前門の虎、後門の狼
闇の中。
歌を聞く。
時に、恋歌。
時に、子守唄。
時に、希望の歌。
佇む、漆黒の歌姫。
少女の透き通った歌声は、限りない羨望と慈愛に満ち。
未だ幼さを残した白い相貌によぎる表情は、はかなく。
暇さえあれば、少女はすぐに行方をくらまし、こうして外で歌っていることが多かった。
そして、連れ戻しにきた自分は、決まって、その歌声が終わるまでうかつに口が利けなくなる。
その響きが、あまりに暖かくて。
月光さえ毒となる、光の下に出られない体でありながら、少女は、光を、大地を、そして、人を――愛していた。
深い金色の瞳は、いつも寂しげで。涙を湛えて、しかし、一滴もこぼさず。
細く白い背中は、すぐ砕けそうで。震えながら、しかし、凛と姿勢を正し。
それで。
主従という理屈など抜きで、彼女のために戦いたい、と思ったのだ――。
◇◇◇
「……夢か」
寝ぼけ眼で頭をぽりぽり掻きながら、ユギンクゥアルは上体を起こした。
ショーツにタンクトップ、とひどくラフな、あられもない格好。黙っていれば神々しさすら感じさせる秀麗な有翼の容姿が、まるでぶち壊しである。
とるものもとりあえず、指先が枕元を探り、探り当てたいつものリボンで、寝相の悪さを反映し激烈に乱れている緋の髪を束ねる。
「懐かしいもん見たな。さーて――青を起こしてやるか。ほっとくといつまで寝てるか判ったもんじゃ……?」
呆れる口調の割にはどこか嬉しそうな響きのぼやきをもらしながら、自前の羽毛がそこかしこに散乱するベッドから立ち上がり、部屋を出ようとして、首をかしげる。
「ルリを朝起こしてやる必要なんてあったっけ?」
チェンジリングである今はともかく、ルリアトフェルは生来『闇』の精霊との感応能力が強すぎたため、その対極にある『光』の属性を帯びたものに対して弱い体質だった。それを熟知しているはずの自分が、どうしてこんなわけの解らない勘違いをしたのだろう?
「あ……あー、えーと、あん?」
頭の中が疑問符で埋め尽くされ、すぐにオーバーヒート。やっぱり、考えるのは苦手だ。
「……まあいいや。せっかく早起きしたんだ、起こしてやるか」
白煙を吐いて目を回したのも束の間、ユギンクゥアルはあっさり復活し、ポニーテールを左右にぴこぴこ揺らして部屋を後にした。
彼女は気付いていなかった。
自分が、覚えのないはずの習慣を無意識にこなし、更に、別の二人の人物を混同していることに。
◇◇◇
その日は休日だったこともあり、“安全保障委員”ことパイロットの面々も、朝早くから召集を受けていた。
集合場所はいつものごとく、学園地下の作戦司令室。話題はもちろん、昨夜の襲撃者についてである。
厳一郎とその傍らに控える妹尾の二人を囲むような形で円卓についている青邪たち四人は、全員が、襟、袖、肩に各々のシンボルカラーがワンポイントであしらわれた白いパイロットスーツに身を包んでいる。
ちなみに、青邪がラピスラズリ、白郎がクロムシルバー、トーヴァがトパーズイエロー、碧紗がエメラルドグリーンという配色である。
「遙……? その男は、本当にそう名乗ったのかね?」
青邪の口から〈ザナンディース〉のパイロットでもある襲撃者の名を聞き、厳一郎は険しい表情を見せた。
「はい。それが何か?」
厳一郎の妙な反応に首をかしげつつ、答える青邪。その髪や瞳の色は、不自然なほど黒い。
青邪の容姿は、昨夜起こった遙との対決の際に変色してしまったきり元に戻っていない。白髪染めと黒いカラーコンタクトレンズという、文明の二大利器によって外見をとりつくろっているに過ぎないのだ。
結論すると、青邪の面影にさほどの変化はない。誤って踏みかねない長さにまで急激に伸びた髪が、隣で黙々と作業にいそしむ碧紗の手で、ゆったり太めの三つ編みに変わりつつあることを除けば、の話だが。
「いや……大したことではないよ。男にしては珍しい名で、知っている人間を思い出したものでね」
軽くかぶりをふり、表情を緩めてから、厳一郎は傍らの妹尾に視線を向けた。
「――妹尾君」
「はい、司令」
厳一郎の声に応え、妹尾は姿勢を正して青邪たちに向き直った。
「これから、あなた方には神流市に向かってもらいます」
「何でだ?」
「今朝早く、その付近で、アンノウン‐ナンバーズの空間転移によるものと思われる精霊反応が観測されました。公式なものではありませんが、翼のある紅い機体が空を飛んでいたという目撃情報もあります」
「……!」
紅い機体、と聞いたとたん、青邪はぴくん、と反応した。しかし、横目で周囲を見回して表情を消し、平静に戻る。
「現在、情報部が調査を行っていますが、戦闘の可能性を踏まえて、あなた方機動部隊に対する現地での待機命令を正式に決定しました」
そこまでよどみなく告げた後、妹尾は表情を緩めた。
「言葉は硬いですが、迅速な連絡さえ取れれば自由行動で結構です」
「解りました。では、これから――」
「いえ、天城隊長は基地で待機していてください」
立ち上がろうとした青邪を、妹尾が制した。
「なぜです?」
問い返す青邪に、逆に妹尾の方がきょとんとした表情を返した。
「その体で動き回るつもりですか? もう少し自分の体をいたわってください。それに、あなたのような『完全体』は、元々存在が確認されていただけで、まともなデータがほとんどありません。何かあっても、最悪の場合通常の医学的処置では効果がない危険さえあります」
「完全体……?」
「通常よりも遥かに強大な能力と同時に、肉体的な変化を発現させるタイプのチェンジリングです。通常のチェンジリングはある程度銀星学園で保護できていますが、完全体は過去一人しか確認されていません。それだけ希少なのです」
「……解りました」
青邪は不承不承頷いた。
「ですが、隊を預かる者としての責任がありますので、有事の際は出撃します」
「それも、許可しかねます」
「……解りました。では、寮で休んでいます」
当惑の表情を一瞬だけ見せたものの、すぐに割り切り、立ち上がる。
「おお!?」
「……白郎、どうかした?」
唐突に驚いた白郎を振り返り、首をかしげて問う。
「いや、なんでそんな素直なんだおまえ。昨日はあんだけガンコに無理してたってのに」
きょとんとしたのも束の間、すぐに合点がいったらしく、青邪は納得顔で頷いた。
「根拠のある配慮だからさ」
「は?」
「稼動できないパイロットには価値がない。パイロットとしてここに身を置いている以上、俺にはその正式な用途に応える義務がある。……飼い犬が飼い主の命令を聴くのは当然だろ?」
淡々とした答えに、当の白郎は憮然とした表情で応えた。
「……卑怯者だとか、飼い犬だとか、おまえ自分のことけなすの本当に好きだなー。しかも、理屈ばっかでやたら堅えし。……ていうか、枯れてねえ?」
「あははー、どうかな? さて――と」
笑ってはぐらかしながら、青邪は残る二人を振り返り、
「おみやげ土産よろしくねー」
人懐っこい笑みを残し、体を引きずりながら去っていった。
「……あの方、一体“何人”いらっしゃるの?」
昨夜と今とで全く違う青邪の表情を目の当たりにして、困惑を隠そうともせず、トーヴァが呆然と呟く。
「|人格《Personality》の語源は、仮面……」
ぼそ、と碧紗が呟いた。
「藤堂さん、何がおっしゃりたいの?」
「人は、一人。独りであることはあっても、普通はそう。そういう意味では、青邪は普通」
「は、はい?」
「ワケ解んねえこと言ってねーで、さっさと行くぜ」
耳で聞いているだけではまるで意味の通じない、禅問答のような語りを遮って、白郎は二人を促し立ち上がった。
「わたくし、時々あなたが解らなくなりますわ」
「……私、しゃべるの苦手」
トーヴァの結論に対し、碧紗はわずかに眉を寄せ、口をつぐんだ。
彼女は相変わらず無表情だが、自分の考えが思うように伝わらないことでそれなりに困っているのかも知れない。
「ほんじゃ行ってくるぜ、司令」
「うむ。君達の機体は必要な状況になり次第到着するので、よろしく頼む」
その言葉に、トーヴァが反応した。
「司令、ひょっとして――」
「うむ。〈ゼノアーク〉は完成している」
トーヴァに肯くと、厳一郎は、新たに飛び出した未知の単語に怪訝な表情をしている白郎に向き直った。
「相模隊員は知らなかったはずだな。〈X‐ARK〉は、我々がオリハルコンテクノロジーを応用し建造していたティマイオス輸送用空中母艦だ。完成していなかったからこそ、今までは飛行能力を持つ〈厭輝〉のみが単独で行動せざるを得なかったのだよ」
「空中母艦ってこたぁ……あの巨体をいくつもまとめて運びながら空を飛ぶ、のか?」
自分たちが操る機体の巨大さを改めて思い返しながら、白郎は困惑した。
軍事オタクではなく、科学技術方面にうとい、元々が単なる不良高校生でしかない彼にも、膨大な質量と体積を有する人型兵器を複数格納して移動する飛行物体を実用化するような技術が、現代科学の範疇を大きく逸脱していることくらい、すぐに判る。
「……つくづく、とんでもねえな……」
もう、当たり前のような言葉しか出ない。
要するに、オリハルコンテクノロジーをもたらす契機となった〈エレイユヴァイン〉自体がそれだけとんでもない存在だということなのだろう。
「では、行って来たまえ。気を付けてな」
「……うっス」
「解りましたわ」
「ん、分かった」
パイロットたちが全て去り、しばしの沈黙が、作戦室に降りる。
「妹尾君」
「はい、司令」
発された声に、すぐさま応えがある。
「例のサイトの件、慎重に調査を進めてくれたまえ」
「かしこまりました」
そして、妹尾もまた作戦室を後にする。
「……靜、遙。一体、何をしようとしているのだ……君達は……」
聞く者も答える者もない呟きが、発されたきり暗がりに消えた。
◇◇◇
漆黒と、紅蓮。複数佇む巨大な機体たちの中でも、翼を持つその二体の存在感は際立っていた。
しかし――女神を思わせる漆黒の機体の装甲表面には、いたるところに無数の傷が走っている。
「ったく、心配かけやがって」
格納庫を背に、黒いコート姿の青年に肩を貸して廊下を歩きつつ、抜群のスタイルをはっきりと浮かび上がらせるやはり黒いパイロットスーツの背から翼を生やした緋の髪の少女はぼやいた。
「起こしに行ってみりゃいねーんだからな、ホント驚いたぜ。……一人で出てって行き倒れてんじゃ世話がねえ」
「済まん」
「おまえもあの新参に言えたもんじゃねーな、ルリ」
「……全くだ」
少女――ユギンクゥアルの物言いに対し、微かながらも引っかかりを覚えた様子こそ見せたが、遙は同意した。
「で、何が――」
「遙っ!」
事情を問おうとしたユギンクゥアルを遮るような形で、廊下の向こうから、不意のメゾソプラノと共に、遙に肩を貸しているユギンクゥアルと同様有翼の、白い髪の少女が駆け寄ってきた。
着ているものは、幼さを残した華奢な体格には不似合いな、ごつく黒い革ジャン。背中に入った一対の裂け目からそれぞれ翼が伸びている。
「ルレンか」
遙の目前まで来て立ち止まり、走って乱れた息をうつむ俯きがちの姿勢で整えてから、
「何があったの? 大丈夫だった!?」
矢継ぎ早に二つ訊く。
「黙ってろ男性恐怖症。肩も貸せねーくせしてえらそうに訊いてんじゃねえ」
「あれ、あんたいたの? 全っっ然気付かなかったわ」
「ルレンルーネ、てめえ……いい度胸だ」
あからさまに自分を無視していたルレンの、突き放した物言いに、ユギンクゥアルが額に青筋を浮かべ、
「てめえみてえな量産型の一匹や二匹、生身でも俺様の敵じゃねえってこと、よーっく教えてやるぜ」
遙に肩を貸すのをやめ、ぱきぽきと拳を鳴らしながら、獰猛な笑みを浮かべる。
「やれるもんならやってみなよ! あんたみたいな新参には絶対負けないから!!」
応じ、即座に身構えるルレン。
「……やめろ、お前たち」
一触即発の状態になった二人を、遙の声が止めた。
「遙がそう言うなら」
「仕方ねえな」
即座に構えを解く二人の様子から激突の危険が去ったことを確認し、遙は先程発されたルレンの問いに答えた。
「靜と一戦交えた。そして深手は負っていない。結論から言えば、大丈夫だ」
「靜って……ミュセイファー(様)の転生体!?」
二人の少女は期せずして声を重ね、そのことに気付いた直後、互いに険悪な眼差しでにらみ合った。しかし、遙の前ということを思い返した二人はそれぞれ視線を相手からもぎ離し、遙に戻した。
「一騎打ちなんて無茶だよ! あの方は“愚者の眼”を……もし遙が死んでたら、あたし……」
ルレンの、翠の眼が潤む。
「……すまん。これ以上負の感情を教えるのも酷だな」
ルレンを見つめ返す遙の眼には、柔らかな光がある。
「ん……」
言葉に詰まり、返事もそこそこに頷くルレン。
「……かなりシャクだが、俺様もそいつと同感だぜ」
不機嫌な表情でその様子を眺めつつ、ユギンクゥアルが口を開いた。
「ルリの〈ザナンディース〉と俺様の〈ヲルナギウス〉は相互補完システムだろーが? 何で俺様を呼ばなかった?」
「本名も知らん仲間を、私個人の因縁に巻き込むわけにはいくまい」
「は?」
奇妙な答えに、ユギンクゥアルは目を丸くした。
「本名も知らないって……「ユギンクゥアル」って名前はルリ自身が付けてくれたんじゃねーか。一体何言ってんだ?」
「いや、何でもない。今は言う時ではあるまい」
はぐらかし、遙は一人で歩き出した。すぐ脇にルレンが、つかず離れずの微妙な距離で寄り添い、続く。ユギンクゥアルの男性恐怖症呼ばわりはあながち間違いでもないらしい。
「……はあ、そうなのか」
怪訝な顔で頷き、やはり遙の後を追おうとしたものの、ユギンクゥアルはそこで踏みとどまった。
「どうした、ユギ」
足を止めて問う遙に、
「やっぱ、ちょっと出てくる。なんだか今日は妙に気分が良くてよ」
言葉通り、妙に弾んだ表情で答える。
「そうか」
「んじゃな」
きびすを返し、元来た格納庫への道を戻ってゆく。
「今日は……万聖節前夜だったな」
遠ざかるユギンクゥアルの後姿を見送り、遙が呟いた。
「彼女にとっての意味など知らんが、我々には相応しい。皮肉な話だ」
「?」
呟きに、ルレンが首をかしげた。
悪戯か施しか、という特徴的な問い、南瓜のランタン、あるいは魑魅魍魎の仮装ばかりが徒に広まり、本来の意味はさほど広まっていないが、ハロウィンは元々ケルトの祭りに端を発する、死者が家族の元へ帰省する日。日本で言うお盆に相当する行事である。
「遙は今こうしてここに生きてるでしょ?」
「チェンジリングは死者の精神を持つ存在。死人とさほど変わらん」
「死人は何も教えてくれないし、あったかくないよ」
半ば奪うようにして、ルレンが遙の語尾に割り込んだ。
「大体さ、向ける相手がいなきゃ成立しないような感情を一人で覚えられると思う?」
「……口にしている台詞の意味は理解しているか」
しばし沈黙した遙に問い返され、怪訝な顔で指先を顎に当てて考え込む。
「あたし、何か変なこと言った?」
「発音・構文、共に申し分ない。が、色々と解釈の余地の残る台詞だった」
「そうなの?」
「そうだ。聞いた相手の解釈次第で発言者自身が不利益を被る可能性も有り得る以上、言語表現は簡潔かつ明瞭なものの使用を推奨する」
「うん、覚えとく」
「結構」
頷くと、遙は歩みを再開した。傍らのルレンの肩に回そうと、わずかに腕を持ち上げたものの、ためらいの後、下ろす。
「遙、どうかした?」
微かなため息を聞きつけて、ルレンが遙を振り返った。その反応の良さに、遙の口元がほんのわずかに緩む。
「……お前には敵わん」
「付き合い長いもん」
誇らしげに返すルレン。
「そうか。……そうだな」
「で、どうしたの?」
「勝手なことを考えていた」
その答えに、ルレンの表情が渋くなる。
「それ、遙の悪いクセだよ。他人相手ならともかく、身内相手になると、とことん遠慮しちゃうんだから」
「そうだったか」
「うん」
「覚えておこう」
「けっこう」
「……真似をするな」
並んで歩く二人は、そのやりとりともあいまって、歳の離れた兄妹程度の外見にもかかわらず、父娘にも見えた。
◇◇◇
頬をなでる、柔らかな毛の感触。
それで、目が覚めた。
閉めきられたカーテンの隙間からもれてくる、わずかな日光が、静かな部屋の中を薄暗く浮き彫りにしている。
枕の脇に行儀よく座り込んでこちらを見下ろしている黒猫と、目が合った。
「……ブルー」
表情を和らげると、青邪はブルーの頭をなで、上半身を起こした――が、直後、全身に走った激痛に顔をしかめ、改めてベッドに倒れ込む。
元々が、どちらかというと線の細い、並みの女性よりも整った顔立ちなこともあり、力の入らない体を投げ出し、ほどけかけた三つ編みをシーツにこぼす今の青邪の様は、ある種病的な色気さえたたえていた。
「無理……し過ぎたらしいな」
気遣わしげに自分に鼻先を近づけるブルーを、寝乱れたパジャマの胸元に抱き寄せ、青邪はぼやいた。
先のブリーフィングに出席した時点で、体は既に不調を訴えていた。それでもなお普段通りに振る舞って見せたのは、他人に弱みを見せたくないという理由もあるが、何より、根拠のない配慮をされるのが厭だったからだ。
何事にも合理的な根拠がある、と青邪は常々考えている。心配されるにも、それなりの理由が必要なのだ。
妹尾がパイロットである自分の体調を気遣った理由は理解できる。
自分が稼動できないということは損害以外の何事でもないからだ。
しかし、「家族だから」や「友達だから」という理由は理解できない。強いて解釈するならば、周囲の環境が変化することは、自分の精神安定のために好ましくない、といったところか。
結論すると、根拠のない配慮を受けることほど居心地が悪く、不安なことはない。自分に気分の波があるように、他人の気分もいつどのように変わるか判らないのだから、その一時的な態度に頼るわけにはいかないのだ。
青邪には、いわゆる「自信」というもの、自分が生きている理由や意味、存在しているべき根拠が感じられない。それらが内面にない以上、自分がいていい理由、必要とされるべきはっきりした外的な理由が、必要なのだ。
「……俺も運がいい」
頬をこする、猫の舌特有のざらついた感触を覚えつつ、青邪は小さくため息を吐き、ブルーの頭をなでた。動物には裏がない。警戒しなくていい分、気が楽だ。
自分には、たまたま特殊な能力が具わっている。それを必要とする組織が、やはりたまたまあったために、唯一と言っていいほどはっきりとした自分の居場所がある。いつ自分が用済みになるかは判らないが、その時までは腰を落ち着けさせてもらおう。それに、ここにいる理由はもう一つ。あるいはそれが一番――。
軽やかなノックが、再び物思いの底に沈みかけた青邪を現実へと引き揚げた。
「はーい。入ってますよー」
青邪はいつものように素早く人当たりの良い表情をとりつくろい、激痛をこらえながら居住まいを正して明るい声で返事を投げた。
(……誰だ? 三人は出ているはず。司令やその秘書が、わざわざ一兵士のところまで来るとは思えないが)
仕草こそおちゃらけて見せていても、相変わらず思考は冷めている。
「入っても構わないかしら、天城君?」
聞き慣れない女の声が、ドア越しにした。
「?」
ベッドのへりに下ろしていた腰を浮かしかけて、青邪は眉をひそめた。
その言い方では、内側から開けてもらう必要がないようだが……。
「……どうぞ」
「ありがとう」
言葉の途中で、あっさりドアの開く音。
「……この寮の警備体制、一体どうなってるんだ?」
思わずぼやいてしまった青邪の元にほどなく現れたのは、銀髪碧眼の若い女だった。
「初めまして、天城青邪君」
合った目を細め、女はうっすらと微笑んだ。
「初めまして。名前をご存知なら、俺から自己紹介をする必要はなさそうですね」
青邪も会釈を返す。
「そうね。……私はミュセイファー。他にも呼び名はあるけれど、そう呼ばれるのが一番しっくりくるわ」
「ミュセイファーさん、ですか。……で、一体何の御用でしょう?」
膝のブルーをなでながら、改めて問う青邪。ブルーはというと、頭を上げ、女をじっと見つめている。
「話が早くて助かるわ。隣、いいかしら?」
「どうぞ」
「ありがとう」
口元を緩めて青邪の隣に腰かけ、女は言葉を続けた。
「単刀直入に言います。あなたをスカウトに来たわ」
「スカウト?」
「あなたに力をあげる。世界を覆す神の力を」
「神……」
何を言っているのだろう、と青邪は思った。
「……話が荒唐無稽だと自分で思いませんか?」
冷静な指摘には、笑みが返ってきた。
「チェンジリングの存在自体、十分に荒唐無稽じゃないの」
「……確かにそうですけどね」
「私たちにはあなたが要る。この時代を代表する、希少な『空』属性の感応者が。あなたの眼には、視えるはずのないものが視えるのでしょう? 私もそう。私はあなたを理解できるわ」
「まさか……あなたも」
思わず振り返る青邪の目を見つめ、ミュセイファーは小さく肯いた。
「“愚者の眼”を持つチェンジリングよ」
「他にもいたのか……」
「ええ。私と、来ない?」
「お断りします」
「あら」
悩む様子すらなく、あっさりと結論され、女は拍子抜けしたように青邪の顔を見直した。
「なぜ?」
「俺は、自分を必要としてもらえるのなら、それが誰であれ、何でもするでしょう。が、あなたは、俺に与えるものの話しかしない。俺に求めるものの話がない。あなたに要るのは、必ずしも俺でなくてもいいのでは?」
自分に対する客観的な分析を基に、青邪は結論の根拠を告げた。
「なるほど。道理だわ。……ここに残ることを選択したということは、あなたは既にその必然性を手に入れている、ということ?」
問いに、ただ肯く。
「友達がいます」
「……そう。解ったわ」
頷き、女は立ち上がる。
「いずれまた会いましょう、天城君」
声だけ残して、ドアは閉ざされた。
◇◇◇
「ハロウィンか……」
黒マントをまとった南瓜のキャラクターを初めとする、黒とオレンジの二色が基調となった装飾の施されている街の中を歩きながら、白郎は呟いた。
「……こういう季節限定イベントにゃ、なんか変わったもんがつきものだよな。――よし」
一人で何やら結論し、歩き出す――と、すぐ傍を歩いていたトーヴァがそれを見咎めた。
「相模さん? どちらへ? 曲がりなりにも、わたくしたちは一つのグループでしてよ。団体行動を乱しては――」
「るっせーな、必要な時に集まれりゃいいんだろーが」
トーヴァを振り返り、にらむ。
「大体、あの藤堂ってのも、ここに着いたそばからどっか行っちまったじゃねーか」
そう。日下部の運転していたリムジンから降り立つなり、碧紗は誰が言葉をかけるよりも早く、ふらりと姿を消してしまっているのだ。
「それはそれ! これはこれ! ですわ!」
実にあっけなく白郎の言葉を無視し、トーヴァは言葉を続けた。
「あなたはわたくしをエスコートなさい!」
「ざけんなっ! せっかくのヒマな時間までてめーのためにつぶされてたまるかっ!」
怒鳴り、足早に歩き出す。
「あら? ヒマなのでしょう?」
興味をそそられたのか、追いすがるトーヴァ。
「オレはこれから買い物行くんだよ」
歩みを止めず、振り返りもせず、声だけで答える白郎。
「買い物?」
「天城用のみやげだ!」
「……みやげ?」
言われて、トーヴァも青邪の去り際の言葉を思い出した。確かに『お土産よろしくねー』とは言っていたが……あれは冗談ではないのだろうか?
「真に受けていますの?」
「やりてえからやるだけだ」
呆れたような反応に、白郎はむっとした声で答えた。
「あいつはいっつもへらへら笑ってやがるけど、うれしいとか楽しいとか、そういうちゃんとした理由で笑ったのを見たことねえからな。理由は何でもいいからいつかマジに喜ばしてやろうと思ってんだ」
「……それではまるで、天城さまが女の子ですわ」
「ああ。ったく、そうだよ。初恋の相手を間違えちまった自分がつくづく気に入らねえ」
「……は!?」
逆立った黒髪を荒っぽくかき乱しながら白郎が放った言葉に、トーヴァは一瞬硬直した。
「それは……つまり……」
「おいこら! 変な誤解すんな!!」
白郎は、顔を蒼白にして一歩どころか二歩引き下がったトーヴァの肩を、振り返りざまに捕まえ、怒鳴った。
「野郎に来たのは後にも先にも天城んときだけだ! ほら、あいつ、並みの女よかきれいな顔してっだろ!?」
「まあ、確かにそうですわね。殿方がわたくしに匹敵する美貌を持っているなど、最初は信じられませんでしたもの。ですが……」
くす、といじめっ子の笑みをもらし、トーヴァは細めた目で白郎を見返した。
「怪しいものですわ」
「ンの野郎……」
からかわれ、白郎のこめかみに青筋が浮かぶ。
「オレもてめーの弱みつかんでること、忘れてねえだろーな?」
「う!」
トーヴァは即座に顔を蒼白に、次いで赤らめた。
「そっ……それはっ!」
珍しくうろたえつつ、声を張り上げる。
事の起こりは、つい昨日の晩。
脅威としての青邪に対し、動揺したトーヴァは、その後白郎の部屋へと転がり込んだのだ。トーヴァの怯えた様子を見て取った白郎は、何も問わず彼女を部屋に迎え入れ、彼女が落ち着きを取り戻すまで、つかず離れずの距離で傍にいたのである。
「てめーが真夜中まで起こしてやがったせいで寝不足だ。オレは今気が立ってんだぜ」
「う……く……っ、」
どこか別の意味合いにも取れそうな言い方で凄む白郎に、散々ためらい、悩んだ末、トーヴァは歯ぎしりしつつ頭を軽く下げた。
「わ、わたくしが、言い過ぎました……わ」
「おう、解りゃいいんだよ」
謝罪を受け、白郎も快く頷く。
「それで帳消しにしてやるからありがたく思いな」
「……」
自分の普段の物腰を真似され、トーヴァの顔がひく、と引きつったが、さすがに今度ばかりは何も言い返さない。トーヴァも馬鹿ではないので、互いに弱みを握り合った以上、対等に接しなければならなくなったことを理解しているのである。
「さーて、行くか」
「天城さまの好み、ご存知なの?」
「……いきなり態度変わりやがったな」
一瞬戸惑い、積極的な発言と共に自分の後について歩き出したトーヴァを振り返る白郎。
「今までは「勝手に仕切るな」とか何とかやたらと言ってやがったのに」
「ええ。全く癪ですわ。わたくしはもう、あなたを格下扱いできませんもの」
言葉の割に、トーヴァの表情に刺や陰はない。
「さ、参りましょうか」
「あっこら、待ちやがれ!」
「ほほほ、あまり遅いようですと置いていきましてよ」
「やっぱでけえ態度は変わってねえ……」
改めてぼやきつつ、白郎は軽い足取りで先に歩き出したトーヴァを追った。
白郎とトーヴァの二人が保っていた、いがみ合う関係は、ここにきて新たな局面を迎えた模様である。
◇◇◇
所変わって、街外れの山の中腹、街を一望する、人気のない公園。
白い翼を広げて、空から降り立つ人影、一つ。
翼をたたんで、緋色のポニーテールを振りながら周囲を見回し、缶ジュースの自動販売機を視界に収めてにやりと唇の両端を吊り上げる。
指の関節を鳴らし、握った拳を腰に構え――突く。ごしゃあ! 豪快な音を立てて、合成樹脂と金属の枠でできた本体がひしゃげた。もう片方の手を開けた穴のふちにかけ、外装を力ずくで引き裂くと、思惑通り、中に収まっていた缶がぼろぼろとこぼれ出す。
足元に広がる無数の缶の中から緑茶の缶を拾い上げると、ユギンクゥアルはそれを開けて一息に飲み干した。
「っはー、いいな、茶は」
手近にあればわざわざ湯飲み茶碗に注ぎ変えて飲むという変な習慣を持つ誰かのことが反射的に思い出される。つい表情を緩めてから、その面影が特定できないことに気付き、首をかしげた。
このごろ、おかしな考えばかり浮かぶようになっているような気がする。
「……転生が、不完全だったのか? でも、ルリの技術に間違いがあるとも……あー、ったく、ワケ解んねえ!!」
苛立たしげに頭を左右に振り回し、不可解な思考を追い払う――と、ユギンクゥアルはその表情を即座に引き締め、弾かれたように背後を振り返った。
白、黒、ぶち、三毛、虎縞と、呆れるほどの数の野良猫に囲まれた、これまた猫じみた無表情の少女が一人、こちらを向いて佇んでいた。
「てめえは……!?」
警戒もあらわに身構えるユギンクゥアル。今この瞬間まで、こちらに全く気配を気取らせなかったほどの使い手だ、外見で判断するのは危険極まりない。
「私? 碧紗」
わずかな間、小首をかしげてから名乗ると、少女はごく無造作にユギンクゥアルへと歩み寄り、その足元に転がる缶を幾つか拾い上げ、間近にあったベンチに腰を下ろした。一つを開けて何口か飲み干すと、ひとまずそれを手元に置き、他に何本か確保したミネラルウォーターの缶を開け、足元近くに横倒しにする。
こぼれ出す水に野良猫たちが群がり、いっせいにそれをなめ始めた。
「……おまえ、一体何だ?」
ひどく淡々とした反応にすっかり毒気を抜かれた表情で、ユギンクゥアルは、改めてジュースを飲み始めた碧紗に訊いた。
「元・暗殺者」
缶から口を離さず、上目遣いの目線だけで応える碧紗。
「気配を消すのは癖。気にしないで」
「……ふーん。そうかよ」
あっさりした答えにこれまたあっさり納得し、その隣にどかっと腰を下ろす。迷惑そうに野良猫たちがよけるのもお構いなしである。
ふと何気なく、ユギンクゥアルは黒い毛並みの野良猫に手を伸ばした。抱いてみたくなったのだが、それは彼女の手をすり抜け、小馬鹿にしたような視線を返した。
「……っの野郎……」
むっとしたユギンクゥアルのこめかみに、青筋が浮かぶ。どうしてこう、今日は気に入らないことばかりあるのだ。
「おいで」
声と共に横合いから伸ばされた碧紗の手に導かれ、黒猫があっさり戻ってくる。
「……貸せ」
言うなり、ユギンクゥアルは逃げる暇を与えずに黒猫を捕まえたが、当然、黒猫は猛烈に嫌がり、彼女の腕の中で暴れる。
「なんで俺様よりも――っ!?」
ぼやいた直後、ユギンクゥアルは突然走った頭痛に顔をしかめた。黒猫を放り出し、頭を抱えてうめく。
『なんで飼い主のあたしよりも――』
覚えのない、しかしはっきりとした自分の声が脳裡に蘇る。
(なんだ……俺様は、いつ、そんなセリフを……?)
「どうかした?」
少女の声も遠く聞こえる。
ぼやけた光景が一つ、像を結ぶ。
顔の見えない二人の男。そして――大きなあくびを一つして、こちらから視線をそらす、黒猫。
「黒猫……」
――何て名前だったっけ?
(知らねえ)
――あたし、どうしてあんな名を付けたんだっけ?
(だから、知らねえんだよ、俺様はっ!)
本人にすら把握しきれていない異質な思考がもたらす、自問自答が、噛み合わないまま無意味な回転を続ける。
めぐる思考が作り出すメビウスの輪を断ち切ったのは、複数の連続した震動。
「!?」
我に返ってみると、野良猫の中心だった少女は既に姿を消しており、群れは解散を始めていた。
震動の源と思しき街へ目を向ける。
灰色をした有翼の機体がのべ九体、繁華街を踏み潰して上空から降下し、手当たり次第に砲撃を開始していた。
◇◇◇
何気なく、青邪は机の前へと足を運んだ。その上には、前日から紙袋が置きっぱなしになっている。
紙袋を手に取ると、中から綺麗に包装された小箱を取り出し、じっと眺める。
「今日……か」
そんな呟きがもれた。
「渡す機会がなくなったのに、俺は、どうして……?」
ふと、青邪は顔を上げた。
空気が震えている。
迷わずカーテンを開け、飛び込んでくる強い日光に目を細めながらも外を見ると、基地のある辺りから白く巨大な流線形が飛び立つところだった。恐らくは、先の話題に上った〈ゼノアーク〉。
それは艦首をめぐらせ、ゆっくりと進行方向を定めると、巨体に見合わぬ加速を見せ、空の彼方へ消えていった。
「……」
沈黙した青邪の長い髪が一瞬浮き上がり、生え際から、瞬く間にサファイアブロンドへと変色を遂げる。
黒のカラーコンタクトレンズを取り出し、手にしていた小箱を机に戻して、元々部屋の隅のハンガーにかけてあるパイロットスーツを取り、手早く着替える。
「ブルー」
毛づくろいをしていたブルーも、状況を察していたのか、呼ばれるなり、着替えを終えた青邪の肩によじ登る。
青邪は体を引きずるようにして部屋を後にした。
◇◇◇
「〈ゼノアーク〉、まもなく現場到着!」
「周辺住民の避難率、現在41%!」
「各パイロットとの通信確保! 機体到着次第、作戦行動へ移行可能!」
既に作戦司令室には様々な報告が飛び交っていた。
中央の大型スクリーンに映し出されているのは、かつて〈厭輝〉と〈ザナンディース〉の二機によって撃破された〈オルトロス〉に良く似た灰色の機体。
「〈オルトロス〉の後継機と見てよさそうですね」
「うむ。……以降、当該機体を〈U‐4〉と呼称する」
傍らの妹尾に頷き、厳一郎は苦々しげな呟きをもらした。
「今度は一気に九体か……」
「……これで、十人。確認されていた数と合致しましたね」
「苦しい戦いになりそうだな……」
「――司令!」
厳一郎の呟きを遮って、オペレーターの一人が弾かれたように彼を振り返った。
「何事だね?」
「〈エレイユヴァイン〉が起動しました! 解体されていた〈竜雀〉の発振体を奪取し、出撃態勢に入っています!」
「〈竜雀〉の発振体……〈エレイユヴァイン〉と同時に発見された純オリハルコン結晶の剣か?」
考え込むのも束の間、厳一郎はすぐさま我に返り指示を飛ばした。
「回線を開きたまえ! 私が話をする!」
「はいっ!」
程なく、コックピット内の青邪の映像が、スクリーンに映し出される。
〈司令。出撃命令を〉
驚いた様子をかけらも見せず、青邪は厳一郎の顔を見るなり要求した。
「馬鹿なことを言うな! 君は――」
〈問題ありません。俺が動かすのは、あくまでも機体ですから〉
言葉を遮り、断言。
「……体調の問題さえないなら願ったり叶ったりだが、そもそも輸送艦である〈ゼノアーク〉が飛び立っている今となっては――」
〈それも問題ありません。〈エルナード〉で出ます〉
「エルナード?」
〈この〈エレイユヴァイン〉の高速移動形態です。空の見える場所にさえ出して頂ければ、自力で離陸できます〉
要請を却下する理由がなくなり、厳一郎は青邪と視線を交わしながらのしばしの沈黙の末、首を縦に振った。
「……解った。出撃を許可する。〈ゼノアーク〉の発進口を使いたまえ」
〈ありがとうございます〉
通信が切れ、青邪の姿もスクリーンから消え去った。
「〈エレイユヴァイン〉、発進口へ」
複数に区切られているスクリーンが、現れた白い機影を映し出した。
「これが……?」
様々なデータが青邪の乗機だと断定しているそれは、「魚類」よりも「刀剣」という印象の方が色濃い、鋭利な流線形。計十枚の長い副翼だけが今まで認識されていた人型兵器〈エレイユヴァイン〉の面影を残している。
どのような原理に基づく動力機関を搭載しているのか、〈エルナード〉は拍子抜けするほどあっさり重力の縛めを脱して垂直に上昇、後部から吹き出す漆黒の光で加速し、瞬く間に彼方へ飛び去った。
◇◇◇
飛来した白い艦から立て続けに投下された三つの巨体は、土砂を盛大に巻き上げながら街外れに着地した。
土煙が収まった頃、それらはひざまずく体勢から一斉に立ち上がる。
「かーっ、口ん中が砂だらけだぜ! じゃりじゃりと気持ち悪いったらありゃしねえ!」
無事起動した〈撃震〉のコックピットの中、白郎は早速ぼやいた。自分たちの機体が起こした砂嵐の中を突っ切って走り、コックピットに飛び込んだのだから無理もない。
「しっかし……」
真顔に戻り、自分本来の手を目の前にかざし、しげしげと眺める。
(機体が、軽い……)
以前乗ったときと比べ、今は機体と体とをつなぐなじ馴染み具合というものが段違いであった。
一度始まれば動けなくなるまで終わらないトーヴァとの対決の合い間何度か精霊を扱う訓練を繰り返した結果、自分はチェンジリングとしての特殊能力『召喚形質』結晶化に成功した。恐らくは、その成果なのだろう。
「……これならいけるぜっ!」
ぐっ、と拳を握ると、白郎は改めて機体に意識を戻し、現れるなり破壊活動を始めた灰色の機体たちへ一歩踏み出そうとした――とたん。
〈三人とも〉
突然開いた仮想ウィンドウが、妹尾の顔を映し出した。
〈本作戦の目的は、あの機体〈U‐4〉のパイロットたちの保護です。機体も可能な限りは原形を留めた状態で捕獲してください。あのパイロットは全て『パンテオン』というサイトにアクセスし、後に失踪した子供たちです〉
「ああっ!? ガキがなんだってあんなブッソーなもん乗り回してんだ!?」
驚きと呆れとで目を剥き、声を荒らげる白郎。
思い返せば、以前襲ってきたのもまだ幼さを残した子供だったようだが……。
〈背後関係は現在調査中ですが、管理者が彼らのうちから十人を選び出し“選ばれし者の力”と称して機体を与えていたようなのです。なお、今回三対九の戦力差に対し『アルベドモード』発動を承認します〉
そこまで説明し、司令室からの通信は切れた。
「アルベドモード?」
おうむ返しに呟くそばから再度仮想ウィンドウが開き、トーヴァの顔を映し出す。
〈あなたのことですから、シミュレーションの時の説明も聞き流していましたでしょう?〉
「っせえな! いきなり何言い出しやがる!?」
図星を突かれたのが気に入らず、白郎はそれに怒鳴り声で返した。しかしトーヴァは特に気にした様子を見せず、説明を始める。
〈『白化モード』とは、精霊の増幅システムですわ。発動によって一時的に機体の設計限界を超えた力を発揮できますの。パイロットと機体にかかる負担も大きいので乱用はできませんけれど〉
「……ふん、ありがとよ」
〈昨日のお礼代わりですわ。それこそ感謝される筋合いはなくてよ〉
そっぽを向いて礼を言った白郎に、トーヴァもこれまたそっぽを向いて応える。
「――行くぜっ!」
言うなり景気づけの一発。白郎は〈撃震〉の両肩に装備している砲――名を〈エーテル・ブラスト〉という――を発射した。放たれた白い光条が、狙い違わず〈U‐4〉の内一体の片腕に命中し、吹き飛ばす。
『うあああっ!?』
生身の感触ではないとはいえ、片腕を失ったショックによって当の〈U‐4〉がのたうちながら叫ぶ。
『この――ザコキャラのくせにぃっ!!』
それに反応し、残る八体がこちらに発砲を始めた。
〈ちょっ、最初からどうしてそう荒っぽい――〉
「やかましい!」
砲火をかいくぐって突進しつつ、左斜め後方を並走している〈永姫〉――トーヴァの抗議を遮る。
「何考えて失踪したんだか知らねえが、文字通り「大」暴れするようなバカを甘やかす義理、他人のオレらにゃねえ!!」
例えその根底にどんな理由があろうと、加害者の人権が被害者の人権より重いわけがない。したことの落とし前をつけるのは当たり前というものだ。
〈悪いことしたら、お仕置き。……異議なし〉
右斜め後方を並走する〈転鱗〉――仮想ウィンドウの向こうの碧紗が、目を細めて同意した。
『おら、もう一丁ぉ!』
怒声と共に〈エーテル・ブラスト〉をもう一発、今度は発射しながら腰をひねり、まるで長剣のような扱いで横に薙ぎ払う。翼を広げて上空へ回避した二機の〈U‐4〉が、鈍重で反応の遅い〈撃震〉への反撃に転じようとした直後、機体の陰から飛び出した〈永姫〉〈転鱗〉それぞれの手にした刃が閃く。
分断された四肢と胴とが、全て別のタイミングで、鈍い金属音を立ててアスファルトに転がった。
これで、のべ三機が戦闘能力を失ったことになる。
『ああああっ! いたい、痛いぃぃっ!!』
『何でだよ、これじゃ今までと同じじゃないかっ!! ぼくは選ばれた戦士じゃなかったのか!?』
口々にわめきながら、何とか動こうとする〈U‐4〉のパイロットたちだったが、完全に破壊された個所の損傷が、もがくくらいで覆るはずもない。
『残るは六体ですわね!』
『っていうか踏むな!』
薙刀を一振りして残りの〈U‐4〉を睥睨する〈永姫〉に、〈撃震〉がツッコんだ。今の攻撃で、上昇する標的を更なる上空から攻撃するに足るだけの高い跳躍を得るため、〈永姫〉は、巨体で相手の視界を遮るという奇襲の要を務めていた〈撃震〉を、足場としても利用していたのである。
『世の中には『立っているものは親でも使え』という格言がありましてよ。いやですわね、無知というものは』
『ンな失礼な格言わざわざオレで実行すんな! ――おら、行くぞ!』
『よろしくてよ!』
言うなり散開し、撃ち込まれる弾丸を回避する。
いつもの言い合いを戦場でも再現し、かつ敵に対しても隙を見せないこの二人、さすがとしか言いようがなかった。
『くっそおおおっ――!?』
派手に動き回る青と緑の機体に向かい手にした小銃を乱射する最中、背後から伸びる手が持つナイフによって首をざっくりと切断され、反応する暇さえなく新たに一体の〈U‐4〉がアスファルトに転がった。
これで、四体。
碧紗も白郎とトーヴァの二人に負けず、見事な陽動役として行動してくれている彼らに気を取られている者たちに背後から無音で襲いかかっていた。
元・暗殺者の面目躍如といったところだろう。
横合いからすかさず放たれる弾丸の軌道を見切り、軽いステップで回避。しかし――。
〈三人とも。今、天城隊長がそちらへ向かいました〉
『青邪? ――!』
不意に入ってきた通信に気を取られ、結果、横合いから組み付いてきた機体によって押し倒されてしまった。もつれ合ううち〈転鱗〉に馬乗りになった〈U‐4〉が、衝撃で〈転鱗〉が取り落としてしまったナイフでその首を落とそうと、刃を振りかざす。
腕を押しのけようとしても、機体の出力自体が違うのか、まるで歯が立たない。逆に、肩や肘といった関節部分が、過負荷によって白煙を上げ、やがて腕そのものが両方とも力ずくでもぎ取られてしまった。
「!!」
碧紗は、機体からフィードバックしてきた激痛に伴ってもれそうになった悲鳴を、唇を噛み、なんとか押し殺した。
『その程度の機体で、勝てると思ってるわけ!? バカだね! 油断さえしなければ、おまえなんか!』
機体の明らかな性能差を見てとった〈U‐4〉のパイロットが、勝ち誇った声を上げる。
機体が操縦者と同じ動きをできるという利点に隠れて見落とされがちだが、本来、操縦者の腕力と機体の腕力は関係ない。いかに動きが未熟であろうと、腕力勝負に持ち込まれた場合、勝敗は数値――あらかじめ設定されている出力――次第で決定されてしまうのだ。
しかも試作機体である〈転鱗〉には切り札となる『アルベドモード』など最初から搭載されていない。
『これで、終わりだぁっ!』
振りかぶられたナイフが、陽光を反射して、ぎらついた輝きを放つ。勝敗は決したかに見えた――が。直後悲鳴を上げたのは、今まさに碧紗の息の根を止めようとしていた〈U‐4〉のパイロットの方だった。
押し倒されたままの〈転鱗〉が、上体を起こす代わりに上げた片膝から、ドン、という鈍い音と共に抜き身の刃が生え出し、それを生やした膝自体をも加速して相手の肩に突き刺さったのである。
『う――あああっ!?』
機体からフィードバックする激痛で大げさにのけぞる相手の片腕を、そのまま切り落とし、縛めを脱して跳ね起きざま、とどめに首を切斬する。難度の高い空中回転を終えたフィギュアスケート選手のように軽やかに着地する〈転鱗〉の傍らに〈U‐4〉の頭部が落下、ごろりと転がった。
ニーブレード。内蔵された炸薬により、膝の関節部に仕込まれた刃の展開と通常に倍する威力の膝蹴りの二つを同時に実現させる、設計段階では存在していなかった〈転鱗〉の固有兵装。石動を初めとするティマイオス整備員たちとの付き合いの中で碧紗自身が発案し、新たに設計・追加された武装であった。
『相手より弱くなればいい。油断する余裕、なくなるから』
恐らくは気絶したのだろう、戦闘能力を奪われて完全に活動を停止した〈U‐4〉を見下ろし、碧紗は相変わらず淡々と告げた。
彼女は、幼い頃から、自分を凌駕する体力を持つ大人をも仕留めうるありとあらゆる殺人技術を叩き込まれている。例え相手との間に体力や体格の差があり、どれほど傷を負おうと、生きて動ける限りは、戦闘能力が大きく変わることはないのだ。
これで、五体。残り、四体である。
◇◇◇
「やれやれ」
戦場の間近、一際高いビルの屋上で、靜は呟いた。
「劣等感と敗北感に期待していたのだけれど。やっぱり、おだて上げただけのいじめられっ子程度では必要最低限の用しか果たせないのね。これでは噛ませ犬にもならないわ」
次々ねじ伏せられてゆく〈U‐4〉を眺めながら嘆息し、肩をすくめる。
「せっかくだし……彼に相手でもしてもらいましょうか――あら?」
懐に手を差し入れたところで、靜はふと、街外れの山に視線を走らせた。
「……素敵なゲストの登場ね」
怜悧な美貌に笑みが浮かぶ。
立ち並ぶ木々をかき分けて、森の中から巨大な翼を持つ紅い機体が姿を現したのである。
◇◇◇
自分たちを圧倒する三体のティマイオスに追い詰められ、次第に後ずさる、残り四体の〈U‐4〉。その灰色の装甲が、飛来した金色の光に射貫かれ、内側から爆散した。
『何だ!?』
これでは〈U‐4〉全機を張り倒して無理やり黙らせるどころか、パイロットの保護など望むらくもない。
光の飛来した方向へと機体の首をめぐらせたところで、白郎はぎょっとした。
『あれは……確か、〈U‐3〉……!』
以前襲来した、とてつもない火力を持つ機体だ。
『……味方を攻撃した?』
碧紗の呟きに、すぐさま我に返る。
『てめえ、なんてことを! 味方を殺すのかっ!?』
『味方だぁ? 何寝ボケたこと言ってやがる』
その機体〈ヲルナギウス〉のコックピット内で、ユギンクゥアルは依然として続く頭痛に顔をしかめつつ、呆れた声を返した。
『こんなバカどもが俺様の味方なワケねーだろが。要するに――』
がきゅん、という金属音を立て〈ヲルナギウス〉の翼が白郎の〈撃震〉を初めとする≪XENON≫の機体めがけ砲口のごとく広がった。そこに、金色の輝きが猛烈な勢いで集束する。
『そいつらもてめえらも敵だっ!!』
『やべえ、一条! 藤堂! オレの陰に!』
白郎が叫びながら前進、やや下向きに〈エーテル・ブラスト〉を発射する。同質のエネルギーによって相殺、あるいは角度を変えて方向をそらせないかと考えたのだ。仮にその両方が叶わなかったとしても、重砲撃戦型ティマイオス〈撃震〉はその仕様上、大柄で装甲も厚い。味方を守る盾にくらいはなるはずだ。直後、まばゆい破壊力がその場を呑み込んだ。
『う、お……ッ!!』
視界が金色に占められてゆく。じりじりと、光と熱が抵抗を圧し迫ってくる。
『ま、けて……たまる、かぁーッ!!』
叫びと共に〈撃震〉の機体の表面を白光が走る。白光は黒い装甲を走り抜けたかと思うと、そこかしこに留まり、不可思議な紋様を形成した。
【呪紋装甲展開。アルベドモード、起動します】
合成音声と共に、砲口から放たれ続けるエネルギーがふくれ上がる。
白色と金色。まばゆいドームが生まれ、内側に収めたもの全てを貪欲に焼き尽くしながら成長していった。
◇◇◇
何秒、あるいは何分が経っただろうか、ふと我に返った白郎は、破壊の嵐が過ぎ去っていることに気付いた。
機体周辺の、【租界】の輪郭を示す跡を境界に、外側は徹底的に破壊されていた。周囲のビルや、たまたま行動不能な状態にあったために不意討ちを受けなかった〈U‐4〉の姿は、もはや影も形もない。
それでも、自分たちの機体は無事らしかった。
「あれ……生きてる?」
〈らしいな〉
「ああ――え!?」
不意にかけられた、聞き慣れている声を聞き流しかけ、開いていた仮想ウィンドウの向こうのやはり見慣れた顔を、ぎょっとして見直す。
「あ、天城!?」
青銀髪に、薄黄色の瞳。色彩が変わっても、その面影を見違えるはずがない。
すぐ前方でも、彼の乗機たる〈エレイユヴァイン〉が、白郎の乗機〈撃震〉を先頭とする三機をかばうようにして、青白く透き通った刀身に淡い青銀の輝きをまとった両刃の長剣を構えていた。
〈ああ〉
仮想ウィンドウの向こうで、青邪は頷いた。彼の意思を反映し、〈エレイユヴァイン〉が剣を下ろす。
『てめえ……またか! 邪魔すんじゃねえっ!』
呪詛にも等しい低いうなりの後に続いた激昂の叫びと共に、〈ヲルナギウス〉が腰に構えた拳が、黄金色の光を帯びて輝いた。直後、突き出された正拳から――衝撃というものが目に見えたとすればこうなるだろうか――まとっていた金の光が槍となって放たれ、〈エレイユヴァイン〉たち四機に襲いかかる。
対して、青邪も即座に反応した。
わずかに腰を沈める〈エレイユヴァイン〉。下がっていた剣が再び持ち上がり、その刃に宿っていた光が強さを増して輝きに変わる。
『はッ!』
鋭い呼気と共に大上段から振り下ろされた剣が、やはり〈ヲルナギウス〉の拳同様、青銀の光を槍状に撃ち出した。
黄金と、青銀と、まばゆい二色がぶつかり合い、先程のそれにも劣らぬ大爆発が空中で起こる。
『これは――!?』
たった今〈エレイユヴァイン〉が長剣の一振りで放って見せた閃光に、トーヴァが驚きの声をもらした。一週間前に自分たちが放ったもの、〈竜雀〉の砲口から飛び出した閃光と全く同じだったのである。
『……これが本来の用途なんだよ。〈竜雀〉の中枢にはこの剣〈レイアルガイザー〉が発振体として組み込まれていたんだ。元々フレームとの共振で破壊力を生み出す兵器だからな――!』
爆発のさなかからこちらへ伸びてくる攻撃の“線”を視て、青邪は語尾を発音する前に、振り下ろしたばかりの剣――〈レイアルガイザー〉を引き戻し臨戦体勢に戻った。
『不完全なくせに……やりやがる!』
果たして、光の残滓を引きながら現れる〈ヲルナギウス〉。その拳がまっすぐ打ち出される。狙いはもちろん〈エレイユヴァイン〉。
拳を受けるべく、青邪こと〈エレイユヴァイン〉も剣を持ち上げ――途中でその動作を止めた。
鈍い金属音が、響き渡る。
『天城さまっ!!』
白い装甲表面、〈エレイユヴァイン〉の鳩尾に相当する部位に、紅い拳が深々とめり込んでいた。
「……ぐ……っ」
機体からフィードバックしてきた烈しい感覚によって、呼吸困難で前のめりになりながらも、青邪は何とか座席にもたれなおした。
湧き上がり、額から流れ落ちる脂汗が、不快だった。
〈天城さま、大事ありませんこと!?〉
「……下がれ、一条隊員。君の敵う相手じゃない」
入ってきた通信を締め出し、機体のバランスを立て直す。
〈おい、天城!?〉
「意見は却下する。なお、これは隊長命令だ」
〈――っ〉
取り付く島のない態度に歯を食いしばりはしたものの、白郎も従い、彼らの三機はやや後方に下がった。
「てめえ……ナメてんのか?」
ユギンクゥアルは押し殺した声で訊いた。こちらが闘おうとしているのに、他のことばかり構ってまともに相手をしないのは、侮辱以外の何物でもない。
『別にナメてるわけじゃない。ただ……剣など殴れば、お前の拳が傷む』
『はああ!?』
「……馬鹿か俺は」
まともに呆れるユギンクゥアル相手の反応も、当然といえば当然。自分の行動の非合理性を改めて思い、コックピットの青邪は自嘲めいた微苦笑をもらした。敵を気遣う理由など、どこにあるというのだ。
〈天城君!〉
「……司令」
突然開いた仮想ウィンドウの向こうにある顔は、厳一郎だった。
〈応戦したまえ! このままでは殺されてしまうぞ!?〉
「それは、命令ですか?」
〈そうだ!〉
即座に首を縦に振る厳一郎。彼は、青邪の相手にしている機体のパイロットが、その幼馴染みだということなど知らない。
だから。それは別に、残酷でも何でもない。
「――了解」
答えを聞き、青邪の目がすうっと焦点を失った。
一兵士に感情はいらない。命令を忠実に実行する機械でありさえすればいい。つまり――
目の前にあるモノに人格を認める必要はない。それは、単なる攻撃対象でしかないのだから。
『!』
相手の気配がうって変わって危険な冷気を帯び、脅威を察知した〈ヲルナギウス〉が即座に後方へ跳躍、間合いを取り直した。
『≪XENON≫ティマイオス機動部隊、隊長・天城青邪。これより敵殲滅に移ります』
立つのがやっと、というレベルの崩れ具合だった体勢を整え、〈エレイユヴァイン〉が長剣を構え直す。
『あまぎ、せいや……だと?』
青邪の発した静かな宣言に対する操縦者の反応を詳細に反映し、〈ヲルナギウス〉がぴくり、と動く。
『せいや……青邪……あお――ぐぅあっ!!』
言葉を覚えたての子供のたどたどしさで、連想ゲームが二文字の愛称に終着したとたん、紅い機体は悲鳴を上げて大きく揺らいだ。
躊躇なく〈エレイユヴァイン〉が〈ヲルナギウス〉の懐へと踏み込む。それは今の青邪にとってもはや隙以外の何でもないのだから。
『くっ! なに……なんなんだ……てめえ……ッ!!』
頭を抱え、後ろによろめきながらも、襲いかかる斬撃を空いた拳で弾き返し、地を這うような低い声で毒づく。
『くそっ――寄るな、寄るんじゃねえぇッ!!』
無言でなおも襲い来る〈エレイユヴァイン〉に向かい、羽ばたく翼から金の光が降り注ぎ、その接近を阻む。
『…………』
『……もう、この際〈エレイユヴァイン〉は関係ねえ! てめえは必ずブチ殺す! 覚えてやがれっ!!』
叫びながら後方に跳躍した紅い機体は、砲撃が終わると同時に再び踏み込んだ〈エレイユヴァイン〉の振るう刃が届くより前に、空間に溶け込むようにして消え去った。
『………………』
標的を見失った〈エレイユヴァイン〉は沈黙の内に立ち尽くし――膝を折ったかと思ったとたん、一気に脱力し、くずおれた。
『あ、天城っ!?』
即座に白郎の〈撃震〉が駆け寄ってくる。
「ひ……か、げ……」
意識を失う寸前、青邪は知らずその名を口にしていた。
(俺は……どうすればいい?)
応えのない問いは、発されたきり消えた。
◇◇◇
帰投した〈ヲルナギウス〉は格納庫内の所定のハンガーに機体を預け、活動を停止した。
「くっ……!」
機体がハンガーに完全固定されて安定するのを待たず、ユギンクゥアルはハッチを開放し、疼く頭を片手で押さえながらコックピットの外へと飛び出した。翼を広げた、やや不安定な滑空の後、格納庫の外へ続くドアの前に転がりながら着地する。
「くそ、くそ、くそっ! なんなんだこのクソいまいましい頭痛は!!」
覚えのない記憶がもたらす不安と頭痛に、よろめきつつ起き上がり、修羅の形相で歩みを進める。
「――くッ!!」
諸悪の根源たるあの男のことを考えようとするだけで、凄まじく頭の中が疼く。
「遅かったな」
いきなり、間近から声をかけられた。
「……ルリ、か」
一瞬ぎょっとしたものの、それが黒いコート姿の青年と気付き、警戒を解く。歩み寄ってくる気配にも気付かないほどとは、いよいよ重症らしい。
「……どうした。顔色が優れないが」
異状を見てとり訊く遙――その元に、ユギンクゥアルはしがみつくようにして力なく倒れ込んだ。
「ユギ?」
訝りながらも腕を貸す遙にほとんど体重を預けたまま、彼女の口はこもった言葉を紡ぎ出す。
「……はや、く。帰らなきゃ……」
「どこへ」
口調の変化を問いただしはせず、遙は先を促す。
「あの人の、ところ。どう思われてて、も……あたし、護りたい……」
たどたどしく言い終えたとたん、彼女は完全に脱力した。
「ふむ……」
自らの体重支持を放棄して重みを増した体を、あくまで平然と支えながら、遙は意識を失った少女の顔を観察した。
「……そろそろか」
小さく呟いたそこに、かつん、と硬質な靴音が響く。
「や。久しぶり、と言った方がいいのかな?」
振り返った遙に、少女はそう訊いた。
両袖の引きちぎられたデニムのジャケット姿。無造作に短く刈られた真っ赤な髪、燃え上がらんばかりに紅い眼、という外見から、少なくとも普通の人間ではないと知れる。
「お前は……ハイラフィニスか?」
遙の問いに、少女は肯いた。
「と同時に、真田蘇芳でもある。まあ、博士が呼びたいなら「ハイラ」のままでもいいよ」
「今の私は、遙・ヴァルトラント。遺産を使ってはいても、我々はあくまでヒトだ。以前の――エルフの名で呼び合うつもりはない。「蘇芳」と呼び捨てて構わないな?」
「構わないよ。……やっぱり、乱心したわけではないようだね」
頷いてから、蘇芳はふっ、と小さく息を吐き出し、唇の両端を持ち上げた。
「乱心か……まあ、そう取られても仕方あるまい」
空いた手の指先を顎に当て、頷く遙。十中八九、話題は米国での一暴れに関してのことだろう。
「考え自体は大体想像がついているよ。手っ取り早いけど強引な手段をとったものだね」
「軍事国家に平和などくれてやっては碌なことにならん。持て余している力は真の脅威に向けてもらわねばな」
淡々とした遙の口調には何の感情も見受けられないが、発される言葉は実に冷ややか。それを聞き、蘇芳は思わず噴き出した。
「あははっ。いいねえ、そういう辛辣な意見は大好きさ。今度はかなり気が合いそうだね」
「そうか」
「やっぱり、チェンジリングは単なる遺産の相続人だってことか。ハイラフィニスの覚えているルリアトフェルは、健気でかわいい女の子だったけど」
「その通り。私は遙だ、真田蘇芳。我々チェンジリングはたまたま古の亡霊の精神を持ち合わせてしまった人間に過ぎん」
「違いない。で――」
遙の言葉に対する賛同の意思表明代わりに肩をすくめ、遙が抱き留めている有翼の少女に視線を移す。
「その子が今のユギンクゥアルなわけだ?」
「まだ不完全な状態ではあるがな」
答え、遙は改めて蘇芳に問うような視線を向けた。
「どうする。私に与するか?」
「そうするよ。わたしの〈アールマディア〉も、ちゃんと保管しておいてくれたようだし」
格納庫の方を振り返り、蘇芳は頷いた。
「助かる」
「さて、行こうか?」
遙を先導するように蘇芳が先に一歩踏み出し、遙もまたそれに続いた。
「しかし、この〈レーウェンローグ〉はあまり変わっていないね」
周囲を見回しながら、蘇芳。
「これだけの巨体にアレンジを加える余地もあまり無いからな」
少女を肩に担いで歩きながら、遙。
「それもそうだね」
肩をすくめ、蘇芳は新たな話題を持ち出した。
「他の面々は戻っているのかい?」
「今はユギンクゥアルとリーヌヴェイルしかいない。他の者は、まだ“思い出し”ていないか、私に賛同する気が無いかのどちらかだろう。後は、自我を得た『星の子』が一人」
「……!?」
返ってきた答えの最後を聞いたとたん、ずっと落ち着き払っていた蘇芳の顔に、初めて驚きの色が走った。
「まさか……。“素体”のユギンクゥアルはともかくとして、“量産型”にそんなことができたのかい!?」
「偶然捕らえた個体に私情で「ルレンルーネ」という名を与え、教育を施した。年月をかけた割に、根本的な呪縛は未だ解けていないがな」
「遙」
「遙様」
言葉を結んだ遙に投げられる、二つの声。足音と共に、それぞれの主が奥から現れた。
「……そいつ誰?」
つかず離れず微妙な距離で遙に寄るなり、無遠慮と言うよりはむしろ剣呑な視線を蘇芳に投げたのは、つい今話題に上っていた、件のルレン。
「ルレンルーネさんの〈イグナ=ヴァイス〉及びわたくしの〈セアルヴァ〉、機体の最終調整が完了いたしました。これでいつでも出撃可能です。貴女は――ハイラフィニス?」
ルレンと共に現れた長い黒髪の女が、遙への報告の後、蘇芳の存在に気付いたのか、呟いた。傷痕でも隠しているのか、その目元には布が巻きついており、顔立ちそのものが判然としない。
「わたしの諱を知ってるってことは、君がリーヌか」
蘇芳は呟いた女の顔を見返した。
「紹介する。今話したルレンルーネと、リーヌヴェイルのチェンジリング、水無里だ」
「わたしは、ハイラフィニスのチェンジリング、真田蘇芳」
遙の紹介を受け、蘇芳も自己紹介。
「……よろしく」
相手に対する不審の表情を隠さず、不承不承頭を下げるルレン。
「改めてよろしく」
水無里と呼ばれた目隠しの女も柔らかな声であいさつし、ルレン同様蘇芳に頭を下げる。
「これからよろしく――特にルレンちゃん」
二人のあいさつに応え、蘇芳もにやりと無意味に怪しい笑みを向けた。
◇◇◇
意識を取り戻した時。間近に人の気配を感じた。
反射的に身をこわばらせ、目を開けないまま周囲の状況を探る。
触覚。
全身に拘束感、その外側には薄手の布地。更に外側には、大雑把に体の上にのしかかる布。
全身の包帯が巻き直された上で、パジャマを着せられ、ベッドの中にいるらしい。
嗅覚。
不快でない程度に薄い消毒薬の臭いが、つん、と鼻腔をつつく。
医療関係の部屋なのかも知れない。
聴覚。
話し声が四つ。
「彼は、パイロットとして非常に優秀な能力を持っている。個人の戦闘能力より、機体との同調精度が極端に高いのだ。時によっては本来の、生身の状態さえ凌駕しかねない反応速度の源泉であるそれが、今はマイナスに働いてしまっているようだね」
聞き覚えのない、初老の男の声。
「どういうことですの?」
若い女――トーヴァの声。
「鳩尾に打撲傷が存在し、左手の腱も損傷を受けている。今はほとんど握力がないはずだ……つまり、二回に渡る戦闘の中で機体の受けたダメージが、彼の体にはほとんどそのままの状態で蓄積されている」
「ンなバカなことあんのか!?」
若い男――白郎の声。
「考えてもみたまえ、GSや、君たちのティマイオスは、パイロットと感覚を同調して操縦するようにできている。ダメージを受ければ、それは痛みとして感じるだろう?」
「感じる。両腕をもぎ取られて痛かった」
若い女――碧紗の声。
「だが、あざ一つない」
「うん」
「君達はあくまでも「機体を操縦するパイロット」だからそれですむ。彼の場合「機体そのもの」になってしまっているのだよ」
「うわ、呆れたやつだな」
「よほど鋭利な刃物だったか、加害者の腕が良かったか、刀傷はふさがり始めている。だが全身の筋肉や腱の傷みはそう簡単に治りきるようなものではない。医師としてこれ以上の出撃はすすめかねる。本人にもそれはよく言っておくように」
足音が遠ざかり、話題が変わる。
「……何考えてそういう無理ばっかすんだろうな」
「ばっか……って、前からですの?」
「ああ。こいつ、いざとなると後先のこと全然考えねえでなりふり構わず行動するからな」
後に残ったのは、聞き覚えのある声ばかり。
「青邪、ここに敵はいないよ」
「……そうか」
ごく自然な碧紗の声に応え、青邪は目を開けた。
まず視界に入ったのは、しみ一つない、白い天井。その下に、もう見慣れた面々がそろっている。
「なんでそう鋭いんだおまえは……」
「呼吸が突然規則正しくなった。意識のない人間はそんなことしない」
呆れ顔の白郎に、碧紗が相変わらず淡々と答え、青邪に視線を戻す。
「そんな隠形でゲリラ戦はできない。正面切って戦った方がいいと思う」
「そっか、ありがとう――さて、みんなおそろいでどうかしたの?」
実戦的な上に殺伐とした碧紗の意見に礼で返し、青邪はいつもの笑みを浮かべた。
ちなみに、碧紗の口にした「隠形」とは、自らの気配を絶って姿を隠す技術の総称である。
「どうかしたのかって言われてもなあ……いきなりぶっ倒れたのが気になっただけだし」
返事に困り、肩をすくめる白郎。
「ふむ」
上体を起こしベッドのへりに腰かけ直す青邪の表情が、微かに、ほんのわずかの間だけ、歪んだ。ユギンクゥアル――緋影の放った拳のダメージが未だ残っているのだ。歪んだ表情を隠すと同時に自分の視界をも遮っていた、長い前髪をかきあげる。
「あれからどれだけの時間が?」
普段通りの当たり障りない柔らかな表情を即座に作り、訊く。
「ざっと五時間ほどですわ。それと天城さま……先程はありがとうございました」
青邪の問いに答え、トーヴァが深々と頭を下げた。
「ありがとうって……、何を?」
心当たりのない礼に、青邪は目をぱちくりさせた。
「わたくしたちをかばってくださったではありませんの。その……昨日、わたくしがあなたを怒らせてしまったというのに」
「ああ、そのこと」
続いた説明で納得し、ぽん、と手を打ち合わせる。
「俺は別に気にしてないよ。むしろ迷惑かけて悪かったと思ってる」
「そんな、悪いのはわたくしの方ですわ」
「そうかい? ま、それはそうと、俺は隊長としての責任を果たしただけだ。感謝される筋合いはない」
「なら、自分が隊長じゃなけりゃ見殺しにしてたのか?」
「ああ」
実にあっけなく、即答が返ってきた。
「俺は、課された役割は果たす。君たちもその役割だけは果たしてくれ。それ以外は最初から、誰にも何も期待してないから」
「……どうしてそうなんだおまえ」
次々と飛び出す、冷え切った思考に基づく青邪の言葉に、白郎は思わず呟いていた。
見捨てるから見捨てろ――以前の、隊長就任時の台詞が思い出される。一体、何をどうすれば、そこまで他人に、まして自分にさえも冷たく客観的になれるのだろう?
「変に期待して責めたくも責められたくもないだけだよ」
はっきりと示されたのは、不信感。
考えてみれば、青邪は以前から、自分に課された作業を誰かが手伝ってくれると言っても、それを全くあてにせず独自で進めるようなところがあった。
「私、人の急所を分析して、射程に捉えておかないと落ち着かない」
それまで一言も口をはさまずに三人のやりとりを聞いていた碧紗が、不意に口を開いた。
「一緒に育てられた子と殺し合う訓練がよくあったから。青邪は何があったの?」
淡々と語られるため他人事のようにすら聞こえる碧紗の凄絶な過去に顔を見合わせる白郎とトーヴァをよそに、青邪も口を開く。
「まだ幼い頃、両親とドライブに行ったことがある。途中、ガードレールの下の方に綺麗な滝があってね。俺の父親がそれを背景に写真を撮ろうと言い出して、俺を抱き上げ、空けた片手でガードレールにぶら下がった」
「…………」
これまたインパクトのある過去に、白郎たちはまたもや顔を見合わせた。
「怖かった。必死で泣いた。でも、彼はただ単に笑って、暴れる子供をなだめ、押さえるだけだった」
言葉を続ける青邪の顔には、表情がない。
「その時、彼に対して思った。“死ぬなら一人で死ね”と。無力な自分を呪って、気付いた。生みの親さえ大事にしてくれない自分には大した価値がないことと、他人に自分を一片たりとも預けるべきじゃないことに」
「……随分、痛え話だな」
青邪が言葉を結んで訪れた沈黙の中を、白郎はそう切り出した。
「でも、それって寂しくねえ?」
「別に。どうすればそう考えられるのかも忘れたよ」
「え……?」
淡々とした答えに、トーヴァの目が丸くなる。
「あの、それって……?」
「押しが強く淡白な親を持った弱い子供はね、親の関心を買うのに必死で、お追従ばかりが得意になるのさ。結果、自分の感情、感性、意地ってものが持てなくなる。お陰で、その俺には理屈以外に使える行動原理がない」
「戦場じゃなくても私と同じ人間はいるんだね」
珍しく感心したように、碧紗が呟く。
「暗殺者の予備はいくらでもいたから、私も、自分を見てもらうためには従順になるしかなかった」
「……おまえら……重すぎ」
話の内容に聞き疲れてしまったらしく、白郎は手で顔を押さえている。
「頭疲れた……からっぽにしてくるわ」
「からっぽ?」
青邪が訊き返すより早く、白郎は背を向けていた。
「一条、戦闘訓練つきあえ」
「え、わたくし?」
「他に誰をぶちのめしたくなんだよ。四の五の言わずに来やがれ」
青邪と碧紗の二人に背を向けて歩き出した白郎の言葉に、トーヴァのこめかみが即座に引きつった。
「…………いい度胸ですわね。女性への口の利き方というものを、じっくりと教えて差し上げましてよ」
俄然乗り気になり、トーヴァも後に続く――と、白郎が思い出したように医務室の入り口まで戻ってきた。
「天城」
「なに?」
問い返す膝元に、茶色をした紙袋が飛んできた。
「みやげ。確かおまえ、甘党だったよな」
「あ、ああ……」
「それと、オレはおまえに命預けるって決めたぞ。好きなだけ裏切れ。そのたびてめーを味方にしてやる」
「……っ」
「何をされているのかしら? わたくしが怖くて?」
「ンなワケねーだろ! ――じゃな!」
意表をつかれた青邪が絶句するのを見もせずに、白郎はトーヴァに怒鳴り返し、そそくさと去っていった。
「……白郎って、いい人間だね」
「…………ああ」
碧紗の呟きに、青邪も頷く。
「俺にあんな真似はできない。で――碧紗。何をしたくて残ったんだ?」
「今度は、ツインテール」
答えながら碧紗はベッドに乗り、青邪の後ろにまわって長い髪の三つ編みを解き始めた。
「次回は?」
されるまま、訊く青邪。
三つ編みの次がツインテールだとすると、そのまた次はポニーテールだったりするのだろうか?
しかし。
「ドレッドヘア」
「それは趣味じゃない……」
ぼやきながら、青邪はがさがさと紙袋を探り、その中に入っていた苺大福をおもむろに一口かじった。
「…………甘い」
「?」
妙に鼻にかかった呟きに、碧紗は首をかしげた。自分に背を向ける体勢でいるため、今は青邪の顔を見ることができない。
「青邪、顔を見られたら困る?」
「とても」
「そう」
好奇心を打ち切り、作業を再開。それぞれ似た者同士だけあって、誰にも踏み込まれたくない間合いは互いに理解できている。
似てはいても、違うもの。最終的には相容れないことを理解し合っているから、決して馴れ合わないのだ。
「……白郎はどうしてあそこまで俺に構うんだろうな」
青邪が、今度は自分から口を開いた。
「……俺はああいう人間が嫌いだ。自分が信じていない他人に信じられるのは、苦しい」
「信じたくない?」
「正直言って、信じるのは怖い。弱みを見せたら最後、何されるか判ったものじゃないからな」
碧紗に答え、青邪はいつにもまして氷像じみた無表情で会話を打ち切った。
(第四章・了)