祖父の現影 三
連続投稿3日目です。
よろしくお願いします。
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東條明日香は、まだ物心付いて間もない頃、両親を事故で失った。
当時の彼女に、死という概念はまだ良く解らないものであった。
しかし───両親にもう二度と会えないということは、何となく理解できた。
そして、その耐え難い現実に押し潰されそうになり───何度も声を上げて泣いた。
そんな彼女を引き取ったのは、父方の祖父・東條廉太郎であった。
廉太郎は、息子夫婦を失った悲しみに直面しながらも、気丈に振る舞い、明日香を励ました。
お父さんとお母さんの分までしっかりと生きて、幸せになるんだぞ───そう言いながら。
明るく振る舞い、時におどけ、時に真剣に話す───そんな祖父の姿を見て、明日香は次第に元気を取り戻していった。
そして、元気付けられる度に、祖父のことが大好きになっていった。
そんなある日───明日香は、道場で刀を振る廉太郎の姿を見た。
かっこいい───廉太郎が勇ましく刀を操る様を見て、明日香は素直にそう感じた。
その時初めて、廉太郎が剣術の達人であることを明日香は知った。
直後に明日香は、廉太郎に頼み込んだ。
剣の使い方を教えてほしい。
おじいちゃんみたいになりたいんだ───と。
そんな孫の懇願を受けた廉太郎は、大いに驚いた。
廉太郎の息子───即ち、明日香の父親は、廉太郎から剣を学んだことは一度もなかった。
彼は生来、荒事が嫌いな性格で、剣を学んでしまえば、自ら争いに飛び込んでしまうのではないかと危惧していたのである。
そんな息子の性分を、廉太郎も理解していた。
そして、そんな息子に無理矢理剣を指南しても、決して息子のためにはならないということも。
故に廉太郎は、息子に剣を教えたことは一度もなかった。
明日香もきっと、息子の性分を受け継いでいるに違いない。
だから、明日香に対しても、剣術は強制するまい───そう考えていたのである。
しかし明日香は、自ら剣術を修めることを望んだ。
大好きな祖父と、もっと仲良くなりたかったから。
大好きな祖父のように、強くて優しい人間になりたかったから。
それを聞いた廉太郎は、堪らなく嬉しかった。
自分のことをこんなにも慕ってくれる孫のことが、より一層愛しくなった。
その日から───明日香は廉太郎から、剣術を教わるようになった。
廉太郎の指導内容は、幼い明日香にも解りやすいものであり、なおかつ的確であった。
明日香は、祖父から剣を教わることが楽しくて堪らなかった。
少しずつ───しかし、確実に上達しているという実感が、稽古をする度に己の内側を満たしていく。
それが、とても気持ちよかった。
もちろん、楽しいことばかりではなかった。
稽古の内容はハードで、動き終わった後は疲労によりヘトヘトになってしまうことも多くあった。
教わったことが中々上手くいかず、落ち込みそうになることも数えきれないほどあった。
しかし───完全に心を折られてしまうことはなかった。
挫折しそうになる度に、祖父の叱咤激励を受け、何度でも立ち上がった。
時に厳しく、時に優しい祖父の教え。
それを受けていく中で、明日香の剣の腕は、メキメキと上達していった。
しかし、剣術が上達することに比例するように、明日香の内側から、とある疑問の塊が形成されていった。
廉太郎から教わっているこの剣術───『東條流』についてである。
東條流は元々、とある剣術の流派を学んだ廉太郎が、独自のアレンジを加えて生み出した剣術である───明日香は、廉太郎からそう聞いている。
では、源流となったのは一体どんな剣術なのか。
疑問に思った明日香は、何度も廉太郎に訊ねた。
しかし廉太郎は、その度に苦笑いを浮かべながら、答えることをはぐらかすのである。
今はまだ、話せないんだ。
明日香がもっと大きくなって、おじいちゃんを超えるくらいに強くなったら、その時に話そう。
そう言って、回答を先送りにするのである。
その答えを聞く度に、明日香はむくれつつも、渋々待つのであった。
───きっと、何か理由があるに違いない。
大丈夫、おじいちゃんは嘘をついたことはないんだ。
もっと大きくなって、もっともっと強くなれば、きっと教えてくれるに違いない───そう思った。
それだけを信じて、剣に励んだ。
しかし───結局、廉太郎の口から東條流の秘密が語られることはなかった。
その前に廉太郎は、この世を去ったのである。
明日香がまだ、中学三年生の頃のことであった。
その日は、暗雲が空を包み込み、土砂降りの雨が降っていた。
夕方に帰宅した明日香は、いつものように、大きな声で自らの帰宅を宣言した。
ただいま、おじいちゃん───と。
しかし、返事は返ってこなかった。
いつもなら、明日香以上に大きく、明るい声で『お帰り』という言葉が帰って来るのに。
外出しているのであろうかとも思ったが、廉太郎の靴は玄関にきちんと揃えた状態で置いてあった。
屋敷のどこかにいるに違いない。
そう思った明日香は、屋敷中の至る所を探し回った。
居間、座敷、台所、風呂場───全てを、しらみ潰しに探し回った。
しかし───廉太郎の姿はどこにもなかったのである。
最後に探していないのは、道場のみ。
その時、何故か明日香は胸騒ぎがしていた。
理由は分からないが、何故か、良くない予感がしていた。
まさか、祖父に何かが起こったのではないか───根拠も何もなかったが、何故かそう思ってしまった。
それらの不安を必死に押し殺しながら、明日香は道場に向かって走った。
どうか、おじいちゃんが、無事でいますように。
自分の悪い予感が外れていますように───そう願いながら。
しかし、そんな明日香の願いは、道場に入った瞬間、無慈悲に打ち砕かれた。
道場内に、廉太郎はいた。
否───『転がって』いた。
廉太郎は、道場の床の上に横たわっていたのである。
「おじいちゃん!!」
叫ぶ明日香。
目を見開いたまま、祖父に駆け寄った。
そして、祖父の胸板に、己の耳を押し付けた。
心臓は───止まっていた。
既に廉太郎は、息絶えた後であった。
───その後のことは、全く覚えていなかった。
気が付くと、祖父の葬儀は終わった後であった。
鏡を見ると、泣き腫らし、やつれた顔の自分が映っていた。
まるで別人のようであった。
何故自分は、こんな顔になっているのか。
何故自分は、こんなに泣いているのであろうか。
何故自分は、こんなにも悲しんでいるのであろうか。
何度も何度も己に問い掛け───祖父が亡くなったことを思い出し、また泣いた。
検死の結果、廉太郎の死因は心臓発作であった。
おそらく、稽古の際の激しい負担が心臓へと向かい、命を落としたのではないか───そう告げられた。
しかし、明日香は薄々勘付いていた。
祖父の死因が、断じて心臓発作などではないことを。
何故なら───祖父の体の所々には、真新しい傷の痕が付いていた為である。
切り傷や掠り傷ではない。
打撲痕である。
顔、胸元、腕、足───それらに、打撲の痕跡が刻まれていたのである。
廉太郎の遺体を見つけた直後の明日香は、祖父の生死を確かめようと、動揺しながら彼の身体を調べた。
錯乱状態に陥っていた彼女ですら、遺体に残された打撲痕に気付いたのである。
検死に携わった者が、それに気付かなかったはずがない。
おそらく、祖父の死には、何か秘密があるのだ。
裏で何か大きな力が働き、真実が黙殺されたのではないか───そう思った。
しかし、それを証明するには、明日香はまだ幼く、未熟であった。
まだ中学生である彼女に、真実に辿り着く為の力は無い。
そして、その方法も分からない。
そう───今はまだ。
だが、このまま終わらせるつもりは、明日香にはなかった。
必ず、祖父の死の真実に辿り着いてみせる。
もし祖父が何者かによって殺害されたのであれば───犯人はおそらく、未だ野放しのままだ。
だとしたら、自分が必ず倒して見せる。
その為に、今は力を付けるべきだ───そう思い、彼女はただひたすら、剣を振り続けた。
どんな時も、何があっても、彼女は必ず、毎日剣を振り続けた。
何度も。
何度も。
何度でも。
───やがて、次の春が訪れた。
この春、明日香は国立美谷高等学校に進学した。
級友には、幼い頃からの親友がいる。
新しい友人も出来た。
学業は頑張っているし、それ以上に剣の腕も磨いている。
表向きには、何不自由ない生活をおくっているようにも見える。
しかし───祖父を失った彼女の心の傷は、未だに癒えていない。
そして、あの日から明日香の頭は、時折激しい痛みを発するようになっていた。
頭痛の原因は不明。
おそらくストレスではないか───医者はそう言っていたし、彼女自身もそう思っていた。
まだ自分の心が弱い証拠だ。
もっともっと、強くならなければ───そう己を鼓舞し、彼女は剣を振り、学校へと向かい、そしてまた剣を振る。
何度も。
何度も。
強くなるまで、何度でも───
───廉太郎の死から、あと数日で一年が経とうとしていた。
連続投稿は今日で最後です。
続きの投稿日は未定ですが、一週間以内を目標に投稿する予定です。
【追記】
お待たせして申し訳ありません。
次は、土曜日の午前10時に投稿する予定です。




