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羽撃のアークエネミー  作者: 銀丈
第三章
3/7

猫に小判

 放課後の校舎は、授業から解放された生徒たちであふれ、にぎやかだった。

 屋上の手すりにもたれ、無言のまま彼方を眺める青邪の前髪を、風が揺らす。

 彼の着ているブレザーは、今までの制服とは別のもの。更に言うなら、彼が佇んでいる校舎も、今まで通っていたものとは別のもの。

 私立銀星学園。特務機関≪XENON≫の母体、真行寺グループの資本で運営され、広大な敷地に小学校から大学までの教育機関が集合したマンモス学園である。

 敷地から程近い樹海内での、人型汎用機械(ガンスレイヴ)の姿を借りた恐るべき襲撃者との遭遇戦から、一週間が経つ。青邪と白郎の二人は、唯一その脅威に対抗しうる人型兵器ティマイオスのパイロットとして、学園に特待生扱いで迎えられていた。

 ぎ、と屋上唯一の出入り口である鉄の扉がきしむ音がした。それに反応して、青邪の背中から放たれる気配がにわかに鋭くなる。

 青邪自身のそれに似て微かな足音が近付き、すぐ傍らの手すりに背中が預けられた。その体勢のまま空を仰いだ頭に揺れるツインテール――碧紗だ。

 相手が誰かを悟り、青邪の放っていた鋭利な気配が緩む。

 待ち合わせの類ではない。たまたま二人が選んだ場所が同じで、来た時間に差があったというだけのことだ。

「…………」

「…………」

 手さえ伸ばせば触れ合える距離にいながら、二人とも、間近の相手と言葉を交わしたり、視線を合わせたりしようとはしない。必要ないからだ。今はそれぞれ独りでいたい。相手はいらない。

 言わば、猫の流儀。相手の領域へ無闇に踏み込まない不干渉主義が互いの暗黙の了解としてあるために、相手を警戒する必要がなく、安心して無視できる。

 一週間前、初めて会った時に、目を見て理解できていた。似た者同士だ、と。

 むしろ、知人といるより、自分に何もしない他人が傍にいるという状況の方が、気楽でさえあるのだ。

「碧紗」

 ふと、思い出したように青邪が沈黙を破った。

 もっとも、青邪は彼女の方を向いていないし、碧紗の方も彼を振り返っておらず、返事すらしない。

 傍から見ている限り、碧紗は青邪を無視しているようにしか見えないが、耳はちゃんと傾けている……青邪でなければ理解できないかも知れないが。

 沈黙に構わず、青邪は言葉を続ける。

「この辺で可愛い小物を売ってる場所知らないか」

 そう問われて、碧紗は人差し指の先をおとがいに当ててしばし考え、やがて青邪を振り返った。

「夜ごとすすり泣く人形って、可愛い?」

「いや」

 例え外見が良くても、うるさいのは嫌だ。

「骨を()でる趣味、ある?」

「ない」

 そもそも、どうやって愛でろと?

「世話しなくても死なない愛玩用猫ミイラ」

「論外」

 ペットなら、もうブルーがいる。世話の必要がないのは経済的かも知れないが、猫の干物は抱き心地が悪そうだ。

「――知らない」

「そうか」

 ごく簡潔な結論に、青邪も淡白に頷いた。

 用件が済んだことで再び場に沈黙が訪れようとしたが、そこに聞こえてきた校内放送が、二人の耳をひきつけた。

『生徒会執行部、安全保障委員の皆さんは、至急執務室へ集合してください』

「安全保障委員……確か」

「私たち」

 向けられた青邪の視線に小さく頷く碧紗。

 安全保障委員会。それは≪XENON≫の保有しているパイロットたちの表の顔として用意されている所属部署であり、初期メンバーであるトーヴァと碧紗はもちろん、青邪と白郎も、ここへの転校と同時に安全保障委員という肩書きを得ている。

 ちなみにこの委員会、転校生二人を加えても四人だけという異様なまでのメンバーの少なさと、不透明な活動内容、某国の居候問題を連想させるネーミングともあいまって、一般生徒たちからは怪しまれ、敬遠されているらしい。

 二人はどちらからともなく連れ立って屋上を後にした。


◇◇◇


「クソったれボンボンどもがあっ!」

 そんな白郎の叫びが、作戦室に入ってきた青邪と碧紗を出迎えた。

 見ると、凄まじい形相の白郎がいまいましげに地団駄をだんだんだんだんだん……と踏みに踏んでいる。

「……一体何?」

 さすがにあっけにとられ、青邪は白郎の傍らで呆れ顔のトーヴァに訊いた。

「連中肥料まみれの温室育ちのせいで根腐れしまくってやがる! ねちねちねちねちと陰湿だったらありゃしねえぜっ!!」

 トーヴァが口を開くより早く、当の本人が怒りに満ちた感想をはき捨てた。

 もっとも、あくまで事後の感想であるため、その怒りに至るまでの周辺事情や過程が見事にすっ飛ばされており、いきなり彼の怒りに触れた青邪にはまるで要領を得ない。

「転校早々いじめに遭ったのですわ」

 脳裡はおろか顔中に疑問符を浮かべて困惑する青邪に、トーヴァが助け舟を出した。

「いじめ? そんな、小中生じゃあるまいし」

「この銀星学園は高級な部類に属しておりますの。生徒は基本的に上流階級の者ばかりなのですわ。ですから――」

 いまだに怒っている白郎を振り返る。

「あの相模さんのように見るからに程度の低そうな方とは、同じ空気を吸うのも厭、という者が大半でしてよ」

「悪かったな、程度低そうで!」

 早速その言葉を聞きつけて、険悪な表情になった白郎がトーヴァに凶暴な一瞥(いちべつ)を投げつける。

「これだから根拠もないくせしてお高く止まった連中は嫌いなんだ! 大体よ、何か一つでもいばれるような自前のもんがあるのかああいう連中には!?」

「ないんじゃない? でも、白郎にもないよね」

「……痛えよマイディアフレンド」

 穏やかに痛烈な青邪の返事を聞いて、白郎はがっくりと肩を落とした――と、そこにかつん、と硬質な靴音が響く。

「……集まったようだな、四人とも」

「司令……」

 例によって秘書の妹尾を傍らに従え、厳一郎が作戦室に姿を見せていた。

「席に着きたまえ。これよりブリーフィングを行う」

 その指示に従い、四人は作戦室の中央部にある円卓へと腰をおろした。

「まず、天城隊員と相模隊員、両名のためにも、現時点で私たち≪XENON≫の把握している情報・状況を改めて説明します」

 最奥部の椅子に腰をおろしている厳一郎の脇に控えた妹尾の声と共に、円卓の中央部が光を宿す。

「まず私たち≪XENON≫は民間企業が保有する対ティマイオス戦闘部隊として組織されました。警察や自衛隊には法律上様々な制約があり、真に有事の際にはまともな作戦行動ができないためですが、直接の結成要因は――これです」

 円卓の上の空間に、翼を持つ黒い人型の立体映像が現れ、ゆっくりと回転する。

「こいつは……」

 その姿を見てすぐに、白郎が小さな声を漏らした。

「これは〈U‐0(アンノウン‐ゼロ)〉こと〈ザナンディース〉。三年前、突如米国の領空に出現、スクランブル発進した〈ラヴァーダ〉を、単騎で全て撃墜後、出現時同様突然消息を絶ちました」

 ラヴァーダ。操縦インターフェイスにALSを搭載し、機動性・反応速度は一世代前のそれを大きくしのぐ、現代最強の航空戦闘機である。当然空中戦能力は本来飛べない人型兵器など優に突き放しているはずなのだが――。

「後に「女神事件」と呼ばれることになるこれは、世界最強の軍事国家としての威信に関わるため闇に葬られましたが、真行寺グループはこの情報をつかんでいました。そして、かつて日本海溝で発見、回収されていた、同種と思われる未知の機体、コードネーム〈エクスカリバー〉の調査機関≪ウィスパード≫がこの脅威へ対抗するための研究開発及び実戦運用機関へと方針を転換、現在の≪XENON≫へと改称しました」

 新たに、灰色の機体が現れた。

「〈U‐1(アンノウン‐ワン)〉。後に〈オルトロス〉という正式名称が判明。通り魔として行動を始めたこれの脅威によって、私たちは本格的に戦闘準備を進めていたわけです」

 次いで、青白ツートンの機体と、深紅の機体。

「確認の順に、〈U‐2(アンノウン‐ツー)〉、〈U‐3(アンノウン‐スリー)〉。これら全ての機体が、物理的干渉を無効化する(せき)力場【租界(そかい)】の発生能力を有しているため、〈エクスカリバー〉の研究データを基に作成され同様の【租界】発生能力を持つ機体『ティマイオス』以外、まともに太刀打ちできません」

 そこで一旦全ての立体映像が消えた。

「【租界】……あのバリアには、そういう名前があったんですか?」

 青邪の問いに、妹尾は肯いた。

 黒い機体〈ザナンディース〉が再度現れ、機体を中心に光の球体が発生する。その半径は大きく、バリアというより電波か何かの有効射程のようにさえ見える。

「【租界】は機体そのものを全方位で取り巻く球形の領域です。この効果範囲内では基本的に通常兵器が意味を成しません。銃弾は撃発さえおぼつかず、仮に発射できても弾かれる。白兵戦用の高周波振動ナイフも届かない」

「何だよそれ……手のつけようがないじゃねえか」

 呆然と白郎が呟く。

「あれ? でもちょっと待てよ? じゃあ、なんでオレらはまともに戦えたんだ?」

「【租界】内での攻撃手段は、現在判明している限り二つあります。第一に、同じ【租界】発生能力を持つ機体による近接戦闘。第二に、オリハルコン弾頭やビーム照射等の【租界】と同じ系統のエネルギーを帯びた火器。ただ、いずれもティマイオスを介さなければ実現できません」

「……の割には、山の一つや二つは簡単にぶち抜くって触れ込みの〈竜雀(リュウジャク)〉って大砲はあっさりとあいつ一機に防がれちまったよな」

 白郎のツッコミに、厳一郎は苦い表情で応えた。

「確かに……あれは、現時点の我々が保有する、最強の非核兵器だが、防がれるのは全くの予想外というわけでもなかったのだ」

「へ?」

「……奴、〈ザナンディース〉の防御力は、異常としか言いようがない。無論公式な記録ではないが、三年前の事件では戦術核が使用され、命中している。その機動力をもってすれば易々と避けられるはずの弾頭を前に動きを止めて、だ。そして奴は、観測計器が回復するのを待っていたように、全く変わらない勢いで撃墜を再開した」

「……核食らって無傷かよ。バケモノじゃねえか」

 厳一郎の言葉に、白郎は畏怖(いふ)を通り越してすっかり呆れ顔になった。

「そんなやつに勝てってのか、司令?」

「最終的には、そうなる」

「おいおいおい……」

「だが、そのときも今回も、奴は「黒い障壁」を展開していた。これは我々の把握している【租界】の性能の範囲外だ。まだ【租界】の運用技術には何かが隠されている。言い換えれば単純な【租界】の防御力にも上限はあるはずなのだ。そして〈厭輝(エンキ)〉に存在していた【租界】発生機関の欠陥は、天城君が対〈オルトロス〉戦で残したデータのお陰で既に解消されている。何より――」

 一旦言葉を切り、厳一郎は沈黙を守っている青邪に目をやった。

「今はこちらにもオリジナルがある。戦力には事欠かん」

「オリジナル――」

 そこまでおうむ返しに呟いたところで、すぐその内容に思い至ったのだろう、トーヴァの表情が明るくなった。

「天城君。君の希望していた〈エクスカリバー〉――いや、〈エレイユヴァイン〉のパイロット登録は、正式に決定・承認された。喜びたまえ」

「――――はい」

 深呼吸の後、青邪は静かに頷いた。

「……なあ、天城?」

「ん?」

 不意に話しかけられ、青邪はきょとんとした顔で、すぐ隣の白郎を振り返った。

「どうしてあの白いのに乗りたがるんだ? 戦闘終わった後で司令に頼んでた時のおまえ、どう見たってまともじゃなかったぞ?」

「そう……かな?」

「ああ、間違いねえよ。あんなせっぱ詰まった、っつーか、一生懸命な天城って初めて見た」

 確信を持って首を縦に振る白郎。

「まあ……言われてみれば、そうかも」

 一週間前、戦闘終了後〈エレイユヴァイン〉から降りるなり、青邪は自分をこの機体のパイロットにしてほしい、と厳一郎に懇願した。

 しかし、実際は彼自身の意に反して無闇に腕力がこもり、半ば絞め殺さんばかりで、脅迫にも等しかったのである。それが承認されたこと自体、不思議でさえあった。

「どうしてだ?」

「え? それは……」

 まじめに問うその顔を見て、青邪は納得した。

(まあ……あれだけ過激な攻撃を受けた直後だからな、俺の台詞が聞こえていなくても無理はない。でも――)

「どうして……執着してるのか、俺は……?」

 呟きと共に、一週間前の戦いが脳裏に蘇ってきていた。


◇◇◇


『どうして、お前がそんなところで、そんなことをしてる――緋影っ!!』

 青邪の叫びに、しかし深紅の機体は、それらしい反応を示さなかった。

『緋影? 誰だそりゃ?』

 返ってきたのはそんな返事である。

『俺様の名はユギンクゥアル、最強の『星の子(サテライト)』! その〈エレイユヴァイン〉の本来の使い手だ!!』

『先に戻っているぞ、ユギ』

 真っ向から組み合っている二機を上空から見下ろして言い残すと、〈U‐2〉を抱きかかえた〈ザナンディース〉は、テレビの電源を切ったように、唐突に姿を消した。

『おい!? ったく、仕方ねえな』

 ぼやきながら前蹴りを放つ〈U‐3〉。対する〈エレイユヴァイン〉がそれをかわすべく、相手と組んでいた手を離して後方に跳び退くのを機に力比べを終わらせると、翼を広げて飛び立った。

『覚えとけ! その機体は必ず()(かえ)すっ!!』

 一旦滞空し、自分を見上げて立ち尽くす〈エレイユヴァイン〉にそんな捨て台詞を残すと、先の〈ザナンディース〉同様、一瞬のうちに姿を消した。

「……この機体の前になら、現れるんだな?」

 コックピットの中、青邪は一人呟いた。

 戦わないに越したことなどないのに、自分の「敵」へと変わった人間と再会する手段を無意識に探している自分が、不思議だった。


◇◇◇


「――よし。では天城君、これからよろしく頼む」

「は?」

 我に返って早速聞こえた厳一郎の念押しに、青邪は目を丸くした。

「あの……よろしくって、何をですか?」

「いきなり何を言い出すのだね? 決まっているだろう、ティマイオス機動部隊を隊長としてまとめ上げることだ」

「た、たいちょー?」

 逆に怪訝そうな表情で厳一郎が返した言葉に、更に目を白黒させる。

「現時点で君が最も各員の人望を集めているため、適任と判断した。各員の賛成もとりつけてあるし、ついさっき、君自身も就任を了承したはずだが」

 言われてみれば、一週間前のことを思い返している間に何か話しかけられ、面倒だからと適当に頷いた覚えはある。それがそうだったのだろうか。

「……困ったな。それが決定事項だってことなら、従うしかないけど……俺は別に、人に指図できるほど立派な人間じゃないよ?」

「知るか、ンなこと」

 実にあっさりと、白郎は青邪の言葉をはねつけた。

「オレは、ご立派な他人より知ってる外道に従う主義だ」

 腕組みをして、堂々と言い放つ。

「……けなしてるのかほめてるのかどっちさ?」

「言葉のあやってやつだ。あんまり気にすんな」

「そーかい」

 その返事を聞いて、青邪は呆れ顔で後ろ頭をぽりぽりと掻いた。一呼吸置いて表情を改め、円卓に手をついて、前に身を乗り出す。

「司令」

「何だね?」

 うって変わって急に真面目な表情を向けられ、厳一郎が怪訝そうな表情を浮かべる。

「最初に確認させてください。≪XENON≫……いや、俺たちパイロットは戦闘要員なんですね?」

「そうだが? 何が言いたいのかね?」

「非戦闘員が巻き添えになろうが、人質にとられようが、無視して構いませんね? その原因さえ排除すれば、被害は少なくてすむはずですから」

 冷徹な宣言に、厳一郎は思わずぽかんと口を開けた。

「天城君……君は、本当に高校生なのか?」

「ただの卑怯者です。負う責任は最小限にしておいた方が楽ですからね」

 助けなければならないのなら、助けられなかったとき、責めを負わなければならないし、自分で自分を許せない。

「……作戦行動とは直接戦闘だけではないぞ、天城君。避難活動などのサポートを行い、君達が全力を出せるよう支えるために我々が参加しているのだ。任せてもらおう」

「はい、ありがとうございます。それと――」

 頷くと、今度は白郎、トーヴァ、碧紗の三人に眼差しを向ける。

「俺に援護は必要ない。撃破された場合は見捨ててくれ。同じように、各員が指示を無視して自己の判断で行動した場合、被害は本人の責任として規模にかかわらず見捨てる」

 一息に言い放ち、改めて訊いた。

「……俺はそうするつもりだ。こんなリーダーで本当にいいのか?」

「別に構わない」

 真っ先に首を縦に振ったのは碧紗だった。

「何を今さら。おまえが冷たいやつだってことくらいもう知ってるぜ」

 冗談めかして、白郎。

「構いませんわ。どの道、わたくしたちの中でリーダーになりうるのはわたくしか天城さましかいませんもの」

 最後にトーヴァ。

「……ありがとう。選ばれたからには、全力でやらせてもらう」

 三人それぞれの後押しを受け、青邪は席に腰を下ろした。

「頑張ってくれたまえ、天城隊長」

「はい」

「では、解散とする」

 言って、厳一郎は妹尾を伴い奥へと去っていった。

「……で、だ」

 話が決着したところで、白郎が剣呑な視線をトーヴァに向けた。

「おい一条、今のはどーいう意味だ?」

「あーら? 判りませんでしたの? あなたごとき、人の上に立つ器ではないのですわ」

「てめーっ!」

「ほーっほっほっほっ! 庶民が図星を突かれて怒りましたわ!」

「……またやってるよ、この二人は」

 もはや恒例行事と化した白郎とトーヴァのいがみ合いを横目に、青邪は苦笑した。

「仲いいね、二人とも」

「誰が!!」

「ですかっ!!」

 見事に息の合った反論が返ってきた。

「あはは、やっぱり息ぴったりじゃん。先に行ってるよ」

 笑いながら、青邪は口ゲンカを続ける彼らに背を向け、リニアレールの発着場へと歩き出した。

 視線を意識する必要がなくなったことで道化の仮面を外したその表情は、硬い。身近なものによく似たやりとりを見て、何とも言えない不快感を覚えたのである。

 リニアレールに乗り込み、キーボードに指先を滑らせる――と、そこに碧紗が飛び乗ってきた。

「青邪はどこに?」

「格納庫。他に乗るのは?」

 簡潔な応答に――

「私だけ。私も格納庫に行く」

 腰を下ろした碧紗も簡潔に答える。

「そっか」

 改めて行き先を入力し、碧紗の隣に腰を下ろす。

 動き出したリニアレールの車内には、揺れや音がなく、車窓などという気の利いたものもなく、ただ静かだった。

「青邪」

 ふと、碧紗が思い出したように口を開いた。

 青邪もそれに耳を傾ける――先程の彼女同様、わざわざ顔を向けたり返事したりはしない。するだけ無駄だ。

「どうしていつも一人なの?」

「一人……?」

 唐突な問いだった。青邪は常に誰か――白郎やトーヴァ、他にも知り合ったクラスメイトたち――と、常に行動を共にしている。

 だが、その意味自体は、青邪には案外簡単に理解できた。

「俺の予備はいる。それで自分に関係ある何を頼れる?」

「ふうん……私と同じ……」

 碧紗は興味深げに頷いたきり、それを掘り下げようとはしなかった。代わりに、

「今は青邪の部屋にいるんだっけ。青邪の猫、何て名前?」

 別の話題を持ち出す。

「ブルー。黒猫なんだけどな」

 青邪もまた何の未練も見せずその話題に乗った。

 次々と現れては消える新たな話題によって、闇の匂いは埋もれていった。

 やがて、続いた雑談を遮るように、リニアレールが減速、停車する。実用一辺倒の薄暗い通路を抜け、広大な空間に出る。

 そこでは、新たに加わった〈エレイユヴァイン〉を含む計四体のティマイオスが、ハンガーに囲まれ、整備を受けていた。直立不動で佇む巨大な機体の足元を、整備員たちが何人も忙しく駆け回っていた。

 ちなみに、出撃することのなかった赤い機体〈非天(ヒテン)〉は、格納庫の端で一機だけぽつんと立ち尽くしている。

「私、〈転鱗(テンリン)〉のところに行ってくる」

 そう言って、碧紗は青邪の傍から立ち去った。

 格納庫の入り口に一人立ち尽くしたまま、青邪は自分が操ることになった、十枚の翼を持つ白い機体を見上げた。

 どうやら起動中だけ現れるものらしく、最初見たときにブースターだと思った部分から発現した漆黒の翼は、今や影も形もない。

 また、青邪の暴挙によって破壊された左手は依然として手の甲にぽっかりと穴を開けた惨状をさらしている。

「……〈エレイユヴァイン〉……」

 ぽつりと名を呟いたところで、青邪は後ろから肩を軽くたたかれた。

「!?」

 反射的に臨戦態勢をとってその場から跳び退き、自分の肩をたたいた相手との間合いを測る。

 それは――灰色の作業服を着た、初老の男だった。

「何びびってるんだ、若いの」

「……あなたは?」

「おれは石動草太(いするぎそうた)。ここで走り回ってる連中を仕切ってる。整備長ってやつさ」

 あからさまに自分を警戒している青邪の様子を明るく笑い飛ばし、男は名乗った。

「話は聞いてる。おまえさんが“アーサー”だって?」

「……ええ、まあ、そうなります」

 男の放った暗喩(あんゆ)に悩むまでもなく、青邪は頷いた。

 中世の有名な伝説だ。かつてどんな強力(ごうりき)を誇る豪傑(ごうけつ)にも抜けなかった、岩に刺さった剣を、あっさりと抜いた青年。アーサーという名を持つ彼は、後に円卓の騎士たちを率い、騎士王と称される。そして彼を所有者として選んだ剣こそ、かの有名な聖剣「王者の剣(エクスかリバー)」である。

「なるべく大事に乗ってくれよ。何しろ、修理が利く機体じゃないんでな、まともに壊れた日にゃ取り返しがつかん」

「ああ……なるほど」

 自分の肩をぽんぽんとたたきながら石動が発した言葉に、青邪は一瞬戸惑ったが、すぐに納得し、頷いた。

 あの機体は、海底で偶然発見された、現在の人類の科学力を超越した技術の産物だったはずだ。確かに、原理が理解できていないもの、よりによって兵器を無闇にいじるのは危険極まりない。

「まあ、自己修復能力があるから、助かってはいるんだ。おれたちが用無し、壊れても直してやれないっていうのは悔しいがね」

 発した言葉通り、〈エレイユヴァイン〉を見上げる石動の表情には悔しさがにじんでいる。

「自己修復……なんて経済的な」

 少々ずれた観点から、思わず感心。

「見つかった時点で、左半身はかなり欠けてたらしくてな。今でもまだ修復が不完全なんだ。本来ならオリハルコンはまともな手段じゃほとんど傷がつかないはずだからな」

「オリハルコン?」

「〈エレイユヴァイン〉のパーツのほとんどを構成してる結晶体の名前だよ。精霊を非常な高効率で伝導し、硬度はプラチナ以上っていう冗談みたいな鉱物で、オリハルコンフレーム……ティマイオスが搭載してる、GSのALSとは別の伝達システムに使われてるんだ。今の技術じゃあまともな精製どころか量産も不可能なんで、ティマイオスのフレーム部分にだけ粗悪な模造品が使われてるのさ」

 だから、おまえさんみたいな規格外の適性を持つ人間が乗ると過負荷で崩壊するって欠点があるんだよ、と石動は続けた。

「試作の初号機〈厭輝(エンキ)〉や弐号機〈転鱗(テンリン)〉はもちろんだが、ティマイオスの作成には〈アリエル〉や〈アルベリッヒ〉のときのノウハウとこいつの解析結果が活かされてるんだ。まるで謎だらけなんだが、判ってる部分だけでももの凄い技術が使われてるんだよ、こいつには」

 いきなり不可解な単語が複数飛び出し、青邪は困惑した。一人で語って〈エレイユヴァイン〉の凄さに感心している石動に、

「……あの、石動さん。部外者にも解るようにもう少し噛み砕いて教えてくださると嬉しいです」

 詳細な説明を求める。

「ああ、悪い悪い。ほれ、おまえさんも研究棟で見たろ? あいつと一緒にあった二機のスケルトン。あれの名前だよ。それぞれ、ティマイオスとGSのプロトタイプだ」

「……さすが、真行寺系列」

 起源だけあって、技術というものが他社と根本から違う。GS以上の性能を持つ機体の原型を、GSの草創期に既に保有していたとは。

「……あれ?」

 自分の考えの中に何か矛盾を感じ、青邪はそれに対して問おうと石動の方を向いたが、ちょうどそこに、

「わーっ! ちっチーフ! 碧ちゃんがーっ!!」

 という叫びが飛び込んできた。

「碧ちゃん?」

「碧紗ちゃんだよ」

 怪訝な顔でおうむ返しに呟く青邪に、石動は苦笑混じりで答えた。

「コックピットがお気に入りの場所らしくて、よくここに来るんだが……問題もよく起こすのさ」

 口調はいかにも迷惑していそうだが、表情はどちらかというとその逆に見える。

「……あ、そうそう」

 〈転鱗〉の辺りにできた人だかりの方へ駆け出しかけ、石動はふと足を止めて青邪を振り返った。

「あのネコみたいな嬢ちゃん、紛争地帯生まれの孤児でな。タチの悪い連中に拾われて、使い捨ての暗殺者として育てられてたんだと。人の温もりにはいつも飢えてるんで、なるべく構ってやってくれよ」

「……はい」

 思いがけず暗い影を耳にして、青邪は戸惑いつつも首を縦に振った。

「頼んだぞ、隊長さん」

 石動の後姿を見送り、そびえる〈エレイユヴァイン〉の姿を改めて見上げる。

「……必ず、奪り還す……」

 聞いた言葉が口をつき、それを発した紅い面影が青邪の脳裡に蘇っていた。


◇◇◇


 緋と、白と、二色が揺れる。

 緋。長い髪。

 白。少女の裸身。

 胎児のように体を丸め、眠る少女。一糸まとわぬ裸身を、その背から生えた一対の翼が包み込んでいる。

 淡いピンクの液体を収めた透明な球体の中に、その姿はあった。液体の比重が調整されているらしく、少女の体は浮きも沈みもせず、ただそこにある。

 薄暗いその部屋の中には、少女の眠っている球体と同じものが他にもいくつか存在していたが、現在機能しているのは先の一つだけらしく、他のものの内側には光が宿っていない。

 静寂の中、少女はふと小さく身じろぎした。深紫の眼を見開き、体を、翼を伸ばす。少女の体が球体の外壁をすり抜け、こぼれたわずかな液体と共に、湿った音を立てて床に着地する。

 肺呼吸を再開するために邪魔な、今まで気管を占拠していた液体を吐き出し、深呼吸。一息ついたところで、おもむろに手を後頭部へと伸ばし、髪がびしょ濡れになった状態でもなおポニーテールの形を維持していた、ワインレッドのリボンを解く。

 思い切り振られた緋の髪から、水滴が飛び散った。

「ふう……」

 背筋を水滴が伝う不快感から解放され、少女はあられもない姿を恥じるでもなく、思い切り伸びをし――停まった。

 かつん、と硬質な靴音が彼方から聞こえ、近付いてくる。

「わ、ちょっ、ちょっと待った! まだ入ってくんな!」

 それを聞いてのことだろう、靴音が止まった。

 その隙に、少女はあわてて髪を一本にまとめ、リボンで改めてポニーテールに結った。

「いいぜ!」

 相変わらず一糸まとわぬ姿のままで、豊かな胸を張って来訪者を迎える少女。別段、裸を見られるのが恥ずかしいわけでもないらしい。

 少女の声を聞いて現れたのは、裾の長い漆黒のコートをまとった、眼鏡の青年。ひどく硬質な無表情で、レンズの奥にある濃紺の瞳だけが人間的な鋭さをたたえている。

「調子はどうだ、ユギ」

 こちらも少女が無防備にさらしている裸身には興味がないらしく、反応らしい反応はまるでない。

 青年の問いに対し、腕を振り回すという実に簡単な確認作業をすると、少女は頷いた。

「ああ、すっかりいいぜ。ありがとな、ルリ」

「そうか。ところで、訊きたいことがある」

「何だ?」

 青年の問いに、ユギンクゥアルは首をかしげた。

「なぜ、全身が濡れる調整中もそれを解かない? お前にはそんな非合理的な習慣があったか?」

「――あ、これか」

 青年が指す方を目で追い、ユギンクゥアルは彼の話題が自分の髪を束ねているリボンだと気付いた。

 古びたリボンだ。元々は鮮やかな緋色をしていたのかも知れないが、すっかり色あせた結果としてワインレッドに変色している。

「そういえば……ねえな。あれ……あれ? なんでだ?」

 怪訝そうに答え、そこで何か疑問が湧き上がったのか、更に眉を寄せる。

「どうした」

「なあルリ、俺様にこんなリボンくれたことあったか?」

「ない」

「だよなあ……」

「……やはり、記憶の統合ができていない……」

なおも首をかしげるユギンクゥアルを見ながら、青年は無表情のまま独りごちた。

「ユギ、以前私が言ったことは覚えているか」

「あん? ……確か『過去は未来の後押しをすることしかできません』だったか?」

「………………」

「どうしたよ、ルリ」

 突然の青年の沈黙に、ユギンクゥアルはばつの悪そうな視線を向けた。

「俺様、また何か悪いことしちまってたか?」

「……いや。何でもない。私は出る用ができた」

 ばつの悪そうな表情を見せる彼女に軽くかぶりを振り、青年は背を向けた。

「お前の体はまだ完全ではないらしい。この調整ばかりは時間が必要だ。部屋で休んでいろ――服を着てな」

「ああ。それくらい分かってるって」

 青年が部屋から去り、部屋には再びユギンクゥアルだけが残った。

「……変、だな……」

 呟きつつ、ポニーテールの根元のリボンを指先でなぞる。

「どうしてだ? 大事なやつにもらったもののはずなのに、ルリの前でも解いちゃいけねえ気がするなんて……?」

 難しい問題だ。考えるのは苦手なのだが。

「……やっぱどうでもいいか」

 考え込んでも答えが出そうにないので、やっぱり考えるのはやめることにした。


◇◇◇


 紙袋を胸元に抱えてじゅうたんの敷かれた廊下を抜け、青邪は一つのドアの前で立ち止まった。

 懐から学生証を兼ねるIDカードを取り出し、認証用の端末に通すと、彼を迎え入れるべく、電子音と共にドアの電子ロックが解除された。

 銀星学園学生寮『永青館』、Y‐2089号室。青邪が今住んでいる部屋である。

 この銀星学園、敷地そのものが人里を離れていることもあって全寮制になっているのだ。学生寮と一口に言っても、さすがに私立だけはあって、下手なアパートよりつくりが立派な上に管理も行き届いており、個室の割合も九割近く、高級マンションと呼んでも全く遜色ない状態にある。

 寮自体は三階建てで、男子生徒の居住区である瑶林(ようりん)棟と女子生徒の居住区である瓊樹(けいじゅ)棟の二つで構成されており、それらが一階部分しかない中央出入口を介して左右対称につながっている。

 蛇足だが、青邪の部屋番号は「瑶林棟二階89号室」を意味する。

「ただいま」

 帰宅を告げた青邪を、唯一の同居人である黒猫が出迎え、早速彼の脚に頬をすり寄せた。

「待たせたな。予定より余計な用ができたんだ」

 柔らかな笑みを浮かべながら、青邪は空いている左手でブルーを抱き上げ――る途中で、落としてしまった。

「?」

 猫ならではの機敏な身のこなしで難なく着地し訝しげに見上げるブルーの視線を受けながら、当の青邪自身も、不思議そうに、震える左手を見つめ、首をかしげる。

 力が入らない。手の開閉自体はできるのだが……。

「……?」

 とりあえず紙袋を左の脇にはさみ、空けた右手で改めてブルーを肩に載せ、部屋の奥へと歩みを進めた。

 明かりが点り、日没によってガラス窓の向こう側と同様黒一色に塗りつぶされていた部屋が瞬く間に漂白される。

 部屋の中には、机とベッドしかない。引越して来て間がないこともあるだろうが、それにしても殺風景だった。

 左右のカーテンを引き、ベッドに腰を下ろして、抱えていた紙袋の中身をあさり始めた青邪の肩の上で、ブルーが鼻をひくひくと動かし始めた。

 まず出されたのは、ブラシ付きの白髪染め。どう見ても普通の男子高校生には似つかわしくない代物だ。

「ふっ、あははっ……」

 ついつい思い出し笑い。薬屋のカウンターで青邪の顔と彼の差し出した商品とを何度も見比べて、困惑していた店員の顔が、今もまだ焼きついている。

 もっとも、買うからにはちゃんとした用途もあるわけで、青邪はそれを思い出し、つむじの辺りに手をやった。

 今はまだあまり目立っていないが、黒髪が、生え際からわずかずつ変色を始めているのだ。この緩やかな変化には、ここ二、三日の間に気付いた。奇妙なことに、色だけを(こと)にして相変わらず伸びる髪は、光沢のある深い青色で、言うなればサファイアブロンド。

 なぜこのようなことになっているのか、理由は判らないが、そうかといってほうっておくわけにもいかず、黒く染め直すことにしたのである。

「さて……と」

 白髪染めを傍らにほうった青邪が次に取り出したのは、茶色をした硬質の小片。鰹節だ。

「お待ちかね。ほら、お土産」

 鼻先に差し出された好物をくわえると、ブルーは感謝の意を表すように青邪の首筋に頬をすり寄せ、肩を降りて、彼の傍らで喉を鳴らしながら鰹節をかじり始めた。

 青邪もその様を和やかな表情で眺め、袋からどら焼きを一つ取り出してぱくりとくわえた。実は青邪、甘党である。

 個人的にこしあんよりも好みのつぶあんを味わいしつつ、新たに取り出した缶入り緑茶を口に含み、

「これは……ちょっと風情に欠けるな」

 あんの甘味と緑茶の渋味との調和にのんびり呟く。まずいわけではないのだが、緑茶はやはり湯飲み茶碗でいただいた方が雰囲気としてしっくりくる。ちょっとした青邪のこだわりである。

 また一口、缶を傾けて、袋の中の新たなどら焼きへ手を伸ばす。

 一人と一匹の簡素なお茶会は、やがてどら焼きが切れたことで終わりを告げた。

 つい、買っておいたどら焼きの数を忘れて、ないはずのどら焼きを取り出そうと袋に差し込まれた青邪の指先が、目的のものとは別の感触を探り当てた。

 とたん、青邪の表情が疲れを帯びたものに変わる。

「つくづく、何を考えてるんだろうな、俺は……?」

 ため息と一緒に自嘲の苦笑をもらし、自分を見上げているブルーの頭をなでると、青邪は一息に缶の中身を空けて立ち上がり、たたんだ紙袋と共に机の上に置いた。

「馬鹿らしい……」

 再び呟いてベッドに体を投げ出し――怪訝な顔ですぐ上体を起こす。

 いつの間にか、周囲に妙な気配が漂っていた。

 一週間前トーヴァと碧紗の二人が『召喚形質』とかいう不思議なものを出したときと同じ感覚だ。

「精霊の、気配……?」

 まるで導かれるように、青邪は部屋を後にした。


◇◇◇


「泣かすぞ、コラ!」

 どすのきいた低い声。

「やってごらんなさい!」

 涼やかな高い声。

 音を立てて、木刀と木製の薙刀が真っ向から激突する。一呼吸の間に全く互角の剣戟が数合か交わされ、木刀と薙刀の所有者たちが間合いを取り直す。

 木刀を構え、人相の悪い顔に更に凶悪な表情を浮かべて対峙する相手をにらんでいるのは、白郎。

 薙刀を構え対するは、見下した表情を崩さないトーヴァ。

 そこは≪XENON≫基地内にある武道場。数十畳はあるだろう床は板の間と畳に半々ずつ占められ、板の間で対峙する二人の他には誰もいない。

口ゲンカが高じて、二人はどちらが上かは強さで決める、という単純な勝負に移っていたのである。

 元々素質があったのか、はたまたトーヴァの挑発の賜物(たまもの)か、一週間前から始めた戦闘訓練を通し、白郎は瞬く間に上達を遂げ、トーヴァの薙刀の技量にもついていっている。

「おら、どうした……もう、へばってんのか!?」

「何を、馬鹿な……寝言は、寝てから、おっしゃい!」

 対決が始まってから既に数時間が経過しているが、互いに弱みを見せまいとしてのことか、どちらも服を汗で濡らし、肩で息をしていながら、決して休もうとしない。

「ざけんな! てめえが寝てろや!」

 すぐトーヴァの挑発に乗った白郎が木刀を振りかざし、彼女の間合いに踏み込む。

「こちらのセリフですわ!!」

 応じて薙刀を振り回すトーヴァ。

 再び、激しい剣戟が始まり――そしてこれまた再びやむ。

「はん……偉そうな、こと言って、も、大したことぁ、ねーな……」

「あ、あなたごとき、に、全力を出す、なんて、もったいないこと、できませんわ……」

 激しい剣戟を行っては、悪態をつき合いながら一休み。どちらからともなく動き出して再び剣戟を始める、という繰り返しである。

「とっとと、倒れやがれ、この……高飛車女……!」

「誰が、あなたなどに、負けるものですか……この……凡人……!」

 互いに叩き合う憎まれ口を最後に力尽き、二人は同時に仰向けで転がった。

 この二人、揃って我の強い性格をしているため、勝負を始めてしまえば、互いに意地を張り合って、立てなくなるほど消耗するまで止まらなかった。

 これで、双方共に七戦零勝零敗七引き分けである。


◇◇◇


 学生寮永青館は元々銀星学園の敷地の外れに位置しているため、少し歩けばすぐに森の中に入れるようになっている。

 人目を避けようとして森の中に踏み込み、その結果迷うお間抜けなカップルも時折いるらしく、学園には専門の救助部署もあるくらいだ。

 茂みをかき分け、青邪は火山岩が剥き出しの森の中へと踏み込んだ。

 人の気配がない森の中には月明かりが差し込み、視界がある程度保証されているため、最初思っていたほど危険な場所には見えない。

 起伏のある火山灰台地を十分は歩いただろうか、不意に視界が開けた。ちょっとした公園ほどはありそうな広さに渡って、木が生えていない。

 中心付近から一際強い精霊の気配を感じ、目をやると、そこには人影が一つあった。

 黒く裾の長いコートを着、氷の彫像を思わせる、整った無表情な顔に眼鏡をかけた若い男。青邪と比べてもう少し年上だろうか。

「待っていた。〈エレイユヴァイン〉のパイロット」

 淡々と放たれた、覚えのある声に、青邪ははっとした。

「その声は……〈ザナンディース〉の?」

「覚えていたか」

 大した感慨もなさそうに、男は肯定した。

「私の名は(はるか)(いみな)をルリアトフェルという」

「俺は、天城青邪……忘れることはないと思う。二度も止めてもらった恩がある」

 あのままでは、自分は何をしていたか、判ったものではなかった。

「止めてもらった恩」

 おうむ返しに呟く遙。

「つまり、自分で自分を止められないと。……権利うんぬんと理屈を弄しても、自分の言動に対する責任は負いたくないか」

「……っ」

 一切の感情を排した的確な追求に、青邪の体がびくっと震えた。

 見透かされている。

 自分の理屈がただの虚構、詭弁でしかないということを。

 青邪は、日頃から他人を傷つけたくないと思っている。傷つければ、傷つけられるかも知れないからだ。

 だから、自分の中に凶暴で強い“攻撃者”という虚像を作った。それを自分自身とは別のものとして嫌うことで、本来の自分は責めを負わずにいられる。

 多重人格者は、往々にして“攻撃者”としての面を持つ人格を発現させる。他の人格を、ひいては体を護るためだ。責任の所在という意味では、青邪の“性格捏造”もそれに近い。

「醜悪だな。言い逃れをしないだけ、単なる粗暴犯の方がよほど良心的だ」

「……」

 その舌鋒は容赦ない氷の刃。しかし青邪は、切り刻まれながら何の反論もしない――できない。自分の理屈が最初から破綻していることを、当人が最もよく理解しているからだ。

「……まあいい。本題に移るか」

 批評を打ち切り、遙は腕を下手(したて)に振るった。

 怪訝な表情を浮かべる青邪の目前に、青白く透き通った刀身を持つ両刃の西洋剣が、音を立てて突き立つ。

「使え。貴様の力、見せてもらう」

 遙はコートの内側に帯びていた鞘を取り、漆黒の刀身を持つ日本刀を抜き放った。

「……あなたと殺し合う理由がない」

切っ先を向けられていながら、青邪の反応には力がない。

「貴様の流儀では充分な理由になるはずだが」

 相変わらず無表情のまま、しかし怪訝そうに、遙は首をかしげてみせた。

「私は貴様に凶器を向け、そして貴様に殺される可能性も認識している。それで不服なら――」

 遙の眼鏡が、月光を反射して、その奥の瞳を隠した。

「色褪せた赤いリボンに覚えはないのか?」


 それは、他愛もない、ほんの話の弾みだった。

 少年は、ふとしたことで言葉を交わすようになった少女から誕生日を聞かされた。

 それから何ヶ月かが過ぎ、やがて訪れたその年の少女の誕生日。少年は少女に緋色のリボンを贈った。

 少年にとって、そのことに大した意味はない。強いて言えば、ただ単に、誕生日を迎えた子供に物品を渡す大人の真似事をしてみただけだ。

 しかし、リボンを受け取った少女は、本当に嬉しそうに微笑んだ。

 なぜかはわからない。

 ただ、その笑顔は、少年の脳裏に色濃く焼きついた――。


 地面に突き立っていた剣が抜かれるのと、その刀身が遙の刀に叩きつけられるのは、ほぼ同時だった。

 がりがりがり、と鈍い感触。

 瞬く間に間合いを詰め、全くの不意討ちで遙に力任せの鍔迫合(つばせりあ)いを仕掛けた青邪の顔は、未だかつてない凶悪な表情を浮かべ、憎悪を剥き出しにしていた。

「緋影に――何をしたぁぁぁぁぁぁッ!!」

 咆吼と共に、強引に剣を振り抜く青邪。その勢いを受け流し、間合いを取り直そうと後方に軽く跳ぶ遙に、更なる踏み込みで肉薄し、その刃を大上段から叩きつける!

「おおおおおおおぁぁッ!!」

「……凄まじいな」

 続けざま激情任せに叩きつけられる連続攻撃を、巧みに受け流しつつ、遙が呟く。

「だが、所詮は素人か」

 振り下ろされた一太刀を弾き返し、反撃に移ろうとしたその瞬間――青邪は遙の太刀筋を最初から見切っていたかのように、遙の懐に入り込んでいた。

「!」

 刀を引き戻し、首筋を狙って切り上げられた剣を危ういところで受け止める遙。噛み合った刃が、激しい火花を散らした。

「これは――」

 再び、反撃を試みる。

 先程同様、青邪は、遙の太刀筋を見切ったような反応を返した。

「……“愚者の眼(アウトサイト)”。貴様『空』属性の感応者か。合点がいった」

「御託はいい! お前はっ、緋影に何をしたッ!!」

 振り下ろされる剣を、刀が受けた。

「言わせてみせろ」

 鬼もかくや、と思わせる青邪の形相に対しても平静さを崩さず、遙が応える。

 凄まじい剣戟が始まった。


◇◇◇


 碧紗は寮へと戻ってきていた。

 彼女にとって、格納庫はとても居心地の良い場所だった。ことあるごとに自分を構ってくれる面々が好きなのだ。

 ガラス張りの入り口の奥、ロビーへ足を踏み入れる。校舎と違い、玄関や共用の下駄箱などというものはない。各部屋の玄関が各々にとっての玄関だ。

「?」

 ふと、碧紗の目が、ロビー内をうろうろと落ち着きなく動き回っている黒猫に留まった。

「……ブルー?」

 覚えのある名を呼んでみると、果たして黒猫は反応し、早足(トロット)で歩み寄ってきた。やはり本人――ならぬ本猫らしい。

「いつも肩に載せてくれてる青邪はどこ?」

 周囲を見回した碧紗の問いに、ブルーは妙に人間くさい真摯(しんし)な眼差しで応え、そのまま外へ走り去ってしまった。

「……何かあった?」

 簡単な意訳をした結果、碧紗も元来た道を戻り始めた。基地に戻り、仲間と合流した方がいいような気がしたのだ。

 そして、その判断はいたって賢明だったのである。


◇◇◇


 剣戟は続いていた。

 しかし、青邪の剣に最初の勢いは失せ、本格的に反撃に転じた遙の剣をただ受けるだけにとどまっていた。激情に任せて闇雲に剣を振るううち、頭が冷め、自分がなぜ激昂したのかさえ解らなくなってきたのである。

 そして、激情が冷めたことで戦う理由自体がなくなり、今や相手を傷つけることに対する恐怖心の方が先に立ち始めている。結果としてそれが青邪の太刀筋を鈍らせ、受け身がちの姿勢を招いていた。

 遙の剣を防ぐことができないわけではない。

 それこそが遙の口にした“愚者の眼(アウトサイト)”と呼ばれる能力なのだろう、青邪は生来、自分に行われるであろう攻撃の軌跡を、あらかじめ感じることができるのだ。空手の有段者である緋影の鋭い連続攻撃を難なくかわせるのも、その能力あってこその芸当である。

 そして、今も感じる。遙の切っ先を起点として描かれる、無数の冷たい線。今まではおぼろな軌跡を伴う抽象的な不快感しか感じなかったが、戦闘訓練を繰り返すうち、それはどんどんと細く研ぎ澄まされ、今や糸のように精密な細さと正確さで来たるべき攻撃の軌道を教えてくれる。攻撃の起点はおろか、終着点まで理解できてしまえば、いかなる攻撃であろうと対処できない道理はない。

 一見有利にも思えるが、実のところ、場慣れしていない青邪の目は、複数の角度からほぼ同時に襲いかかってくる遙の太刀筋など捉えられず、か細い命綱にしがみついている状態でしかない。

「貴様は――」

 不意に、遙がぽつりと口を開いた。

「戦いを恐れているのか?」

「……」

 確かにそうだ。

 他者を傷つけるのはともかく、自分が傷つくのは厭だ。矛盾を解決するために自分は“攻撃者”を捏造し、自らで戦うことを放棄した。

「戦え」

 逡巡(しゅんじゅん)を断ち切るような一際鋭い斬撃を放って、青邪をその勢いでよろめかせ、遙は断じた。

「持てる力を使いこなせないようでは、何も護れはしない。後悔するぞ。貴様のように、既に使うための糸口をつかみながら目を逸らしている者は――特にな!!」

 無表情に淡々と語っているように見えて、内心は決して穏やかではなかったのか。語尾が吐き捨てられたとたん、一太刀一太刀にこもっていた速さと重さが、今までとは段違いに増した。

「……っ……!」

 常人の域を越えた猛攻を何とか捌き続ける青邪の、歯が食いしばられ、そこから鈍いきしりがもれた。やがて、彼の全身いたるところから、みぢ、ぶちっ、と、腱や骨格筋――肉のちぎれる厭な音がし始める。

 達人並みの反応速度が要求する激烈な運動量に、一介の高校生の体が耐え切れていないのだ。

 俗に「火事場の馬鹿力」として知られているが、生死を分ける窮地に直面した人間は、普段では考えられないようなレベルの知覚能力や身体能力を発揮する。

 この現象の実態は、窮地に際し、各器官が自らの限界を無視して百パーセントの能力を発揮することにある。

 今、青邪の感覚は極度に研ぎ澄まされ、急加速している。引きずられる形で、体の方も強制的に百パーセント状態を発揮させられているのだが、青邪は戦う時常に恐怖で頭の中を真っ白にしてしまうため、今も≪XENON≫の戦闘訓練で習得している剣術を活かせず、無駄な動きばかりで体に過負荷を強い続けている。

 無理を続けられる理由があるわけもなく、青邪はやがて遙の猛攻を捌ききれなくなり、ほんの一瞬の間に刻まれた全身数箇所の無数の傷から血を噴き、前のめりに倒れた。

「要らぬことを思い出させる……」

 微かに不快そうな響きこそ残していたが、既に遙の声に激情の気配は去っていた。

 残心――一片の油断もなく見下ろすその視線の先で、押し殺したうめきをもらし、青邪が身じろぎする。遙のわずかな手加減によって、彼の全身に走った刀傷は皮一枚を裂く程度にとどまっていたのである。

 全身を震わせながら、青邪は剣を杖に立ち上がった。

「立つか」

「意味……が……」

「意味」

 青邪のもらした呟きに、遙は微かに眉を動かし、

「意味を……持たずに、消えたく、ない……」

 続いた呟きを聞き、氷像めいた顔に失望の色を浮かべた。

「下らん。人間であろうとしないヒトに、意味などない。所詮『(ウロ)』か。……まあいい、オリハルコンの剣一本程度くれてやっても大した害にはなるまい。好きにしろ」

 刀を一振りして、付いていた血を飛ばしてから鞘に収め、背を向ける。

「≪XENON≫には今しばらく動いてもらおうと思っていたが――ついでだ。必ずしも人類の力が≪XENON≫である必要もないからな」

「……何の、ことだ」

 青邪の問いに、遙は森の奥へ向かいかけた足を止めた。振り返らぬまま、答えを紡ぐ。

「完全な力を発揮しえない〈エレイユヴァイン〉は返してもらう。そして、神体の模造品も、パイロットともども共々完全に破壊する」

「模造品……神体……?」

「貴様らは『ティマイオス』と呼んでいたな」

 そこまで言って、遙は歩みを再開した。

「……!」

 青邪の顔色が、本人も知らぬうちに変わった。

 それは、つまり。白郎や、碧紗、トーヴァが、死ぬ。

「だ……めだ……!!」

 全身に走る痛みにも構わず、青邪は一歩踏み出していた。

 言った当の自分にもまるで解らなかった。

(何が……駄目なんだ?)

 他人など、いついなくなろうが自分には何の関係もないはずなのに、自分の知っている人間がいなくなってしまうのは、厭だった。

 知らず、頭に血が上る。

 痛みもまるで気にならない。

 全身に力が入る。

 握り締めた剣が、淡く光りながら振動し、高い音で鳴り始めていた。

 歩みを進めていたところで、唐突に巨大な精霊の気配が現れたのを感じ、遙が弾かれたように青邪を振り返る。

 遙の視界に入ったのは、青銀に染まりきって長く伸びた髪を振り乱し、透明感のある薄黄色の眼をこちらに向けて歩み寄ろうとする青邪の姿だった。

「……そうか。貴様……ハーフエルフか。可能性こそ低いが、ありえん話でもない……」

「させない……俺の……俺の……」

 遙の呟きを無視して半ば衝動的に言葉をこぼし、

(俺の……何だ?)

 死人のように頼りない足取りで遙の元へと歩みを進めながら、青邪は困惑した。

 答えは意外と簡単に浮かぶ。

――自分と一緒にいる、失いたくない人種。

(なぜ、失いたくない?)

 失いたくない理由が、見つからない。

 失いたくない分類に属する人種に対する、適切な呼称も、見つからない。

 こんな発想や分類自体、初めてだった。だが、考えている余裕自体ないのだから、この際それはどうでもいい。

「――殺させない……!」

 かすれた声で断じるなり、青邪は踏み込む脚の筋が更に弾けるのも構わず地を蹴った。振りかぶった剣が、刀身に青白い光をにじませ、淡く輝く。

 閃光!! 轟音と共に颶風(ぐふう)が走り抜け、上下から噛み合った刃を起点に、その所有者周辺の土砂を吹き飛ばした。

「……また作り直さねばならんな」

 偏光ガラスの眼鏡が弾け飛んだことであらわになった深い金色の眼で、眼鏡が飛んだ先に視線を投げつつ、遙は呟いた。

 青邪のそれと対照的な(あか)い輝きを帯びた黒の刃で斬撃を受け止めつつ、それを放った青邪を見つめなおしてのしばしの沈黙の後、改めて口を開く。

「虚が(ことわり)を宿すか。どうやら、判断を焦り見誤ったようだ」

 告げて、青邪を突き放す。

「……っ」

 今の一太刀でほとんどの力を使い果たしていた青邪が、よろめきながらも応戦体勢をとるのにも構わず、遙は刀を鞘に収めた。改めて背を向け――わずかに姿勢を変える。黒く小さなものが死角から飛び出し、遙の間近をかすめたのだ。

 青邪の前に着地し、全身の毛を逆立てて、鋭いうなり声を発しながら、遙に威嚇(いかく)姿勢をとったそれは、黒い毛並みの雌猫。ブルーである。

金華猫(ケット・シー)……珍しいな。……いや、この気配は……。そうか、貴様が“羽根”か」

「ブルー……どうして、ここに?」

 青邪が怪訝な呟きを発した直後、

「おらおらおらおらおらぁーっ!!」

 景気のいい怒鳴り声が、(やぶ)の向こうから聞こえてきた。それと同時に、ざんざんざんざん、と、藪を猛烈な勢いで強引に突破してくる音も。

 ほどなく、草の汁で緑に汚れた大ぶりのナイフを手にした人物が、繁みを飛び出し、遙に跳びかかった。しかし遙はふわり、と、平均以上の長身にもかかわらず全く体重を感じさせない動きでその斬撃をかわす。

「無事か!?」

 追い討ちもとりあえず傷だらけの青邪を振り返ったのは、目つきも人相も悪い少年――白郎である。

「……え、白郎」

「『え、白郎』じゃねえ」

「どうして、こんな所に。何か用?」

「だーっ! 何ボケてんだてめーはっ!」

 論点のずれた青邪に、白郎は空いた右手で髪をくしゃくしゃとかき乱した。

「おまえを助けにきたに決まってんだろーがっ! ブルーに感謝しやがれ! そいつが教えてくれたんだからな!」

「青邪」

「天城さまっ!」

 二人の少女も相次いで現れる。

「――てめえ、よくもオレのダチをボコってくれやがったな!」

 遙に突きつけられる白郎の懐中電灯に、異変が生じた。発される光が急激に細く、輝きを増しつつ棒状になったかと思うと、まるで剣の刀身のような様相を呈したのだ。

 光の剣。まるでゲームか何かの英雄像であった。

「ぶった切るぞてめえ!」

「……『光』属性の感応者か。厄介な」

 光の剣を突きつける白郎に動じることなく、冷静な判断を下すと、遙は青邪を傍で支える二人の少女を見、改めて青邪を一瞥した。

「可能性は見せてもらった。故にここは退いておく。来い――〈ザナンディース〉」

 遙の語尾が終わらないうちに、間近の森林を突き破って夜の闇よりなお濃い漆黒の機体が姿を現した。舞うように軽やかに跳躍した遙を手のひらに乗せ、天空へと上昇してゆく。

「な、何で基地のレーダーに引っかからねえんだ!?」

『貴様等のレーダーの仕様は見当がついている。未だ稚拙な技術、欺くのは造作もない』

 白郎に答え、〈ザナンディース〉は夜空に広がる闇の向こうに飛び去った。

「……助かったぜ」

 それだけ言って、白郎は手の中にあった光の剣を消し、その場にへたり込んだ。

「こちとら鼻っ柱の強え高飛車女とやり合ったすぐ後で疲れてんだ。……おい、大丈夫か天城」

 トーヴァが殺気立つのもお構いなしで青邪を振り返る。

「少なくとも、死んじゃいない。……それ、何だ?」

「あ? ……ああ、光の剣か。名付けて“栄光の手(シャイニングアクト)”。オレの『召喚形質』だぜ。これでもやるこたあやってんだ。――それより」

「?」

「いつの間に髪を染めたんだ? |カラーコンタクトレンズ《カラコン》まで入れやがって」

「多分……俺の『召喚形質』。名前は……“愚者の眼(アウトサイト)”。体に直接、表れる、タイプ……なんだろう」

 微かに顔をしかめつつ、青邪は白郎の問いに答え、トーヴァと碧紗の腕を振り払って歩き出した。おぼつかない足元を案じるように、ブルーが付き添う。

「天城さまっ!? そんな体でどこへっ!?」

 トーヴァが悲鳴じみた声を上げたのも無理はない。刀傷自体はそれほど深くないとはいえ、今の青邪の外見は全身血まみれである。

「部屋に、戻る。……何か、問題が?」

「てんこ盛りだ馬鹿野郎」

 白郎が言いざま、拳骨でごんっと青邪の頭を一発殴り、よろめく彼にすかさず肩を貸した。

「つっ……何の、つもりだ、……白郎」

「何バカなこと訊きやがんだおまえは」

 すっかり呆れ顔で青邪を見返し、答える。

「ンなこと知るか。ボロボロのダチを助けようと思って何が悪い」

「………………」

 青邪は白郎の腕を払いのけようと、その腕をつかんだ。しかし青邪の手にはそれだけの力がなく、彼の消耗具合を物語るにとどまった。

「天城、おまえ一体何考えてやがんだ?」

「……放して、くれ」

 なおのこと強く青邪を捕まえ、問う白郎に、かすれた声で答えが返ってきた。

「あ?」

「他人には……頼っちゃ、いけない。自分で、一人で、立たなけれ、ば……」

「けっ、馬鹿野郎が……」

 呆れ顔で暗い空を仰ぎ、視線を戻した白郎は、すかさず続けた。

「だったら頼んな。これはオレが勝手にやってることで、おまえはたまたま逆らえねえだけだ」

「やめ、ろ……放せ」

「るっせえ」

 もう一発、拳骨を振り下ろす。鈍い音の後も未だに続く弱々しい抵抗を無視し、強引に引きずって歩き出す。

「おら、何やってんだ女二人。帰んぞ」

「……そうする」

「なぜあなたがわたくしに指図しますの!?」

「あーうっせえうっせえ。だったら一晩中さまよってろ。静かになってせいせいすらあ」

「どこのどなたが帰らないなどと言いましたの? 勘違いも甚だしいですわ!」

「だったら来りゃいいだろーが」

「言われるまでもありませんわ!」

 何だかんだ言いつつも、チームはまとまっていた。


◇◇◇


 宵闇の中を、女神の形をした闇がか翔けていた。

「天城青邪……」

 女神の胎内で、漆黒のコートをまとった男――遙は独り思案顔で口を開いた。

「現れるべくして現れた『愚者』……か」

 こぼれた名詞は、古代エジプトはトート神の壁画に端を発する二十二枚の占術用の符、俗に言うタロットカードのものだ。

 遠い記憶が脳裏をよぎる感覚に、目を閉じる。

「始める前から――いや、戻った時点で既に始まっていたのだろうな……」

 苦々しく呟いた直後、遙は機体を反転させた。

 一瞬前まで〈ザナンディース〉の右半身があった部分を、青白い光の槍が通過する。

 制動をかけ、空中で静止した〈ザナンディース〉の前に、青白い有翼の機体が降下してきた。

 暗灰色の雲海の上、蒼ざめた月光を浴びながら、巨大な翼を広げて佇む、女神じみた造形。薄氷を連想させる色を除けば、それは〈ザナンディース〉によく似ている。

「……〈ゼルクシャール〉……!」

 呟く遙の間近で、仮想ウィンドウが開く。その向こう、短い銀髪の女が、青ざめた色の目を細めた。

〈久しぶりね、ルリアトフェル。相変わらずいい勘だわ〉

「……(しずか)……」

〈つれない反応ね。十年越しの再会だというのに。まあいいわ〉

 肩を軽くすくめてみせてから、女は話題を変えた。

〈駄目じゃない。≪XENON≫を攻めようとするなんて。私の努力を無にするつもり?〉

「そう簡単に十四年越しの策謀を破算に出来たとすればどれだけ楽か」

〈ふふふ、まあ出来たら出来たで手っ取り早い方法を探すだけのことだけれどね〉

「……やはり、あのとき、あなたを殺せてさえいれば。私が子供騙しな希望など持ったばかりに……」

〈そう、それよ、ルリアトフェル〉

 遙の苦い呟きに、深い笑みで応える。

〈素晴らしいわ。あなたの思いが、ゼルクシャールこの機体に更なる力を与えてくれる。……やはり目の前であの子を殺したのは正解だったようね〉

「自分の、妹、だろう……!?」

 遙の表情は依然変わっていない。しかし、制御球を握り締める両手は震え、白く骨を浮かび上がらせている。

〈おかしな事を言い出すのね。私の妹はあなただけよ〉

「違う。私は、ミュセイファーの妹・ルリアトフェルではない。靜の弟・遙だ」

〈理屈などいいわ。もっと私を憎みなさい。その分だけ、より早く私たちの目的達成がもたらされるのだから〉

 満足げに目を細める靜。

『……来い……〈ルディスアーク〉……!』

 表面上は静かな、遙の低く押し殺した声に応え、巨大な漆黒の片刃剣が空間そのものからにじみ出すように現れ、開かれた〈ザナンディース〉の右手に収まった。

『憎んでなどいない――悲しんでいるんだ、姉さん!!』

 一閃! しかし、それは紙一重で空を切った。

『まさか……忘れているの? 私の“愚者の眼(アウトサイト)”の前では、単発の攻撃など無意味よ?』

 搭乗者の思考を反映し、首をかしげる〈ゼルクシャール〉。

『知っている――よく!!』

『ならいいのだけれど。では――遊んであげましょうか』

 靜の言葉の終わりと共に〈ゼルクシャール〉も瞬時に剣――こちらは二刀の小太刀――を手にした。

 直後――漆黒と蒼白の刃が、激しくぶつかり合った。一瞬の鍔迫り合いを経て、それぞれが同極の磁石のように正反対の方向へと大きく間合いを離す。

 二つの煌めきが、月下に躍る。超高速で旋回する各々の間に、実体の黒い槍と青白い槍、そして、赤黒い光の槍と青白い光の槍とが、飛び交う。そして再び真っ向から急接近、一瞬の内に数合の剣戟を交わし、すれ違う。

 直後、向きだけを変え、慣性を無視して全くの逆方向に加速、急停止し、再度対峙する二機。

 大きく広がったそれぞれの翼が、周囲の空間を歪ませ、煌めきを生み出した。

 〈ザナンディース〉の周囲に漆黒が、〈ゼルクシャール〉の周囲に蒼白が、生み出した機体の進行方向に沿った面となって広がる。

 一週間前≪XENON≫が使用した切り札〈竜雀(リュウジャク)〉を防ぎきった力。だが、今回その使用法は防御ではない。

 極薄の堅固な盾は、即ち、金剛不壊(ふえ)の鋭利な刃。

 巨大にして鋭利極まりない刃が、幾重にも重なりながら振るわれ――ぶつかり合い、崩壊する。

 砕け散った光の残滓(ざんし)も収まらぬ中、二柱の女神は互いに剣をかざし、真っ向から激突した。


◇◇◇


 こんこん、とドアが軽くノックされた。

 青邪の枕元で丸くなっていたブルーが耳を震わせ、首をそちらに向ける。それとほぼ同時に――

「!」

 青邪は全身に走る激痛に構わず跳ね起き、ベッドの脇に立った。

「誰だ?」

 体をこわばらせ、身構えながら問う。

『わたくしですわ、天城さま。よかった、起きていらしたのですね』

覚えのある声が答えた。

「……一条さん。何の用?」

『もちろん――』

 カードのすべる音と、認証の電子音。わずかな間を置き、かちゃり、と鍵の解除される音。

「看病に上がりましたの」

 トーヴァはそう言ってドアを開け、部屋に現れた。

 見ると、手にしたバスケットの中にはりんごとナイフが入っている。

 ベッドサイドでのりんご剥き。ある意味定番だった。

「ど、どうして立っていらっしゃるの!?」

 立っている青邪の姿を目にし、あわてて歩み寄ってくる。その様子に構わず、青邪は立ったまま訊いた。

「どうして鍵が?」

「え、……ああ。合鍵ですわ。こう見えましても一条家はそれなりの力を持っておりますのよ。学園内であっても、少しくらいの無理は通りますわ」

 そのつもりはないのだろうが、白郎に対するとき同様、トーヴァは実に誇らしげだ。

「ああ、そう。帰ってくれ」

「はい――え?」

 表情をほころばせたのも束の間、青邪の発した声の意味を理解し、トーヴァは呆気にとられて停まった。

「あの、天城さま。今何と?」

「帰ってくれ。落ち着かない」

 ひどくつれない、再度の答え。

「……そういうわけには参りませんわ。深手を負われた方をほうっておくなんて――」

 その言葉は、引きつった短い音と共に、強引に絶たれた。

 青邪がトーヴァの懐へ踏み込み、突き出した左手でその細い首をわしづかみにしたのである。

 勢いで後退させられたトーヴァの背中が、壁にぶつかる。

「……ぇ……?」

 傷ついた体からは想像も出来ない握力で、全く容赦なく気管が狭められてゆく。

「帰れと言っている」

 全く表情の欠落した顔で、青邪は突然の暴挙に混乱するトーヴァに、ひどく攻撃的な眼をぶつけた。

 獲物を前にした飢えた獣のそれとは逆に、底冷えがするほどの落ち着きと敵意とをたたえたガラスの眼。隙さえ見せなければすむような単純なものではない分、奥に澱む脅威が余計に不安を掻き立てる。

「ぁ…………さ、ま?」

「他人の領域を侵すな。犯されたいか」

「……!!」

 小揺るぎもせず間近からじっと見つめる静かな脅威に、トーヴァの顔が恐怖で歪んだ。

 冗談で済むような気配ではない。そもそも彼はそんなたち性質の悪い冗談を飛ばす人間ではないことくらい、この一週間で理解できているつもりだ。

 不意に握力が緩み、彼女は床にへたり込んだ。

「げほっ、ごほ……」

 むせながら見上げると、青邪は、怪訝そうに左手を目の前にかざし、まるでそこに通う感触を確認するかのようにゆっくりと開閉していた。

 トーヴァの視線に気付いた青邪が、改めて口を開く。

「帰れ――これが最後通告だ」

「……は、い」

 トーヴァがよろめきながら背を向ける。

 ドアの閉まる音を聞きながら、青邪は壁に背中を預け、そのまま背中を引きずって、床にへたり込んだ。

 無理をした。今度こそまともに体が動かない。

「どうして……俺なんかを、心配する……」

 傷口が開いたのだろう。服の下、全身に巻かれた包帯が、生暖かく湿ってきているのが判る。

「根拠のない配慮は、要らないんだ……」

 虚ろな眼で呟く声に寂しげな響きが混じっていたことに、本人が気付いていたのかどうか。

 すり寄ってくる柔らかく暖かな毛皮の感触を最後に、青邪の意識は闇に溶けた。

(第三章・了)

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