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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第八話『ハイパーターボアクセルババア』
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ハイパーターボアクセルババア 十七

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 ハイパーターボアクセルババア───馬場タエは、光に満たされた空間の中をさ迷っていた。

 どれくらいの時間、自分がこの光の空間にいるのか───それは分からない。

 何時間か。

 何日か。

 何ヵ月か。

 はたまた何年か。

 それは、全く分からかった。


 何故自分がここにいるのか。

 どうやってここに来たのか。

 それも覚えていない。

 彼女が覚えているのは、家族と一緒に車に乗っていた、その途中までの記憶である。


 あの日、馬場家の四人は、旅行に出掛けた。

 悟の五歳の誕生日───それを祝う為の旅行であった。

 悟が行きたがっていた場所は、馬場家の住居よりも遠くにあった。

 日が昇る前に出発しなければ、その日の内に帰って来ることが出来ないほどに。

 その為、息子の潤平は、日が昇る前の午前二時に出発することを決めたのである。

 当然、時刻は深夜。

 年老いたタエとまだ幼い悟は、乗車してすぐに眠りに落ちてしまった。


 タエが目を覚ましたのは、およそ一時間後であった。

 その時車は、闇に包まれた高速道路を走っていた。

 タエが座っていたのは、後部座席の左側。

 右側に設置されたチャイルドシートには、悟の姿があった。

 安らかにすやすやと眠っている、悟の寝顔。

 それを見て、思わずタエの顔にも、微笑みが浮かんだ。


 そして───記憶は、そこで途切れた。

 確か、爆音と衝撃を感じた気がする。

 それらが何を意味しているのか、それ以上詳しいことは、タエには分からなかった。


 気が付くと、タエはこの白い光の空間にいた。

 暖かい光に満ちた空間。

 その中を、タエは宛もなくさ迷っていた。

 しかし───歩けども歩けども、目の前に広がるのは光ばかり。

 何の変化もなく、人も建物も景色も現れることはなかった。


 しかし───たった一人、タエの目の前に現れる者がいた。

 悟である。

 時折、この光の空間の中に、悟が現れることがあったのである。

 その時、悟は必ず走っていた。

 こちらに背を向け、手足を必死に動かし、走っていた。

 そして、悟は走りながらこちらを振り返り、言うのである。

 おばあちゃん、かけっこしよう───と。


 当然、タエはそのお願いを快く受け入れた。

 朝飯前であった。

 タエの足腰は、年齢の割にはしっかりとしており、いつもわんぱくな悟とかけっこをして遊んでいた為である。

 

 そして───タエはいつものように、悟とかけっこをし始めた。

 タエも悟も、笑いながら走った。

 楽しかった。

 気持ちが良かった。

 孫とのささやかな触れ合いが、タエの心に平穏をもたらした。

 しかし───かけっこを始めてからしばらくすると、悟は淡い光を体から滲ませ始めた。

 それが、悟がこの空間から去る際の合図代わりの現象であった。

 それを目にする度に、タエの心は寂しさで満たされた。

 また一人でこの空間をたださ迷うのかと、孤独の色に染まった。

 次にまた悟が現れるまで、タエは孤独に耐え続けた。

 何度も何度も、そんなことが繰り返し起こった。


 やがてタエは、悟がこの空間に現れるのを心待ちにするようになった。

 誰もいない空間をただ一人でさ迷うことで、じわじわと形を作り上げていた不安の感情。

 悟とかけっこをしている間だけは、その感情を忘れることが出来たのである。


 しかし───ある時タエは、信じられない事態に直面するようになった。

 それは、タエが悟とかけっこをしている間に起こるようになった。

 いつものように、笑いながらかけっこをする二人。

 両者の位置が並ぶ。

 タエが、愛する孫に笑い掛ける。

 悟も、愛する祖母に笑い掛け───


 次の瞬間、強烈な映像と音が、タエの全身を叩き付けた。

 ───ブレーキの音。

 ───傾くトレーラー。

 ───潤平の怒号。

 ───芳美の悲鳴。

 ───こちらに近付く車の天上。

 ───目覚める悟。

 ───押し潰されるその顔。

 ───飛び出す目玉。

 ───己の腹から喉を通る声。

 ───その声が口から飛び出す前に、自身の肉体に伝わる凄まじい苦痛。

 ───そして───そして───


 そしてタエは、思い切り悲鳴を上げていた。

 気が付くと───辺りは、高速道路へと姿を変えていた。

 光の空間ではなく、闇に包まれたハイウェイを、タエは全力疾走していた。

 頭が痛い。

 おびただしいほどの血が、頭から溢れていた。


 そして───悟が先程まで走っていた場所を見た。

 そこに、悟の姿はなかった。

 代わりに走っていたのは、車であった。

 軽トラックであったり、派手な形の車であったりしたこともあった。

 しかし、タエにとって、車種や形などどうでもよかった。

 タエが一番気になったのは、『何故隣を走っていたはずの悟の姿が消え、代わりに車が走っているのか』という点であった。


 ───何だいこの車は!?

 ───アタシの孫は!?

 ───悟は何処に行ったってんだい!?


 当然、タエは激しく動揺した。

 そして同時に───タエの内側から、凄まじい勢いで負の感情が吹き出した。

 畏れ。

 哀しみ。

 憎悪。

 それらが、タエの全身を包み込んでいった。

 そして錯乱状態になったタエは、孫に代わって隣を走る車に、それらの感情をぶつけた。


 ───あんた、悟を知らないかい!?

 ───まさか、あんたが悟をどこかにやったのかい!?

 ───悟をどこにやったんだい!?

 ───返せ、返せ!

 ───アタシの孫を、アタシに返せ!!

 ───返せ返せ返せ返せ返せ返せ!!


『悟を、返せえええええええええええええええっ!!』


 そして───そして───

 気が付くと、タエはふたたび、光の空間の中に戻っているのである。

 そんなことが、これまでに四回あった。

 おそろしい体験であった。

 孫がいなくなり、一人ぼっちになってしまう、二度と味わいたくない夢であった。


 そう感じる度に───タエの心に、疑問が浮かんだ。

 あれは───本当に夢なのか?

 あの映像体験がもたらす感覚───あの現実味は、決して夢で味わえるようなものではない。

 では、あの体験は一体何だったのであろうか───タエは、そう考えるようになっていた。


 しかし───タエの胸には、一つの想いがあった。

 孫の悟を、誰にも渡しはしない───その想いであった。

 あの体験が夢であろうと現実であろうと、それだけは変わらない。

 そして、タエがその想いを抱き続ける理由───それは、悟がいなくなったら、自分が一人ぼっちになってしまうからではない。

 自分が、悟の祖母だから───それだけであった。

 

 そして、今───タエの前に、また悟の姿が現れた。

 前を走っている悟は、いつものように振り返り、笑顔で語り掛ける。

 おばあちゃん、かけっこしよう───と。

 タエもまた、笑顔で答える。

 ああ、良いよ───と。


 タエが走り始める。

 悟との距離が、徐々に縮まり始める。

 両者の身体が並んだ。

 汗が額を伝う。

 辛くはない。

 キツいとは思わない。

 気持ちいい。

 楽しい。

 孫とのかけっこは、本当に堪らない。

 やがて───タエが悟を追い抜いた。

 おばあちゃん、待って───きゃらきゃらという笑い声と共に、背後から悟が声を掛ける。

 そら、今度は悟がおばあちゃんを追い掛ける番だよ───タエはそう言い、後ろを振り返ろうとした───


 その時であった。

『!?』

 タエは全身で、背後から迫る凄まじい気配を感じ取っていた。

 このような体験は初めてのことである。

 あの映像と音が迫る感覚とはまるで違う。

 例えるならば、寒気と熱気が混ざり合ったような風。

 タエは疾走の勢いを殺すことなく、ゆっくりと首を動かす。

 そして、背後を見た。


 そこには───

『・・・な゛!?』

 孫の姿はなかった。

 代わりに、黒いスポーツカーがタエの後ろを追い掛けていた。


 それだけではない。

 走行しているスポーツカーの屋根の上に、一人の男が立っていた。

 ハイウェイの風に黒いジャケットをたなびかせ、腕を組み仁王立ちしていた。

 そして、タエを凄まじい形相で睨み付けていたのである。


『ナ・・・!?なんダいアんダは・・・!?』

 動揺するタエは、思わずそう呟いていた。

 それに対し───

「青木衛───!!」

 仁王立ちの男は───

「魔拳、参上!!」

 腹の底から怒号を放ち、名乗りを上げていた。

 同時に、寒気と熱気の風が、再びタエの全身を強く打っていた。

 その時ようやく、タエは理解した。

 この風の正体は、この青年が発していた気迫であったのだ───と。


 青年は続けて、タエに向かって声を掛ける。

「よォ婆さん───!!」

 そこで青年は、思いきり息を吸い込む。

 肺の中いっぱいに酸素を取り込み───そして、先程の名乗りよりも大きなボリュームで、タエに怒号を放った。

 

「俺とかけっこしようぜ!!」

 次の投稿日は未定です。


【追記】

 次は、木曜日の午前0時に投稿する予定です。

※次回から、投稿時間が午前10時から午前0時に変わります。ご注意下さい。

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