ハイパーターボアクセルババア 二十一
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「はぁ───はぁ───うっ───っぐ───はぁ───ぜえ───はぁ───!!」
衛の耳は、風に紛れて鳴り響く己の息遣いを捉えていた。
不規則である。
呼吸が酷く乱れている。
まるで死にかけているような息遣いであった。
しかし、異常が感じられるのは呼吸だけではない。
全身の筋肉と骨も、持ち主に訴えているかのように痛みを放っていた。
そして───大量の食物から摂取した気も、ほとんど残っていなかった。
まさにガス欠寸前である。
「うっ───ゲホッ───っ───はぁ───はぁ───っ───!!」
実際のところ、衛の肉体は限界に達していた。
否───限界など、既に越えていた。
衛が強化術を施し、アクセルババアとかけっこを始めて、二分三十秒が経過していた。
衛が予想していた強化の継続時間を、三十秒もオーバーしていた。
強化の負担に堪えうる余裕が、肉体に秘められていた訳ではない。
それどころか、一分三十秒を経過した時点で、衛の肉体は限界を迎えようとしていたくらいである。
カウボーイは故障によって、衛の遥か後方を走っている。
今やこの高速道路は、衛とアクセルババアの一騎討ちの舞台と化していた。
(クソ・・・全身が・・・千切れそうだ・・・苦しい・・・水が・・・飲みたい・・・!)
全身の苦痛が脳を刺激し、弱音となって衛の心を誘惑する。
───もう止まりたい。
───これ以上走りたくない。
───全身を投げ出して休みたい。
───眠ってしまいたい。
そんな欲望が、衛の心をじわじわと揺さぶっていく。
だが───
(そういう訳にはいかねえだろうが!!)
そんな誘惑を振り払う為に、衛は己に克を入れた。
ここで諦める訳にはいかなかった。
今はまだ、アクセルババアは完全に悪霊になっている訳ではない。
しかし、このまま彼女を放っておけば、いずれ悪霊と化し、今以上に手強い存在となってしまう恐れがある。
そうなってしまえば、彼女を救い出せる確率も大幅に減少してしまう。
だからこそ、これが最後のチャンスだ───衛は、そう思っていた。
ここで諦めてしまえば、アクセルババアを救うことは出来ない。
だから、絶対に諦めない───衛は、そう決意していた。
確かに、強化術の負担は凄まじく、衛の体は限界に近い。
抗体も、底をつきかけている。
しかし、それに反比例するかの如く、衛の体に満ちていくものもあった。
気力───想いであった。
それは一歩踏み出す度に強く、大きく、濃くなっていた。
必ずやあの老婆を、狂気の淵より救い出さねばならぬ───そんな確固たる信念が、衛の体に満ち溢れていた。
今の衛を支え、突き動かしているのは、そんな強い想いであった。
その想いだけで、僅かに残った抗体と走力強化を維持し、衛の体を疾走させていた。
『良いか衛よ。想いを決して絶やすな』
先日の修行の際に、連杰が言っていた言葉が、衛の耳に甦る。
『武心拳は、想いの拳じゃ。強い想いを抱き続けろ。倒したいのならば、倒したいと。救いたいのであれば、救いたいと念じ続けろ。その想いこそが、武心拳の極意じゃ』
静かに───しかし、熱く語っていた連杰の言葉。
それを思い出し、衛の中の想いの炎は、更に激しく燃え上がっていく。
(ああ・・・分かってるよ、爺さん)
己の師匠の言葉に、衛は心の中で答えを返す。
(あの婆さんを助ける。絶対に救い出す。その気持ちだけは・・・!絶対に曲げねぇ!!)
そして、衛は───
「うっ───ぐ───お───」
残り僅かな力を振り絞り───
「お───おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
アクセルババアの背中を目掛け、ラストスパートを開始した。
「ひっ───ぎぃ───!!」
衛の咆哮を耳にし、アクセルババアが、ちらりと振り返る。
一瞬ひきつった表情を浮かべたが、すぐに怒りに満ちた顔へと変わる。
そして、再び正面へと顔を戻し、こちらも全力疾走を開始した。
縮まり始めていた両者の間隔が、一〇メートルほどで維持される。
「っ───嘗め、る・・・なああああああああああっ!!」
衛もまた、全力の更に上をいく全力を引き出し、アクセルババアを追い掛けていく。
じわり───じわり───と。
両者の距離が、またしても縮まり始めた。
「おおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
衛は、己を奮い起たせるかの如く咆哮を上げる。
───辛い。
───止まりたい。
───諦めたい。
心と全身に囁き掛ける誘惑。
それらが、怒号によって蹴散らされていく。
両者の間隔───現在、九メートル。
脚が震え始めた。
上手く力が入らない。
足首が痛い。
膝が痛い。
───もう止めたい。
(絶対止めねえ・・・)
両者の間隔───現在、8メートル。
両腕が痛い。
脇腹が痛い。
胃液の酸っぱい味がする。
───もう諦めたい。
(絶対諦めねえ・・・!)
両者の間隔───現在、七メートル。
唾が喉に詰まる。
上手く呼吸出来ない。
酸素が足りない。
───もう無理だ。
(まだだ・・・絶対に・・・!絶対に助けるんだ!!)
あと六メートル。
苦しい。
耐えられない。
立ち止まりたい。
だが走る。
あと五メートル。
力が出ない。
靴の中から血が溢れる。
虫の息である。
もう止めたい。
でも走る。
朦朧とする意識。
ぼやける視界。
自分という存在が、世界から隔絶されたように感じた。
それでも衛は、苦痛と誘惑を弾き飛ばしながら走り続けた。
速度はもはや、時速二〇〇キロに到達しようとしていた。
そんな高速の世界に衛は生身を晒し、気力のみで駆けていた。
馬場タエを必ず救い出す───その想いを成し遂げる為だけに、命を賭けて。
───その時であった。
『がっ───ぐ───ハァ───はぁ───!』
「・・・!」
衛の耳が、アクセルババアの激しく乱れた息遣いを捉えた。
今や両者の位置は、それほどまでに近い距離にあった。
そこで、衛は気付いた。
アクセルババアの霊気に、変化が起こっていたことに。
彼女を包んでいた負の霊気───怒りと哀しみの霊気が、大幅に減少していた。
あれほどまでに膨大であった霊気が、八割以上潰え、小さく萎んだ状態になっているのを、衛は感じ取っていたのである。
───今ならば、届くかもしれない。
現在のアクセルババアから、狂気は感じられない。
極めて正気に近い状態にある。
今ならば、自分の言葉が、彼女の心に届くかもしれない。
真実を打ち明けることで、彼女を正気に戻すことが出来るかもしれない。
衛はそう考え───意を決し、全力疾走しながら、口を開いた。
「タエ───さん───!タエさん───!俺の話を聞いてくれ───!!」
『───っ、エ!?』
アクセルババアの動揺の声が、前方から流れてくる。
それが耳に入った瞬間、衛は確信した。
助け出せる───と。
『ハァ───ハァ───なん───っデ───ハァ───あたシ───の───なマえを───!?』
「あんたを───うっ、ゲホッ───家族に───!悟君達に───会わせて───あげたいんだ───!!」
『───!?ざとルに───!?』
その瞬間───アクセルババアの声色が、驚愕に染まる。
が、その驚愕の色は、すぐに怒りの色へと変わった。
『ネごと───いってンじゃ───ゲホッ───ないよ───!さとルは───っはぁ───っぐ、あんたたチが───どッかに───』
「違う───!悟君は、元々───っ、ここには───もういねぇんだ───!!」
そう言い終えた瞬間、衛が僅かに体勢を崩した。
もう気力ではカバー出来ないほど、限界を越えていた。
衛は想いと共に、最後の力を己の声に込めた。
「タエさん───!あんたと、っぐ、家族───は───!こ───この───高速、道路で───!」
頼む、届いてくれ───衛は、そう強く念じる。
そして───真実を、アクセルババアに打ち明けた。
「三年前───!皆、事故に遭って───亡くなってるんだッ!!」
───その時。
『───!!』
疾走し続けているアクセルババアの体が、大きくびくりと震えた。
そして、急激に減速を開始した。
同時に───
「・・・っ。ぁ───」
───がくん、と。
衛の全身から、力が抜けた。
動かない。
体が言うことを聞かない。
己の内側が、全て空っぽになってしまったように感じた。
視界は、スローモーションのように下へとスライドしていく。
そして気が付くと───衛の目の前に、今自分が走っていたはずのコンクリートの地面があった。
直後。
衛の全身に、凄まじい衝撃が走った。
次の投稿日は未定です。
【追記】
次は、月曜日の午前0時に投稿する予定です。




