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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十話『祖父の現影』
145/310

祖父の現影 十九

15

 伊崎直正(いざきなおまさ)は現在、自宅の工房の中で、座禅を組んでいた。

 工房の天井に吊り下げてある電灯に、光は灯っていない。

 この工房には、日光に当ててはいけないものなども置いてあるため、窓も付いていない。

 戸も完全に締め切っているため、現在この工房には明かり一つなく、完全に闇に包まれていた。


 そんな闇の中で、伊崎は目を伏せ、座禅に取り組んでいた。

 しかし、これは単なる座禅ではない。

 彼の目の前に置いてある『それ』に、自身の気を送り込んでいるのである。


 それ───長方形の箱には、達筆な字がしたためられた札が貼られている。

 一枚や二枚ではない。

 十枚か、十五枚か───否、もっとあるかもしれない。

 もともとこれは木製の箱であったが、表面の木目が少しも見えないほど、無数の札が貼られていた。

 この札は、伊崎の手によって施された封印の札である。

 木箱の中身を封じ、何者にも開けられぬよう、何枚も、何枚も貼っているのである。

 この箱の中身は、それほどまでに重要で───尚且つ、かなり危険な代物であった。


 ───伊崎は、退魔師専門の武器商人である。

 退魔師のための武器の調達や調整等を行い、退魔師を相手に商いをする───それが、武器商人の仕事である。

 中でも彼は、この道四十年のベテランである。

 彼の製造する武器や補助道具は非常に扱いやすい上に、耐久性も良く、退魔師からの評判も良い。


 また、彼には『ある特技』があった。

 それが、陰陽道や法力等のアレンジによる『封印の技術』である。

 護符を貼り付け、霊力()を注ぎ込むことによって、その物体を現世とは隔絶した存在にすることが出来る───それが、伊崎の習得した封印の技術である。

 現在、彼が向かい合っている長方形の箱の封印も、この封印の技術によるものである。

 退魔師の手に負えないほどの危険性を持つ、曰く付きの代物を封印し、厳重に保管することが出来る───それが、伊崎の特技であった。

 この特技を信頼し、伊崎を頼りに尋ねて来る退魔師も少なくはなく、重宝されていた。


 伊崎は、この封印の技術に誇りを持っていた。

 自身が身に付けたこの封印の技術が、退魔師達の役に立ち、人々を守る為の力となっていることに、喜びを感じていた。

 その誇りと喜びが、伊崎にとっての大きな自信となっていた。


 しかし───そんな自信を持っているベテランの伊崎であっても、今回の仕事は、実に緊張を強いられるものであった。

 伊崎が現在、封印の解除に取り組んでいる箱。

 その中に封じられているものが、これまでに伊崎が取り扱ってきたものの中でも、一二を争うほどに重要な代物であるためであった。


 ───この箱の封印を行ったのは、約一年ほど前のこと。

 とある人物が、この箱と、中の『それ』を持って、伊崎のもとを訪ねて来たのである。

 その人物は、伊崎にとって顔馴染みの人物であり、彼の武器商人としての立場からすれば、『お得意様』といっても過言ではない人物であった。


 その人物は、伊崎の下を訪ねて来るなり、こう言った。

 どうかこれを、あなたの手で封印していただけないでしょうだろうか───と。

 何やら訳有りのようだ───そう思った伊崎は即座に、その人物に対して、箱の中身についての説明を求めた。

 伊崎はそこで、驚愕の事実を知ることになったのである。

 その長方形の箱に収められている物を。。

 それが、如何に重要な物なのかを。

 そして───それを持ってきた人物が、そう遠くない時期に死を迎えることを。


 事情を知った伊崎は、その人物からの依頼を承諾し、すぐさま封印を行った。

 箱に封印の護符を幾重にも貼り付け、自身の持つありったけの気を送り込んで、箱が外から開けることが出来ないよう、しっかりと封じた。

 そして、定期的に気を込め直し、封じた箱をしっかりと隠し続けた。

 そうやって、この箱の中身についての情報が、決して悪しき者の耳に入らぬよう、厳重に保管し、守り続けてきたのである。

 約一年もの間、ずっと。

 この調子ならば、箱の中身はこのまま現世に甦ることなく、静かに眠りにつくはずであった。

 伊崎もまた、それで良いと考えていた。


 しかし───事態は急転することとなった。

 数日前、封印を依頼した人物とは異なる人物から、封印を解除するよう要請があったのである。

 その人物もまた、伊崎にとっては顔馴染みの人物であった。

 また───もしもの場合、『自身の代わりに箱を回収する人物』として、依頼人が指定した人物でもあったのである。


 代理人から事情を聞いた伊崎は、大至急封印を解除する準備に取り掛かった。

 しかし、この箱を預かって一年間───封印をより強固なものにするために、伊崎は絶え間無く、新たに己の気を箱に貼られた無数の護符に送り続けていた。

 そのため、護符一枚辺りに込められた気の量が凄まじく、即座に封印を解くことは出来なかったのである。

 故に、解除には時間を要した。

 本来ならば、数ヶ月掛けて、一枚一枚にゆっくりと気を流し込まなければならなかったほどに。

 だが、事は一刻を争う状況であった。

 もしも、解除が一日でも遅くなってしまえば、それだけでも取り返しのつかない状態になりかねないほどであった。

 そのため伊崎は、依頼を受けてから数日の間ずっと、箱に貼られた無数の護符に気を流し込み続けた。

 必要最低限の飲食と、僅かな休息を挟んで気と体力の補充を行いつつ、数ヶ月を要する解除を、短期で終わらせようと務めた。

 その甲斐あって、封印を完全に解除出来る一歩手前という段階に、たった数日で辿り着いたのである。


 現在、工房の前では、代理人の助手───即ち、『代理人の代理人』が、箱の中身を受け取るために待機している。

 その人物は、幼い少女の姿をしていた。

 しかし、彼女はただの少女ではない。

 彼女がこの家を訪れ、伊崎と対面した瞬間、伊崎はそれを瞬時に理解した。

 少女の体から、妖気を感じ取ったのである。

 体から放たれる妖気───そこから導き出される答えはいくつもあるが、最も可能性の高い答えはたった一つ。

 即ち───その少女が妖怪である、ということである。


 代理人から連絡を受けた際、既に彼から、そのことを聞かされていた。

 ───後日、自分の助手をそちらに向かわせる。

 その助手は、少女の姿をした妖怪だが、自分が信頼している助手である───と。

 そして同時に───封印を解除したら、その箱を彼女に渡してほしい───とも伝えられた。


 代理人のその言葉を聞いた時、伊崎は一瞬動揺し、困惑した。

 伊崎は、退魔師専門の武器商人である。

 妖怪相手に商売をしたことなど、これまでに一度もなかった。

 そんな自分が、妖怪を相手に商売をすることなど、あって良いものだろうか。

 ひょっとしたら自分は、代理人とその助手に騙されているのではないか───ちらりと、そう思ったのである。

 しかし伊崎は、自分が思い浮かべたその考えを、即座に否定した。

 伊崎は、代理人の人となりをよく知っていた。

 彼は決して、味方側の人間を騙すような人間ではない───それは、これまでに伊崎が、彼との交流の経験を通じて導き出した答えであった。

 そして───そんな彼が、『自分が信頼している助手だ』というのであれば、彼女もまた、信用して良いはずだ。

 ならば、自分もその少女を信じてみよう───そう思い、代理人と助手を信用し、仕事の内容を承諾したのである。


(へっ・・・まさかこの俺が、妖怪相手に商売することになるたァな・・・)

 伊崎は、苦笑しながらそう思った。

 そして、即座に口を引き締め、気を送り込むことに意識を集中させた。

 余計なことを考えている暇はなかった。

 気を送り込むことに集中し、一秒でも早く解除をしなければ。

 そう思い、頭の中で、気を送り込むイメージを作ることに集中した。


 やがて───決して短くはない時間が過ぎた。

「・・・・・」

 伊崎が、両目を開く。

 目に映るのは、闇に包まれた工房内の姿。

 箱は闇に溶け込んでおり、伊崎には視認できない。

「・・・・・」

 伊崎は、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、頭上にぶら下がっている電灯に、明かりを灯した。

 その一瞬で、白髪頭をバンダナで包んだ伊崎の顔が、照らし出されていた。


「・・・っ」

 久しぶりの眩い光に、思わず目が怯んだ。

 素早く目を閉じ───そして、ゆっくりと目を開き始めた。

 最初は明る過ぎるように感じて何も見えなかった。

 しかし、目を徐々に開いていくと、段々と目が慣れ始め、光によって照らし出された工房の内部が見えるようになった。

 壁際に設置してある棚。

 そこに置かれている書物。

 巻物。

 様々な資料。

 そして、複数の工具箱やコンテナ。

 その中に収めてある、工具や完成した武器。

 これから武器になる予定の素材、武器を作る工程で発生した素材の余り物。

 それら全てが、伝統の眩い輝きによって照らし出されていた。


「・・・・・」

 立ったままの伊崎は、己の足元に視線を落とす。

 その床には───全体に護符が貼り付けてある長方形の箱が、鎮座していた。

「・・・・・」

 伊崎は座り込み、箱に手を掛ける。

 そして、護符の中の一枚を、箱から剥がし始めた。

 慎重に。

 ゆっくりと。

 丁寧に。

 眠っている獰猛な獣の近くを通るために、そろそろと音を立てぬよう歩く───そんな様子に似ていた。


 やがて───一枚目の札が、完全に剥がれた。

 剥がした箇所から、僅かに箱の木目が覗いている。

 しかし、これで終わりではない。

 伊崎はすぐさま、二枚目に取り掛かる。

 これもまた、丁寧に剥がしていく。

 剥がし終えると、次は三枚目に。

 四枚目、五枚目、六枚目───剥がし終える度に、次の札へと手をつけていく。


 そして遂に───すべての護符が、箱から取り除かれた。

 護符が無くなったことで、ようやく木箱が本来の姿を見せた。

 年季を感じさせる色合いを持った、古い木箱であった。

 その箱の蓋を、伊崎はまた丁寧に開ける。

 中には───黒い布袋で覆われた、長い物が入っていた。

 それが何なのか、他者が傍から見ても分からないであろう。

 しかし、布に包まれた『それ』が、奇妙な雰囲気をまとっていることだけは、理解できるはずであった。

 そして───『それ』が、とても危険なものであることも。


「・・・・・」

 伊崎は、箱に収められたそれを、右手で掴み取る。

 それを顔に近付け、まじまじと見つめる。

「・・・良し」

 ただ一言そう呟き、頷いた。

 そして、すっと立ち上がり───背後を振り返り、工房の戸を開けた。


 そこには───

「・・・!伊崎さん!」

 代理人の助手が───マリーと名乗った妖怪の少女が、佇んでいた。

「どうだった・・・!?」

「おう、嬢ちゃん。上手くいったよ。何とか封印は解いたぜ」

 にやりと笑い、伊崎が右手に握っている『それ』を掲げて見せる。

 マリーはそれを見ると、不安気な表情から一変して、ぱっと明るい顔になった。


「ほれ」

 伊崎は、妖怪の少女に、黒い布に包まれた『それ』を差し出す。

 それをマリーは、やや緊張気味に、両腕で抱きかかえるような形で受け取る。

「わ。お、重いね」

「鉄だからな。道端に転がってる棒切れたァ訳が違うぜ」

 受け取った物の重量感に戸惑うマリー。

 その様子を見て、伊崎は笑いながら言った。

「アンタら妖怪にとって『それ』は、めちゃくちゃ危ねえ代物(しろもン)だ。それを青木の坊主に届けるまで、絶対に途中で抜くんじゃあねえぞ。もしそんなことしちまったら、アンタが『それ』にやられちまうかもしれねえかンな」

「う、うん、分かった」

 伊崎の忠告を受け、マリーはぎこちなく返事をする。

 顔が強張っていた。

 自身がこれから運ぼうとしている物への畏怖が、心の中で強まったようであった。


「よし、いい子だ。そんじゃ───っとと・・・」

 その時、伊崎がよろめいた。

 廊下の壁に背を預け、その場にへたり込む。

「い、伊崎さん!大丈夫・・・!?」

「へへ・・・ちょいと寝不足だったからなぁ・・・。心配いらねえよ、丸一日でも寝てりゃあ治らぁ」

 伊崎は、苦笑しながらそう言った。

 直後、その表情が、真剣味を増したものになる。

「・・・俺よりも辛ぇのは、青木の坊主の方さ。あいつがこれからやろうとしてるのは、ただ普通に妖怪や悪霊共をぶっ倒すことよりも辛ぇことだ。それに比べりゃ、俺の疲れなんざ屁でもねぇよ」

「伊崎さん・・・」


 眉を寄せ、伊崎の顔を見つめるマリー。

 伊崎は、彼女に目を向けると、わざとにかっと笑って見せた。

「そんなことより、良いのかい嬢ちゃん。急がねぇとマズいんだろ?ボヤボヤしてると、おっ始まっちまうぜ」

「あ・・・そ、そうだった・・・!」

 伊崎の言葉に、ハッとした表情になるマリー。

 抱きかかえた黒く長い袋を、一層強く抱き締める。

「それじゃあ、ありがとう伊崎さん。行ってきます・・・!」

 そう言って、マリーは廊下の先にある玄関に向かって駆けていった。

「おう。気ィ付けてな」

 伊崎は口元に笑みを湛えたまま、そう言った。

 そして、マリーが玄関を飛び出していくまで、彼女の背中を見守っていた。


 マリーが、玄関の戸を閉める。

 静寂が再び、伊崎の家に帰って来る。

 伊崎は、その静かな雰囲気に浸りながら、廊下の天井を仰ぎ見た。

「・・・青木よぉ」

 そして───ぽつりと、言葉を漏らした。

「・・・今度こそ、上手くやるんだぞ」

 次の投稿日は未定です。


【追記】

 次は、火曜日の午後8時過ぎに投稿する予定です。

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