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魔拳、狂ひて  作者: 武田道志郎
第三話『西洋人形の電話』
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西洋人形の電話 二

2        

 某所のマンション、二〇三号室。

 その中にある和室で、一人の青年が座禅を組んでいた。

「…………」

 退魔師、青木衛である。

 グレーの格闘技用のショートパンツに、黒字のTシャツというシンプルな出で立ちであった。

 顔には無数の汗の粒が浮いており、時折、線を描くように首元へと流れていく。


 凶悪な妖怪すら怖れる彼の目は今、静かに閉じられている。

 彼の規則的な呼吸音のみが、和室の中に響いていた。


 衛は現在、自身の気を練り高める、仙術の鍛練法を行っていた。

 ここでいう気とは、生物が体内に宿している特殊な生命エネルギーの事を指す。

 このエネルギーを用いることによって、動物や妖怪は、魔術、呪術、妖術、超能力といった超常的な力を使う事が出来るのである。

 神羅万象、この世に存在する全ての生命には、この気が流れている。


 衛の体内にも、気は当然流れている。

 しかし──衛に内在する気は、他の生物とは異なる力を秘めていた。

 それは、『超常的な力を分解・消滅させ、完全に無効化する』というものである。

 衛は、自身の気が秘めているこの力の事を『抗体』と呼んでいた。


 人外の化け物共との死闘において、抗体は衛が生き延びる為の重要なファクターの一つである。

 その為、衛は日頃から、気を練る鍛練を行っていた。

 今日、衛は早朝から正午にかけて武術の練習に励み、それから自宅に帰って、この鍛練を行っていた。

 退魔師としての仕事がない日は、大抵こうやって、一日を自己鍛練の時間に費やしていた。


「…………フーッ」

 深く息を吐き、両目を開く。

 時計に目を向けると、時刻は既に十八時を回っていた。

 そろそろ腹が空いてきた。一旦切り上げて、早めの夕食にしても良いかもしれない。

 そう思った衛は、座禅を組んでいた足を崩し、おもむろに立ち上がった。


 今日の夕食は、昨晩作った特製の牛筋カレーである。

 具材として、牛筋の他に太めに切った野菜が大量に入っている。

 更に隠し味として、熟し切って黒くなったバナナを投入し、そのまま手を付けず、丸一日寝かせてある。

 甘さ、辛さ、コク──そのどれもが、素晴らしいものになっているはずである。

 香ばしい香りと味を想像するだけで、衛の口の中に唾液がじわりと湧き上がった。

(……早速温めるか)

 そう心の中で独り言ち、キッチンへと向かおうとした。


 その時であった。

 ひっそりとした和室内に電子音が鳴り響く。

 衛の携帯電話の着信音であった。

「……?」

 電話の画面を見る。

 非通知であった。

 仕事の依頼であろうか──そう思いながら、電話に出た。


「はい、青木です」

 手短に挨拶をする。

 相手からの返答はない。


「……仕事のご依頼でしょうか?」

 衛は眉をひそめながら、電話の相手に問い掛ける。

 それでもなお、電話から帰って来るのは無言であった。


「……もしもし?」

 不審に思いながら、再び問い掛ける。

 しばしの無言。

 その後、電話の相手が、初めて言葉を発した。


『もしもし、あたしマリー。今、公園にいるの』

 そう告げると、相手は通話を唐突に切った。


 ツー、ツーという不通音がなっている電話を見つめ、衛が怪訝な顔をする。

「……? 誰だ……?」

 仕事柄、衛は様々な人間と面識を持っている。

 だが、マリーと名乗る人物には会った事は無かった。


 電話の相手の声は、幼い少女の声であった。

 おそらく子供の悪戯か、間違い電話だろう。

 そう思い、衛は気を取り直し、キッチンへと向かった。


 そしてキッチンに到着し、カレーを温め直そうとした時。

 再び、携帯の着信音が鳴った。

(……またか?)

 携帯の画面を見る。

 またもや非通知であった。


「もしもし」

 衛が再び電話に出る。

 すると、今度は無言の間はなく、すぐさま声が返ってきた。


『もしもし、あたしマリー。今、レイニーの前にいるの』

 そこまで言い終わって、また電話が切られた。


「レイニー……? スーパーのレイニーか……?」

 少女の声が示した場所。その場所を、衛は知っていた。

 日本各地に存在する、スーパーマーケットのチェーン店、レイニー。

 衛が住むマンションの近くにも、レイニーはあった。


(そういえば、確かさっきは公園にいるって言ってたな)

 衛の住居に最も近い公園は、レイニーの先にあった。

 レイニーから歩いて五分ほどの所である。


(俺の家に近付いて来てるってことか。 『メリーさんの電話』のつもりか……?)

 都市伝説として知らぬ者はいない程有名な怪談『メリーさんの電話』。

 衛に掛かって来た電話は、その怪談の例と酷似していた。


 報復にしては、妙に手の込んだ真似をする──そう思った。

 衛は仕事柄、怪異と頻繁に戦闘を行っている。

 葬って来た敵の数はもはや数えきれない程であり、退治された者の仲間など、衛に恨みを持った者も少なくはない。

 その為、報復の為に衛を襲撃してくることも数回ほどあった。

 だが今回のように、やたらと回りくどい手段を使うパターンは初めてである。


(……まあいい。今はとにかく飯だ)

 カレーの入った鍋に火を付ける。

 先ほどから腹の音が何度も鳴っており、もう我慢の限界であった。

 腹が減っては戦は出来ぬ。

 もし仮に、この電話が敵の作戦によるものであったとしても、空腹の状態では全力を発揮することなど出来はしないのである。


 数分後。

 鍋の蓋を開けると、グツグツと音を立てながら、カレーが香ばしい匂いを放っていた。

(……美味そう)

 皿に白飯を装い、カレーをかける。

 熱がしっかりと通り、とろとろになった牛筋と、大きめの野菜。

 その視覚的効果により、衛の食欲は更に引き立てられた。


 机に座り、カレーに向かって手を合わせる。

 静かに目を閉じ、食材を作った人々への感謝の気持ちを心に込める。

 そして、カレーの具材として命を散らせることとなった、全ての生命に祈りを捧げ──

「いただきま──」


 ──その時、衛の感謝の言葉が中断される。

 三度目の携帯の着信音が鳴り響いたのである。


「……」

 衛の表情が、見るからに不機嫌そうなものに変わる。

 携帯の画面をみると、やはり不通知であった。


「……チッ」

 舌打ちをし、電話に出る。

「誰だか知らねえが、もう悪戯は止めろ。俺の飯の邪魔をするな」


『も、もしもし、あたしマリー。今、バス停の前にいるの』

 衛の忠告を無視し、相手が一方的に告げる。

 そして、電話を切られた。

 告げられた場所は、更にマンションに近付いた地点であった。


 衛はしばらく、電話を耳に当てていた。

 その後、電話を持つ手をゆっくりと下ろす。


「…………上等だ」

 衛の両目が途端に鋭くなる。

 食事前の穏やかであった雰囲気がピリピリとしたものに変わり、全身から殺気がじわりと滲み出ていた。


(マリーだか何だか知らねえが、俺の飯の邪魔は許さん)

 衛は席を立ち、早足で和室へと直行する。

 そして扉に背を向け、座禅を組んだ。

 静かに目を閉じ、精神を集中させる。

(たっぷりと持て成してやる。俺なりのやり方でな……!)


 座禅を組んで一分後、衛の電話が鳴る。

 衛は目を閉じたまま、電話に耳を当てた。

「……」

『もしもし、あたしマリー。今、あなたが住んでるマンションの前にいるの』

 幼い少女の声。

 そして、電話が切られる。


 衛は目を閉じたまま、更に精神を統一させた。

 近くに、微弱な妖気を感じる。

 詳しい位置などははっきりと分からないが、恐らく、マンションの前の地点にいる。

 妖気の正体は、間違いなく電話の相手──マリーであろう。


「……」

 衛は引き続き、精神を研ぎ澄ませていた。

 部屋中にピリピリとした空気と、重苦しい沈黙が漂い始めた。


 ──それから更に一分後、着信音が鳴る。

 衛はなおも目を閉じたまま、電話に出た。

「…………」

『もしもし、あたしマリー。今、あなたの部屋の前にいるの』

 少女の声の後、またしても一方的に通話が打ち切られる。


 その時、衛がおもむろに立ち上がった。

 両目は相変わらず閉じられたままであったが、全身の不要な力が抜かれ、いつでも動ける体勢であった。

 体から発せられている殺気を押し殺す。

 張りつめていた空気が徐々に緩和されていき、先程まで臨戦態勢であった人間がいたとは思えない程、室内が平穏に包まれた。


 その室内の雰囲気に、小さな妖気と微弱な殺気が混じった。

 放たれている地点は扉の前。

 即ち、衛の真後ろであった。


 その時、背後から僅かに物音が聞こえた。

 おそらく、扉が開く音である。

 同時に、電話が室内に鳴り響く。

 衛は無言で、通話のボタンを押した。


「………………」

 電話を耳に当てる。

 無言のまま、相手が言葉を発するのを待った。

 そして遂に──電話の受話口と、衛の背後から、幼い少女の声が聞こえてきた。


「『もしもし、あたしマリー。今、あなたの後ろ──』」


 その時、押し殺していた衛の殺気が瞬時に膨れ上がった。

「せいッ!!」

 振り返ることなく、背後に向かって後ろ蹴りを放っていた。


「うぎゃっ!?」

 蛙が潰れたような声。

 直後、何かが扉に叩き付けられたような音が鳴る。

 そしてゆっくりと、襲撃者が放っていた殺気が弱まっていった。


「………………」

 殺気が完全に消え去ったことを感じ取り、初めて衛が振り返る。

 足元には、襲撃者と思しき少女が倒れていた。

 泥で汚れたドレスを身にまとった、金髪の少女である。


「……こいつが、飯の邪魔をした犯人か」

 衛がおもむろに近寄り、少女を見下ろす。

「きゅぅ~……」

 少女は目を回しながら、完全に気絶していた。

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