ハイパーターボアクセルババア 二
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時刻は午後九時三十分。
某所マンションの一室、二〇三号室。
その部屋の居間では現在、ささやかな食事が行われていた。
テーブルの上に並んでいるのは、白飯、白菜の漬物、鯖の塩焼き、そして具沢山の豚汁。
シンプルながら、趣を感じさせる献立であった。
それらに箸をつけているのは、三人の人物──正確には、二人の妖怪の少女と、一人の人間である。
妖怪の二人は、西洋人形のマリーと、市松人形の舞依。
人間の一人は、家主の青木衛──ではない。
長いブロンドの髪と、白く美しい顔立ち、そしてプロポーションの整った豊満な肉体。
女性──西洋人である。
彼女の名は、シェリー・タチバナ。
青木衛と協力関係を結んでいる退魔師である。
「遅いわねー、衛……」
白菜をポリポリとかじりながら、マリーがぼやく。
不安そうな表情であった。
「昨日は確か十一時頃に帰って来たのう。今日もそのくらい遅くなるんじゃろうか……?」
箸で丁寧に鯖の身をほぐす舞依。
マリー同様、その顔には衛の身を案じる感情が浮かんでいる。
「今日で一週間になるんでしょう? どんなトレーニングをやってるのか、あなた達は知っているの?」
豚汁を啜り、シェリーが人形達に尋ねる。
わずかな仕草の一つ一つに、気品が漂っていた。
「ううん、あたし達は何も。確かね、『ししょーに稽古をつけてもらいに行く』って言ってたけど」
「『師匠』?」
「うむ。衛が延慶とかいう妖怪に敗れた話はさっきしたじゃろ? その二日後に師匠を呼び出して、稽古をつけてくれるように頼んだようなんじゃ」
「そう──」
二人の回答を聞き、シェリーは短くそう洩らす。
そして、左手に持っていた器を机に置いた。
「『滅掌の延慶』──彼の噂なら、私も聞いたことがあるわ。まさか衛が、彼と立ち合っていたなんてね……」
僅かに目を伏せ、シェリーはそう語った。
衛が敗北した───マリーと舞依からそう聞いた時、シェリーは信じることが出来なかった。
シェリーはこれまでに、数多くの退魔師と出会っている。
その殆どは、数多くの強大な化け物を討伐してきた経歴のある歴戦の猛者であった。
その中でも衛は、抜きん出た実力を秘めていた。
確かに、若さ故に精神的に未熟な面が多少見られるが、そこを除けば、現代の退魔師達の中では最強クラスと言っても過言ではないほどの力を持っているのである。
その衛を、延慶は敗北させたのである。
それも、手加減を加えた状態で。
滅掌の延慶──史上最強の妖怪と評されるその存在の力に、シェリーは心の奥底で戦慄した。
しばらくして、自身が抱いている畏怖の感情を振り払うように、シェリーはかぶりを振った。
そして、再び人形達に問い掛ける。
「衛の様子はどうだったの? やっぱり、酷くショックを受けてた?」
その問いに、人形達は同時に頷く。
「師匠に会いに行くまでは、殆ど何も喋らんような状態じゃった。わしらが声を掛けても、生返事を返すだけの状態じゃった。痛々しくて見ていられんかったのう」
「うん。……あ、でもね。おししょーさんに会った後、ちょっと吹っ切れたような顔して帰って来た」
「『吹っ切れた』?」
「うむ。師匠に会いに行って、数時間後に全身ボロボロの状態で帰って来たんじゃが、顔色は大分良くなっておったんじゃ。どうやら、師匠から助言を貰ったらしい」
「助言、ね……」
人形達の言葉を聞き、シェリーが眉をひそめる。
そして、慣れた手つきで箸を使い、ほぐした魚の身を口に運ぶ。
ほどよい塩気が口の中に広がり、唾液がじわりと滲み出た。
「それから今日までの一週間、ずっとこんな感じじゃ。毎日、朝早くから出掛けて、夜遅くにぼろぼろになって帰ってくる。……全く、一体どんな特訓をしているのやら」
舞依はそう呟くと、呆れるように溜め息を吐いた。
顔には苦笑が浮かんでいた。
「あ!そう言えば──」
その時、何かを思い出したように、マリーが声を上げる。
「帰って来た後、衛が妙に真剣な感じで謝ってきたのよね」
「……? 『謝った』?」
シェリーが不思議そうに問い掛ける。
そこで舞依も、その時のことを思い出し、口を開いた。
「ああ、そういえばそうじゃったのう。あー、確か──『俺は今まで、お前達を心の底から信頼してなかったのかもしれない』とか言っておった」
「え……? 一体どういうこと?」
衛の口調を真似ながら語る舞依。
その言葉の意味が分からず、シェリーは思わず首を傾げてしまう。
そんな彼女の様子を見て、マリーと舞依は説明しようと口を開いた。
「えっとね。こないだの囁鬼の事件の時、洗脳された人達にあたし達が飛び掛かったでしょ?」
「その時のわしらは、怪我をするのを覚悟の上で行動したんじゃが……衛の奴は、自分を責め続けておったんじゃ。その一件もあって、わしらをあまり危険な目に遭わすまいと、わしらを妖怪絡みの事件から遠ざけようとしておったらしい」
「ああ、なるほど。そういうことね」
シェリーが、合点のいったような表情を見せる。
つまるところ、衛と助手達の意識──覚悟の程度や方向──そういったものが噛み合っていなかったのである。
「今思えば、延慶を捜す時にあたし達の力を借りなかったのも、そういう風に考えてたからなのかな」
「……」
「しかし、衛の師匠から、色々と諭されたらしいんじゃ」
「それで、衛も覚悟をし直したらしいのよ」
「し直したって?」
「えっとね──」
そこでマリーは、思い切り眉を寄せる。
大きくぱっちりとした両目は、刃物のように鋭くなっている。
衛を連想させるような目付きであった。
「『今更こんなことを言うのは遅いかもしれねェけど、俺の助手になった以上、お前ェらはこれから先も危険な目に遭うかもしれねェ。……それでも、俺に力を貸してくれるかィ?その覚悟はあるかィ?』って言ってた」
「ぷっ──」
誇張され過ぎて似ていない衛の物真似をするマリー。
それを見て、思わずシェリーは吹き出してしまった。
笑わせることが出来て満足したのか、マリーは表情を戻し、再び語り始める。
「もうね、呆れ返っちゃったもん!妙に真剣な顔して話すから、何のことかと思ったら」
「ふふふ……!」
笑いを堪えながら、シェリーが目尻の涙を拭う。
そして、二人に尋ねた。
「それで──あなた達は何て答えたの?」
「「そりゃあ──」」
その問い掛けに、人形達は同時に口を開き、顔を見合わせる。
一拍置いて、再びシェリーに顔を向け、答えた。
「……おほん。そりゃあもちろん、『今更何言ってんの』って答えたわよ! 退魔師の助手になる以上、そのくらいの覚悟は最初っから出来てるもん! 第一、仮にとはいえ、衛は今のあたし達のご主人様なのよ?」
「うむ。何があっても主人に付き従い、忠を尽くす──それが人形の務めであり、美徳でもあるんじゃ。それをあやつは分かっとらんかったのでな、『馬鹿にするな』と鼻で笑ってやったわ!」
「ふふ……」
憤慨しながら語る、西洋人形と市松人形の怪異。
そんな彼女達の姿を、シェリーは温かい目で見つめた。
「衛が羨ましいわ。あなた達のような優秀なパートナーがいて」
「ふふん、もっと褒めてもいいわよ!」
マリーが偉そうにふんぞり返る。
それを横目に見ながら、舞依が意地の悪い笑みを浮かべた。
「ま、人探ししか能のない半人前のこやつより、わしのほうが優秀なんじゃがな」
「ぬわんですってええええええ!?」
そして、騒がしいいがみ合いが始まる。
その姿は、どこからどう見ても幼い子供の口喧嘩にしか見えない。
彼女達がやかましく声を上げる光景を、シェリーは微笑ましい気持ちで見つめていた。
その時──玄関から物音が鳴った。
扉が開き、閉まる音。
家主が帰宅したのであろう──三人はそう思った。
「もう、やっと帰って来た……!」
喧嘩を中断し、マリーが立ち上がる。
そして、玄関に向かって駆けていった。
「遅いわよ! 今何時だと思ってんのぉぉぉぉぉぉっほっほっほひぃぃぃぃいいいいい!?」
「「!?」」
マリーの奇妙な悲鳴が、玄関から居間へと鳴り響く。
それを耳にし、舞依とシェリーは驚愕に目を見開いた。
「な──何じゃ何じゃ!?」
舞依も立ち上がり、小走りで玄関へと向かう。
「一体何があったぁぁぁぁぁぁぁっはぁいやぁぁああああああああああああああ!?」
「ちょっ──ええっ!?」
続けて聞こえてくる舞依の悲鳴に、シェリーは困惑する。
何が起こったのか──そう思い、シェリーも二人に続く。
「二人とも、一体どうし───っ!?」
玄関へと辿り着き──そこでシェリーは絶句、そのまま立ち竦んだ。
三人が目にしたのは──
「……よォ……今、帰ったぜ……」
──おびただしいほどの血に塗れて座り込む、青木衛の姿であった。
「ど──どうしたの!?」
我に返ったシェリーが、衛の傍へと駆け寄る。
「ま、衛!?」
「何じゃその怪我は!?」
それに遅れ、マリーと舞依も駆け寄ってくる。
その間にシェリーは、衛の怪我の具合を調べていた。
酷い怪我であった。
裂傷と打撲が、全身の至る所に見られた。
それに加え、常人ならば失血死してもおかしくないほど出血している。
意識があること自体が奇跡──そんな状態であった。
「一体どうして、こんな怪我を……! この一週間、帰ってくる時はいつもこんなにボロボロの状態だったの!?」
「そ、そんな訳ないでしょ!?」
「そうじゃ、ここまで酷い怪我は初めてじゃ……!」
そうやって問答をしながら、三人は衛の傷の具合を見ていく。
そして、虫の息の彼に応急処置を施そうと動き始めた。
「……!?」
その時であった。
ぐったりと俯く衛の鼻孔に、『ある匂い』が入り込んだ。
それは、台所から流れ、血の匂いの漂う玄関に紛れ込むように入り込んだ匂いであった。
「この……匂いは……! 豚汁!!」
「「「えっ?」」」
衛が不意に漏らした言葉。
その一言に、動揺していた三人の目が同時に丸くなる。
いきなり何を言い出すのか──それぞれがそう思った、次の瞬間であった。
「豚──汁ゥ!!」
「ぎゃっ!?」
「ひぃっ!?」
「──っ!?」
俯いていた衛の顔が、正面を向いた。
血に濡れ、血走った目を見開いた表情。
それを目にした三人の背筋が、戦慄によって凍り付いた。
「メシ……メシだ……! 俺にメシを……豚汁をくれ……!!」
「はぁ!?な、何を言ってんのよ!それよりも応急処置が先でしょ!?」
「そんなもん……後回しだ……! それよりも、早くメシを……!」
「ば、バカモン!!早く治療せんと、お前さんが死んで──」
「メシだァァッ!!」
「ひぃっ!?」
その時、舞依に向かって、衛が顔を近付ける。
獣の如き形相の上に、ぬるりとした生暖かい血が、まるでソースのように掛かっていた。
そんな顔が目と鼻の先にあったのでは、舞依の心が恐怖心によって満たされるのも無理はなかった。
「俺に、豚汁を! メシをくれェェェェェェェェッ!!」
「わ、分かった分かった!!分かったから離れんか!!ゾンビみたいで怖いじゃろうが・・・!」
涙目になりながら、衛の懇願を聞き入れる舞依。
このままでは、応急処置もさせてもらえそうにない──そう思い、マリーとシェリーも、仕方なく食事を優先させることにした。
次の投稿日は未定です。
ちなみに今回の投稿分をもちまして、連載百回目に到達いたしました。
前回の後書きにも記しておりましたが、ここまで続けることが出来たのも、読んでくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
これからも頑張って執筆していくので、応援よろしくお願いします。
【追記】
次は、土曜日の午前10時に投稿する予定です。




