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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第十話『祖父の現影』
138/310

祖父の現影 十二

9

 それから衛は、体調を崩している明日香の代わりに、近所のスーパーで買い出しを行った。

 そして帰宅した後、皆で協力して夕食の準備をした。

 明日香と衛は調理を。

 マリーと舞依は、座敷机の清掃と配膳を───といったように、担当する作業を分担し、準備に取り掛かった。


 家事には慣れている───衛が言ったその言葉は、正しかった。

 衛の料理の手際は、実際のところ、かなり手慣れたものであった。

 丁寧に野菜を切り、無駄なく調理を行う衛の姿を見て、隣でサポートをする明日香の口から感嘆の声が零れるほどであった。

 明日香自身も、料理には多少自身はあった。

 しかし、衛の腕前はその上を行くものであった。

 プロの料理人と比較すれば、まだ彼は未熟なレベルなのかもしれないが、それでも明日香は、衛の料理のテクニックを目の当たりにして、舌を巻く事しか出来なかった。


 やがて───料理が出来上がった。

 鯖の塩焼き、醤油味の団子汁、ごまだれで和えたほうれん草、そして主食の白飯。

 以上が、出来上がった夕食の献立であった。

 何の変哲もない、極々一般的な和風料理の数々。

 しかし明日香は、それらを目にして驚いた。

 嫌いな料理があった訳ではない。

 このおかずの中に、嫌いな料理は一つもない。

 それどころか、それらは全て、明日香の大好物ばかりであった。

 では何故、明日香は驚いたのか。

 それは───これらの料理は全て、廉太郎の得意料理だったからであった。

 小さい頃から、廉太郎がよく調理し、食べさせてくれた料理。

 明日香にとっての思い出の料理───それが、偶然にも衛の手で再現されたのである。

 味は───廉太郎が作ってくれた料理とそっくりな味がして、とても美味しかった。

 そして、とても懐かしい温もりを感じた。

 祖父が一生懸命作ってくれた料理。

 それを初めて食べた幼少の頃の記憶が蘇り───自然と、明日香は満たされた気持ちになり、笑みがこぼれた。


 そして。

 食事を終えた後、明日香と衛は流し場に並び立ち、食器を洗っていた。

 衛は泡立ったスポンジで食器を磨き、明日香は食器に付着した泡を洗い流している。

 マリーと舞依は、座敷机の上に広げてある、汚れた器や皿を、流し場まで運ぶ役割を任されていた。

「ありがとうございます、青木さん。後片付けまで手伝ってもらっちゃって」

 明日香は水洗いをしながら、衛に礼を言う。

「気にすんなよ。突然お邪魔した上に、メシまでご厄介になっちゃったんだ。このくらいの恩返しはしとかなきゃ」

 優しい口調でそう言いつつ、衛は皿を磨き続ける。

 その仕草は、貴重な骨董品を扱うかのごとく丁寧なものであった。


「料理はどうだった?口に合ったかい?」

 皿を磨きながら、衛は傍らの明日香に問い掛ける。

「はい、すごく美味しかったです。私の好きなものばかりでしたし」

「そりゃ良かった。・・・あの献立な。実は、以前俺がこの家を訪ねた時に、東條先生が昼食で作ってくださったものなんだ」

「えっ、そうなんですか?」

 驚いた表情で、そう尋ねる明日香。

 衛は、磨いている皿から視線を動かすことなく、頷く。

「ああ。先生、嬉しそうに仰ってたよ。『私は、これが得意料理でね。明日香が小さい頃から、よくこれを作って食べさせていたんだ。美味しい美味しいと言って喜んで食べてくれる姿を見ていると、こちらも幸せな気持ちになるんだ』って。先生のその言葉を思い出して、試しに今晩の料理で作ってみたんだ」

「そうだったんですか・・・」

 明日香はそう呟く。

 そして、嬉しさから笑みがこぼれるのを抑えられなかった。

「・・・余計なことしたかな」

「いいえ・・・ありがとうございます。おかげで、小さい頃の気持ちを思い出せました。おじいちゃんが、頑張ってあたしのために料理してくれた時のこと・・・それと、それを喜んで食べてた時のことを」

「・・・ん。そっか」

 明日香の礼の言葉を聞いた衛は、短くそう返した。

 ちらりと───明日香は、衛の顔を見た。

 衛は、相変わらず己が磨いている皿から目を離さない。

 その表情は、相変わらずの無表情。

 しかし、一瞬───目が、優しげな形を作っていた。

 その様子を見て、明日香はまた、笑みをこぼした。


「それにしても・・・青木さん、本当に家事がお上手なんですね」

「小さい頃から、ばあちゃんに仕込まれてたからな。生まれつき不器用な性質(タチ)だったけど、このくらいなら、特に苦労せずにやれるよ」

 むっつりとした表情のまま、衛はそう言った。

 しかし、声の調子には、どこか誇らしげな雰囲気が漂っていた。


 衛の話によると───明日香と同じく、彼もまた、幼い頃に両親を亡くしたとのことであった。

 当時、衛に残された肉親は、まだ物心もついていない弟と、父方の祖母のみ。

 彼の祖母は、彼ら兄弟を、亡くなった両親の代わりに、しっかりと育ててくれたのだという。

 ───自らの命が尽きる、その時まで。


「・・・そんな身の上話を、東條先生と酒を飲んでいる時にもしたんだ。そうしたら・・・ふと見たら、東條先生の目から、涙がこぼれてたんだ。・・・ぎょっとしたよ。俺、何か悪いこと言っちまったのかなぁと思って・・・。・・・けど、違った」

 衛は、懐かしむような声を喉から絞り出し、明日香に語り掛け続ける。

「・・・東條先生は、俺に共感してくださってたんだ。あの人は、誰かを思いやる気持ちが、本当に強かった。他人の痛みや悲しみを理解できる・・・そういう人だったんだ」

「ああ、確かに・・・おじいちゃん、そんな人でした」

 明日香が、くすくすと笑いながら口を開く。

「おじいちゃん、他の人に起こったことを、自分のことのように一喜一憂する人でしたから。良いことがあったって聞いたら喜んで、嫌なことがあったって聞いたら怒って。そして、悲しいことがあったら、一緒に悲しんでくれる。・・・本当に、優しい人でした」

 寂しげな笑みを浮かべ、そう語る明日香。

 衛は、そんな彼女を一瞥し───再び更に視線を戻し、小さく頷いた。


「本当に・・・本当に優しい人だった。俺のことも、まるで本当の家族のように思って下さった」

「おじいちゃん、あたしにも言ってました。『青木君は、私にとっては本当の孫のような存在だよ』って」

「・・・そっか」

 衛は、静かにそう呟いた。

 しかし───声に宿った喜びの感情は、そう大きくはなかった。

 どちらかと言えば、悲しみの感情が大きい───明日香には、そのような声に聞こえた。


 衛の話を聞きながら、明日香もまた廉太郎のように、衛に対する共感、親近感といったものが湧くのを感じた。

 ───自分と彼は、身の上が似ている。

 育ててくれた者の性別や、弟の有無などといった違いはあるが、それでも、自分と衛は、境遇がこの上なく似ている───明日香は、そう思った。

(まるで、お兄ちゃんが出来たみたい)

 明日香はそう思い、僅かに微笑した。

 いや───『みたい』ではない。

 祖父は言っていた。

 青木衛は、本当の孫のような存在だ───と。

 祖父がそう思っているのであれば、廉太郎の孫である自分にとっても、本当の兄のような存在なのだ。

 そう考え───明日香は心の中で、家族がいるという喜びを───一人ぼっちではない喜びを噛み締めた。


 次の投稿日は未定です。


【追記】

 次は、木曜日の午前0時に投稿する予定です。

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