し気な表情を作り続けた。
「『『『ククク……楽しませてくれた礼だ、小僧よ』』』」
つどいむしゃは、口の端を冷酷に吊り上げながら、そう語り掛ける。
「『『『……楽には死なせてやらぬ』』』」
愉快で愉快で堪らない──そんな調子を言葉の節々に滲ませながら、歩み寄る。
一歩歩くごとに、瓦同士が擦れ合う音が聞こえる。ガチャリ──ガチャリ、と。死神の足音が、雨音を跳ね除けながら聞こえてくる。
──ガチャリ。
「『『『……寸刻みだ』』』」
──ガチャリ。
「『『『お主の肉体を、細切れになるまで刻んでくれようぞ』』』」
──ガチャリ。
「『『『簡単に事切れてくれるなよ……!』』』」
──ガチャリ。
やがて──衛の目の前に、つどいむしゃが立った。そして、衛を見降ろしていた。
その顔は、明日香のものであるが、明日香の顔ではない。
表情の全てに浮かんでいる、殺人の喜び。瞳の奥で輝く、どす黒く、禍々しい光。
──人間の顔ではない。妖怪の顔であった。
「『『『おおおおおッ!!』』』」
歓喜の声と共に、つどいむしゃが刀を振り下ろす。
同時に、その周囲を浮遊する三本の刀も、衛に向かって突撃する。
(今だ!!)
その瞬間、衛も鋼鎧功を発動させた。
残る体力と抗体の多くを消費し、全身の皮膚を、鋼鉄の鎧へと変える。
──遮る雨と風。
──それらを意に介さず斬り裂いて進む四つの凶刃。
そして──そして──。




