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羽撃のアークエネミー  作者: 銀丈
第六章
6/7

胡蝶の夢

 純白の雪原を乱す、黒い白と深紅の巨影。

『ははははははは!!』

『おおおおおぁっ!!』

 吹雪の()に混じる、哄笑、咆哮、金属音。

『てめえのせいで、俺様の居場所がなくなっちまった!!』

 振るわれる、(あか)の拳。

『続きを、聞かせろ』

 返される、白の拳。

 二色の拳それぞれが振るわれるたび、くすんだ白と紅の金属片が飛び散り、吹雪に混ざって吹き飛ばされてゆく。

 極寒の北極圏。

 凍りついた海面に降り立って以降、〈エレイユヴァイン〉と〈ヲルナギウス〉は、闘いと呼ぶことさえおこがましい殴り合いを、既に一時間近くにわたって展開していた。

『てめえが憎い!絶対殺してやる!!』

『そうだ、それでいい!』

『ふざけんなぁっ!!』

 馬鹿にしているようにしか思えないような返事で更に激昂し、〈ヲルナギウス〉がずたぼろの〈エレイユヴァイン〉を滅多打ちにする。

『は――あははははははは!!』

 手当たり次第に拳を打ち込まれながら〈エレイユヴァイン〉が哄笑を上げ、まるで最初から打撃そのものを感じていないかのように体勢を立て直し、大きく振りかぶっての一撃で〈ヲルナギウス〉を後退させる。

『もっとだ――もっと俺を憎め!』

 すかさず跳びかかり、隻腕(せきわん)にも関わらず凄まじい速度で拳を打ち込み返してゆく。

『もっと俺を見ろ! もっと俺を覚えろ!! 俺がここにいることを! もっと深く刻み込め!!』

『グダグダうるせえんだ、てめえはっ!!』

 二つと、一つ。それぞれの拳は、防御などお構いなしに、相手を目指してのみ振るわれる。

『お前だけには――俺を忘れることを許さない!! お前に大事なものがあるなら、全て奪い、壊してやる! だから、俺を見ろ!!』

『知るか! てめえは死んでも許さねえ!! 俺様の居場所を壊しやがったてめえだけは絶対ぇにだ!!』

 繰り出される拳が双方にもたらすダメージはまともに拮抗(きっこう)していた。

 殴っては殴られ、殴り返しては殴り返され……それが延々と続いてゆく。

 空虚な闘いは、未だ終わる気配を見せていなかった。


◇◇◇


 飛び交う情報に混乱を極める≪XENON≫司令室。

「まだかよ! まだ見つかんねえのか!?」

 今発されたもので述べ数十回を数える、焦りと苛立ちの混じり合った白郎の問い。

「――まさかてめえ、サボってんじゃねえだろーな!?」

「む、無茶言わないでくださいよ!」

 胸倉をつかみ上げられながら、オペレーターもなんとか反論する。

「距離を無視して移動してしまう機体が、仮に人気(ひとけ)のない場所を選んで闘っているとしても、海面だけで惑星表面の七割を占めているんです!! それを捜し出すにはほとんど地球全土を走査する必要があるんですよ!?」

「……っ、ちっくしょぉ、どうすりゃいいんだよ!」

 二人の親友が殺し合うのを止めるどころか、それがどこで行われているのかすら解らない無力感に、オペレーターを解放するなりだん! と傍らの壁を叩く白郎。

 青邪と〈エレイユヴァイン〉を失うわけにはいかない、という厳一郎の判断の下、≪XENON≫が総力を挙げての捜索態勢に移ってから、既にかなりの時間が経っている。それでもまだ、手がかりらしきものは全くと言っていいほどつかめていなかった。

「くそっ……!」

「少しくらい頭を冷やされてはいかが?」

 ぶつけどころのない苛立ちを声にして吐き出し続ける白郎に、やって来たトーヴァが声をかけた。

「てめえ――」

 自分とは逆に平静そのもののトーヴァの顔に、反射的に怒りがこみ上げ、白郎はその胸倉をつかみ上げていた。

「なんでそんなに平然としてられんだよ!?」

「……する他ありませんでしょう?」

 白郎の腕を振り払って、トーヴァは珍しく真面目な顔で白郎を見返した。

「わたくしたちに捜索能力はありませんわ。できることは、戦うこと。恐らく、今回は天城さまを救出するために戦うことになるでしょう。肝腎要(かんじんかなめ)のそれに全力を発揮できるよう備えておくことこそ、今わたくしたちの成すべき全てですわ。違って?」

「……まさかてめえに説教されるたあ思わなかったぜ」

 反論できず、白郎は大きく息を吐き出した。

「シャクだけど、確かにてめーの言うとおりだな」

「まあ、つい心配で見に来たわたくしがえらそうに言える義理でもなさそうですけれど」

 なんとなく照れくさくなり、そっぽを向くトーヴァ。

「精霊反応を発するオリハルコンテクノロジーの産物がまだ数えるほどしか存在・確認されていないのが不幸中の幸いですわね。反応さえつかめれば、場所の絞り込み自体は簡単なはずですわ」

「そっか……そんならオレらもさっさとゼノアークに、機体に乗ってるか」

「ええ」

 トーヴァを伴い、白郎は廊下を歩き出した。

「藤堂は……」

 ふと思い出し、呟く。

「あいつのことだから、おまえの言ったこと地で行ってんだろーな」

「ええ。コックピット内で平然と仮眠をとっていますわ。あの神経ばかりは、さすがに真似できませんわね」

「やっぱし……。あいつらしーぜ……」

 呆れ顔を横目に、トーヴァがくすくすと忍び笑いをもらす。

「あん? なんだよ」

「いえ、なんでもありませんわ」

「……? 変なやつ」

 笑いの理由自体が見当もつかなかったため、白郎はそのまま思い過ごして先に歩き出した。

 二十分ほど後。

 データベースの記録と合致する精霊反応を捕捉、という一報が届くなり、白い母艦は北を目指して飛び立った。


◇◇◇


 作り物の体は疲れを知らない。

 どれだけ拳を振るい、互いを傷つけ合おうとも、損傷に伴う痛みが刻まれるだけで、拳の応酬(おうしゅう)そのものが止まることはないのだ。

『く――そっ! いい加減、おとなしく死ねっ!』

 いくらか疲れを含んだユギンクゥアルの声と共に、紅の拳が、白い鋼の顔をひしゃげさせた。しかし当の〈エレイユヴァイン〉は多少よろめいただけで、すぐさま拳を打ち返す。

『ぐぁっ! く……っそ、てめえ、一体何なんだ!?』

 大きく後方によろめきつつ、〈ヲルナギウス〉が訊く。

 ユギンクゥアルは、次第に相手の異様なまでの執拗(しつよう)さに呑まれ始めていた。怒りや憎悪のピークを越えた今、闘いぶりにも最初の勢いを失い始めていたのである。

 自然、激情が押さえ込まれることにもつながり、彼女の頭自体が冷え始めていた。そこに現れるのは、恐怖。

 湧き上がった疑問に対する問いは、

『やめろ――理解しようとするな!』

 どこかせっぱ詰まった響きを伴って振るわれる隻腕によってかき消された。

『ぐはっ!』

『お前は俺を憎むことを、俺の敵であることを選択した! だから、闘え! 憎むことをやめるな!』

『くっ、この――!』

 反撃に出ようとしたとたん、ユギンクゥアルの胸の奥に鋭い痛みが走った。

 これ以上、この人と戦ってはいけない。そんな気がする。

『くそっ、やめろ!』

 伸びてくる腕をさばき、別の方向へそらす。

『大体が、なんだって最初から〈レイアルガイザー〉を、剣を使わなかった!?』

『黙れ!』

『おまえ、実は最初から俺様を殺すつもりなんか――』

『うるさい、うるさい! うるさぁぁぁいッ!!』

 自分の攻撃を受け流しながら続けられようとした追及に絶叫し、〈エレイユヴァイン〉は先の失われた左肩から突っ込んできた。

『ぐッ!!』

 腹に叩き込まれたタックルの重い衝撃にのけぞる顎が、真上に打ち上げられる。

『俺は、お前の敵だ! お前の居場所を奪った憎むべき敵! 憎み続けろ! 俺を――忘れないでくれ!!』

『!?』

 狂気じみた叫びと共に滅多(めった)打ちにされる絶え間ない衝撃と痛みの中で不意に聞こえた悲鳴のかけらが、彼女の脳裡(のうり)に一つの記憶を呼び起こしていた。


 少年は、いつも何かを警戒しているように見えた。

 小学校では、人当たりも成績もよく、欠けたところの何一つない、完璧な優等生だった。

 しかしある日、彼はふとしたことで朝寝坊をしてしまう。

 たまたま自分も寝坊したことで、その日は一緒に学校へ向かうこととなった。

 それが、初めて一緒に通学した日。

 かつての惨劇以来、数えるほどしか言葉を交わしたことのなかった少年が、ようやく身近な存在に感じられた。

 その途中、少年の表情は珍しく揺らいでいた。

“ちこくするなって、いわれたのに……”

 なぜか怯えの混じった呟きが気になり、自分は

“あした、はやおきしておこしてあげる”

 そう約束した。

 家が隣同士だったこともあり、考えてみればそれはごく自然な流れ。

 しかし、翌日、約束通り朝早く迎えに来た自分に対し、少年は逆に驚き、時間の早さとその行動の理由を訊いたのだ。

 少々機嫌を損ねながらも前日の約束を話すと、少年は泣きそうな笑顔を見せた。

“ぼくのこと、おぼえててくれたんだ……”

 その見事な笑顔は、斜めになった機嫌を、水平どころか上まで一気に押し上げてくれた。

 未だ色濃く焼きついているその表情は、その時が最初で最後だったが、少年の持つどこか危うい雰囲気がほうっておけず、それからも続けるうち、ただ顔を見ること自体が楽しみになり。

 彼を起こして一緒に通学するのが、完全に毎朝の習慣になったのだ。


『お、まえ……は……』

 生まれた戸惑いが、ただでさえ緩慢(かんまん)になっていた反応を更に停滞させる。

『ああああああッ!!』

 難なく押し倒した〈ヲルナギウス〉めがけて、馬乗りになった〈エレイユヴァイン〉は拳を振り下ろした。


◇◇◇


〈北極圏に入りました! 三人とも、戦闘区域は目前です。降下準備を――〉

 パイロットに響く妹尾の言葉を遮るように、突如機体、否、ゼノアークそのものが大きく揺らいだ。

「何だっ!?」

〈未確認の精霊反応……敵襲?〉

 驚く白郎の間近に開いている仮想ウィンドウの向こうで、碧紗が呟き首をかしげる。

 そして、それらの疑問に答えるようにして、再び艦橋の妹尾から通信が入った。

〈たった今、砲撃を受けました。威嚇(いかく)射撃らしく、船体そのものに損傷はありませんが、まずそれを行った、地上に展開している三体のティマイオスを撃破しなければ先には進めそうにありません〉

「上等だ! やってやるぜっ! てめーらも異議ねーだろ!?」

〈ええ!〉

〈ない〉

 即座に頼もしい返事が返ってくる。

「っつーわけだ! さっさと降ろしてくれ!」

 ()われて妹尾は確認するように仮想ウィンドウの外側を振り返り、そして頷いた。

〈解りました。敵ティマイオスの前方三十メートルに射出します。着地と同時に戦闘を開始してください〉

 声の途中で、機体が揺れる。

 射出に備えて、三体のティマイオスそれぞれを一体ずつ格納しているコンテナが移動しているのだ。

 リボルバー・コンテナ。回転弾倉式拳銃や立体駐車場と同じく、各ティマイオスを格納しているコンテナが円形に回転し、ゼノアーク上部甲板に展開される一本のカタパルトからそれらを各個に連続射出するシステムである。

「おっしゃあ、行くぜ!」

 猛烈な加速度の中、白郎が自らに気合を入れて叫ぶ。

 直後に視界を埋め尽くした、まばゆい純白に目を細める暇もなく、着地。

『うおらあああっ!!』

 目の前に浮いている、自分の乗機同様にかなり大型の、紫色をした機体に向かいドリルを繰り出す。

 しかし、それはその装甲の前に発生した金色の光の膜によって弾き返されてしまった。

『んなっ!?』

生憎(あいにく)ですが、この〈セアルヴァ〉、そうたやすくは()ちませんよ』

 戦場には似つかわしくない丁重かつ穏やかな女の声と共に、その機体の周囲を公転していた十個の球体が動きを止めて一斉に閃光を放ち、〈撃震(ゲキシン)〉の周囲の氷塊を吹き飛ばした。

『うお――危ねえな! 殺す気かっ!?』

『ここからお引き取り願えないのであれば、そうなりますね』

『やられてたまっかよ! この先にはオレのダチがいんだからなぁっ!!』

 怒鳴り声と共に撃ち返される〈エーテル・ブラスト〉と、再度放たれた閃光が、真っ向からぶつかり合い、大爆発を起こした。


◇◇◇


 薙刀と、槍。二つの刃が、めまぐるしい速度で振るわれ、ありとあらゆる角度からぶつかり合う。

『まったく、忙しい方ですわね! もう少し落ち着いて動けませんの!?』

 地上だけでなく、時に上空からも襲ってくる、翼を持つ赤と白と青(トリコロール)の敵機、そしてそれがまとう金属球の群れに、トーヴァは思わず毒づいた。

『は! 自分の鈍さ(たな)に上げて何言ってんのさ!』

『なんですって?』

 飛び出したルレンの毒舌を聞き、ぴしっ、とトーヴァのこめかみに青筋が浮かぶ。

『こんなに鈍いと、せっかく復帰したこの〈イグナ=ヴァイス〉の慣らしにもならないね!』

『……ふっ』

『? 何よ。いきなり余裕かましちゃって。もうあきらめたワケ?』

『弱い犬ほどよく吼える、とはよく言ったものですわね。普遍の真理を見抜いた先人は偉大ですわ』

『なんだってえぇぇ!?』

 今度は逆にルレンの方が逆上させられてしまった。

『第二世代型ティマイオス中最速の、〈永姫(エイキ)〉のスピード、とくとご覧なさい!』

 語尾を追うように、〈永姫〉の背にある翼状のユニットが光を宿し、猛烈な加速によって〈イグナ=ヴァイス〉に肉薄する。

『機体自慢してないで自分の実力見せたら!?』

『あーら、そんなもったいこと、していられなくてよ!』

 上下から刃が打ち合わされ、激しい火花を散らした。


◇◇◇


 鋼同士がぶつかり合う、鈍くも激しい音を連続させて、青緑とメタリックブルーの二者が交差する。

『強い……』

 乗機である〈非天(ヒテン)〉が両手首と両爪先に装備している、計四本のブレードを振るいながら、碧紗が呟く。

『やるじゃないか。いいよー、君』

 めまぐるしい戦いの最中にもかかわらず飄々(ひょうひょう)とした口ぶりで、手足の〈非天〉とほぼ同じ位置から計二十本の長く鋭い直線的な爪を生やしている、全体が完全に流線で構成された女性的な機体が、碧紗の戦いぶりを()めた。

『まさか純粋な戦闘技能だけで完全な神体に追いついてくるとはねえ』

『……どういう意味?』

『君らはティマイオスとか呼んでるらしいが、それは本来、兵器である以前に祭器なのさ。人間の形をしたものには、ただの武器より人間の意思が通わせやすいからね』

『?』

 理屈がよく理解できずにいる碧紗に、蘇芳は続けた。

『君は、自分の機体を単なる「兵器」としか見てないだろ。それじゃーダメなんだな。もっと自分自身を通わせないと。本来、神体にはもう一段階仕掛けがあるんだよ?』

『!』

 呑気な口調とは裏腹に素早く振り上げられる足の爪と、手首の刃が、再びぶつかり合った。


◇◇◇


 破壊音。

 振り下ろされた白い拳が、紅い頭――のすぐ脇の氷を、打ち砕いていた。

 微動だにせず自分を見上げる〈ヲルナギウス〉の視線にまるで耐え切れなくなったように〈エレイユヴァイン〉がうなだれた。

『なぜ……』

 振り下ろされる拳を視界が覆ってなお殺気をかけらも発さなかった理由を問う。

『それは……』

 解らない、というのが、今のユギンクゥアルにとっては正直な思いだった。

『憎んでさえ、くれないのか……』

 虚ろな声でうめきながら立ち上がり、組み敷いていた〈ヲルナギウス〉を解放する〈エレイユヴァイン〉。

『お前にとって一切の価値を失ってしまったのなら……俺は、どうすればいい?』

『おい……?』

『ああ……今更俺が何を言っても、お前の感情を動かすことはできそうにない。隠すだけ無駄だろう』

 顔の半分が破壊されているため一つしか残っていない機眼を彼方に向けて呟くのも束の間、上体を起こして問い返そうとする相手を振り返る。

『お前の推測通り、俺には最初からお前を殺すつもりなどなかった』

『なら、なんで……』

『お前は、今までとは何かが変わってしまっているような気がする。そこにどんな変化が起きているかは知らない。ただ、お前にだけは俺という存在を必要としてほしかった。忘れてほしくなかった。例え、それがどんな形であったとしても』

「つっ……」

 それを聞いたとたん、またもユギンクゥアルの胸の奥が痛んだ。先程よりも、それはもっと強い。

 ぴしり、と頭の隅で何かに亀裂の入った音がしたような気がする。

『それが、俺が自分から持てた最初で最後の望み。それが得られない以上、俺が存在する意味は完全に消失した』

『せっかくだ、物理的にも完全に消去してやろう。それに、一人では心細かろう?』

 不意に割り込んできた声と共に、上空から紫色の閃光が(はし)った。

『!!』

 全くの不意討ちに体勢を整える暇もない〈ヲルナギウス〉の前に、声が聞こえるよりも早く身を(ひるがえ)していた〈エレイユヴァイン〉が立ちふさがる。

『おま――』

 危ない、と言う前に、紫の光は〈エレイユヴァイン〉の背中を深々と()かして通過した。

『大丈夫か、緋影?』

 既に動いていること自体が不思議なほどまで傷ついた〈エレイユヴァイン〉は、苦痛を訴えるより先に、少女のことを気遣う、微笑みを含んだ優しい声を発していた。

『だ……大丈夫』

 俺様はそんな変な名じゃねえ、とは言えずおとなしく頷いたユギンクゥアルの頭の中で、更に「亀裂」の広がる音がした。

『……てめえ、ウルザントゥス!』

 視線をそらし、白い群れを従えて上空に佇む赤い巨体をねめつける。

 理由はよく解らない。ただ、意識するより前にひたすら深い怒りが湧き上がっていた。

『何かな?』

『ブチ殺してやる!!』

 翼を広げ、大きく跳躍する勢いを生かして上空へと加速――できずによろめき、その場に踏ん張り直す。跳躍さえままならないほど機体が傷ついているのだ。

『ふ、無理はやめておけ。いかにこの〈パルガクルス〉と同じ神器(じんぎ)といえど、所詮は支援パーツ。この場に〈ザナンディース〉なき今、そこまでの損傷は簡単には修復しきれまい?』

『くそっ……!』

『これは……確か、以前の貴様の言葉だったな。返しておくぞ。今度こそ死んでいろ』

 上空から、嘲弄(ちょうろう)と共に再度閃光が放たれる。

 そして。〈エレイユヴァイン〉は再び立ち上がっていた。

『前も言った』

 残る右腕をかざし、盾にしながら、青邪は言った。

『今も言おう。この女に手は出させない』

『や――もうやめろよっ!!』

 ユギンクゥアルの悲鳴じみた声にも、黒い隻翼を負った背中は揺るがない。

『やめれば、憎んでくれるか?』

 振り返りもせず、孤独な問いが返ってくる。

『ちがう、そんなんじゃねえんだよっ! 俺様は――』

『触れたい』

「へ?」

 唐突な呟きに、ユギンクゥアルは目を丸くした。

『放したくない、手元に置いておきたい、忘れたくない、何にも傷つけさせたくない……俺の語彙(ごい)に存在するその主語全てが、お前だ。いなくなってからようやく気付いた』

『何を……?』

『いつかの答えだ。……意味がそれで間違っていないのなら……俺はお前が好きだ』

『えぉあぁ!? いっ、いきなり何をぉ!?』

『今でもお前にそんな声を出させることができるんだな』

 いきなりの告白に、顔を真っ赤にして驚くのが手にとるように見えそうな少女の反応に、青邪は微笑混じりの声を発した。

『自分の矛盾は理解している。お前にしたことも許せなどと虫のいいことは言わない。嫌ってくれ』

 腕が肘まで破壊されているというのに、声は穏やかで、全く揺らがない。

『ただ、もし叶うのなら、一生一度のわがままだ。どんな感情と共に思い出すとしても、俺の存在だけは忘れないでほしい』

 ついに右腕までもが付け根まで完全に破壊され、〈エレイユヴァイン〉は機体そのものが大きく弾き飛ばされた。

『よくまあそんな茶番劇を大真面目に演じられるものだ。だが、いい加減に飽きが来る。これで終わりにしておけ』

『お前の記憶に俺が()みつける、ただそれが叶えば、何も要らない』

 言って〈エレイユヴァイン〉はまたも立ち上がり、三度(みたび)放たれる閃光に向かい走り出した。

『だ――』

 ダメ。

 行かせてはいけない。

 行かせたら、彼は死んでしまう。

 少女の頭の中で、瞬時にそんな方程式が組み上がった。

(でも、どうして?)

 死んでほしくない。

(敵じゃなかったの?)

 それでもいい。

(憎くなかったの?)

 そんなこと、もうどうでもいい。

(ただ、何よりも)

 少女の中で、全てが再び組み上がる。

 あふれ出すように蘇る、懐かしく、熱い思い。

「――一番大切な人がいなくなるなんて、絶対にイヤ!!」

 新たに自分に刻み込む揺るぎない叫びと共に「亀裂」は決定的に広がり。

 彼女は、戻ってきた。

『させるもんかぁぁぁぁっ!!』

 叫ぶ少女の意思のままに、〈ヲルナギウス〉が地を蹴り前に飛び出す。

 伸ばした片腕で、〈エレイユヴァイン〉をかばいながら抱きかかえ、空けたもう一方の手を拳に変える。

『あたしはただ、青を護るために力が欲しかった! だから――いっけえぇぇぇぇっ!!』

 拳にまとわせた金の輝きを解き放つ〈ヲルナギウス〉。

戯言(ざれごと)を。不和と破壊をもたらさずして何の力か!』

 胸の砲口から紫の閃光を解き放つ〈パルガクルス〉。

 金と、紫が、真っ向から押し合い、そして、中間で弾け飛んだ。

「何と……」

 爆煙の向こうに潜んでいるであろう二体の神器を見下ろし、ウルザントゥスは呟いた。

「まさか、あれだけ損傷した機体に無傷の我が攻撃が相殺(そうさい)されようとは……」


◇◇◇


 こちらと向かい合った紅い機体の胸部装甲が展開され、更にその内側のハッチが展開されて、搭乗者である、白い翼を持つ緋の髪の少女を解放する。

 そして、吹雪の中を、体の線をはっきりと浮き出させる黒いパイロットスーツの背から翼を広げた少女がこちらへ飛んでくる。

「ひ……か、げ?」

 呆然とその様を見ながら、青邪ははっと我に返った。

 こちらもハッチを開けなくては、彼女を迎え入れることができない。

 青邪もまた胸部ハッチを開放し、極寒の風が体を刺すのも構わず身を乗り出した。

「緋影……」

「あ――ひゃあっ!」

 こちらを見て反射的に表情を緩めた少女が、不意の横風にあおられ、大きくバランスを崩す。

「緋影っ!」

 青邪はとっさに手を伸ばし――緋影も同じタイミングで手を伸ばす。

 手が、重なり合う。

「……し、死ぬかと思った……」

 青邪の腕一本に体重を預ける格好となった緋影は、そう言って青邪を見上げ、安堵の笑みを向けた。

「……!」

 青邪は思わず息を呑んだ。

(他人に命を預けて、どうしてこんないい顔ができる?)

 自分が今の緋影と同じ状況に置かれたとして、果たして相手に向かって手を伸ばせるか?

 否。自分が()って立つものさえないのに、他人を信じることなどできない。

(強いな……俺などよりもずっと)

 自然、自嘲の笑みがこぼれる。が、そんな自嘲も長くは続かなかった。

「さ……寒いよ青っ」

 寒風に吹かれ、緋影が小さな悲鳴を上げたのである。

「! 悪い、今」

 両腕が上げる悲鳴などは無視する。そんなものよりも、彼女の方がずっと大事だ。

 ハッチが閉ざされ、漆黒に四つの制御球が発する青白い薄明かりだけが浮かび上がるコックピットの中で、二本の腕が互いの背中に回される。

「ごめん……ごめんね……。あたし……ひどいことばっかり……」

 震える声と共にこぼれた、いくつもの熱い雫が、青邪の首筋を濡らした。

「違う。責めを負うのは俺だ。俺は、お前に嫌われるようなことしかしていない」

「あたしだって、嫌われるようなことばっかりしたもん。でも……嫌われるのはイヤ。あたしの居場所は、青の傍しかないから。これって……わがままだよね」

「……!」

 恥じらっているのだろう、ささやくような小声の問いを聞き、青邪は反射的により強く腕の中の少女を抱きしめていた。

「違う……っ」

 少女の温もり。

 少女の匂い。

 少女の声。

 少女の存在そのものに、満たされてゆく。

 こんなにも、自分がこの少女をかつぼう渇望していたとは。

「わがままなのは、俺も同じだ。ついさっきまであれだけのことをしておきながら、それでもお前とこうしていたいと思ってしまっている……」

 半ばすがりつくように、少女の自嘲を否定する。

「いいの」

 さら、と緋影の指先が青邪の長い髪を()いた。

「あたしは、青になら何をされてもきっと喜べる。だから青も、それ以上自分を責めないで」

「……ありがとう――!」

 呟いた直後、青邪の体が微かに震える。

 上空からの攻撃が()えたのだ。

「攻撃が来る。緋影、後ろの席へ。ブルーがいるから気を付けろ」

「あ、うん!」

 簡潔な指示に、緋影の気配がわずかに遠のく。そして、一瞬の間を置き前方から強烈な轟音と衝撃が襲ってきた。

「……〈ヲルナギウス〉、やられちゃったみたいだね」

「気にするな。お前は護り抜く」

「……!!」

 背後で聞こえた息を飲むような音の理由には気付きもせず、青邪は〈エレイユヴァイン〉に再び意思を通わせた。

 蘇った視界は、紫一色。

『!』

 とっさに後方へ跳びのく機体を、跳躍のとたんに急激な浮遊感が押し上げる。

 気が付いた時には、〈エレイユヴァイン〉は〈ヲルナギウス〉の残骸が転がる雪原を遥か下に見下ろしていた。

『……これは』

 反射的に呟いてから、青邪は背後から伸びる黒いものに気が付いた。

 双翼。漆黒の完全な翼が、風を確かにたたえ、機体を天空にとどめている。

「これが、この〈エレイユヴァイン〉本来の姿」

 青邪自身の背後から、緋影の声が聞こえた。

「どういうことだ?」

「めんどくさい説明は後でするけど、これは元々二人乗り。あたしみたいに翼のあるパイロットがいて初めて完全に機能するの。空中機動はあたしに任せて」

「ああ」

 頷き、青邪は機体の視線を、彼方に浮かぶ〈パルガクルス〉に向けた。

『まだ仕掛けがあったとはな。だが、両腕がなく、そして今にも分解しそうなその状態で一体何ができる?』

足蹴(あしげ)にしてやるさ。思いっきりな』

『よく言ったわ! ――星の子(サテライト)ども! 祈れ! 我が為に!!』

 ウルザントゥスの叫びと共に、彼の機体を取り巻いていた白い機体〈ガルム〉の群れが一瞬動きを止めた。

「まずい……! あいつ、昇華する気だ!」

 焦りを多分に含んだ緋影の声がする。

「昇華? それは――」

 何だ? と青邪が問い返す途中で〈エレイユヴァイン〉は大きく吹き飛ばされていた。

『!?』

 数百メートルは離れていたはずの〈パルガクルス〉が、一瞬の内に間合いを詰め、〈エレイユヴァイン〉を自らの機体にも匹敵する大きさの拳で殴りつけたのだ。

『何……?』

『何がどうなっているか、解らなさそうだな?』

 体勢を立て直す〈エレイユヴァイン〉の前に悠然と浮遊しながら、〈パルガクルス〉が声を発する。

『我が〈パルガクルス〉は、思念を(かて)に無限なる力を生み出す究極の祭器「神器(じんぎ)」が一つ。この神の位階への昇華によって、貴様らの勝ち目は万に一つもなくなった』

『ご親切にどうも。で、なぜ教えてくれるのかな?』

『知れたこと。貴様らが恐怖し、絶望するほど、我が力も増大してゆくのだよ』

「……見上げ入道みたいだな」

 見上げれば大きくなり、見下ろせば小さくなる……民話に現れる妖怪の特徴を思い出し、青邪はぼやいた。

「ば、バカっ! こんな状況で、何でそう気の抜けるようなこと言い出すのよ!?」

 場にそぐわない感想に、緋影は思わず声を荒らげた。

「アレは、大昔に大陸一つをズタズタにして沈めた悪魔の一体! 正真正銘のバケモノなんだよ!?」

「だからって言論弾圧は感心しないな。「非国民」っていう世にも醜い日本語、知ってるか?」

 すっかり普段の軽さを取り戻した青邪が、すかさず返す。

「プレッシャーで自滅してりゃ世話ないって」

「いや、そりゃそうなんだけど……」

 復活した、聞く者を翻弄(ほんろう)する軽口を叩く余裕は、やはり緋影という精神的な()りどころ所があってのものなのだ。

「……ともかく。いい、青。復元が追いつかないような速さで壊すか、神器を“神”にしてる祈りの元を断つか。昇華した神器に勝つ方法はその二つだけだよ!」

 気を取り直し、緋影が早口に説明する。

「だから今のあたしたちには、あいつを取り囲んでる白いやつを全滅させなきゃ勝ち目はない。あれのパイロットは全部、神器のサポート用に創り出された生体ユニットなんだ!!」

「ああ――行くぞ」

 瞬時に鋭利な冷徹さを宿した青邪の宣言に、

「うん!」

 緋影もまた頷く。

 双翼を羽ばたかせて、〈エレイユヴァイン〉は眼前の敵へと加速した。


◇◇◇


 めまぐるしく互いの立ち位置を変えながら、刃と爪とが絶え間なくぶつかり合う。

『やれやれ。教えといて言うのもなんだけど、君みたいに呑み込みの早い子って、敵に回すと本当に厄介だね』

 一旦間合いを離して、相変わらずの飄々とした口調で呟いた蘇芳が駆る機体〈アールマディア〉は、既に全身の装甲が傷だらけになっていた。

 互いに曲芸じみた動きで、幾度となく刃を交えるうち、碧紗の技量は更なる成長を遂げていたのである。

『君の戦闘経験、並みじゃないね? このわたしがてこずるなんて相当のもんだよ』

 止まることのない軽口を無視して〈非天〉は獣じみた動きを見せ、低姿勢から間合いを詰める。

 首筋を狙って伸び上がるように繰り出した刃は、しかし待っていたかのように手の爪で受け止められ、次の瞬間には〈アールマディア〉の爪先から伸びる爪が、〈非天〉の首を逆に刈り取ろうと振るわれる。それもまたかわし、〈非天〉は改めて相手との間合いを取り直した。

 そこに。

“おねがい! この声が届いているのなら――”

「?」

 どこからともなくコックピット内に響き渡った、若い女の声が、碧紗の気を引いた。

『おや?』

 すかさず繰り出される爪を、しかし碧紗はあっけなくさばき、逆に相手の懐へ入り込んで一太刀を浴びせた。

 手応えは十分。少なくとも相手の戦闘能力は根こそぎにできるだけ、深い。

 相手の機体に突き立てた刃をえぐり、引き抜きながら、碧紗はそこでようやく我に返ったように〈アールマディア〉へ目を向けた。

『私、条件反射で人を殺せるから、隙はあんまりない』

『うわ……そりゃ参ったね。わたしの負けらしい』

 ぼやいて、〈アールマディア〉は氷原に沈んだ。


◇◇◇


『『はああああっ!!』』

 声さえ重ねて、薙刀と槍の打ち合わされる速度が同時に上がってゆく。

『こ――のっ! たかがヒトのくせにぃぃっ!!』

『あなた、間違っていてよ!』

 ルレンの口から飛び出した言葉に、彼女の機体が振るう槍だけでなく、周囲から襲ってくる金属球をも弾きながら、トーヴァが反論した。

『あなたが何者か知りませんけれど、立場は人種で決まるものではなくてよ!』

『何をごちゃごちゃとっ!』

『立場を決めるのは――財力に決まっておりましょう!?』

 磐石(ばんじゃく)の自信を持って、言い放つ。

『金の切れ目が縁の切れ目! ならば、金が切れねば友達がなくなることもないのですわ!! 人との交わりを持たない人間ほど程度の低い人種はいなくてよ!! あなた、友達いませんわね!?』

『ふざけるなぁぁぁっ!!』

 トーヴァの妙な自信にあてられてか、ルレンの〈イグナ=ヴァイス〉は、攻撃こそ加速したが、逆に体勢を乱した。

『隙あり、ですわ!』

 声と共に〈永姫〉の白い装甲が白く輝く紋様をまとう。アルベドモードの発動だ。

 槍を下から弾き飛ばした勢いのまま回転させた薙刀の石突を相手の腹に突き込む。

『ぐは……っ!!』

「勝負ありましたわね」

 機体をくの字に折って昏倒する相手を見下ろしながら勝ち誇るトーヴァの間近で、

“祈って!ううん、ただ思うだけでいいの!”

 先の碧紗が聞いたものと同様、聞き慣れない少女の声がどこからともなくコックピット内に響いた。

「……何ですの? 誰が、何を思えと?」

 突然降って湧いた謎に、トーヴァは勝利の余韻(よいん)に浸るのも忘れ、眉をひそめた。


◇◇◇


 降り注ぐ十本もの砲火を、その自重で氷原を削り取りながらかいくぐり、かわしきれないものはこちらの砲撃で強引に相殺する。

『だーっ、チクショウ!』

 ほとんど息つく間もなく続く〈セアルヴァ〉の猛攻に、白郎はやけ気味の怒鳴り声を発した。

 元々彼の乗機〈撃震〉の基本的な役割は後方からの火力支援であり、単独で、しかもこうして走り回ることなど、元より想定されていない。鈍重さを補う火力でなんとか攻撃をしのぐことはできても、そこまでが精一杯で、反撃する暇がまるでないのだ。

『見事……としか、語る言葉を持てませんね』

 走り回る〈撃震〉を見下ろしながら、水無里は呟いた。

 彼女の機体〈セアルヴァ〉は依然最初の位置から動いていないが、歴然たる火力の差にもかかわらず、〈撃震〉が未だ直撃を受けずに動いているのは、非常な善戦と言えた。

『その能力、認めましょう』

 言葉の下、〈セアルヴァ〉は一旦砲撃を中断した。

『今一度問います。退く気はありませんか?』

「! ふざ――」

 上からものを言っている相手の態度に対して反射的に怒鳴り返そうとした白郎の元にも、三度(みたび)声が響いた。

“あたしだけじゃ……ダメなの! 助けて、力を貸して!! おねがい……!!”

「この声は――霧生!?」

 よく聞き慣れたそれを忘れるはずもない。しかも、その口調や響きはまるで憑き物が落ちたようにかつてのものに戻り、ひどくせっぱ詰まった焦りを帯びていた。

「まさか……天城がやべえのか!?」

『考えはまとまりましたか?』

 一人呟いた白郎に、水無里が先程の問いに対する答えを促した。

「あ?」

 我に返った白郎の目が、剣呑(けんのん)な光を帯びる。

『決まってんだろ! 何が何でも! 先に通してもらうぜ! オレのダチが待ってんでなあっ!!』

『解りました。では――これで終わりにしましょう』

 十の光条が、一斉に〈撃震〉めがけ撃ち出される。

『おおおおおおおぁっ!!』

 気合と共に金の輝きをまとった黒い機体が、今までとは段違いの威力の光を放った。

 轟音! 破壊の力が真っ向からぶつかり合い、周囲を吹き飛ばす。

『奥の手を残していたのですか……このわたくしとしたことが、慢心を……っ』

 撒き上げられた白い氷の渦の中に、続けざまの一斉射。しかし、それらはことごとく撃ち返され、更に大気を荒れ狂わせて視界を乱す結果となる。

『どこに――』

『ここだあぁっ!!』

 水無里の声を圧して、〈セアルヴァ〉の目前に広がった白色を突き破り、黒い機体がドリルを振りかざしながら飛び出した。装甲の表面に白く輝く紋様を残光として、巨体は先ほどまでとは段違いの速さで駆ける。

『! しかし――』

 すぐさま、金色の光の膜が張り巡らされる。

『それで障壁は破れませんよ』

 果たして、その言葉通り、繰り出されたドリルはまたも光の膜に突き当たり、紫色の装甲の表面には届かない。

『破る必要はねえんだよ!』

『何を――!?』

 問い返す水無里の語尾は、本人の驚きに飲み込まれた。

 ドリルの回転に巻き込まれるようにして、光の膜が更に鋭利なドリルの外殻(がいかく)を形成し、本来護るべき装甲をえぐり始めたのである。

『こいつは元々、ティマイオスの前に試作された、オリハルコンのブレードで【租界】の作用を反転させる対ティマイオス用武器なんだよ! ――石動のおっさん、あんたやっぱり天才だぜ!』

『くっ……まさか、そんな発想が……!』

『おらああああっ!!』

『くうううううっ!!』

 更に深く突き込まれたドリルの回転によって、〈セアルヴァ〉は大きく後方へと弾き飛ばされ、その自重で氷原に深々とめり込んだ。

 相手が全く動こうとせず、完全に戦闘能力を失って沈黙していることを確認すると、〈撃震〉は即座に相手に背を向けた。

「待ってろよ、天城、霧生!」

 呟く白郎の機体の上空に、白い母艦が降下してきていた。


◇◇◇


 何十回目を数えようかという衝撃が、新たにコックピットを激しくかき回した。

「くっ……大丈夫、青!?」

「ああ。少なくとも死んじゃいない」

『まったく、ちょろちょろと。無力な上にしぶとく醜態をさらしながら生き延びようとあがくか。その様、まさしく虫けらにも等しいな』

 聞こえるのは、半ば呆れを含んだ嘲弄。

 巨大な質量を有しながら常軌を逸した動きでこちらをいたぶりにかかっている〈パルガクルス〉と、それを取り巻く〈ガルム〉の集団が、一斉に攻撃してきているのだ。これで未だに機体が四散せずにいる方がよほど異常なのかも知れないが。

「まったく、どうしてこんな状況でもひねくれてられんのかな」

 ぼやきつつ、緋影は機体の状況をチェックした。

 どこもかしこも損傷がひどい。これでは主な機体管制を担当している青邪をどれだけの痛みが責め苛んでいるか、想像するのも難しい。

「青、機体の知覚系はあたしが引き受けるから、そっちは操縦に専念して!」

「やめろ。痛いぞ」

「そーゆーやせがまんは却下!」

 言いながら、システムを切り替え――その直後絶句した。

 痛い。確かに青邪の言葉通り、まともに痛い。形容詞を考えたり、悲鳴を上げたり、余計なことをしている余裕はまるでない。

「――――――――っはァ!!」

 わずかに残った意識の一片でなんとか痛覚そのものをカットし、完璧に忘れていた荒い呼吸を取り戻す。

「あ、青! 今までこんなのを耐えてたの!?」

「だからやめろと言ったろう」

 全身に脂汗を浮かべながら荒い息で問う緋影に、青邪は相変わらずの落ち着いた声色で答えた。痛みがあろうがなかろうが、その口調はまるで変わっていない。

「緋影のためならえんやこら。まあ、要はそういうことだ」

 今度は少し口調を和らげ、シャレを飛ばす。しかし今の痛みを何も言わず引き受けていたことを思えば全く笑えない。

「そ、そーゆー問題ぃ!?」

「俺は、お前がからむと自分が馬鹿になってしまうことを理解した。理由や根拠を論理的に考えるのは諦めたから、それ以上訊かれても困る」

「あ、そ、そう……」

 自覚のない情熱を持ち主本人に冷静に説明され、緋影は返す言葉もない。

(き……訊かなきゃよかった。恥ずかしー……!)

「つかまれ。揺れるぞ」

「え――きゃあっ!」

 緋影が思わず熱くなる顔を伏せたのも束の間、青邪の声の直後襲った震動に、コックピットは大きく揺さぶられた。

 たまたま間合いを離していた〈パルガクルス〉が間近に迫り、再び振るったその巨拳を、〈エレイユヴァイン〉が紙一重で回避。巨拳がまとっていた衝撃が、満身創痍の〈エレイユヴァイン〉の機体を大きく揺さぶったのである。

 その一度にとどまらず、続けて襲いくる、一撃必殺の威力を持つ魔の腕は〈エレイユヴァイン〉を捉えきることができない。

「……千日手だな……」

 激しく揺れ続けるコックピットの中、青邪はぼやいた。現状では勝てそうにないが、負ける気もしない。

 千日手とは、将棋における双方の手詰まり状態を指す。状況が行き詰まった結果、互いに同じ手を繰り返さざるをえないのだ。

 以前の白郎との手合わせを経て一段と磨きのかかった青邪の“愚者の眼(アウトサイト)”により、〈エレイユヴァイン〉は無制限に加速してゆく〈パルガクルス〉の攻撃さえも回避し続けているのである。

 感覚から言うと、以前遙と対峙したときとほぼ同じだが、今はいくらか余裕がある。しかし、一撃で相手を破壊できない限り、こちらが逆に粉砕されてしまうため、うかつに反撃できないのだ。

『生意気な……!』

 続く空振りに、ウルザントゥスは苛立ちの声を上げた。

『貴様、“愚者の眼”の保有者か!』

『そう呼ばれるらしいな、俺の能力は』

『――ならば、回避などさせん』

『何?』

『たっぷりと自分の無力を呪いながら滅ぶがいい』

 言い捨てて、〈パルガクルス〉は上空へと舞い上がった。両腕を広げて静止したその周囲に、赤く輝く軌跡が浮かび上がり、機体を中心とする、紋様で構成された球体を描き出し始める。

「立体魔法陣……! まずいよ青! あいつ召喚兵装を、この辺りを大陸レベルで吹っ飛ばすつもりだ!!」

「なるほど、そりゃ見えてても回避のしようがないな」

 焦った緋影の声がもたらす情報とウルザントゥスの言葉を照らし合わせ、納得する青邪。

「だからもうっ! 落ち着いてる場合じゃないでしょっ!?」

「回避できないなら、逃げればいいだろ」

「へ?」

「忘れたか? この機体は空間転移が――」

 轟音! 青邪がきょとんとする緋影に説明を始めた刹那、上空で〈ガルム〉が三機、一斉に撃墜された。

「な、何!?」

〈天城! まだ生きてるな!!〉

 緋影の驚きの声と半ば重なって、青邪の元に白郎からの通信が入った。

「……できなくなったな」

「相模っ……」

 空を見上げた〈エレイユヴァイン〉の視界に入ってきたのは、ゼノアークの白い艦影。そして、その甲板上には三つの機影。

 両足を踏ん張って〈エーテル・ブラスト〉の発射体勢をとっている〈撃震〉。

 腹ばいになりライフルで狙撃体勢をとっている〈非天〉。

 そして、和弓を引き絞っている〈永姫〉。

 三者の放った攻撃が、また三機〈ガルム〉を撃墜した。

〈状況はよく解らねーけど、あの赤いのと戦ってんだな!? ありゃ確か、前にお前の左腕持ってったやつだろ!?〉

「ああ。けど、早く逃げてくれ」

〈ああ!?〉

「奴はこれから広範囲の攻撃を始める。すぐ逃げればまだ間に合うかも知れない」

〈何言ってやがんでえボケ!〉

 せっかくの忠告は、実にあっさりと蹴散らされた。

〈霧生がどうなったかも解んねー上、てめーも連れねーでシッポ巻いて帰れってか!? あのデカブツをブチのめしゃいいだけの話だろーが!〉

 言うだけ言って、通信は切れた。

「全く……馬鹿……っ」

 乱舞する〈ガルム〉と交戦状態に入った三機を見上げてうめくように呟く青邪。

 嬉しいが、逆に腹立たしくもある。いなくなってほしくないのに、どうして解ってくれない?

「緋影。どうすれば奴を止められる?」

「……発動の瞬間に暴発させれば、どうにかなるかも、しれないけど……今の〈エレイユヴァイン〉はあいつに突っ込んでいくだけでもやっとだと思う」

 わずかに考えるそぶりを見せてから、青邪は緋影を振り返り、結論を告げた。

「ブルーを連れて降りろ、緋影」

「イヤ」

 あまりに予想通りな指示を、緋影は即座に拒否。

「俺はお前を護り抜くと言った。それを嘘にしたくない」

「あたしもずっと青の傍にいるって言った。それをウソにしたくない」

「降りろ! 奴は俺が必ず止めて見せる! だから、お前だけでも白郎たちと一緒に帰れ!!」

 緋影を気遣うあまり、彼女がいなければ人型の戦闘形態をとっている今の〈エレイユヴァイン〉は飛べないということさえ忘れて、青邪はその肩をつかんで声を荒らげた。

「絶対イヤ!! あたしは青が好き! だから青のことを思い出せた! 青のところに戻ってこれた! あたしから本当に居場所を取らないで!!」

「……!!」

 緋影の目からあふれ出した涙を見て、青邪の手がびくっと震えた。

「すっ……すまない。俺は……お前を泣かせるつもりじゃ……」

「いいから……一緒に連れてって」

 言いながら、緋影はまともにうろたえてしまった青邪の手を離させ、その背中に腕を回しながら言葉を続けた。

「失敗したって、笑わないし、責めない。完璧じゃなくていい……青はもっと弱くていいの。二人で、みんなで、強くなっていけばいいんだから」

「!俺はっ……」

 反論しようとこわばる青邪の背中にまわされた、細い両腕と、広がった白い翼が、彼を護るように優しく包み込み、言葉を奪う。

(……暖かい……)

 知らず、体から力が抜け、まぶたが下りる。

 理屈も何もない。あるのはただ、心地よく、安らかな、いとおしさ。

 それだけで十分だった。余計な理由付けなど、いらない。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。

 そう――緋影、幼馴染みだけではない。自分の傍には、自分を案じてくれる友達が、仲間がずっといたのに。

(大切な人を、護りたい)

 最初から、そう思えていれば良かったのだ。それこそが――それだけが、自分の戦う理由なのだから。

 力が抜けた。肩が、今までにないほど軽くなったような気がする。

「緋影……」

 わずかに身を離し、少女の顔を見つめ返す。

「え、なに?」

 心なしか動揺したような応えに、

「俺は……お前を、みんなを、護りたい」

 静かに呟く。

 護らねばならない、ではない。義務ではないのだから。ただ、したいからこそしようと望む。それだけだ。

 ふ、と微かな苦笑を返して、緋影は青邪の動かない手をいとおしげに握り締めた。

「手、放しちゃダメだよ? 自分を護りたいと思ってる人がいるってこと、忘れないで。もし誰かを護るためだとしても、一人だけで行かれたら、助けることができないから」

 人の想いを、受け容れて。

「ああ……やっと、解った……」

 緋影の言葉を容れて、青邪が優しく呟いたとき。

 りぃぃぃん、と涼やかな響きがコックピットを満たした。

「何だ? つっ……これは!?」

 はっとして、青邪が自分の両腕を見下ろした。反射的に腕が持ち上がり、視線の先に手を開く。

 感覚を失って動かないはずの腕が動き、しかもそこには痛みが走り、それ自体急速に()えてゆくのが感じられる。

「……そっか、思いはずっと届いてたけど、今までは青がそれに気付かなかったから……」

 青邪の示した異状に呟いてから、緋影は我に返って後部の座席に滑り込んだ。

「青、まだ終わってないよ! 〈エレイユヴァイン〉も昇華できた! 今なら、いける!!」

『よし――行くぞっ!!』

 漆黒の翼が、今一度大きく広がる。

 その欠けていた装甲が、まるで虚空から溶け出すような造作で見る間に復元されてゆく。

 失われていた両腕を取り戻した〈エレイユヴァイン〉は、空を仰ぐなり黒白(こくびゃく)の槍となって飛び立った。


◇◇◇


『こっの野郎ォ、てめえ硬すぎんだよ!』

 三機がかりの斉射が直撃してもダメージどころか傷の一つも与えられない〈パルガクルス〉に、白郎は苛立ちまぎれに毒づいた。

『ふ……他愛もない』

 鼻で笑い飛ばすウルザントゥス。彼の機体を取り囲んでいた立体魔法陣を構成している赤い光が、そのまま燃え盛る炎と変わり、抑え切れずに周囲へうねり始める。

『消えろ、虫』

 短い死刑宣告の後。

 赤が、閃く。

 それは全てを呑み込み、絶対的なまでの熱量をもって、ゼノアークや、その甲板に出ていた三機のティマイオスはおろか、地上に広がっている氷原をも、融解の猶予さえ与えず消し――否。

 まばゆく輝きながら、今まさに滅びを体現しようと迫る赤熱の前に、翼持つ影が差した。

『『はあああっ、【永劫の顕(エタニティー・サイト)】ぉぉぉぉぉっ!!』』

 男女二重の叫びを放ちながら、それは左手を赤熱にかざす。

 突き出された左手を起点に、まばゆい純白に輝く光が、先の〈パルガクルス〉がまとっていたものに似た、球形の紋様を描き出し、直後現れた巨大な翼が、羽毛のような光の粒子を散らしながら広がってゼノアークを包み込んだ。

『何ですの!?』

 トーヴァの驚く声が発された時点で、翼は広がる赤熱を弾き、防御という存在意義を示していた。

『あれは……〈エレイユヴァイン〉?』

 突如現れて窮地を救った影の正体に気付き、碧紗が困惑混じりの呟きをもらした。

 今まで存在しなかったはずの双翼をもって確かに風をつかみ、空中にいることだけが困惑の源ではない。白い姿は、現在進行形で変貌を遂げようとしていたのである。

 完全に復元を終えた装甲がところどころ移動・展開して輪郭を変え、十枚ある細身の副翼もまた、尾を引く漆黒の光を宿し、孔雀を連想させる長い飾り羽根を形成する。

 そして。

 (かぶと)を思わせる頭の上に浮かび上がったのは、光の輪。

 神性の(あかし)たるそれは、しかし負った十二枚の翼と同じ夜の色。

「復活するどころか、変形しやがった……まだ仕掛けがあったのかよ、あの機体――いや、それより!」

 思わず呟き、白郎はすぐさま青邪の体調を思い出した。

『大丈夫なのか、天城!?』

 白郎の問いを受け、こちらに背を向けていた〈エレイユヴァイン〉が振り返る。

『お陰で完全復活だ。伝わってるよ、お前の気持ち』

『なっ、何言ってやがんだおめーはっ!?』

 返ってきた青邪の声の穏やかさに安堵を覚えながらも、その恥ずかしげのない台詞が照れくさく、怒鳴り返す。

 次いで、同じ機体が発した別の、少女の声に目をむいた。

『あいつは神器。無限の力を放つ、神の器。あいつは同じ神器の、この〈エレイユヴァイン〉にしか倒せないんだ』

『霧生!?』

『白郎。詳しい話は後だ』

 白郎の驚きを、青邪がすぐさま遮る。

『今みんなをゼノアークごと安全なところへ転移させる。戻ってくるなよ。神器の使う召喚兵器に対抗できるのは召喚兵器だけ、らしい。とばっちりを食ったらゼノアークは消し飛ぶ』

『お待ちになって!』

『青邪』

 案ずる二人に、

『大丈夫』

 青邪は静かに、そして、確固たる自信を持って、それ以上の言葉を封じた。

『仲間は、護る存在であって、悲しませる存在じゃない。そのことがようやく解ったんだ。死なない程度に頑張るさ。じゃ、待っててくれ』

『【虚弦の暗(フラクタル・ミスト)】!』

 入れ代わりに響き渡った緋影の声と共に、ゼノアークは瞬時に広がった漆黒の闇に呑まれ、その闇もまたぼやけて消失した。

 そして、二人の駆る機体は再び正面に、赤熱する滅びを際限なく生み出す源たる〈パルガクルス〉がいるであろう方向へと向き直った。

『神器は、人の心を力にするもの』

 緋影が言う。

『人と人との心のつながりを、(きずな)を護るために戦う限り、恐怖や絶望から生み出される力なんかに――』

『ああ――』

『『負けはしない』』

 重なる宣言の下、漆黒の光輪を頭上に頂く純白の神器(エレイユヴァイン)は、羽ばたき一つで炎の世界を吹き散らした。

 白く凍てつく世界が戻ってくる。

『我が【焦封界(ソリア・レイ)】を苦もなく消し去るか』

 たった今かき消されるまでの間維持されていた熱量が作り上げた広大な海原の上に佇みながら、〈パルガクルス〉が感心したような声を発した。

『なるほど、それが【大敵(アークエネミー)】……あの小娘が創り上げた最終祭器の真価。よかろう、我等が障害と認めよう』

『別に認めなくたっていいさ。油断したまま(たお)れてくれた方がこっちとしちゃ楽だ』

「ふ……ふふふふふ……どうやら、まず礼儀の教育が必要らしいな?」

 またも飛び出した青邪の軽口を聞き、ウルザントゥスのこめかみに青筋が浮かぶ。自分より遥かに劣っているはずの存在にこけにされて、腹が立たないはずがない。

『『星の子(サテライト)』ども――引き裂いて構わんぞ』

 彼の声に応え、白い機体が一斉に〈エレイユヴァイン〉へ襲いかかる。

『武装召還――〈レイアルガイザー〉!』

 対する〈エレイユヴァイン〉の右手に、まばゆい白光を伴って虚空から現れた青銀の剣が収まり、握られる。

 そして、加速。

 黒い十二の尾を引く純白の流星は、迫った〈ガルム〉の群れの第一波を、接触と同時に破砕した。

『ほう……』

『おおおおおおお!!』

 ウルザントゥスの呟きをよそに、破壊は続く。

 剣が切り裂き、

 輝く刃が消し飛ばし、

 蹴り脚が文字通り蹴散らす。

 白と銀の残骸が、降り止んだ雪の代わりに、凍った空を覆ってゆく。

 そこにもう一色、鮮烈な紫の嵐が加わった。

 全身の装甲を展開してその内に収めていた砲口・銃口を剥き出した〈パルガクルス〉が、〈エレイユヴァイン〉をめがけて〈ガルム〉もろとも斉射を浴びせたのだ。

『砕け散るがいい』

 しかし、それは本来翼を持たぬ人間には不可能なはずの柔軟かつ三次元的な空中機動を見せる〈エレイユヴァイン〉に次々と回避されてゆく。

『青にはあたしがついてるんだから!』

 だが、攻撃とてまともではなかった。

『下らん。茶番にはもう飽いた』

 光の槍は、砲手の意思を受けて縦横無尽に軌道を変え、今度は全方位から襲いかかったのである。さすがに、それはかわしきれない。

 全てが直撃コースを描いた、その時。

『【虚弦の暗(フラクタル・ミスト)】!』

 当の〈エレイユヴァイン〉自体を取り込んで突如現れた漆黒の領域に、放たれていた閃光の全てが、何の手応えもなく呑み込まれた。そして、生まれた領域もまた、最初から何事もなかったかのように〈エレイユヴァイン〉だけを残して消失する。

『何――』

 直後、攻撃の効果が全く見えないことに戸惑う〈パルガクルス〉の真横の空間が黒くにじむ。再度現れた黒い領域が、つい数瞬前に呑み込んだものをそのまま吐き出し、改めて消失した。

『ぐおおっ!?』

 弾き飛ばされながら反撃を加えるが、放たれた光は何をも捉えず彼方へ飛んでいくだけで、何の効果も見えない。

『貴様等――何をした!?』

『転移システムと召喚兵器の応用さ。詳しいことは、かの有名な青ダヌキに訊いてみるんだな』

 真面目な口調でふざけた答えを返しながら、〈エレイユヴァイン〉は既に体勢を整え、振りかぶった左拳を起点に緋色の立体魔法陣を形成していた。

『【剛撃の明エクストリーム・ノヴァ】!』

 繰り出された拳から、機体を凌駕しかねない大きさまで瞬時にふくれ上がった緋色の閃光がほとばしる!

()めるな! 【業火旋翔破(レイオ・ザーディシア)】!!』

 立体魔法陣の展開直後、瞬時に集束した赤熱が、同様に放たれる。

 真っ向からぶつかり合ったそれらは、わずかな発射角のずれですれ違い、互いの目標を捉えた。

『ぐ――おおおあっ!!』

 下半身を蒸発させられた〈エレイユヴァイン〉が、苦痛を咆哮で押し返し、すぐさま損傷箇所の復元を終える。

『ぬううううっ!!』

 左拳を消し飛ばされた〈パルガクルス〉もまた、機体の復元を秒単位で完了する。

 更に放たれる赤熱が、今度は真っ向から激突し、巨大な火球を作り出した。残る〈ガルム〉全てが耐え切れず蒸発してゆく超高熱の中でもなお、二つの巨影は存在を続ける。

 めまぐるしい高速で火球を突き破って高熱圏から飛び出すなり、〈パルガクルス〉が再び斉射を行った。再度の全方位攻撃に、対する〈エレイユヴァイン〉は左手をかざした。

『その手は二度も食わぬわ!』

 勝ち誇る声と共に、まるで反射されたような角度で射線が〈エレイユヴァイン〉から瞬時に遠のいてゆく。

『あつものに懲りてなますを吹く、とは古人もよく言ったもんだな!』

『何!?』

『警戒し過ぎだ! 【幻象の漠(エリュシオン・バベル)】!』

 形成された青い立体魔法陣が、その発動と同時に眼下の海原を大きく波打たせ、幾千本もの水の触手を伸ばさせて紫の光線を次々と相殺してゆく。

 海水が蒸発する傍から冷やされ、白く吹き上がるもやのような水蒸気の中〈エレイユヴァイン〉は加速し、更なる砲火をかいくぐりながら〈パルガクルス〉に迫る。

『ふんっ!』

 振るわれる豪腕をかわしざま一回転、(かかと)をその脳天に叩き落とす。

『っぐぁっ!』

『思いっきり足蹴にしてやったぞ。これで口約は果たしたな』

『――生意気なっ!』

 すかさず振るわれたもう一方の豪腕を、〈エレイユヴァイン〉は左の拳一つで圧倒、弾き返した。

『ぬうっ!』

『――俺には、意地がない』

 不意に、青邪はそんな呟きをこぼした。

『譲れない一線というものがないんだ』

『何をごちゃごちゃと』

 追い討ちの攻撃がなかったことで体勢を立て直し、逆の拳を振るって即座に反撃に移る〈パルガクルス〉。

『強く要求されてしまえば、何であろうと、逆らえない。屈してしまう』

 しかし、遥かに華奢な体格の〈エレイユヴァイン〉は、それを片手で互角以上に捌き続ける。まさしく機体性能を超越した無限の力の存在を示す所業と言えよう。

『――ただ』

 白い腕の動きが止まる。

『そんな口上を述べるくらいならば、黙って屈していればよかろう!』

 生まれた隙に、すかさず組んで振り下ろされる赤い巨腕。

『今は違う』

 初めて右腕が解き放たれる。そこに握られていた〈レイアルガイザー〉が、〈パルガクルス〉の両腕をあっさりと切斬した。

『な――ぁっ!?』

 実にあっけなく落下してゆく残骸を見る驚きも束の間、遅れて襲う痛みに反応が一瞬停止する。

『ついさっき、やっと見つけた』

 懐に入り込んだ〈エレイユヴァイン〉の両手を介して、握られた〈レイアルガイザー〉が黄金の輝きを帯びるのを、ウルザントゥスは呆然と見ていた。

『“大切な人を護る”。それが俺の、唯一絶対の矜持(きょうじ)。それを侵す貴様は許さん――断じてだ!!』

『まさか……ありえん!』

 黄金の光は形を得て。青銀の剣を包み、更に長く、鋭く、大いなる力に変えてゆく。

『『神剣“竜精剛光”!』』

 二重の声に呼ばれ、その名が完全に形を得る。

『――はっ!』

 彼が我に返った瞬間には既に、滅びは目前。

『や、やめろおおおおおぉぉぉぉぉッ!!』

『うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!』

 恐慌の叫びを、雄々しき咆吼が圧し。

『――――――!!』

 断末魔を、機体もろとも呑み込んで。

 降臨と同時に解き放たれた黄金の神剣は、下から上へと振り上げられる軌道のまま、天空さえも切り裂いた。


◇◇◇


『最終祭器の昇華は叶ったようですね』

 蒼天に刻み込まれた傷痕を見上げ、水無里が呟いた。

『全て首尾よく運んだということですか』

 振り返った先には、翼を広げた漆黒の女神。

『そう、だな――』

 遙の駆る〈ザナンディース〉。その胸元には何やら紅い残骸が抱かれている。

『賭けはあまり趣味ではないが……、以前見た限りでは有望だったのでな。〈ヲルナギウス〉の回収もさほど問題なく済んだことだ、肯定しておこう』

『結構強かったねえ、あの子たち。適当なところで負けてやるのもあんまり苦労しなかったよ。先が楽しみだな』

『なんかシャクだったけど、遙の命令じゃ仕方ないか』

『帰投する』

 遙の宣言と共に、四つの機影は氷原から消え去った。


◇◇◇


 空中に唯一佇む、白い機体。

 手にしていた剣が、白光と共に消失し、周囲に舞い散る黄金の光の残滓に、漆黒が混じる。

 神器同士の戦闘の終結に伴い、もはや必要のなくなった〈レイアルガイザー〉を亜空間へと収納し、維持されなくなった十枚の副翼と光輪も崩壊を始めたのだ。

「終わったね……」

 コックピット内、緋影は前方に座しているパートナーに言葉をかけた。

「……青?」

 反応がない。

「ちょ、ちょっと!?」

 嫌な予感が胸を締めつける。今まで膝に乗せていたブルーを自分の座席に降ろし、あわてて青邪の前に回りこむ。

「青、大丈夫!?」

 言いながら肩を揺すると、青邪は重そうに頭をもたげ、緋影の顔を一瞬だけ見上げた。

「疲れた……」

 本当に気だるげな声でそれだけ言って、青邪は脱力し、緋影の豊かな胸に顔を埋めた。

「はゎあっ!?」

 さすがにびっくりして、思わず後方にのけぞったものの、しょせんは狭いコックピットの中、直後に響くは鈍い音。緋影の反射的な動きは、すぐ後ろの壁に翼と後頭部とを打ちつけ、頭の中に火花を散らすという結果をもたらすにとどまった。

「あ……あたたた……」

 まだくらくらする頭を支えながら、緋影が我に返ると、青邪は相変わらず脱力して倒れた体勢のまま、彼女の膝に頬を載せていた。

「え……あれ?」

 冷静になって見てみると、その背中はちゃんと緩やかに上下している。聞こえるのは、静かな寝息。

「ひょっとして……寝てる、だけ?」

 呟いてから、はっとした。

 青邪の寝顔を見たのは、今このときが初めてだ。

 青邪は人の気配を感じるだけでほとんど反射的に目を覚ましてしまうらしく、長い付き合いの中でも、せいぜい眠そうに目をこすっている姿くらいしか見たことがない。

 勝手な自負かもしれないが、最も近しい人間であるはずの自分にさえ見せないのだから、誰にも見せていないはず。

 つまり、自分だけ。少なくとも、自分が初めてだということは確か。

「青……」

 ずっと感じてきた、見えない強固な壁が、初めて破れた。

 多分、さっきのことは、自分の顔を見たことで戦いの間保っていた緊張の糸が完全に切れてしまい、取り繕う暇もなくあんな体勢が完成してしまったのだろう。

 そこまで無防備な姿をさらしてもらえるということ。

 自分は、受け入れられている。

「うわ……」

 くらり、とひどく甘美なめまいが緋影を襲った。

 言葉のように理性や思考といった余計なものの割って入る余地のない、最も根本的でストレートな反応だけに、その印象は一層強烈だった。

「……母性直撃、って感じ……」

 呟いたところで。

 がくん、と機体が大きく揺れ、浮遊感がコックピットを満たした。

「わ!? い、いっけない! 落ち始めてるーっ!」

 二人いるパイロットの両方ともが機体制御を放棄したのだから、当たり前と言えば当たり前。機能を停止し翼を失った〈エレイユヴァイン〉は、地上数百メートルの高みから落下を始めていた。

 緋影はあわてて青邪を抱き寄せ、彼の座っていた座席の制御球に手を置いて〈エレイユヴァイン〉を再起動させた。

 再度生え出した翼を羽ばたかせ、機体の落下が停止する。

「はー……、危ない危ない。こんなしょーもないことで死んじゃってたら全然シャレにならないよ……」

 ぼやいて、青邪の座席に着きながら気を取り直す。

「青、あたしもお返し」

 眠っている青邪にささやきながら、空けた左手の指先を髪に滑らせ――一旦止める。

「ブルー。あんたはしばらく寝てて。見ちゃダメ」

「……ぁ」

 仕方ない、といった響きの鳴き声が、振り返りもしない緋影に答えた。

「あたしが髪を解くのはね、青の前でだけなんだよ」

 言いながら、古びたリボンを解く。

 さらり、と音を立てて流れた、紅玉髪(ルビーブロンド)とでも呼ぶべき緋色が、青邪の青銀髪(サファイアブロンド)にかかる。

 緋と、青銀。その長さゆえに毛先の混じり合った髪は、制御球の青白い照り返しを受けて、紫に光った。

――世には、紫色の貴石が一種類だけある。

 名を、アメシスト。

 恋を司る石。

 黒く白い、恋の神(クピードー)にも似た姿の機体は、短縮されてしまう時間を惜しむように、空間転移を使わず、敢えてゆっくりと羽ばたいて帰途に就いた。

(第六章・了)

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