祖父の現影 十二
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それから衛は、体調を崩している明日香の代わりに、近所のスーパーで買い出しを行った。
そして帰宅した後、皆で協力して夕食の準備をした。
明日香と衛は調理を。
マリーと舞依は、座敷机の清掃と配膳を───といったように、担当する作業を分担し、準備に取り掛かった。
家事には慣れている───衛が言ったその言葉は、正しかった。
衛の料理の手際は、実際のところ、かなり手慣れたものであった。
丁寧に野菜を切り、無駄なく調理を行う衛の姿を見て、隣でサポートをする明日香の口から感嘆の声が零れるほどであった。
明日香自身も、料理には多少自身はあった。
しかし、衛の腕前はその上を行くものであった。
プロの料理人と比較すれば、まだ彼は未熟なレベルなのかもしれないが、それでも明日香は、衛の料理のテクニックを目の当たりにして、舌を巻く事しか出来なかった。
やがて───料理が出来上がった。
鯖の塩焼き、醤油味の団子汁、ごまだれで和えたほうれん草、そして主食の白飯。
以上が、出来上がった夕食の献立であった。
何の変哲もない、極々一般的な和風料理の数々。
しかし明日香は、それらを目にして驚いた。
嫌いな料理があった訳ではない。
このおかずの中に、嫌いな料理は一つもない。
それどころか、それらは全て、明日香の大好物ばかりであった。
では何故、明日香は驚いたのか。
それは───これらの料理は全て、廉太郎の得意料理だったからであった。
小さい頃から、廉太郎がよく調理し、食べさせてくれた料理。
明日香にとっての思い出の料理───それが、偶然にも衛の手で再現されたのである。
味は───廉太郎が作ってくれた料理とそっくりな味がして、とても美味しかった。
そして、とても懐かしい温もりを感じた。
祖父が一生懸命作ってくれた料理。
それを初めて食べた幼少の頃の記憶が蘇り───自然と、明日香は満たされた気持ちになり、笑みがこぼれた。
そして。
食事を終えた後、明日香と衛は流し場に並び立ち、食器を洗っていた。
衛は泡立ったスポンジで食器を磨き、明日香は食器に付着した泡を洗い流している。
マリーと舞依は、座敷机の上に広げてある、汚れた器や皿を、流し場まで運ぶ役割を任されていた。
「ありがとうございます、青木さん。後片付けまで手伝ってもらっちゃって」
明日香は水洗いをしながら、衛に礼を言う。
「気にすんなよ。突然お邪魔した上に、メシまでご厄介になっちゃったんだ。このくらいの恩返しはしとかなきゃ」
優しい口調でそう言いつつ、衛は皿を磨き続ける。
その仕草は、貴重な骨董品を扱うかのごとく丁寧なものであった。
「料理はどうだった?口に合ったかい?」
皿を磨きながら、衛は傍らの明日香に問い掛ける。
「はい、すごく美味しかったです。私の好きなものばかりでしたし」
「そりゃ良かった。・・・あの献立な。実は、以前俺がこの家を訪ねた時に、東條先生が昼食で作ってくださったものなんだ」
「えっ、そうなんですか?」
驚いた表情で、そう尋ねる明日香。
衛は、磨いている皿から視線を動かすことなく、頷く。
「ああ。先生、嬉しそうに仰ってたよ。『私は、これが得意料理でね。明日香が小さい頃から、よくこれを作って食べさせていたんだ。美味しい美味しいと言って喜んで食べてくれる姿を見ていると、こちらも幸せな気持ちになるんだ』って。先生のその言葉を思い出して、試しに今晩の料理で作ってみたんだ」
「そうだったんですか・・・」
明日香はそう呟く。
そして、嬉しさから笑みがこぼれるのを抑えられなかった。
「・・・余計なことしたかな」
「いいえ・・・ありがとうございます。おかげで、小さい頃の気持ちを思い出せました。おじいちゃんが、頑張ってあたしのために料理してくれた時のこと・・・それと、それを喜んで食べてた時のことを」
「・・・ん。そっか」
明日香の礼の言葉を聞いた衛は、短くそう返した。
ちらりと───明日香は、衛の顔を見た。
衛は、相変わらず己が磨いている皿から目を離さない。
その表情は、相変わらずの無表情。
しかし、一瞬───目が、優しげな形を作っていた。
その様子を見て、明日香はまた、笑みをこぼした。
「それにしても・・・青木さん、本当に家事がお上手なんですね」
「小さい頃から、ばあちゃんに仕込まれてたからな。生まれつき不器用な性質だったけど、このくらいなら、特に苦労せずにやれるよ」
むっつりとした表情のまま、衛はそう言った。
しかし、声の調子には、どこか誇らしげな雰囲気が漂っていた。
衛の話によると───明日香と同じく、彼もまた、幼い頃に両親を亡くしたとのことであった。
当時、衛に残された肉親は、まだ物心もついていない弟と、父方の祖母のみ。
彼の祖母は、彼ら兄弟を、亡くなった両親の代わりに、しっかりと育ててくれたのだという。
───自らの命が尽きる、その時まで。
「・・・そんな身の上話を、東條先生と酒を飲んでいる時にもしたんだ。そうしたら・・・ふと見たら、東條先生の目から、涙がこぼれてたんだ。・・・ぎょっとしたよ。俺、何か悪いこと言っちまったのかなぁと思って・・・。・・・けど、違った」
衛は、懐かしむような声を喉から絞り出し、明日香に語り掛け続ける。
「・・・東條先生は、俺に共感してくださってたんだ。あの人は、誰かを思いやる気持ちが、本当に強かった。他人の痛みや悲しみを理解できる・・・そういう人だったんだ」
「ああ、確かに・・・おじいちゃん、そんな人でした」
明日香が、くすくすと笑いながら口を開く。
「おじいちゃん、他の人に起こったことを、自分のことのように一喜一憂する人でしたから。良いことがあったって聞いたら喜んで、嫌なことがあったって聞いたら怒って。そして、悲しいことがあったら、一緒に悲しんでくれる。・・・本当に、優しい人でした」
寂しげな笑みを浮かべ、そう語る明日香。
衛は、そんな彼女を一瞥し───再び更に視線を戻し、小さく頷いた。
「本当に・・・本当に優しい人だった。俺のことも、まるで本当の家族のように思って下さった」
「おじいちゃん、あたしにも言ってました。『青木君は、私にとっては本当の孫のような存在だよ』って」
「・・・そっか」
衛は、静かにそう呟いた。
しかし───声に宿った喜びの感情は、そう大きくはなかった。
どちらかと言えば、悲しみの感情が大きい───明日香には、そのような声に聞こえた。
衛の話を聞きながら、明日香もまた廉太郎のように、衛に対する共感、親近感といったものが湧くのを感じた。
───自分と彼は、身の上が似ている。
育ててくれた者の性別や、弟の有無などといった違いはあるが、それでも、自分と衛は、境遇がこの上なく似ている───明日香は、そう思った。
(まるで、お兄ちゃんが出来たみたい)
明日香はそう思い、僅かに微笑した。
いや───『みたい』ではない。
祖父は言っていた。
青木衛は、本当の孫のような存在だ───と。
祖父がそう思っているのであれば、廉太郎の孫である自分にとっても、本当の兄のような存在なのだ。
そう考え───明日香は心の中で、家族がいるという喜びを───一人ぼっちではない喜びを噛み締めた。
次の投稿日は未定です。
【追記】
次は、木曜日の午前0時に投稿する予定です。




