祖父の現影 十三
「ああ、そう言えば───」
「?」
その時、衛が『何かを思い出した』というような調子で声を出した。
ちらりと───明日香の方を見て、問い掛ける。
「明日香ちゃん、さっき『怖い夢を見るようになった』って言ってたよな」
「え?・・・ああ、言われてみれば、その先の話は中断になっちゃってましたね」
「ああ。もし良かったら、どんな夢を見たのか、ちょっと教えてもらえねえかな。ひょっとしたら、嫌な気分にさせちまうかもしれないけど」
「あ、いえ、大丈夫ですよ」
明日香はそこで、食器を水で洗い流す動作を、僅かに遅くした。
「・・・その、実は───」
そして───明日香は、自分が見るようになった夢について、衛に語り始めた。
祖父を亡くしたあの日から見るようになった夢を。
祖父の遺体を見つけた、あの絶望の光景を。
ぽつり、ぽつりと。
自身の中から再び湧き上がる不安の感情を堪えながら、ゆっくりと話し続けた。
「・・・・・」
明日香の話を聞き終えた衛は、しばらく沈黙を保っていた。
皿を磨いていたはずの手の動作も、酷く緩慢なものになっている。
表情は───何故か、やや苦し気であった。
「・・・・・それが、君が見た夢かい?」
「・・・はい」
呻くような声で問い掛ける衛。
それを聞いた明日香は、隣でおずおずと頷いた。
「・・・ここ一年、ずっとその夢を見続けてきました。今日も、気絶してる時にその夢を見たんですけど・・・ただ、今日見た夢は、いつもと様子が違ってて・・・」
「・・・?『違う』って?」
怪訝な顔で、衛は明日香に尋ねる。
「・・・その・・・あの・・・なんというか・・・」
明日香は、やや歯切れの悪い言葉を漏らす。
額からは、じわりと冷や汗が浮かび始めていた。
夢の内容を話すために、記憶の糸をたぐり寄せようとし───恐怖が甦ったのである。
(・・・大丈夫。あれは夢。ただの夢なんだから)
明日香は心の中で、己にそう言い聞かせた。
そして、心が落ち着くまで待った後、ゆっくりと打ち明けた。
「・・・実は、いつも見ていた夢の続きを見たんです。・・・いつもは、おじいちゃんの遺体を見つけたら、すぐに目を覚ますんですけど・・・今日の夢は、その後に続きがあったんです」
「続き・・・?」
「はい・・・。倒れているおじいちゃんが、ゾンビみたいに生き返って・・・そして、言うんです。『私を殺した奴を殺せ』って───」
その時───
「!」
衛の動作が、止まった。
それまで、緩慢になりつつも、丁寧に皿を磨き続けていた手の動きが、完全に停止していた。
「・・・青木さん?」
そんな衛の様子に、明日香はワンテンポ遅れて気付いた。
一体どうしたというのか。
そんなことを考え、無意識のうちに、隣の衛の顔色を伺う。
「・・・・・」
衛は、沈黙したままであった。
その表情は───硬い。
ただひたすらに硬い。
眉間に無数の皺が寄り、瞳は手に持った皿をじっと見つめている。
その表情から、衛が何を考えているのかを読み取ることは、明日香には出来なかった。
表情に込められているものが、あまりにも複雑すぎて───明日香には、見当もつかなかった。
「あ・・・青木さん・・・?」
明日香は恐る恐る、衛に声を掛ける。
その瞬間、衛の体が一瞬、びくんと揺れた。
「・・・!あ───」
ちらりと、衛が明日香を見る。
目が僅かに丸くなっていた。
が───すぐに、先ほどと同じような、感情が読み取れない表情になっていた。
「・・・いや、何でもない。ちょっと驚いただけだよ」
衛はそう言うと、再び視線を皿に戻す。
それから、躊躇いがちな様子で、明日香をまた横目で見た。
「・・・・・。・・・それが、続きの内容かい?」
「・・・・・はい」
こくり、と。
震えながら、明日香は頷き、返事をした。
「ただの夢だって・・・・・『気にする必要なんかないんだ』って・・・何度も自分に言い聞かせたんです・・・。・・・だけど・・・あの時のおじいちゃんの遺体を見たら・・・夢だとはとても思えなくて・・・」
「・・・・・」
「青木さんは、おじいちゃんの死因を知っていますか・・・?」
「死因・・・」
明日香の問い掛けに、衛は短く、そう呟く。
そして、しばらく黙り込む。
十秒ほど経過した後、衛は、やや硬い調子で答えた。
「・・・いや、知らない。俺は、仕事で葬儀に参列出来なかったから。・・・人づてに訃報を聞いたんだ。けど、死因については・・・」
「そう・・・ですか・・・」
衛の答えを聞いた明日香は、ただそう言った。
そして、迷いつつも、明日香は続きを口にした。
「・・・あたしがおじいちゃんの遺体を見つけた時、遺体には殴られたような痕があったんです。・・・だけど、検死の結果、おじいちゃんの死因は、心臓発作だって言われて・・・。おじいちゃんの体の痕には、何も触れられなくて───」
「・・・!?・・・それ、本当か・・・?」
隣から、衛の驚愕の声が聞こえた。
明日香は、衛の顔に目を見やる。
無感情であったはずの表情は、大きな驚きによって塗り潰されていた。
「・・・あ・・・遮ってごめん。話、続けてくれよ」
衛はそう謝罪。
そしてまたしても、何を考えているのか分からない表情を浮かべていた。
まるで、仮面で自らの意志を覆い隠そうとしているような───先程から、衛はそんな様子であった。
明日香は、衛のそんな様子を見て、廉太郎の死にまつわる謎を耳にしたことで、冷静さが保てなくなっているのであろうと考えた。
そして、必死に心を落ち着けようとしているのであろう、と。
親しい人の死の原因が、何者かによる殺害であった───そう聞かされて、冷静さを保っていられる者など、ほとんどいない。
衛が動揺するのも、当然であろう。
明日香はそんなことを考える傍ら、、これから己が打ち明けようとしている考えを耳にして、衛がどんな表情を見せるのだろうと思った。
どんなことを考え、自分に話してくれるだろうと思った。
そして明日香は───意を決し、一年間胸に秘めていた考えを、衛に打ち明けた。
「・・・あたし、実は・・・おじいちゃんは、誰かに殺されたんじゃないかって思ってるんです・・・。誰かが殺して・・・それが分からないように、犯人が揉み消したんじゃないかって・・・考え過ぎなのかもしれないんですけど・・・」
「・・・・・」
「もし・・・あたしが考えてることが本当なら・・・」
「・・・本当なら?」
衛が、酷く低い声を出して問う。
それを隣で耳にする明日香。
一度目を閉じ、しばらくしてまた開く。
そして───
「・・・犯人を、絶対に許さない。・・・あたしが必ず・・・おじいちゃんの仇を討ちます」
怒りと闘志によって震えた声を、口からこぼした。
「・・・・・」
「・・・・・」
───誰も、声を発さなかった。
衛も、明日香も。
聞こえるのは、蛇口から流れ出る水の音。
そして、座敷部屋を片付ける音と、マリーと舞依の声。
それらを除けば、完全に無音となるであろう。
───沈黙。
冷気を感じさせるほどの、肌が凍り付きそうなほどの沈黙であった。
その沈黙を最初に破ったのは、衛であった。
「・・・明日香ちゃん」
「・・・?はい・・・?」
衛の声。
それに対し、明日香が小さく返事をする。
「・・・・・」
衛は、しばらく何も喋らなかった。
無表情だが、やや伏し目がちな目をしていた。
───やはり明日香には、その表情の裏に隠れた感情が読み取ることは出来なかった。
「・・・あのさ」
三十秒ほど経った頃であろうか。
衛が、ようやく言葉を紡ぎ始めた。
「・・・・・実は・・・・・東條先生のことなんだけど───」
───その時であった。
「・・・!っぐ・・・ぅ・・・!」
明日香の頭に、あの激痛の波が押し寄せた。
万力でぎりぎりと潰すような、凄まじい苦痛。
思わず明日香は、頭を押さえ、その場にしゃがみ込む。
「・・・!?明日香ちゃん!?」
明日香の名を叫ぶ衛。
その声を聞きつけ、マリーと舞依も台所へと走って来る。
「何!?一体どうしたの!?」
「・・・!?明日香ちゃん、しっかりするんじゃ!!」
「明日香ちゃん・・・!?おい、明日香ちゃん!!」
三人の声が、明日香の耳に入って来る。
しかし、その声も、次第に遠のき始める。
明日香の全身を、世界から隔絶されるような感覚が襲う。
───力が抜ける。
───血の気が引く。
───何も見えない。
───何も聞こえない。
そして───明日香の意識は、またしても落ちていった。
次の投稿日は未定です。
【追記】
次は、金曜日の午前0時に投稿する予定です。




