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羽撃のアークエネミー  作者: 銀丈
第五章
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羊頭狗肉

 秋の終わりの早朝、時節ともあいまって肌寒い冷気と静寂の漂う≪XENON≫基地内武道場。二人の少年が、木刀を手に対峙していた。

「なあ……ホントにいいのか?」

 訊いたのは、両手で木刀を正眼に構えた少年――白郎。

「ああ。本気を出さないと、お前の方が怪我するぞ」

 答えたのは、自然体で右手に木刀をぶら下げた少年――青邪。長いサファイアブロンドが左右に分けられ、それぞれが幅広の黒いリボンで結わえられている様は、彼の顔立ちが少女並みに整っていることもあって、妙に愛らしい。

 既に五時間もの間寝込んでいたこともあってか、珍しく朝早く、しかもすっきり目を覚ました青邪は、何を考えたものか、白郎との戦闘訓練を申し出たのである。

 当然ながら白郎は当然満身創痍(まんしんそうい)の青邪との手合わせにためらいを見せたのだが、当の青邪が返した言葉といえば先のそれ。反論の余地も与えてはくれない。

「……そこまで言われちゃ黙ってらんねえよな、男として」

 挑発でも何でもなく、純粋に案じている青邪の表情が、かえって白郎の負けん気に火を点けてしまった。

「行くぜ!」

 宣言するなり白郎は木刀を振りかざし、棒立ちの青邪に突進した。

「おらあっ!」

 勢いよく振り下ろした木刀が空を切った――と思った時点で、白郎の腹には青邪の膝頭がめり込んでいた。

「ぐ――はっ!」

 青邪が木刀の回避と同時に白郎に接近、懐へ入り込み、膝蹴りを繰り出したのだ。

「だから言ったろう」

 肩越しに青邪の声を聞きながら、その膝が離れたことで支えを失った白郎は、がくりと膝を折った。

「一条さん相手のときと比べて、格段に遅いぞ」

「……っ」

 急所にでも入ったのか、呼吸もままならないが、震える喉をなんとか動かし、油断なく間合いを離して立っている青邪に毒づく。

「てめ……反則、だぞ……足っ!」

「剣道の練習じゃないんだ、無茶言うな」

 へたり込んでいる白郎を見下ろす青邪から返ってきた返事はやっぱりにべもない。恨めしげな視線を送りながらも、白郎は苦痛で動けず、かすれた呼吸音だけがしばらくの間道場の中に漂う。

「……はー……やっとまともに呼吸が……」

 二、三度深呼吸した後、白郎は立ち上がった。

「なんなんだよ、今のは。反応早過ぎねえか?」

 攻撃した時点で、青邪はほとんど懐に入りかけていた。太刀筋を見て反応したなどというレベルを超えている。

「どんな攻撃がどこに、どういった角度・軌道で来るか、前もって解るんだ。それが“愚者の眼(アウトサイト)”、俺の『召喚形質』だからな。白郎や他の二人とは違って、体の外で目に見える「形」にはできないみたいだけど」

 木刀を持っていない左の指先で、閉じてみせたまぶたをつついて答える青邪。

「ん……体の外に出ない? ひょっとして、細いのにバカ力なのも、その関係か?」

「多分、そうかもしれないな」

「すげえな……思いっ切り反則じゃねえか」

「いや、そうでもない。結局俺は武術の素人だから、本当に強い相手には反撃しきれないんだ。動きは訓練で無駄をそいでいくしかないんだよ」

「それでも十分過ぎるくらいタチ悪いって――あれ?」

 憮然とした表情で愚痴ってから、白郎は首をかしげた。

「なら、なんで昨日は攻撃当たっちまったんだ? おまえの様子も何か変だったし。あのパイロット、まさか知ってるやつなのか?」

 青邪はしばしつぐんでいた口から単語を一つこぼした。緋影……と。

「ひか……霧生!?」

 当然といえば当然だが、白郎は目を剥いた。

「ンなバカな!? あいつ、行方不明になったあげく何やってんだ!?」

「さあ。事情は知らない。……どうすればいいと思う?」

「どうすればって……おまえはどうしたいんだよ」

「………………解らない」

 俯きがちに、青邪は小声でこぼした。そのレモン色の瞳が、明らかに揺れている。青邪がこうして、かけらでも自分の感情を見せるのを、白郎は初めて見た。

「命令なら、排除する。ただ……彼女がからむと、俺は自分でも理解できない行動をとってしまう。かといって、命令が実行できなければ、パイロットとしての俺がここにいる意味はなくなる……見捨てられてしまう……」

「…………」

 青邪の独白を聞いて、白郎は木刀から離した手でぐしゃぐしゃと髪をかき乱し、告げた。

「おまえ、何でもかんでも考えすぎなんだよ。いつまでも考え込んだまま立ち止まってねーで、やりたいことやれよ。後のことは後で考えりゃいいだろーが」

「……それで失敗したらどうするんだ?」

「おまえなー……」

「白郎の言いたいことは解る。解るんだ……」

 白郎の言葉を遮り、青邪が続けた。

「失敗しなければ学ぶことができないのは確かだ。でも、失敗は恥をかくことに、他人に弱みを見せることになってしま――」

 ごん、と音を立てて、青邪の頭が横にかしいだ。

「いいトシこいてジジイみてーなこと言ってんじゃねー。おまえオレとタメだろーが。ったく、二重に石頭だな。オレの手のほうがいてーよ」

 手を振り振り、白郎が青邪に呆れきった表情を示す。

「……ああ……悪い」

 頭をさすりながら、青邪は、飛んで来る白郎の拳を視ていながらよけ損ねたことで、知覚と動きの間にある誤差を改めて認識していた。

「……白郎。また始めよう」

「おう」

 青邪の声に応えて、白郎も木刀を再び握り締め、構える。

「今度はホントに本気だぜ!」

 言った白郎が一瞬左半身を前に出したかと思うと、次の瞬間、腰の回転と共に、強烈なひねりの入った右の突きが繰り出された。

「!」

 受けようとしたものの、予測を上回る回転で逆に木刀を弾かれ、青邪は迷わず反撃をあきらめ後方へと跳躍した。そこに、更に深く踏み込んだ白郎のもう一太刀。しかし今度は回避。

「まだまだぁ!」

 続けざま、白郎の切れ目ない猛攻が始まる――が、遙の攻撃ほどの脅威ではない。それだけに、死に物狂いだったその時よりも落ち着いて対処できた。

 上段、中断、下段、そして、木刀だけでなく蹴りや拳。襲い来る攻撃の“線”を視、それぞれに対処していくうち、次第に青邪は理解し始めていた。

 微細な点が流れることによって“線”に見えているに過ぎないのだ。流れさえ見切ることができれば、“点”の更に先へも対処できる――!

「――そこ!」

 銃弾の勢いで白郎の懐へ飛び込み、振り上げられる前の木刀を余計に上へ弾き、返す刀を大上段から振り下ろす!

「――!」

 木刀から直に伝わってきた衝撃で手をしびれさせ顔に驚きの表情を浮かべた時点で、白郎の鼻先には既に木刀が触れていた。木刀のまとっていた風が、一瞬遅れて彼の、汗で濡れた前髪を揺らす。

「……勝負あったな」

 本当にぎりぎりで止めた木刀を下ろし、青邪は硬直している白郎に告げた。

「死ぬかと思ったぜ……」

「ごめん。でも、お陰で技がつかめた。ありがとう」

 蒼い顔でへたり込んだ白郎に頭を下げる。

「そんならそれでいいんだけどよ。……ったく、本当にバカ力だな。手がまだしびれてるぜ」

「はは。まあね。それより、さっきの技は? あれに続く連携技さえよく考えれば、白郎も一気に強くなれるかも知れない」

「へっへー」

 青邪の評価を聞き、白郎はにやりと笑った。

「オレのとっておきなんだぜ。高飛車女とやり合ってる間に考えついたんだ。ちょうどオレの機体にもいかした補助武装があるらしいしな」

「?」

「ま、そりゃ後のお楽しみってやつだ」

「あ、ああ……」

 やや釈然としないまま、青邪は頷いた。

「……とりあえず、朝ご飯にもまだ少し時間があるし、汗流していこうか」

「そーだな。せっかくいい汗かいたんだ、悪くねえ」

 寮にある大浴場の存在を思い出した青邪の提案に、白郎も頷いた。

 銀星学園の学生寮である永青館には、瑶林(ようりん)棟、瓊樹(けいじゅ)棟の地下に、それぞれ大浴場が存在している。風呂場自体は各部屋に完備されているが、この大浴場は深夜を除き基本的にいつでも入浴可能な状態にあるので、利用される割合は個室と半々ほどと高いのだ。

「善は急げだ、早速行くか」

「ああ」

 二人は早速道場を後にした。


◇◇◇


 格納庫では、時間に関係なく、相変わらず整備員たちが忙しく走り回っていた。

「どうだー!?」

 元より騒がしい格納庫の中でも、石動の野太い声は一際よく通る。

「だめでーす! 根元から完全にいかれちまってまーす! こりゃ時間かかりますよー!!」

 両腕を失った〈転鱗(テンリン)〉の肩の様子を見ていた整備員が、機体の足元から届く上司の問いに叫び返す。

「そーかー! だったら予定通りあれ一本で行くぞー!」

 頭上に叫び、石動は背後を振り返った。

 元より白一色の〈エレイユヴァイン〉を除く三体のティマイオス――〈永姫(エイキ)〉〈撃震(ゲキシン)〉〈非天(ヒテン)〉の装甲が、全てまだら模様と化している。

 今までの配色を一新し、各パイロットのシンボルカラーへの再塗装が施されている最中なのだ。

 青かった〈永姫〉は白を基調に要所に金の装飾を加え、濃緑色だった〈撃震〉は黒地に歌舞伎の隈取(くまどり)を思わせる銀色の線が全体に走っている。

 そして、今までパイロットのいなかった機体〈非天〉は、赤から青緑――碧――色へ。

「ついに〈非天〉の出番か。碧ちゃん、これで心置きなく闘えるぜ。なんたって、ほとんどが自分の発案した武装で構成された機体だからな」

 石動は、まるでこの場にいない少女に言い聞かせるような口調で呟いた。


◇◇◇


 青邪と白郎の二人がそれぞれ風呂道具を手に大浴場の脱衣場へ入ってきた時、そこに人の気配はなかった。

「お、一番風呂か」

 上機嫌な白郎の脇で、青邪は脱衣場の隅の籠に無造作に脱ぎ捨てられている、衣類一式を見つけた。

「……でもないみたいだ」

「あん? 先客かよ。……つまんねーな」

 水を差されて、白郎がつまらなそうにぼやきながら服を脱ぎ捨てていく。

「……あれ?」

「先に入ってるぞ、天城」

 服を脱ぐ手を休めて先客の衣類の中身に首をかしげる青邪を置いて、白郎が先に浴場へと入っていった。

「これって……ブラジャー?」

「だああああっ!?」

 青邪が呟いたそばから、白郎の驚きの声が浴場の中から響き、本人が飛び出してきた。

「な、な、なななななっ!」

「白郎、前くらい隠せば?」

 状況そのものは大体予想できるが、今の白郎にまず必要なのは落ち着きだろう、と助言してみる。

「これが落ち着いて隠してられるか! なんだって男湯にあいつがいるんだよ! お、オレもう行ってるからな!」

 赤面したまま早口にまくしたてて、白郎は服を着るのもそこそこに、脱衣場からさえ飛び出していってしまった。

「あいつ?」

 まるで知っている相手がいたかのような言い方に首をかしげながらも引き戸を開けて中に――当然ながら服はちゃんと脱いである――歩みを進める。

「おはよう、青邪」

 白い湯気の向こう、大きな浴槽の中に、確かに見慣れた少女がのんびり浸かっていた。

 ……この浴場が混浴だとは、知らなかった。

「おはよう、碧紗。……女の子の胸を揉んだことはあるけど、裸を直に見るのは初めてだ」

 あいさつを返し、とりあえず率直な感想を一つ。そして、手近な洗面台の前に腰を下ろす。百円ショップで買った黒のカラーゴムで束ねてあるサファイアブロンドが、動きに伴って揺れた。

 湯船に入る前に、まず軽く体を洗わなくては。

「私はそうでもない」

 青邪の感想に返し、碧紗は浴場入り口の引き戸に視線を送った。

「白郎、どうしたの?」

「男しかいないと思ってた風呂場に女の子が入ってれば、そりゃ驚くだろうな」

 湯を浴びていた青邪も同じく引き戸の方に視線を向け、答える。青邪の場合、碧紗が元々意識すべき異性ではないので、動揺するまでには及ばない。もっとも――意識すべき異性というもの自体が彼には元々いないのだが。

「こういう大浴場は瓊樹棟にもあるはずなのに、どうしてこっちにいるんだ?」

 青邪が問い返すと、返ってきた答えは、単純明快。

「こっちの方が広いし、朝早くは誰も来ないから」

「なるほど。確かに広い湯船を独占できるのは爽快だ」

 頷き、湯船――当然碧紗のすぐ隣――に体を沈めながら、青邪はわずかに顔を歪めた。何しろ今は全身の筋肉組織が傷んでいるのだ、日常的な動作はもちろん、ちょっと湯に浸かるだけでも苦痛を伴う。だが、だましだましそれに慣れると、青邪の表情は間もなくいつもの柔和なものに変わった。

「あー……いい湯だ」

 漂う髪で湯を一面青銀に変え、溺死体か妖怪を思わせる姿でのんびり呟く頭上には、たたんだタオルが乗っている。定番をきっちり守るのも青邪の主義の一つなのだ。

 ぼーっと湯に浸かっているうちに、のぼせてきたのか、碧紗は立ち上がり、湯から上がった。

 青邪が何気なく視線を走らせると、そのしなやかに引き締まった細い背中には、ナイフの痕や銃創を初め、一介の少女らしからぬ傷が無数に走っている。

 物思いに沈みかけた青邪を、碧紗は目だけで振り返った。

「じゃ」

 短い別れのあいさつ。

「じゃ」

 青邪もあいさつを返したのを聞き、少女の後姿は湿った足音を残して引き戸の向こうに消えた。

「あー……朝からこういう大浴場って、贅沢(ぜいたく)ぅ……」

 独り呟くと、青邪は後に待っているであろう朝食や授業のことを考えるのもそこそこに、顔の下半分を湯船に沈め、ぶくぶくと気泡を吹き出して遊び始めた。

 余談ではあるが。

 この後、青邪は脱衣場を出るところで、新たに入ろうとしていた他の男子生徒と鉢合わせ、湯上がりで上気した顔特有の色気で相手を赤面させてしまうことになる。

 以降、大浴場の「謎の美人」目当てに朝の利用者数がちょっと増えたらしい。


◇◇◇


 平穏かつ退屈な、日常そのものの授業時間が何事もなく過ぎ去り、訪れた昼休み。

 学食は大にぎわいであった。

 元々が交通の便の悪い場所に存在している私立校だけあって、寮生活の生徒を飽きさせないようメニューが豊富、しかも味も保証付きと来ている。そこに来ないのは、自前で弁当を作っているか、作ってもらっている、あるいはあえて購入したパンを食すという変わり者くらいのものである。

 青邪たち四人はどうかというと、来ない方に属していた。ちなみに分類は二番目。日当たりの良い屋上でシートを広げ、一条家、つまりはトーヴァの家のお抱えシェフが用意したという、お重入り弁当の山を前にしていたのである。

「こりゃすげえ……」

「うーん、さすが」

「……?」

 それぞれ驚――多分――いている三人の様子を、背後に日下部を従えたトーヴァは満足げに見回した。

「ほーっほっほっ! いかが? 一条家の財力の片鱗、ご理解いただけまして?」

 相変わらずの高飛車笑いと共に、各料理の内容や食材、用いられている技巧等々、それらがどれだけすごいものか、という解説が続く。

 しかし、三人はそういったことには最初から興味がないらしく、今朝の一件から碧紗に「異性」を意識して彼女を避けている白郎を青邪がからかったり、知ってか知らずか当の碧紗が白郎に抱きついてみたり、とこちらはこちらで勝手に盛り上がっていた。

「――というわけでしてよ! では、いただきましょうか」

 ようやく説明が終わったところで、

『生徒会執行部、安全保障委員の皆さんは、至急執務室へ集合してください』

 無情にも、流れてきた校内放送が昼食抜きを告げた。


◇◇◇


「事態は急を要します」

 四人の集合を作戦司令室で待っていた妹尾は、まずそう言い、せっかくの昼食を邪魔されたため不機嫌な白郎の抗議を遮った。

「何があったんです?」

「まずはゼノアークへ。機体の搭載は完了していますので、発進次第、艦内でブリーフィングを行います」

 彼女は四人を伴い、ティマイオス用のものとはまた別の、下手な競技場より広い格納区画を占拠している白い艦の中へと案内した。青邪にとって、実はゼノアークに乗り込むのはこれが初めてである。

 時折テレビなどで見る潜水艦の内部同様、殺風景とさえ表現できる実用一点張りでさっぱりした象牙色の廊下の先に、作戦司令室が広がっていた。

 空間が限られていることもあってさほど広くはないが、基地ほど面積を無駄使いしていないこちらの方が正当に見え、青邪には好感が持てた。

「待っていたぞ、諸君」

 円卓で妹尾を含めた五人を待っていた厳一郎は、妹尾が傍に控えた時点で立ち上がり、パイロットたちに向かって軽く頭を下げた。

「まずは、昼時に呼び出してすまん」

「上司はそう簡単に詫びるべきじゃありませんよ」

 そう言って、青邪は詫びの言葉を遮った。

「下げる頭はもっと別の、大切な時のためにとっておいて下さい」

「そ……そうか。覚えておこう。しかし……天城君、君は本当に高校生なのか?」

「はい。ですが、人間性を年齢で一定の枠にはめるという姿勢には感心しかねます」

 これまた取り付く島もない。

「す、すまん」

「……もう、らちがあきませんわね。司令、急を要する事態とは一体何ですの?」

 業を煮やして、トーヴァが先を促した。

「うむ。危うく脱線するところだったな」

 彼女の言葉を助け舟に、厳一郎は調子を取り戻した。

「今回、政府からの出撃要請が出たのだ」

 その言葉に伴い、彼の背後のスクリーンが像を結ぶ。映し出されたのは、東京都永田町は国会議事堂の上空に複数佇む巨大な人影。二対の翼を持つ一際巨大な紅蓮の機体と、翼を一対持つ女神じみた意匠の青白い機体の二機を中心に、有翼の白い機体が数十体。戦うべき相手、アンノウン‐ナンバーズだ。

「二十分ほど前、これらが空間転移によって現れました。今のところは何の動きも見せていませんが、国会の開会中ということもあり、議事堂の中には政治家が多数集まっています」

「二十分で連絡できんのかよ。自分の命がかかるとお役所仕事もやたら早くなるんだな」

 白郎が呆れ顔で呟き、

「豪勢な調度品に囲まれながら寝るか野次飛ばすかしかしてない老けた幼稚園児が何人死のうと、誰も困らないと思いますけど、まあ、命令なら」

 青邪もほとんどやる気なし。

「…………」

 碧紗に至っては最初から無関心。青邪のツインテールを束ねる黒いリボンの角度が気になるらしく、それを指先で微調整している。

 ――だが。

「やりましょう!」

 声と共に、踏み出された足がだん!と床を叩く。やる気を燃えたぎらせる少女が一人、まだ残っていた。

「ここで恩を売っておけば、一条グループにも良い結果をもたらすこと間違いなしですわ!」

「……うーん、そりゃまた随分ダーティな……」

「いいえ! むしろクリーンな日本政界には存在価値などありませんわ!」

「……こいつは……」

 トーヴァは堂々と言い切り、青邪と白郎を呆れさせた。

「……ともかくだ」

 咳ばらいでトーヴァ発言の残した余韻をなんとか振り払い、厳一郎は話題を本来のものに戻した。

「我々≪XENON≫の結成要因の一つである〈U‐0〉事件が尾を引いていて、自衛隊だけでなく在日米軍も手を出しあぐねている。彼らに抗しうるのは我々だけなのだ」

「それもそうですね」

 相槌を打つ青邪に視線を投げ、怪訝な顔で自分を見返す彼に頭を下げる。

「……またですか」

「あれだけの数が脅威であることはもちろんだが、中心の二機の精霊反応は〈ザナンディース〉や〈U‐3〉並みの数値だ。君の〈エレイユヴァイン〉でなければ、まともに戦うことは難しい。……君の体に残っているダメージは重々承知だ。出撃してほしい」

 頭を上げないままの言葉に、青邪は肩をすくめ、そしてため息と一緒に答えた。

「命令してください。それを果たします」

「……一見さんお断り、って感じですわね……」

 半ば呆れ顔で、トーヴァが呟く。

「……天城隊長。出撃し、仲間と共に国会議事堂上空に出現した機体群を掃討せよ。なお、赤、蒼、白の機体それぞれを順に〈U‐5〉〈U‐6〉〈U‐7〉と呼称する」

 命令を聴いた直後、青邪の顔からは人間味と共に表情が完璧に失われた。

「了解」

「まもなく現場上空に到達します。機体に搭乗し、出撃に備えてください」

 妹尾の声に、四人はそれぞれ格納庫へと去っていった。

「……私は、信用されていないのだろうか?」

 体を引きずるようにして曲がり角に消えていく青邪の後姿を見送り、厳一郎は傍らの妹尾に呟いた。

「公私混同を嫌っているだけではないでしょうか」

「まあ……、そういう見方もあるか」

 即座に返ってきた答えに自分を納得させ、スクリーンに映し出された青白い機体へと視線を移す。

「コードネーム〈蒼白の墓標(ペイル・トゥーム)〉……十四年前、発掘された直後に姿を消した、〈エレイユヴァイン〉と同じオリジナルと聞いていますが、なぜこのような時になって?」

「解らんよ」

 妹尾の問いに、かぶりを振る厳一郎。

「私に解るのは、あれに乗っているであろう人間が、幼くしてALSやガンスレイヴという複雑極まりない機構を考案した、怪物的な知能を持つ姪だということだけだ」

 もれた呟きは、ひどく苦い響きを帯びていた。


◇◇◇


 国会議事堂上空。

〈回りくどいことをするのだな、ミュセイファーよ〉

 空中に佇む〈ペイル・トゥーム〉こと〈ゼルクシャール〉のコックピット内に、男の声が響いた。

 仮想ウィンドウの向こうには、言葉遣いの割にまだ若い青年。すぐ隣の機体〈パルガクルス〉からの通信である。

〈我らだけで行動を起こしても十分に事足りようものを〉

「いいえ、考えてごらんなさい、ウルザントゥス」

 青年の訝しげな言葉に対し、靜は逆に問いを投げかけた。

〈?〉

「希望が真正面から砕かれる時、周囲にどれだけの動揺がもたらされると思う?」

〈ほう…………〉

 問いの趣旨を理解したのだろう、ウルザントゥスは唇の端を吊り上げた。

〈そのためのガンスレイヴと≪XENON≫か。全く恐れ入る〉

「ふふふ、ありがとう。さて……」

 会話を打ち切り、靜が機体の首をめぐらせる。

『そろそろお客様のお越しのようね』

 果たしてその言葉が終わった直後、彼らの前方の空間が漆黒の球体を生み出した。

 崩壊する球体の中から現れ、隻翼をたたんで剣を構える白い機体。その背後に飛来した艦からも、三体のティマイオスが投下され、それぞれ戦闘態勢を整える。

『ほう……あれが』

 現れた白い姿に対し、ウルザントゥスが声をもらす。

『そう。かつては間に合わなかった“最終祭器”よ』

『面白い、あの小娘の切り札がどれほどのものか、見せてもらおう』

『その前に、まずは〈ガルム〉の性能テストも兼ねてティマイオスともども小手調べといきましょうか』

 靜の声に応えて、彼女の〈ゼルクシャール〉とウルザントゥスの〈パルガクルス〉の周囲にただ滞空していた白い機体――〈ガルム〉の群れが、来訪者へと向かって一斉に襲いかかった。


◇◇◇


『は!』

『おらあっ!』

 気合と共に〈エレイユヴァイン〉の剣〈レイアルガイザー〉から青銀の、〈撃震(ゲキシン)〉両肩の〈エーテル・ブラスト〉砲口から白の、光がそれぞれ撃ち出される。しかし――

『翼の扱いに慣れている……?』

 襲い来る白い群れは、それぞれがほんのわずかに姿勢を傾けただけで迎撃を避け、四機の間近へと着地した。

 スピードを緩めずに〈ガルム〉が殺到するのは、やはり鈍重そうな〈撃震〉。

『まずい――』

 振り返ろうとする背後にも遠慮なく跳びかかってくる数体の〈ガルム〉を、剣の一閃で薙ぎ払い、青邪は改めてそちらを振り返る。

 だが、心配はなかったらしい。

『どっせええいっ!!』

 ぐわしゃあ! と豪快な音を立て、白い破片が宙を舞う。それを成さしめたのは、〈撃震〉の右腕部分に装備された円錐形の回転掘削機――早い話がドリルであった。

『石動整備長特製〈D‐ユニット〉はダテじゃねえぜっ! おら、どんどんかかって来やが――うおおっ!?』

 景気よく叫んだ直後に、たった今装甲の大半を粉砕したはずの〈ガルム〉に組み付かれ、虚を突かれた〈撃震〉は大きくよろめいた。

『なっ……なんなんだこいつらっ!?』

 加えられた圧力に、≪XENON≫所属のティマイオスの中でも随一の強固さを持つはずの装甲が嫌な軋みをあげる。

『やべえ、こいつらにつかまるな! まともに組み合ったらシャレんなんねえぞ!!』

 生まれた隙を逃さず、他の〈ガルム〉たちも次々とその上にのしかかってゆく。

『く――痛覚がありませんの!?』

 トーヴァもやはり苦戦していた。いくら薙刀を振るおうと、押し寄せてくる勢いがまるで止まらないのだ。

『……中毒者(ジャンキー)相手だと思えばいいの……? でも、数が多すぎる……』

 碧紗の場合、接近してくる機体のコックピットを確実に破壊しては一体ずつ仕留めていたが、それでも確固たる数の差には次第に追い詰められ始めていた。

『――司令塔を潰すのが先決か』

 数をなんとかさばき続けていた〈エレイユヴァイン〉が、行く手の空中で高みの見物を気取る二機を見上げて、一瞬動きを止める。すぐさまなだれを打って押し寄せてきた〈ガルム〉が、次々と跳びかかった――が。

 そんな単調な動きなど、最初から視えている。

 一閃! 間合いに入った全てを切り捨て、そこに生まれたわずかな隙を突いて突破しざま変形。頭目と見当をつけた〈パルガクルス〉目がけ突撃する。

『私は眼中にないようね。残念だわ』

 ぼやきながら〈ゼルクシャール〉が後方に下がり、逆に〈パルガクルス〉は突撃に応じて前方に出る。

『正面からやる気か。良かろう』

 青邪は赤い機体の真正面で変形を解除、剣を振り下ろす――が、その刃は巨大な拳によって防がれた。

 加速による慣性が生きているうちに、更に体をひねり、回し蹴りを繰り出す。しかしそれが届く前に、斬撃を受け止めていたのはまた逆の拳が振り下ろされ、〈エレイユヴァイン〉を直撃、真下の議事堂へと叩き落とした。

 重力加速度を加えた膨大な質量に屈し、衆議院の屋根が盛大な煙を巻き上げながら陥没する。

「が、は……っ……」

 腹に重くのしかかる呼吸困難を味わいながらも、青邪はなんとか機体を起き上がらせた。

 持ち上げた機体の手に、暗い色の布とくすんだ色をした肉片がこびりつき、白い装甲を赤黒く汚している。

 議事堂内へ落下して、何人かを下敷きにしたらしい。

 妙に頼りなく軟らかい感触を新たに足の裏に覚えつつ跳躍し、議事堂の外へと飛び出す。

 変形中はともかく、満足に翼が展開できない今の〈エレイユヴァイン〉には飛行能力がない。いくら来るべき攻撃が視えていようと、姿勢制御のできない状態で回避できるわけもなかった。

(単独での実力排除は困難。態勢の立て直しが必要だな)

『弱い……“最終祭器”とはその程度のものなのか?』

 状況判断に意地などというつまらないものの介入する余地はない。頭上から降ってきた失望の呟きは無視して、先を急ぐ。

 目指すは味方のティマイオスを捕えた〈ガルム〉が形成している三つの白い山。しかしそれは、横合いから飛来した金色の閃光によって続けざまに消し飛んだ。

 それの飛来した方向には、果たして、翼を広げた深紅の機体。ユギンクゥアルの駆る〈ヲルナギウス〉であった。


◇◇◇


〈ミュセイファーよ、これも貴公の脚本通りか?〉

 紅い来訪者の姿を認めたウルザントゥスの問いに、靜は首を横に振った。

「いいえ、彼女は全くの招かざる客。……困ったわね。彼女は加減など知らないでしょうし……」

 思案顔になり、指先でおとがいの線をなぞる。

『まあ、いいわ。後のことは後で考え直すとしましょう。この場はあなたに任せるわ、ウルザントゥス』

 一方的に宣言し〈ゼルクシャール〉は虚空に溶け消えた。

『全く……勝手な女だ。だが――これはこれで面白い』

 ぼやくのもそこそこに、ウルザントゥスは口元を緩め、自らの機体を前進させた。


◇◇◇


「見つけたぜぇ……!!」

 探し求めた敵を視界に捉えて、ユギンクゥアルはひどく凶猛な笑みを浮かべた。〈パルガクルス〉など、最初から視界にも入っていない。

「ああ、イラつくったらありゃしねえ!」

 本来なら自分が乗るはずだった〈エレイユヴァイン〉を勝手に乗り回しているだけでなく、ただこうして存在するだけで自分の神経を逆なでする、不倶戴天の敵。

 考えるだけで頭には鈍痛が走る。この痛みと苛立ちを止めるには、ヤツを消し去る以外の方法はない。〈ヲルナギウス〉は翼を広げ、猛烈な勢いで地を蹴った。もちろん、狙いは〈エレイユヴァイン〉ただ一つ。

『おらあああっ!!』

 咆哮と共に、堅く握り締めた拳を繰り出す。しかしそれは、当然のように頭を傾けるだけでかわされた。

『チッ、よけてんじゃねえっ!』

 一回転して、方向転換。振り下ろしたかかと踵は慣性に従い、アスファルトやガードレールを轢き潰して横滑りするが、すぐまた安定を取り戻し、前方に捉え直した〈エレイユヴァイン〉に向かって踏み込む。

『――味方を気にする暇はないか』

 呟いて、青邪は剣を地面に突き刺しながら襲撃者に向き直り、空けた右手で、続けて繰り出された拳を受け止めた。

『一応訊いておこうか、緋影』

『日陰ぇ? 何の話だっ!?』

 自らの拳を握る〈エレイユヴァイン〉の手をもぎ離そうとしながら、直後更なる頭痛に襲われたユギンクゥアルの動作を再現して〈ヲルナギウス〉は空いているもう一方の手でこめかみを押さえ、叫ぶ。

『お前は、何をしたい?』

『前も言ったな! てめえは、この手でブチ殺すぁッ!!』

 更に叫び、下段回し蹴り――を繰り出そうとした時点で逆に軸足を払われる。

『てめえ、ミュセイファーと同じ“愚者の眼(アウトサイト)”の持ち主か!? いちいちイヤミな先読みばっかりしやがって! てめーは黙って蹴られてろ!』

『俺を、どう思っている?』

 苛立ち紛れの理不尽な言い草を意に介することもなく、続けて淡々と訊く。

『憎んでるに決まってんだろーがっ! てめーって野郎がいるだけで、俺様はイライラしてたまんねえんだよ!!』

「そうか――」

 即答を聞いて、青邪の目がすうっと細まった。同時に、今まで〈ヲルナギウス〉の拳をがっちりつかんでいた手がそれを放して拳に変わり、〈ヲルナギウス〉の腹部に打ち込まれる。

『がっ――あ!』

『それなら、それでいい』

 どことなく満足げな語尾と共に、更に持ち上がった肘が、ちょうど前方に突き出されていた顎を真上に打ち上げる。

『……!』

『ちっ』

 不意に、青邪は舌打ちして、空中の〈ヲルナギウス〉を追い討ちとばかりに大きく真横へと蹴り飛ばした。直後――彼方から飛来した紫の閃光の直撃を受け、〈エレイユヴァイン〉だけが爆炎に包まれる。

『なっ、おい!?』

 いきなりの出来事に、ユギンクゥアルが戸惑いを隠せず声を上げる。来るべき攻撃を予測する“愚者の眼”という能力の性質上、どう考えても今の〈エレイユヴァイン〉の行動は最初から自分をかばってのものとしか解釈できないからだ。

 直前まで自分を攻撃していた敵が、なぜ……?

『ふむ、一網打尽とはいかなかったか』

『その声は――!』

 戸惑うのも束の間、ユギンクゥアルは死角から聞こえてきた声に殺気を向けた。

 依然として議事堂付近に佇んでいる機体の胸部装甲が展開されており、奥では紫の光の残滓が未だにくすぶっている。

『ウルザントゥス、てめえ――いつの間に!?』

『……本気で言っているのか?』

『俺様はいつでも大マジメだ! ……ジャマしやがって! 能書きはいいから今度こそ死んでろ!!』

 叫びに伴い、〈ヲルナギウス〉の拳が光を宿す。

『それは我の台詞!』

 応じて〈パルガクルス〉の胸部を占める巨大な砲口にも光が集束してゆく。

 金と紫、それぞれの光が放たれるその瞬間。爆炎を突き破り、半壊した白い流線形が現れた。

『なんだと!?』

『〈エレイユヴァイン〉! まだ生きていたというのか!?』

 〈パルガクルス〉に対し青邪が行ったのは、最初と同じ、真正面からの特攻。

『おい、てめえ!? 何考えてやがんだ!?』

 ユギンクゥアルの叫びを無視して機体のほんの鼻先で変形するなり、特に損傷の著しい左半身の腕を持ち上げて握力がないはずの手を拳に変え、今まさに砲撃を行おうとしている砲口へと突き込む。

『何のつもりだ!? 貴様とてただでは済まんぞ!?』

 右腕でしっかりと自らに取り付き、砲口に集中している破壊エネルギーによって現在進行形で腕を破壊され、既に下腕の大半を失っている〈エレイユヴァイン〉に対して、ウルザントゥスが動揺した声を発する。だが――

『俺の死に、怖がるほどの価値はない』

 じわじわと片腕を破壊される激痛を味わっているとは思えないほど、静かに冷め切った声しか返ってこなかった。

『ただ、今、あの女に手は出させない』

『くっ――貴様ぁっ!!』

 これ以上能書きを聞いている暇はない。青邪は既に大半が失われつつある〈エレイユヴァイン〉の左腕に意識を集中した。

 元々この機体は大半がオリハルコンで構成されている。近接武装〈レイアルガイザー〉並みの破壊力こそ生み出すことはできないが、精霊さえ集めればここに集中しているエネルギーを暴発させる起爆剤役くらい十分果たせる。

 そして。

『おい、こらぁっ!!』

 ユギンクゥアルの怒声をかき消して、その場一帯が消し飛んだ。

『くっ……何考えてやがる!』

 真正面から押し寄せる閃光と爆風を、かざした腕で受けながら毒づく〈ヲルナギウス〉の足元に、鈍い金属音を立てて、薄汚れた白い機体が転がった。

 動かない〈エレイユヴァイン〉。その左腕は肩から完全に失われている。

『……あ、……れ……?』

 それを見たとたん、〈ヲルナギウス〉はバランスを崩し、頭を抱えて、後方へとよろめきながら後ずさった。

「ひだり、うで……」

 まるで他人の口のように、彼女の口からは意識もせずにたどたどしい呟きがもれ、思考が遅くなってゆく。

――ずっと、左腕の傷を気にしていた。

――傷を増やさせたくない、と思っていた。

――左腕が失われた今、もう傷が増えることはない。

――でも。

――それを喜んでいいの?

「違う……」

 また、呟きがもれた。

――あたしはただ、あの人を護りたかった。

(護り……たかった?)

――あの人を護るために、

(護る……ため……に……?)

――あたしは、

(何を求めたんだっけ?)

『――!』

 何の違和感もなく湧き上がったあげくユギンクゥアル(自分)を完全に呑み込みかけていた“異質な”思考を、拒絶しようと思い立つよりわずかに早く、彼女は殺気を感じとって我に返り、臨戦態勢に戻った。

 その目の前に、

『やって……くれる……!』

 呪詛を吐きながら、〈パルガクルス〉がその巨体をようやく地表に下ろし、重い足音を立てて爆炎の中から現れる。

 あれだけの爆発の中心でありながら、外装にはほとんど傷がついていない。

『……つくづく頑丈な野郎だな。前よりも硬くなってんじゃねえか?』

『黙れ。今は貴様よりも――』

 倒れた〈エレイユヴァイン〉に伸びる巨大な腕――が、彼方から飛来した白い爆光によって大きく弾かれた。

『何……?』

『オレらの頭に気安く触んじゃねえよ』

 言葉を発したのは、白銀の隈取を持ち右腕からドリルを生やした黒い機体。なぜか――その傷だらけの装甲の輪郭がうっすらと白い輝きを帯びている。

 そして、その陰からまた別の、白い輝きを帯びた機体が飛び出す。

『見捨てろと言われて、はいそうですかとは従えませんのよね』

『隊員も、隊長を護る存在』

『ぬうっ!』

 薙刀と、ナイフ。見事な連携でそれらを振るう二機が、巨大な腕の防御をかいくぐり〈パルガクルス〉を圧倒する。

『く、舐めおって!』

 声と共に、俄然腕がスピードを増し、〈永姫〉〈非天〉の二機を弾き飛ばした――が。

『ナメてんのはてめーだっ!!』

 隙を突いて飛び込んだ〈ヲルナギウス〉の拳が、閉じていた〈パルガクルス〉の胸部装甲を捉え、ひびを入れる。

『もういっちょおぁっ!』

 とどめとばかりにもう一方の拳が繰り出される直前。

『――この勝負、預けておくぞ!』

 危険を悟ったのか〈パルガクルス〉は空間転移によって一瞬の内に退却した。

『ちっ、逃がしたか』

 吐き捨て、〈ヲルナギウス〉は周囲に立つ三機のティマイオス、そして機体を引きずって起き上がった〈エレイユヴァイン〉に視線を投げた。

『……』

『もう……やめろよ』

 視線を再挑戦の意思ととってか無言で持ち上げられた残る右拳を〈撃震〉が彼らの間に割って入りながら押さえ、相変わらず立ち尽くしている〈ヲルナギウス〉を振り返る。

『幼馴染み同士で、どうしてできるんだ?』

『俺様が、そいつと幼馴染みだと?』

『……霧生?』

 さすがに様子がおかしいことに気付き、〈撃震〉も太い首をかしげた。

『……ふん、まあいい。今回だけ見逃してやる。それで借りはチャラだ。けどな、次で終わりにしてやる。いいか、覚えとけ!』

 捨て台詞を残し、〈ヲルナギウス〉もまた姿を消した。それを確認してか、ティマイオス三機が機体にまとわりついていた白い輝きを消し、全て膝をつく。

 輝きが収まった後に残ったのは、今の今まで動いていたのが不思議なほど傷ついた、満身創痍の機体。

『……うー、アルベドモード、これで二度目か。確かにきついぜ』

『珍しいですわね、あなたが弱音を吐くなんて』

『ほっとけ。あんだけ重労働したあげくダチに撃たれりゃ疲れねー方がおかしいぜ』

『ダチ?』

『あ、いや……こっちの話だ。……大丈夫か?』

 青邪自身と似ている分だけ鋭い碧紗の呟きにどきっとしつつもなんとかごまかし、白郎は青邪に視線を戻した。

『少なくとも、死んでない』

 相変わらず、返ってくるのは冷め切った答え。

 かけられた言葉に寄りかかることなく、戦闘終了に際し各機体を回収に戻ってきたゼノアークの元へと歩き出す青邪――〈エレイユヴァイン〉。元より輪郭のはっきりしない不完全な隻翼を生やしたずたずたの背中は、必死で周囲に心配無用と語り、一切の干渉を拒んでいる。

 しかし、何の前触れもなく、その背中が揺らいだ。糸が切れたように、機体そのものが前のめりに倒れたのである。

『天城! ったく、このバカが、また無理しやがって――』

〈違う〉

 助け起こそうと歩み寄る〈撃震〉の足を、コックピットに直接飛び込んできた青邪の声が止めた。

「へ?」

〈全システムが勝手にダウンした。こうして話せるくらいだから通信系統だけはまだ生きてるらしいが〉

 状況を説明する声自体はしっかりしているが、その目の焦点が合っていない。機体がいきなり停止したということは、同調させていた五感が消滅したようなものなのだろう。表れている異状が今回負ったダメージのせいではないと信じたい。

〈それより、早く医者――獣医の手配を〉

「は?」

 思いがけない言葉に、白郎も目を丸くする。

 返ってきた答えというと、

〈ブルーの様子がおかしい〉


◇◇◇


「ブルーの様子がおかしい」

 先の特攻で感覚の失われた左腕の代わりに右手で顔を押さえながら、青邪は意外な要求の理由を伝えた。

〈お、おう! すぐ伝える!〉

 あわてた表情の白郎の顔が、通信の終了と共に消える。

「……く……」

 不意の機体停止によって感覚が引きちぎられた反動として襲ってくるめまいをこらえながら、ブルーのいる後ろの席を振り返る。

 そして、眉をひそめた。

 力なく四肢を伸ばし、腹を苦しげに上下させている黒猫――その胸元の毛が、真っ白に染まっている。

 青邪の示した微かな変化に気が付いたのか、気だるげに頭をもたげたブルーは翠の眼を開き、彼を見返した。

「……ああ、なるほど」

 しばし視線を交わした後、青邪は以前遙がブルーを見て発した言葉を思い出し、相変わらずの平静な顔で合点して頷く。確かそれはケルトか何かの古語だったはずだ。

「『猫妖精(ケット・シー)』……お前も俺と同じだったんだな」

 ばれちゃったね、と翠の眼が応える。

「隠し事は感心しないな」

 やや硬い声で言いながら、青邪はブルーの小さな頭に手をのせ、柔らかくなでた。

「いいから、無理をしないでじっとしてるんだ。お前にも死んでほしくない」

 自分の言葉に応えて沈黙し体から力を抜いたブルーを、動く右腕でそっと胸元に抱き寄せる。

「……理屈は、後でいいんだよ……」

 諭すように、かみ締めるように。抱きしめた黒猫に言い聞かせる。

 それこそが、発した青邪自身にとっても、それも最も必要な発想だということに、彼はまだ気付いていなかった。


◇◇◇


「永田町消滅、か……」

「司令」

 無人の作戦室で独り腕を組み呟く厳一郎の元に、妹尾が現れた。

「ティマイオス各機、収容完了しました」

「うむ。各機体とパイロットたちの状態はどうなっているのかね?」

「はい、まず、〈エレイユヴァイン〉を除く三機は中破。パイロットは無傷です。密集していた敵機体群が被弾の際盾の役を果たしていたらしく、一週間以内に再行動が可能と思われます。残る〈エレイユヴァイン〉と天城隊長ですが……、こちらはかなり深刻です」

 そこまで言ってから、妹尾は一旦口をつぐんだ。

「機体は左半身、右腕部、及び頭部大破。残る部分も中破以上の損害を受けており、左腕は肩から先が完全に消失。発見時の報告とほぼ同じ状態にまで破壊されました。修復には年単位の期間を要するものと推測されます」

「…………天城君は?」

「天城隊長は、機体からのフィードバックによって左腕、特に神経組織に深刻なダメージを受けています。現時点で切断処置の必要はなさそうですが、従来通りの日常生活はほぼ絶望的かと」

 報告に対し、厳一郎は絶句した。そして、

「…………私の、せいか。あの状態で出撃させた、私の……」

 しぼり出すように呟く。

その顔には、苦悩の色が濃い。

「………………司令」

 有能な秘書然とした冷静な表情のまま、しばらく上司の表情を観察していた妹尾が、口を開いた。

「……何かね」

「真行寺皓大(こうだい)会長……お父上が、あなたを疎まれている理由が判ったような気がします」

「……言ってみたまえ」

「三男だということではなく、あなたは「いい人」過ぎるのです。身近なものをいたわるあまり、周囲のより大きなものがお見えになっていらっしゃいません。組織の長たるあなたがそのような状態では、遠からず≪XENON≫も瓦解しましょう」

 それを聞き、厳一郎は深いため息をついて椅子に今までより深く腰を沈めた。

「で、その結論をどうするつもりかね?」

 テーブルに肘を置いて指を組み、問う視線を投げる。

「忠告以外の何物でもありません。あくまで私はあなたを補佐するために存在する秘書です。責務を果たすためには多少なりと胸に留めておいていただいた方がよろしいかと」

「……うむ」

 冷静な顔から垣間見える穏やかな感情を見て、厳一郎は頷いた。

「――報告を続けさせていただきます」

 上司が頷くのを確認してから、妹尾は再び余計な感情を隠した普段通りの顔に戻り、視線を手元の書類に下ろした。

「天城隊長の負傷と同時に、同乗していた彼の飼い猫にも異常を確認。原因は目下調査中ですが、現時点の推測ではフレーム中枢部のブラックボックス“精霊石”原型野にあるものと思われます」

「……彼には悪いが、これでオリハルコンテクノロジー研究がまた一歩進むわけだな」

「はい」

「天城君と〈エレイユヴァイン〉は当分出撃不能……。復帰を待つ時間が惜しい。〈エレイユヴァイン〉の解析を早急に進めたまえ。並行してティマイオス用の自動召喚システムと第三世代型ティマイオスの開発を」

「かしこまりました」

 居住まいを正し、きびすを返そうとする妹尾に、一通り指令を下し終えた厳一郎は首をかしげて見せた。

「――こんなところかね?」

「はい。申し分ありませんわ」

 足を止め、振り返った妹尾は、にこり、と――初めてと言ってもいいほどの微笑みを返した。


◇◇◇


 基地に到着するなり、青邪はブルーともども否応なしに医務室へかつぎ込まれていた。

「全く……下される指令も指令だが、君も君だ。本当にここまで無茶をする必要があったのかね?」

 青邪の左腕のスキャン結果に目を通し、赤くただれた肌を実際に触診しながら、医師は呆れ顔で訊いた。

「さあ……断言はしかねます」

 しかし、青邪は短い前髪を揺らして首をかしげ、返答に困ったような顔で返すだけ。

 長さが手間になったらしく、サファイアブロンドは救護班によってばっさり切られてしまっており、青邪の髪型はまた変わってしまっている。

「……とにかく、もう少し自分の体をいたわりなさい。特に君の場合、あの機体に乗って戦うだけで、簡単に傷を負ってしまうんだ」

「はあ。で、ブルー……猫は?」

 気のない返事の直後、急に話題を切り替える。

「……原因はよく判らんが、単に衰弱しているだけで、命に別状はない。そんなことより、私は君の体を心配してだな――」

「あなたが俺を心配する利点はほとんどありません」

 ぴしゃりと遮って、青邪はまくり上げていた左腕の袖を下ろしながら立ち上がった。

「診察はこれで終わりですか?」

「あ、ああ……」

「ありがとうございました。後でまたブルーの様子を見に来ます」

 あっけにとられて頷くだけの医師を置いて、感覚のない左腕を揺らしながら、全身の傷がまだ癒えていないためにぎこちない足取りで、医務室を後にする。

「ったく、どうしてそう自分一人だけで立とうとすんだよおまえは」

 医務室を出たとたん、聞き慣れた声がかけられた。

「……っ」

 振り返ってみると、たった今自分が出てきたドアのすぐ脇に、頬に絆創膏を貼り付けた白郎が腕を組んでもたれている。

「白郎……」

「気になって見に来てみりゃ、やっぱりこれだ」

 芝居がかった仕草でかぶりを振って呆れて見せ、白郎は歩みを再開する青邪の隣を歩き出した。青邪もそれを拒絶するでもなく、一緒に歩く。

「おまえさ」

 白郎が切り出す。

「どうしてそこまで他人を信じねえんだよ。もうほとんどビョーキにしか見えねーぞ」

「幼い頃、俺は母親に人前でじゃれついたことが一度だけある」

 白郎の顔を見ようともせず、青邪は唐突に口火を切った。

「あん? ……ああ、ちっちぇーガキならよくあるよな、そういうこと」

 一度だけ、というただしつきが気にはなったが、あいづち相槌を打つ。

「あの人は俺を本気で張り飛ばしたよ」

「……は?」

 簡潔だが強烈な続きに話の脈を見失い、白郎はしばらく思考停止してしまった。

「ちょ……ちょっと待て!そりゃどーいう親だ!?」

「公私混同を嫌う厳格な親だ」

 これまた簡潔な答えが返ってきた。

「いや、そりゃ厳格って度を越えてねえか?ひょっとして、他にも何かあったんじゃ……」

「ふむ……」

 青邪は思案顔になり、しばし考えた後に答えた。

「たんすの上によじ登るな、と言われて、それをやめずにいたら、あの人はが画びょう鋲を裏返しにしてたんすの上に貼り付けた。そのわな罠にかかった俺が痛みで泣いても、やるのが悪い、と言ったきり無視した」

 本人にとっては痛々しい記憶のはずなのに、淡々と語る青邪の表情は虚ろで、そこには何の感情も見受けられない。

「うげ……」

「お陰で理解できた。論理的にも肉体的にも、他人に甘えると痛い目に遭うってことが」

「………………」

 考えてみれば、青邪は普段からよく他人に抱きつくが、不安定な体勢から相手に体を預けるような真似はしない。かわされてもすぐ着地できるよう、あるいは、攻撃されてもすぐ反撃できるよう、相手が誰であろうとも彼我の間に予防線を引いているということなのだろうか。

 しかし、それだけ他人を警戒しているのなら、わざわざその警戒対象に抱きつく必要もないはずだ。

(ホントは……寂しいのか?)

「――部屋で休む。一人にしてくれ」

 それを侵した場合は全身全霊で排除する、とぎらついた眼差しを一瞬だけ投げ、青邪は戸惑う白郎の元から足早に立ち去った。

「……バカ野郎が……」

 青邪が立ち去った後、一人その場に残されて立ち尽くす白郎の口からもれたのは、青邪だけでなく自分に対してのものともとれる罵声。

 何かしてやりたくても、できそうなことが見つからないのは、ひどく無力感をかき立てられる。

「ちょ、ちょっと、藤堂さん!」

「あ?」

 不意に後ろから聞こえてきた、あわてたトーヴァの声に、白郎はそちらを振り返った。

「あ、白郎」

 ついさっき青邪と共に通り過ぎた曲がり角から、碧紗がトーヴァの手を引きずりながら現れた。

「ちょうどよろしかった、相模さん! 藤堂さんをどうにかしてくださいませんこと?」

 何が何だか解らず、あっけにとられている白郎の姿に、トーヴァが少なからずほっとしたような表情で頼む。

「恥ずかしながらわたくし、腕力ではこの方に敵いませんの!」

「なんとかって……大体が何してんだ、おまえら」

「トーヴァが青邪を心配してるのに行こうとしないから引っぱってきた。……感情は、押し殺さない方がいい。じゃないと、私みたいなことになる」

 相変わらずの淡々とした声色で呟いた後、碧紗は珍しく痛みをこらえるようにつらそうな表情で目を細めた。

「でも、わたくし、前に天城さまを怒らせてしまいましたし……」

「会わないで逃げるだけだと仲直りもできないよ」

「逃げる……ですって?」

「……天城はもう自分の部屋行っちまったぞ」

 碧紗の何気ない一言に負けん気を刺激されてぎらりと目を光らせるトーヴァはとりあえず無視して、白郎は碧紗に青邪の不在を教えた。

「そう」

「どこのどなたが逃げ――きゃ!」

 頷くなり碧紗は手を放し、その反動で、身を乗り出していたトーヴァはしりもちをついてしまった。

「いたた……これですから藤堂さんのお相手をするのは嫌ですわ」

 眉を寄せて、打ちつけた腰をさすりさすり、ぼやく。

「ホント、どうして無理してでも一人だけで立ち続けようとすんだあいつ。心配して支えてくれようとするダチが、オレ以外にもちゃんといるのによ……」

 つい先程も見送った、いつも寒そうな青邪の背中を思い、白郎はぼやいた。


◇◇◇


 薄暗い廊下を、ユギンクゥアルは半身を壁に預け、体を引きずるようにして進んでいた。

 ひどく、頭が重い。

 何かを考えるにも、覚えのない記憶がいちいちノイズのように邪魔をして、不快なことこの上ない。しかも、自分の体が思うように動かず、今や他人の体のような気さえする。

(早く……ルリんとこ行かねえと。調整してもらえば、こんな……変な調子も、治るはずだ)

 もどかしいほどゆっくりと歩みを進める。身体感覚を常に確認しながら動かなければ、いつ倒れてしまうかも判らないのである。

 壁に翼をこすりつけながら進むユギンクゥアルの行く手に、人影が動いた。

「…………?」

 頭を上げ、目の焦点を合わせることにも一苦労しながらそれを確認する。

「ユギンクゥアルさん。どちらへ?」

 まず口を開いたのは、目隠しの女。

「この先には、博士の書斎しかないけど?」

 続いて、デニムのジャケット姿の少女。

「……フン」

 最後に、翼を持つ白髪の少女。

「リーヌヴェイル、ハイラフィニス、ルレンルーネ……てめえら、一体……?」

「ここより先の区画へあなたをお通しするわけには参りません」

「ま、要は通せんぼってわけさ」

「ブチ殺されてえのか、てめえら……!」

 水無里と蘇芳の言葉に対して、殺気もあらわに、震える拳を握り締める。

「……まだ解んないの?」

 ユギンクゥアルの反応に、ルレンが嘲笑を送った。

「それはあたしたちのセリフなんだけどな」

「どういう、ことだ……!」

「あんたはもう用済み。さっさと消えな。そういうこと。オッケー?」

「解るかっ!」

「……事情を説明しようか」

 簡潔過ぎるルレンの言い草が気になったのか、蘇芳が口を開く。

「知ってのとおり、〈ザナンディース〉や〈ヲルナギウス〉、現在は≪XENON≫の手にある〈エレイユヴァイン〉もそうだけど、それら「神器」の昇華には“祭司”たるべき人間が最低三人は必要だ」

「それが、どうしたよ……」

「わたしが戻ってきたことで、君は必ずしも必要じゃなくなったからね。元々勝手に出撃しては傷ついて帰ってくる君を疎んでいた博士は、これ幸いと厄介者を追い出すことにしたわけさ」

「ふ――ふざけんじゃねえっ!!」

 激昂のあまり、ユギンクゥアルは叫びざま蘇芳に跳びかかった。

「おっと」

 後方に大きく跳びすさって回避する蘇芳を捉え損ねた拳が、石造りの床にめり込み、放射状に陥没させる。

「やれやれ……さすがは博士が手ずから創り上げた戦士のチェンジリング。君じゃあこうはいかないだろ、ルレンちゃん?」

 肩をすくめながら、蘇芳はそばにいたルレンに訊いたが、

「ちゃん付けって、あんた何様! どっちの味方なのよ!?」

 問いは目も会わせずにはねつけられてしまった。

「あちゃー……君の味方って事にしといてくんない?」

「お二方。漫才はそれくらいにしておかれた方がよろしいかと」

 水無里の言葉に、

「はい、ごめんなさいよ」

 蘇芳はややおどけながら芝居がかった仕草で頭を下げ、

「勝手にこんなのとまとめないでくれる!?」

 ルレンはまともに機嫌を損ね、険しい顔で蘇芳を指差し食ってかかった。

 水無里はどちらの反応にも取り合わず、床にめり込んでいた拳を抜いてふらつきながらも身構えるユギンクゥアルに対し言葉を続けた。

「あえて事を荒立てるつもりはございません」

 えー? というあからさまに不満そうなルレンの野次を無視し、更に続ける。

「このまま立ち去っては――」

「いい加減にしやがれ……!」

 呪詛の響きを持つ低い声で水無里の言葉を遮り、ユギンクゥアルは再度拳を握り締めた。

「……いただけないようですね」

 殺気に満ちた姿から結論し、水無里は懐から透き通った材質の鎖を取り出した。それに呼応し、蘇芳は鋭い爪付きの手甲を、ルレンは脇の壁に立てかけてあった槍を構える。

「てめえら……全殺しだっ!!」

 吼えて羽ばたき、ユギンクゥアルは手始めに水無里へと襲いかかったが――次の瞬間彼女は肩口から緋色の鮮血を散らしながら、うつぶせで床に叩きつけられていた。

「な……んだ……っ?」

 痛みをこらえ、上体を起こしながら、呟く。

 傷自体は浅い。命に関わるほどのものではないが、目の前にいる三人の攻撃が届く前に衝撃が走り、右肩に刀傷が刻まれていた。

「刀傷……まさか!?」

「恐らく察しの通りだろう」

 三人の後ろの方から硬質な靴音が響き、

「私だ」

 表情のない顔に眼鏡をかけ、漆黒の刃を手にした黒衣の男が現れた。もちろん、遙である。

「なんで……」

「まだ聴いていなかったのなら改めて言おう。もうお前に用はない」

「なんでだよ……」

 一番それを聞きたくなかった相手の口ではっきり言い切られ、ユギンクゥアルの顔がさっと蒼ざめた。

「お前はここにいるべきではないと判断した。帰るべき所へ帰るがいい」

「そんなの知らねえよ……なんで……」

 ぐ、と食いしばられた歯を押しのけ、叫びが飛び出す。

「捨てるなら、なんで創った!? なんで育ててくれたんだ!? なんでだ、母ちゃん!!」

 しかし、それも遙の琴線には届かなかったらしく、彼の表情は全く変わらない。

「私の名は遙。お前を創り出した、ルリアトフェルという名のエルフは、既に亡い。ゆえに、その相続人でしかない私をそう呼ぶのは筋違いというもの」

 言って、遙は改めてユギンクゥアルに刃を向けた。

「――去れ。自ら母と仰ぐ存在に解体されたいか」

「く……!! ちくしょおおおおっ!!」

 腹の底から叫び、ユギンクゥアルは何度となく壁にぶつかりながらその場から走り去った。

「……えらく手荒い追い出し方だねぇ」

「よろしかったのですね?」

 緋色の後姿が消え去るのを見計らって、蘇芳と水無里が遙に言葉をかけた。

「ああでも言わねば、出て行くまい。あれは私――いや、彼女を心底慕っていたからな」

 刀を鞘に収め、遙。

「これだけ揺さぶれば十分だろう。結果の吉凶は判らんが、どのみち今の私に彼女は必要ない」


◇◇◇


「……!」

 不意に目覚め、青邪はベッドから上体を起こした。

 既に日没後だということもあり、ブルーのいない部屋の中は、元々音の少ない普段以上に静かで薄暗い。

 不安、というか、ひどく嫌な気分になって、目が覚めてしまった。

 理由。

 緋影が泣いているような気がした。

 ただ、それだけ。

 軋みを上げる体を無理に動かし、よろめきながらも机の元まで歩き、半ば崩れ落ちるようにして椅子に腰を下ろす。

 机の真中には、綺麗なパステルカラーの包装が施され、紫色のリボンが巻かれた小箱だけが置いてある。

 小箱を手の上に載せ、もてあそんでいるうち、不思議と気が休まってきた。

「……この場にいなくても……俺を揺らすのか……お前は…………」

 大きくため息をつき、青邪は再びよろめきがちに歩みを進め、ベッドへと体を沈めた。

「どんな形にせよ……決着はつけなければならないか」

 カーテンの隙間から差し込む星明かりによって暗灰色に見える天井を見上げながら、一際深い呼吸と共に呟き、目を閉じる。

 深い静寂の中、夜はふけていった。


◇◇◇


「おはようございます、司令」

 司令執務室に入り、妹尾はまずその主に一礼を送った。

「おはよう、妹尾君」

「早速ですが司令、報告があります」

 返礼を受けてから、手元の書類に視線を落とす。

「何かね?」

「天城隊長の飼い猫に異常をもたらした〈エレイユヴァイン〉のシステムについてです。昨日の一件がきっかけで、解析の見通しがつきました」

「ほう……?」

「結論から申し上げますと、あの機体は本来一人では動かせません。操縦そのものは複座式のコックピットのどちらからも可能なようですが、後方のシートには機体を循環するエネルギーが集中するような構造になっていることが判明しました。これは、あの機体がパイロットの精霊に共鳴しそれを制御・増幅させるオペレーターの存在を前提に設計されていることを意味します」

「つまり、猫がその役を果たしていたということかね?」

「はい。天城隊長の呼び込む膨大な精霊を受け止めていたのですから、過去三回の稼動を乗り切ったこと自体奇跡的です。あるいは、あの猫自体も特殊な存在なのかも知れません。ただ……私たちの把握している限り、エネルギーを放出し機体に通わせるチェンジリングはいても、エネルギーを受け入れ制御するタイプのチェンジリングは存在しません。仮にあの猫が特別な存在であったとしても、相当な負荷になっていた可能性は否めません」

「猫のチェンジリング……だというのか?」

 今までの概念を覆しかねない、新たな存在に、厳一郎も首をかしげる。

「しかし……何より解らないのは、桁違いの出力で【租界】を発生させる〈エレイユヴァイン〉のシステムです。ガンスレイヴ相手ならばともかく、ティマイオス同士の戦闘において【租界】は防御手段として機能しな――」

 言いかけてはっと目を見開き、妹尾は口をつぐんだ。発想を見透かしたように、厳一郎が名詞を一つ口にする。

「〈ザナンディース〉」

「……司令もお気付きでしたか」

「うむ。我々人類の力が通用しないという点にのみ気がとられがちだが、そもそもティマイオスを遺した妖精が我々の存在を知る由もあるまい。恐らく……」

「【租界】には「本来の力」がある」

「そう、アルベドモードのようなソフトウェアによって機能する何かが」

 かつての事件、そして≪XENON≫との対峙。黒い女神像は黒い障壁を展開し攻撃から身を守った。それが【租界】の所産だとすれば、つじつまは合うのだ。

「天城君によると〈エレイユヴァイン〉は起動に伴って機体に関する情報を頭の中へ流し込んできたそうだ。だからこそ彼は誰も知り得ないはずの高速移動形態(エルナード)を知り、固有兵装〈レイアルガイザー〉の特性を踏まえ使いこなしてみせた。まるで最初からすべてを知っていたかのように」

「あれは、ティマイオスは、本当に……何なのでしょうか?」

「……解らんよ。だが……今現在人類にとって確固たる脅威である以上、抗わねばならないことだけは確かだ」

 戦慄の混じった戸惑いを見せる妹尾に、厳一郎は断言した。

「そして、我々がそのための砦とならねばならない」

「……はい。では、私は再び研究ブロックに戻ります」

 頷き、妹尾は執務室を後にした。


◇◇◇


 保健室は静かだった。

 授業時間中ということもあり、校庭で体育を行っている音がうつ空ろに響いてくる以外はほとんど聞こえない。

「ふう…………」

 ぼうっとベッドに横たわったまま、青邪は深いため息をついた。

 骨折したときのように包帯を巻いて肩から吊ってある左腕が少々重い。胸を圧迫すると悪夢を見やすいらしく、実際に経験もあるのだが……。

 全身傷だらけの上、左腕そのものも利かなくなっている、という満身創痍状態に起因してか、今朝からあまり体調が思わしくなかったため、授業を途中で抜け、こうして体を休める羽目になっている。

 もっとも、すぐ間近に保健医の気配を感じるような場所で落ち着けるわけもなく、青邪はただただ暇を持て余していた。

(白郎、いなかったな)

 青邪が授業を途中で抜けることになった時点で、白郎の席に本人の姿はなかった。普段通り、授業をサボって屋上で煙草でもくわえているのだろう。

(健康に悪いからやめろ、と何度言ったかな……?)

 簡単に予想できてしまう行動と、それを続ける頑固さを思うと、口元が緩み、苦笑いが浮かんでしまう。

「……?」

 ふと、風の大きく揺らぐ音が聞こえたような気がして、青邪は眉をひそめた。同時に、ざわめきが広がったような気がする……。

 まもなく、校内放送を伝えるスピーカーの電源が入ったことを示す小さなノイズが聞こえた。

『生徒会執行部、安全保障委員の皆さんは、大至急執務室へ集まってください』

 既に定番となった≪XENON≫のパイロットたちへの召集命令が、全校に響き渡る。

「大至急……? 何か、あったのか」

 普段とは一文字だけ違う召集文句に呟いてから、青邪は上体を起こし、脚をベッドサイドに下ろした。目隠しのカーテンを払って立ち上がる。

「あら、もう調子はいいの?」

「はい。ありがとうございました」

 かけられた保健医の声に対してにこやかな笑みと共に会釈を返して保健室を後にした青邪の短い黒髪が、さわさわと微かな音を立てて波打ち始めた。

 静まり返った廊下を歩くうち、それは白髪染めの効力をはねのけて青銀に戻り、そして腰までの長さをも取り戻す。

 わずかな動作だけで全身に痛みが走り、しかも、片腕が利かなくなっている今、左右のバランスがとれず、歩行は極めて不安定になっている。

 しかし、少なくとも、戦意というものは、乗機や自身の体調に左右されることがない。

 満足に動かない体を引きずりながら校外に出、そして、何気なく空を見上げる。

「……あれは」

 基地上空、以前ゼノアークが発進したあたりに、有翼の紅い人影。恐らくはこれの飛来が先程の衝撃やざわめきをもたらしたのだろう。

 それは、まるで青邪の視線や気配を感じ取ったかのように、こちらを振り返って紫の機眼を向け――そして消えた。

「俺を……呼んでいるのか、緋影」

 確かな目線を受け取り、青邪は呟いた。


◇◇◇


「先の〈U‐2〉強襲により、現時点においても当基地の各防衛システム稼働率は10%を切っています」

 集合したパイロットたちに、妹尾が口を開く。

「よって、今〈U‐3〉の強襲を受けた場合、基地陥落はまず免れません」

「撤退したとはいえ、相手がどんなつもりか解らない以上、今後、少なくとも今日一日は第二種警戒態勢を維持する。いつ再侵攻があるか判らないので、諸君らもそのつもりでいてくれたまえ」

「了解ですわ。でも……肝心の天城さま――ではなくて隊長はどこに?」

 既に三人が集まり、作戦会議が始まっているというのに、青邪がまだいないことを案じ、トーヴァが呟く。

「ああ、あいつなら、朝から調子悪そうにしてたからな。まだ保健室で寝てんじゃ――」

 言いかけて、白郎の顔がさっと蒼ざめる。

 基地上空まで飛来するなり消えてしまった〈U‐3〉。

 青邪は、初めてそれと交戦した直後、〈エレイユヴァイン〉のパイロットとなることを強く志願した。

 二度目に会ったときも、攻撃命令が下されるまでは積極的な攻撃をためらい、相手の攻撃さえあえて受けた。

 三度目。自爆し、自らの左腕を失ってまでかばった。

 そして、その〈U‐3〉のパイロットは緋影。

 結論すると……青邪は緋影に強い執着を持っている。恐らくは、他の全てを無視しかねないほど。

「まさか……っ!」

 ひどく嫌な予感がする。

「司令! あいつの、〈エレイユヴァイン〉は今どこに置いてあんだ!?」

「修復の経過観察も兼ねて、研究棟のある第七ブロックに保管してあるが……?」

「ありがとよ!!」

 他の四人の問うような視線に対する答えも放り出して、白郎は駆け出していた。


◇◇◇


「行けるか?」

 パイロットスーツで医務室に現れた青邪の問いに、部屋の隅に置かれた、底にバスタオルを強いてあるバスケットの中に横たわっていたブルーは、ふらつきながらも四肢を伸ばし、立ち上がってみせた。

「……すまないな」

 一言詫びながら、青邪は抱き上げたブルーを傍らの床に降ろし、並んで歩き出す。

 リニアレールを乗り継いで、あらかじめ検索しておいた自分の乗機である〈エレイユヴァイン〉の保管場所、第七ブロックへ。

 ここに来るのは二度目だけあって、景観にはどことなく見覚えがある。

だが、余計なことを考えている暇も余裕もない。満足に動かないのが恐ろしくもどかしい体を引きずり、ただ先を急ぐ。

「天城っ!!」

 後もう少しで目指す部屋、というところで、行く手から自分を阻む響きのある、聞き慣れた声が聞こえた。

 見ると、果たして白郎が行く手の通路に立ちふさがっている。

「……白郎。どうしてここに?」

「おまえを止めるために決まってんだろ!」

「ああ、そう。邪魔」

 返事をまともに聞き流し、中断した歩みを再開しながら、青邪は左腕を覆っている包帯を引き裂いた。支えを失い、力の入らない腕がだらりと垂れ下がる。

「たりめーだろ! そのために来たんだからな!!」

「お前に俺は止められない」

 感情のこもらない声で断じた青邪の腰のあたりで、肉の軋む音がした。

「天城、おまえ……!?」

 筋肉の動きを司る神経そのものを損傷している青邪の左腕は、物理的には決して動きえない状態にある、と医師から聞かされている。ぎょっとする白郎の目の前で、青邪の左腕が、彼自身が体から発散しているものよりも一際強烈な精霊の気配を宿し、みしみしと音を立てながら持ち上がり、拳を作る。

(まさか、引き出した精霊を直接腕の神経代わりにしてるって言うのかよ……!?)

 特別な動きができない体だということを差し引いても無造作に歩みを進め、青邪は白郎を左腕の間合いに捉えた。

 無機的な薄黄色の目は、白郎という名の人間ではなく、進路をふさぐ肉の塊を映している。

 攻撃を通り越し、本気で破壊するつもりらしい。

(霧生以外は、ホントに何もかもがどうでもいいんだな、おまえ…………そんなの、止められねえ……)

 こみあげる無力感に歯を食いしばり、白郎は道を開けた。

 青邪は、それであっさり白郎を無視し、まるで最初から何もなかったかのように、その脇を通り過ぎる。

「……っ、霧生のとこ行ってどうする気だ? 今のあいつおかしいぞ! 下手すりゃ殺されるかも知れねえんだぞ!?」

 黙って見送れずに問う白郎の声は、振り返ることのない背中に弾かれた。

 二つの影を吸い込んだ格納庫の入り口は、起動音の後に漆黒の光を吐き出し、以降完全に沈黙した。

(第五章・了)

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