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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第三話『西洋人形の電話』
12/310

西洋人形の電話 三

【これまでのあらすじ】

 自宅での鍛練を終え、夕食をとろうとしている衛。そこに、マリーと名乗る少女から電話が掛かって来る。『メリーさんの電話』を模倣するように、電話をしながら衛の住居に迫って来る少女。だが衛は、部屋に侵入した妖怪の少女を、後ろ蹴りの洗礼で持て成したのであった。

3       

 その少女──マリーは、静まり返ったリビングのソファーの上で目を覚ました。

「ん……うう……」

 自分は何故こんな所で寝ているのか。

 そもそも、ここはどこなのか。

 そんな様子の表情を浮かべていた。

 

「気が付いたか」

 衛が声をかけると、少女が顔を向けた。

 次の瞬間、その可愛らしい顔が、恐怖で歪んだ。

「え──ぎゃあ!?」

「人のツラ見るなり『ぎゃあ』はねえだろ」

 衛は冷静にそう言った。

 ただでさえ悪人面の衛が、不機嫌そうな様子で睨みつけているのである。

 目を覚ましたすぐ傍に、このような恐ろしい顔をした者がいたのでは、少女が悲鳴を上げるのも無理は無かった。


「お、思い出した……ここは……!」

 どうやら、記憶が蘇ったらしい。

 少女が、『魔拳』と呼ばれている退魔師の住居に襲撃を仕掛けたことを。

 そして、魔拳の背後を取ったまでは良かったものの、攻撃をする間もなく、一瞬で気絶させられてしまったことを。


「ひっ……に、逃げっ、逃げなきゃ──ってあれ、動けない!?」

 すぐに逃げ出そうとする少女。

 だが、ソファーから立ち上がることはおろか、起き上がることさえ出来なかった。

 それもそのはず。今の少女の首から下は、小さめの布団と紐で念入りに縛り付けられ、簀巻きにされていた。


「な、何よこれェ!?」

「悪いが拘束させてもらった。反撃されるかもしれねえからな。さて──」

 衛が手の骨をバキバキと鳴らす。

 少女を見下ろす両目が、すっと鋭くなった。


「目を覚ましたことだし、早速尋問に移る。女子供に乱暴をする趣味はないけど、敵とあらば容赦はしねえぞ」

「ふ……ふん! 何をしたって無駄よ! あたしを舐めないでよね!」

 衛の脅しに、少女は芋虫のようにもぞもぞと動きながら、反抗的な態度を見せる。

 しかし、言葉の内容は気丈なものであったが、瞳の中には確かに怯えの感情があった。


「ほう。随分と強気だな。だが、大人しく話した方が身の為だと思うぜ。さもなくば──」

「……さ、さもなくば……?」

 衛は右手を掲げ、力を込めてゴキゴキと動かす。

 そして、声のトーンを一つ落とし、言った。


「……てめえの顔面を握り潰し、野良犬の餌にする」

「ひっ! い、言います言います!!」

 一瞬で少女は屈服した。

 幾多の修羅場を潜り抜けた退魔師の凄みに、少女が耐えられるはずもなかった。


 その反応を見て、衛が一つ溜め息を吐く。

 そして眼光を若干和らげ、声のトーンを戻して語り掛けた。

「それじゃあ早速聞かせてもらう。名前は確か『マリー』だったな」

「え……ええ、そうよ。あたしはマリー。西洋人形の妖怪よ」

 マリーは警戒しながら、おずおずと話す。


「どうして俺を殺そうとした?」

「こっ、殺そうとなんてしてないわよ! ただ、ちょっと痛めつけて気絶してもらおうと思っただけで……」

「何? どうしてそんな真似を」

「……他の妖怪から襲われないようによ」

 その返答に、衛が眉をひそめる。

 事情がさっぱり呑み込めなかった。


「……とにかく、詳しく話せ。どういう経緯で、お前が俺を襲うことになったのか」

「う、うん」

 衛の様子からは、先程までの凄みが失せていた。

 それに安心したのか、マリーも警戒を解き、大分リラックスしたような調子で語り始めた。


「……あたしは元々、只の人形だったの。贈り物にされたり、骨董屋に売られたりして、何度も持ち主が変わっていった。そうして色んな人の所を渡り歩いているうちに、あたしの中に心が芽生えた」

 そこでマリーの表情が、若干明るいものになった。

「……あたしに心が生まれた時、あたしの持ち主だったのは、一人の女の子だった。さっちゃんっていってね、とっても明るくて、笑顔が素敵な優しい女の子だった。その子のパパが、あたしを骨董屋で見つけて、さっちゃんにプレゼントしたの」

 マリーは嬉しそうな調子で話し続ける。

 その持ち主の事が、余程好きだったのであろう。

 緊張した調子が完全に抜け落ち、饒舌になっていた。


 その様子を見た衛が、マリーに問い掛ける。

「そのさっちゃんって子は、今どうしてるんだ?」

 その言葉を聞き、マリーの表情が硬くなる。

 徐々に暗い表情になり、そしてぽつりと答えた。

「……分からない」


「分からない?」

「うん……。あたしが最後にさっちゃんと一緒にいたのは、さっちゃんの家族と一緒に車に乗るところ。何かの都合で引っ越しをすることになって、新しいおうちにいくことになってたの。でも──」

 マリーの表情が、ますます暗くなっていく。

 不安げな様子が見て取れた。

「気が付いた時、あたしはどこかの海岸に打ち上げられてた。周りには誰もいなかった。さっちゃんも、さっちゃんのパパとママも」

「……」

 不安そうに語るマリー。

 その言葉を、衛は黙って聞いていた。


「……寂しかった。……本当に寂しかったの……。その時、あたしには心はあったけど、体を動かすことは出来なかったから、何日もその海岸に転がってた……」

「……」

「さっちゃんに会いたいって気持ちが強すぎて、その内あたしは完全な妖怪になって、人間のような体を手に入れた。動けるようになって、まず最初にしたのは、さっちゃんを探すことだった……」

「……」

「ずっと探してたの……何日も……何ヶ月も……。その間に、悪い妖怪に何度も襲われた。何とか逃げ続けて、それでもさっちゃんを探し続けて……気が付いたら、六年も経ってた」


 その時、マリーの目に涙が浮かんだ。

 口は震え、次の言葉を発するのも辛そうな様子であった。

「そして、ようやく気付いたの……。『あたしは捨てられたんだ』って……」

「……」

 マリーの目から、涙が零れ落ちる。

 衛は、相変わらずの仏頂面であったが、心の内では、大切な者との別れる辛さに共感していた。

 そんな彼女に対して、何か言葉を掛けようかとも思った。

 しかし、その悲痛な姿を前に、掛ける言葉が見つからなかった。


「それからあたしは、ただひたすら妖怪から逃げ続けた。逃げても逃げても、何度も襲われた。その途中、『魔拳』って呼ばれてる退魔師の噂を聞いたの。どんな強い化け物も、拳一つで退治できる退魔師。あんたのことよね……?」

「……ああ。他の妖怪共はそう呼んでる」

 マリーの問い掛けに、衛がようやく答えた。

 己の声とは思えないほどの低く掠れた声が、衛自身の口から零れた。


「その時のあたしは逃げ続けるので精一杯だったから、その噂を聞いても何とも思わなかった。……でもある日、噂を聞いたの。あたしを襲おうとしてた二匹の妖怪が、あんたに退治されたって」

「……俺が?」

「うん。噂では、その妖怪が、あんたのことをすごく怖がってたって聞いた。他にもあんたのことを怖がってる妖怪が、大勢いるってことも」

 衛が眉をひそめる。

 衛はこれまでに、数えきれない程の妖怪を狩っている。

 マリーを襲った妖怪の正体は、見当もつかなかった。


「その時思い付いたの。そんなに怖がられてる退魔師をあたしが倒せば、他の妖怪たちもあたしのことを恐れて、襲われることもなくなるんじゃないかって」

「……なるほどね。そういう訳か」

 衛がようやく合点がいったという顔をした。

 そして一言付け加える。

「……妖怪から逃げ回ってた割には、えらく度胸のある思い付きだな」

「……自分でもそう思う」

 マリーがばつの悪そうな顔をした。


「第一、どうやって俺を倒すつもりだったんだ。何か妖術が使えるのか」

「い、一応は。……念話と、人物探知だけだけど」

「『人物探知』?」

「うん。道具に妖気を送って、道具の中に残った記憶を読み取って、道具の持ち主の居場所を突き止める妖術なんだけど」

「へえ、便利な妖術持ってるな。……でも、攻撃するための妖術は持ってないんだな」

「うぐ……そ、そうよ。あたしには、闘うための力は全くない。だから、普通に襲っても、絶対に返り討ちにされるって思った。……それで、考えたの。有名な怪談と同じ方法で襲えば、怖がって隙を見せてくれるんじゃないかなって。それで、念話を使って電話を掛けて『メリーさんの電話』の真似をして襲っただけど……失敗だったみたいね」

「……まあ、悪霊とか妖怪とかには慣れてるからな」

 そう言うと、衛は溜め息を吐いた。


「……取り敢えず、大体の事情は分かった。それで、お前はこれからどうするんだ?」

「え、これから……?」

「ああ。俺を倒す作戦は失敗に終わった。もし失敗したら、その後はどうするつもりだったんだ?」

 マリーが不安そうな顔をする。

 しばらく黙り込み──やがて、ぽつりと答えた。

「……考えてなかった。とにかく必死だったから……」


「……やりたいこととかも無かったのか? 作戦が上手くいった後の目的とか……」

「……分からない。分からないよ。……でも……」

 ぽつぽつと言葉を紡ぐ。

 そして一言、消えそうな言葉で呟いた。


「さっちゃんに……会いたい……」


 再び、マリーの目に涙が込み上げる。

 それから一拍置いて、衛が問い掛けた。

「会ってどうするんだよ? 一度捨てられてる上に、もう六年経ってる。またお前を家に置いてくれるかどうかは分からないぞ」

「うん……分かってる。……あたしは人形だから。……どんなに大切な人でも、いつかさよならしなくちゃいけない時が来るんだって分かってる。……でも──」

 次の言葉を発する前に、マリーの顔がくしゃりと歪む。

 その表情の上から、涙が零れ落ちていた。


「このままさよならなんて……絶対にいや。……せめて最後に、どうして捨てたのか聞きたい。……ううん、聞けなくてもいい……聞けなくてもいいから──」

 声が震える。

 嗚咽を堪えながら、思いの丈を言葉にし、衛にぶつけた。


「さっちゃんに、さよならが言いたい……! ……最後に、一度だけでいいから……! さっちゃんに……会いたい……! ……うっ……うぅっ……!」

 そう告げると、マリーは静かに泣き始めた。

 静まり返った部屋に響く、幼い少女の悲しい泣き声。

 それを聞きながら、衛は神妙な顔で、これから自分がどうすべきかを考えていた。


 泣き声が徐々に小さくなっていく。

 それからしばらく経った時であった。

 唐突に、くう、という音が鳴った。

 空腹を告げる音であった。

 しんみりとしたその場の空気に似つかわしくない、可愛らしい音であった。


「……?」

 衛が呆けた顔をする。

 衛の腹の音ではない。

 音の出所は、簀巻きにされたマリーの腹であった。

「……ぁぅ」

 マリーが恥ずかしそうに目を逸らす。

 泣き腫らした顔が、更に赤くなっていた。


「……はぁ」

 衛が一段と深い溜め息を吐く。

 ゆっくりと立ち上がり、簀巻き状態のマリーに近寄る。

 そしておもむろに、紐を解き始めた。


「ちょっと待ってろ」

「……え?」

 マリーを解放すると、衛はキッチンの方へ歩いて行った。その時既に、衛はこれからどうすべきか、腹を決めていた。


 ──それからしばらくして、衛がリビングに戻って来た。

 両手の上には皿が乗っており、リビングを包み込むようなジューシーな匂いを発している。

 衛は無言で、その二枚の皿を、机の上に置いた。

 皿の上には、カレーがよそってあった。

 片方の皿には、カレーの上からラップがしてあった。


「食え」

「えっ……?」

 衛は、ラップが貼られていない方の皿をマリーに差し出す。

 その唐突な行動に、マリーは一瞬拍子抜けした。


「食えよ。逃げ続けてる間、ろくにメシ食ってねえだろ。今の内にたらふく食っとけ」

 衛が無表情のままそう告げる。

 ぶっきらぼうな言い方であったが、その声には微かに優しさがこもっていた。


「い、良いの……?」

「良いぞ」

 衛が冷蔵庫から麦茶入りのペットボトルを出す。

「……これ、毒とか入ってない?」

「入れるか。料理に対して失礼だ」


 衛は二つのコップに、麦茶を注ぎながら続けた。

「……あと、それ食ったら風呂に入れ。寝るときは、空き部屋を一つ貸してやる。今日はゆっくり休め。明日から忙しくなるからな」

「え……どうして?」

「決まってんじゃねえか」

 衛がコップを優しく差し出す。

 自身もソファーに座り、マリーの目を真っ直ぐに見つめ、はっきりと言った。


「さっちゃんを捜し出す。俺が見つけてやる」

「え……!?」


 その言葉に、マリーが驚愕する。

「なっ……何で……? どうして……!?」

「関わっちまった以上、このまま放っとく訳にもいかないだろ」

「い、良いの……? 本当に良いの……!?」

「ああ。もう決めた。男に二言はねえよ」

 そう言い、カレーに掛かったラップを剥がしながら続けた。


「ただし、さっちゃんを見つけた後のことは、お前が考えろ。そこから先はどうするか、どうやって生きていくのかをな」

「う……うん……うん……! ありがとう……!」

 マリーの顔がぱっと明るくなる。

 先程までの悲しい表情が、一瞬で吹き飛んでいた。


 その様子を見て、衛の雰囲気も若干柔らかくなった。

 そして、再びマリーに優しく語り掛けた。

「さあ、早く食えよ。味には自信があるけど、冷めちまったら台無しになるぞ」

「う、うん!いただきます!」

 そう言うと、マリーは幸せそうな顔で、カレーを口にする。

「いただきます」

 それに続くように衛も丁寧に合掌し、カレーを頬張った。


 口に入れた途端、甘さとコクが広がる。

 それに遅れて、じわりと辛さが湧き上がる。

 ゆっくりと咀嚼し、味を堪能し──しっかりと飲み込んだ。

 ──美味い。


「……うっ──」

「?」

 不意に、前から妙な音が聞こえた。

 衛が顔を上げる。

 そして、理解した。

 音の正体は、マリーの声であった。


「うっ……ぅぅ……っく……」

 マリーは、泣いていた。

 涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして、カレーを食べ続けていた。


「……美味いか?」

「……っく……うん……」

 衛の問い掛けに、マリーは泣きながら頷く。

 その反応に、衛は僅かに目を細め──そして促した。

「……お代わり、いっぱいあるからな」

「……うん」

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