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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第八話『ハイパーターボアクセルババア』
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ハイパーターボアクセルババア 十九

12

「・・・はぁ・・・」

 木梨は、営業用の乗用車のハンドルを力なく握りながら、深い溜め息を吐いた。

 全身の倦怠感が酷い。

 眠気も深刻であった。

 三秒間目を閉じてしまえば、それだけで眠りの世界に落ちてしまいそうなほどに。

 しかし、眠るわけにはいかなかった。

 現在、彼は運転中である。

 事故など起こしてしまえば、会社に多大な迷惑をかけてしまう。

 只でさえ彼は、営業成績の不振から、社内での立場が非常に危うい状態にある。

 もしこれ以上の失態を犯せば、ますます同僚達から蔑みの目で見られてしまう。

 それだけは絶賛にごめんであった。


 木梨は、業務用浄水器メーカーに勤める平社員である。

 昨日、彼が担当している製麺会社の工場から、浄水器の調子がおかしいというクレームが入った。

 そこですぐ様、謝罪と修理を行うべく、その工場へと向かったのである。

 結局、修理が完了したのは、翌日の午前一時───即ち、ほんの二時間ほど前であった。

 仕事が終わった後、彼はすぐに営業車に乗り込み、帰路についたのである。


「・・・はぁ・・・」

 疲労困憊であった。

 飯を食う元気もなかった。

 工場の責任者は非常に気難しい人物で、電話口と眼前で、二度の叱責を食らうはめとなった。

 今でも、責任者が喧しくがなり立てる声が耳にこびりついている。

 それが再生される度に、彼の口からは溜め息がこぼれるのであった。


「・・・はぁ・・・」

 早く帰りたい。

 明日は早朝会議である。

 パーキングエリアで仮眠をとり、そのまま会社に出社するという選択肢もあるが、出来ることなら家で休みたい。

 充分に休む時間があるわけではないが、少しだけでも家にいたかった。

 滅多に休みもなく、プライベートで外出出来ない木梨にとって、自宅は最高のオアシスであった。

 一分一秒でも長く自宅に留まり、社会と隔絶された時間を過ごすこと───それが、ここ最近の木梨にとっての、最良の楽しみであった。


 会社に行きたくない。

 しかし、会社に行かなければ、食っていくことなど───生きることなど、出来はしない。

 木梨はジレンマに陥る苦しみを必死に押し殺しながら、車のハンドルを、また力なく握り込んだ。

 自宅まで、あと二時間はかかる。

 少しでも早く、自宅に辿り着きたい───そう思いながら、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。


 ───その時であった。

『───ぇぇぇぇ───』

「───ォォォォォォ───」

「・・・?」

 音が───否。

 声が、聞こえた。

「・・・『声』?」

 木梨が訝しむ。

 カーステレオは切っている。

 声など聞こえる筈がない。

 では何故声が───?

 不審に思った木梨は、思わず辺りを軽く見回す。


 すると───

「・・・ん?」

 木梨の視線が、右側のサイドミラーに留まった。

 サイドミラーに妙な影が映っていた。

 影は二つ。

 車のシルエットではない。

 それよりも小さく、人のような形をしていた。

 バイクであろうか?

 いや、バイクならばもっと大きいはずだ。

 あの影は、バイクよりも小さい。

 では一体何だというのか───木梨は眉を寄せながら、その二つの影を、更に注意深く見つめた。


 その時───

「・・・・・?・・・・・え!?」

 木梨の背筋に、戦慄が走った。

 二つの影のうちの一つ───前を走っている影の正体に気付いたのである。


『ぎぇェェェェぇぇぇぇェェェェイッ!!』

 それは、老婆であった。

 頭からだらだらと血を流している老婆が、凄まじい速度でこちらに向かって走ってきているのである。


「な、なんっ、何だありゃ!?」

 恐怖と驚愕の感情を堪えながら、木梨はやっとのことで、そう呟いていた。

 信じられない。

 何なんだあれは。

 何故老婆が走っているのだ。

 何故血塗れなのだ。

 何故あんなに必死な顔で走っているのだ。

 混乱する木梨の脳に、そんな疑問が羅列されていく。


 すると───

「───ォォォォォォ───」

「え?」

 いつの間にか、老婆の背後を走るもう一つの影が、はっきりとしたシルエットを作り上げていた。

 木梨は、必死に恐怖を押し殺しながら、その影を凝視した。


 そして───

「・・・!?ひ!?」

 木梨は、もう一つの影の正体に気付いた。

「うぉォォォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ!!」

 後ろの影は───青年であった。

 地獄の悪鬼の如きおぞましい形相の青年の化け物が、血塗れの老婆を全力で追い掛けていたのである。


「ひっ───ひぃぃ!!ひぃゃあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 もう我慢出来ない。

 堪らず木梨は、営業車内で恐怖の絶叫を上げていた。

 老婆も怖い、確かに怖い。

 しかし───老婆を追い掛ける青年の形相と迫力は、血塗れの老婆以上に恐ろしい何かを噴出させていたのである。



「あっ、ああっ、わぁあっ!ひっ、ひっ、ひぃぃ!ヒャアア───!!」

『ギェあがァァァァァァァァァァァァァァァッ!!』

「うおおおおおおおオオオオオオオオオオオオ待ちやがれェェェェエエエエエエエエエエッ!!」

「───アアアアッ!!あっ、あっ、あ・・・。・・・あ?」

 二体の化け物は、木梨の営業車を追い越し、遥か前方へと全力疾走していく。

 両者の雄叫びは、ドップラー効果によって徐々に低くなり───やがて、姿と共に小さくなっていった。

 それから少し遅れて、黒いスポーツカーが木梨の営業車を追い抜いて行ったが、木梨はそのことに気付かなかった。

 二体の化け物の恐ろしさに、放心状態になっていたのである。


「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・!」

 心臓が、激しく音を立てていた。

 まるで、胸に太鼓を埋め込まれているように感じた。

 木梨は、荒くなっている息を整えようと努めた。

 しかし、何度呼吸を繰り返しても、己の肺と喉は激しく酸素を求め続けていた。


 ───何だったんだあれは。

 何だあの化け物は。

 俺は夢でも見ていたのか。

 そうだ、夢に違いない。

 あんなおぞましい化け物、夢以外の場所に現れる筈がない。

 きっと、眠気とストレスがかさなって、あんなものを見たんだ───木梨は己自身に、必死にそう言い聞かせた。


 ふと、目をやると───前方に、パーキングエリアの入り口が見えた。

 木梨は、迷うことなく決断した。

 ───あそこで仮眠をとろう。

 家に帰れなくても良い。

 ここで休んで、早朝会議に直行しよう。

 疲れが溜まったから、あんなものを見たんだ。

 ああ、もう嫌だ。

 何もかも仕事のせいだ。

 こんな仕事、もううんざりだ。

 今すぐ上司のところに行って、辞表を叩きつけてやりたい───そう泣き叫びたい気持ちを堪えながら、木梨は左のウィンカーを点滅させた。

 次の投稿日は未定です。


【追記】

 次は、火曜日の午前0時に投稿する予定です。

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