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羽撃のアークエネミー  作者: 銀丈
第一章
1/7

風が吹けば桶屋が儲かる

 空に太陽。

 座るは芝生。

 膝の上には黒い猫。

「気持ちいいか、ブルー」

 昼休みの中庭で日向ぼっこに興じつつ、天城青邪(あまぎせいや)は自分の膝の上で喉を鳴らす猫の頭をなでた。

 返事の代わりに金の眼を細め、頭をなでる手に頬をすり寄せたのは、漆黒の毛並みの雌猫。どこをどう見ても青くはないが、名前が名前だ、仕方ない。

 穏やかな表情でブルーを見つめていた青邪は、不意に顔から表情を消し、鋭利な横目で彼方を見た。

 彼自身と同じブレザー姿が二つ。猛烈なスピードで駆け寄ってくる少女と、無理にそれと同じペースで走らされているらしき少年。

 青邪の様子の変化を悟ったのだろう、ブルーは彼の膝を降り、傍で丸くなった。

 足元に気を付けて立ち上がると、青邪は二人組に向け、古傷だらけの左手をあいさつ代わりに軽く挙げた。

「よっ、緋影(ひかげ)白郎(しろう)

 ワインレッドのリボンで黒髪をポニーテールに束ねた幼馴染みと、目つきと人相の悪い親友を、無邪気な笑みで迎える。

「――青っ! どーしてそう、すぐどっかに消えちゃうのよあんたはっ!?」

 開口一番、少女――霧生(きりゅう)緋影は青邪にくってかかった。

「そりゃあもちろん。探してほしいからに決まってるだろ?」

 喜色満面、言うなりがば、と緋影を抱きしめる。

「ひゃ――!!」

 されたことがことだけに、緋影は顔どころか耳の先まで真っ赤にして硬直してしまった。

「天城ぃ。おまえさ、解ってやってるだろ?」

「何を?」

 緋影を抱きしめたまま、青邪はきょとんとした顔で渋い顔の白郎を見返した。

「何がって、霧生がおまえに気――」

「うっさい!」

 硬直も束の間、即座に青邪の腕をほどいた緋影の踵が、白郎の腹にまともにめり込む。

「てっ、てめえ……卑怯だぞ……空手有段者が、素人蹴んじゃねえ……っ!」

 顔を(ゆが)めて低く(うめ)きつつ、白郎は芝生に沈んだ。

「ふん! 余計なこと言うからよ!」

「いや、事情はともかくとして、人にすぐ暴力ふるうのはどーかと思うな俺は」

「う! あ、えと……その……ごめん相模(さがみ)

 たった今の白郎への態度はどこへやら、青邪に言われるなり、緋影はあっさりしおらしくなってしまった。

「どーせ謝るんならオレに謝れよな……」

「だとさ」

「……分かったよ。ごめん、相模」

 さっきまでとはうって変わって、顔をしかめて抗議した白郎におとなしく頭を下げる。

「ったく……あれ?」

 ぼやくのもそこそこに、冷めた目でこちらを眺めていた黒猫の姿を(とら)え、白郎は怪訝(けげん)そうに首をかしげた。

「こいつ、ブルーじゃないのか?」

「え? あ、本当だ。また来てるなんて……」

 緋影の視線に、当の黒猫は、やっと気付いたの? とでも言いたげに大きなあくびを一つして、ふい、と横を向いた。

「ここでぼーっとしてたらこのこが来てね。意気投合して日向ぼっこしてたんだ」

 笑みを含んだ青邪の言葉に、緋影は表情を渋くする。

「……なんで飼い主のあたしよりも青に懐いてんのよ」

「猫同士、気が合うんだろ」

 青邪にやきそばパンを投げ渡しながら、白郎。

「ありがと。それとナイフ貸してくれ」

「ん? ほらよ」

 言われるまま白郎は腰の後ろに手をやり、ブレザーの裾に隠れていた大振りのナイフを、鞘ごとベルトから抜いて青邪に投げ渡した。

「んなっ!」

 白郎のごくごく自然な一連の動作に、緋影は目を大きく見開いた。

 刃渡り十五センチ以上の刃物の携帯。おまわりさんに見つかれば即刻本署お持ち帰りコースである。

「相模、あんたってばなんでそんな物騒なもの持ち歩いてんの!?」

「るっせえな。生徒指導の教師かてめーは」

 詰め寄った緋影の問いに、白郎は凶暴な睨みで応えた。それは威圧感満点で間違いなく怖い表情なのだが、緋影もひるまない。

「そーゆーことは関係ないでしょ! あたしはただ危ないって言ってんのよ!」

「あーうっせえうっせえ。なあんにも聞こえねーな」

 脅しのまるで通じない緋影に心底嫌そうな表情をして、白郎は耳を両手でふさいだ。

「あんたねえ!」

 二人のやりとりをよそに、受け取ったナイフを抜くと、青邪はやきそばパンの一部を器用に切り取り、自分の傍らにうずくまっていたブルーに投げた。

 早速それをかじり始めるブルーを見て、ナイフに付いたやきそばパンのかけらをティッシュでぬぐっていた青邪も満足げに口元を緩める。

「白郎、ありがとさん」

「っと!」

 自分を呼ぶ声に気付き、投げ返されたナイフをあわてて受け止める白郎。

「――で、猫って何のこと?」

 自らの投じたナイフによって言い争いが止まったことを意に介した風でもなく、青邪が訊いた。

「おまえに決まってんだろ、天城」

「俺が猫? そりゃいいや。だったら、俺は日がな一日のんびり寝てようかな」

 口をもぐもぐ動かしながら、その空想に対し、楽しげに目を細める。もっとも――その目は、どこを見るでもなく冷めきっていたが。

「退屈なこと言ってんなお前。ガンスレイヴを乗り回してやる、くらい思わねえのか? あ、もちろん――あんな作業用じゃなく、自衛隊の軍用のだぞ」

 白郎が振り返った先には、増築中の新校舎と肩を並べ、腰をかがめて作業をしている巨人の姿があった。

 工事現場ではおなじみの黄と黒の(しま)に塗り分けられた、全高十メートルの、機械の体を持つ巨人。

 (くだん)のガンスレイヴである。

 熟練した人間が操縦しているのだろう、工事を手伝っているそれは、非常に細かな動きで円滑に作業を進めていた。

 ガンスレイヴとは、「|アガートラーム《Airget-lamh》」という、人の脳波を感知して動作する義肢技術の応用により誕生した、有人式の人型作業機械だ。

 アガートラームの性質上、ガンスレイヴは操縦者の動きを良くも悪くも忠実に再現するため、操縦者にできない動きはできず、機体の動きには操縦者の持つ技術が如実に表れる。

 人の機能をそのままに、サイズだけを拡大して代行するという汎用性から、ガンスレイヴ、略称GSは十四年前の発表以来、土木工事現場や火災現場、果ては犯罪から軍事に至るまで、全世界で瞬く間に普及、現在に至っている。

 当然、GSは自衛隊にも装備として制式採用されており、それが自衛官志願者の増加に貢献しているのが現状だ。何と言っても、GSはほんの少し前まで文字通りの絵空事だった有人操縦式人型機械である。

「んー、確かに」

 腕を組んで考えたかと思うと、青邪はすぐに頷いた。

「アレに乗って暴れるのも面白――」

「ストぉっプ!!」

 真顔で物騒なことを口走る青邪を、緋影が遮った。

「青、あんたってやつは、ほっとけばどうしてすぐそう、危ない方面に走るわけ!?」

「いいだろ別に」

 発言を否定され、つまらなそうに、しかし同時にどこか嬉しそうに、わざとらしく口をとがらせて見せる青邪。

「全然よくないっ! 昔から、青は嘘つかないっていうか、言ったことはやるでしょ! 今まで何度冗談を実行しようとしたのよ、ちゃんと見張ってないと心配だったらありゃしない!」

「うわ、緋影ってストーカーだったのか?」

「何だってえ!?」

「やれやれ、また始まった。よく飽きねーなこいつら」

 始まった夫婦(めおと)漫才を脇で眺め、白郎は肩をすくめた。

 緋影の不用意な言葉尻をとらえては彼女をおちょくる青邪。

 よせばいいのに毎回それをまともに受け取ってしまう緋影。

 ある意味見事な連携(れんけい)である。

「あたしがストーカーなら、青は徘徊(はいかい)老人じゃないか!」

「んー、どっちかっていうと、俺は痴漢の方がいいなあ」

 言いつつ青邪は手をまっすぐ――緋影の胸に伸ばした。

「――」

 とっさのことに硬直してしまう緋影を尻目に、悪びれもせず、二つあるふくらみのうち片方を揉みしだく。

「つくづくよく育ったもんだよなー。一緒に風呂入った頃とは比べ物にもならないって」

「うわ……やりやがった」

 顔を押さえ、暴挙に呆れる白郎。解っているつもりではあるのだが、それでも驚かされることは絶えない。

 要するに。突拍子もないことばかりやらかす奴なのだ。こいつは。

「う……っひゃああああああああっ!!」

 緋影はようやく我に返り、絶叫した。

「こ――のセクハラバカぁっ!」

「おっと」

 すかさず繰り出された鋭い正拳突きを、青邪はあっさりかわしてしまった。

「何でよけんのよっ!」

「はっはっはっ。甘いなー、緋影」

 続けざまに放たれた上段の回し蹴りもまた、身を沈めてかわしてしまう。

「お、白か」

「……っ!!」

 かわしながらも見るところはしっかり見ていることを示す青邪の言葉に、緋影の顔が見る間に赤くなり、キレのある見事な連携技が青邪に襲いかかった。それでも、青邪はそれらをかわし続ける。

「なあ、何だってそんなに怒るんだ? 緋影だって前、俺の着替えのぞいたじゃないか」

「そっそれはっ!」

 そのときの状況を思い出し、緋影の方が赤くなった。

「冬の日だったっけな。布団の温もりが恋しくて、いつもより遅く起きて着替えてたら、『寝坊するなーっ!』って怒鳴りつつ緋影が――」

「言っちゃダメーっ!」

 青邪の言葉を圧して、緋影が叫んだ。

 家が隣同士なので、それぞれの家族の付き合いも深い。そのため、緋影は日常的に青邪の家に上がりこんでいる。青邪が言った事件も、そんな環境だからこそ起こりえた、とある朝の一こまだったりする。

「――俺の部屋のドアを勢いよく」

「わーっ!」

 先程の猛攻もどこへやら、駄々っ子のようにぽかぽかと緋影にたたかれても、青邪は一向に意に介さない。

「開けたんだよな」

「わーわーわーわーっ!!」

 一向に口をつぐむ様子がなく、むしろ恥ずかしがるのを楽しんでさえいるような青邪を怨みつつ、それ以上はもう何も言わせまいと、緋影は耳をふさぎ、目を閉じて、無我夢中で声を張り上げる。

 少しして、青邪の声がやんだような気がしたが、それはあっさり思い過ごす。

 それからもう数分――中庭に響いた予鈴を聞き、緋影はようやく我に返った。

なぜか、視界の中に青邪の姿がない。

「あれ? 青?」

 不審に思い、周囲を見回すが、背景のどこにも隠れている様子はない。

「ねえ、青は?」

「行っちまったぜ」

 訊かれて面倒くさそうに、白郎は校舎の方を指した。

 緋影をからかうだけからかって、飽きたらすぐに行方をくらましてしまう。それが青邪のいつものパターンだ。

「まったくもう……人懐っこいのか一匹狼なのか、時々判らなくなんのよね」

 校舎の方を見、緋影はぼやいた。

 ついさっきの熱烈な抱擁(ほうよう)と、今の無言の失踪(しっそう)との矛盾が、そのいい例だ。

 人懐っこくすり寄ってくるからといって、それが信頼の表れとは限らない。そうしたところは、まるで――。

「野良猫が人に()れるわけねーだろ。それが自分に思いを寄せる幼馴染みでもな」

「な――何言ってんのよっ!」

 自分の発想をはっきりとした言葉で口にされて見る間に頬を染めた緋影の拳が、白郎にめり込んだ。

「ぐは――」

「あたしと青はただの幼馴染み! 本っ当に、それ以上でもそれ以下でもないんだからっ! 解ったっ!?」

 顔を赤らめたまま、ダウンした白郎の襟首をつかんで、荒っぽく前後に揺すりながら、まるで説得力のない主張を繰り返す緋影。

 そのすぐ脇を、我関せず、と相変わらずのすまし顔で、ブルーが通り過ぎていった。


◇◇◇


 教室に戻ってみると、青邪は自分の席で(ほう)けていた。

 普通に考えれば、空を見上げている、とも受け取れるが、彼の場合、こういうときはどこも見ていないことが多い。

(また……あの眼だ)

 一切を拒絶し、何も映さない、冷たく感情のこもらない青邪の眼を見、緋影は憂鬱(ゆううつ)な思いに(とら)われた。

 自分や白郎と一緒にいる最中でさえ、少しでも目を離すと、青邪はこうして世界の果てに行ってしまう。

 簡単に近く遠い存在になってしまい、いつどこに消えてしまうか判らない、という不安を()き立てる、青邪自身の象徴のようなこの眼が、緋影は嫌いだった。

「――?」

 不意に、ぽん、と肩を叩かれた。

「どーかしたのか、霧生?」

 振り返ると、白郎がいた。

「あ、ううん。別に、何でもないの」

「今の天城のことなら、深く考えねー方がいいぜ。ただ単に何も考えてねーだけだからな」

「……解ってたんだ」

 見透かされていたことに少なからぬ驚きをこめて、緋影は白郎を見返した。

「天城とも霧生ともそんなに短い付き合いじゃねーしな。それより早く入った入った。授業が始まっちまう」

「ええ?」

 白郎の見せた焦りの様子に、目を丸くする。

 いたって普通に授業を受けている青邪とは違い、白郎はしょっちゅう授業をサボっている。食後で眠気をもよおす午後ともなればなおさらだ。

 いつもならばまず間違いなく屋上か保健室で昼寝しているはずなのだが……。

「珍しー、サボらないんだ?」

 意外そうな緋影の反応に、白郎は表情を渋くし、ぼそりと一言。

「そろそろ出席日数やべえんだよ」

 サボりのつけがまわってきているらしい。

「うわ、格好悪(かっこわる)

「るっせえ」

 呆れ返る緋影を押しのけて教室に入り、自分の席に着く。遅れて緋影も席に着いた。

 間を置かずに教師が現れ、午後の授業が始まった。


◇◇◇


「しろー好きだーっ」

「だああッ! 抱きつくな気色悪いっ!!」

 絶叫しつつ、白郎は、勢いよく跳びかかってきた青邪をべりっと引っぺがした。まだ教室のそこかしこに残っている生徒の視線が痛い。

 放課後になって教師が去るなりこれだ。先程の呆け具合などかけらも見せない変わり身の早さには、驚く他ない。

「つれないなー。緋影がいないんだから少しくらい構ってくれたっていいだろ?」

「だからって野郎同士で抱き合ってられるかっ!」

 わざとらしく()ねてみせる青邪の言葉を全力で遮って、息を切らす。

「ったく……付き合えば付き合うほどおまえってやつはワケ解んなくなってくるな」

「あははー。何言ってもちゃんと反応を返してくれるから俺は白郎が好きだよ」

 白郎の渋面に、青邪は楽しそうに言った。

「……霧生遅えな」

 反応すれば術中に引き込まれてしまうのは明らかなので、白郎は青邪を無視し、話題を変えた。

 教室内に緋影の姿はない。所属している陸上部のミーティングに行ったきり、まだ戻ってきていないのだ。

「ま、練習してるわけでもないだろ。最近物騒だし」

 あっさり態度を切り替え、相槌(あいづち)を打つ青邪。

 最近、GS(ガン・スレイヴ)が世間を騒がせている。

 GSの仕業と断定できるのは他でもない。被害者たちは一様に踏みつぶされ、あるいは握りつぶされ、無残な肉団子と化しているためだ。

 それだけでも充分物騒だが、更に厄介なことに、犯行に使われている機体は土木作業用どころか戦闘用らしく、遭遇した警察のGS全てをたった一機で大破させて逃亡しているのだからたちが悪い。

 部活動が自粛させられるのも無理からぬ話であった。

「ただいまー」

 噂をすれば何とやら。がらがらがら、と引き戸を開け、当の緋影が戻ってきた。

「さて、と」

 最後の帰宅仲間の到着に、帰宅部の男二人も荷物を手に腰を上げる。

「ほら」

「ありがと、青」

 歩き出す青邪から投げ渡された自分の荷物を受け取り、緋影も彼らと共に教室を後にした。

 茜色ににじむアスファルトに、長い三つの影が踊る。

「妙に遅かったけど、何かあったのか?」

「本郷先生に捕まっちゃって。あの人しつこくてさ」

 白郎の問いに、空手部顧問の名を挙げ苦笑する。

「ああ、あのおっちゃんか」

「……またかよ?」

 すぐ特定できた面影に、青邪と白郎は思わず噴き出した。

 以前から緋影を自分の顧問している空手部に入れようと動いている、脳みそを含め全身が筋肉製の熱血教師だ。

 多分、今日も緋影と出会うなり、人目もはばからず全身全霊で「空手部に入ってくれーっ!」とでも叫び、彼女を追い回し始めたのだろう。以前間近で目にしたことがあるだけに、その様は容易に想像できる。

 足を止め、肩を震わせて必死で笑いをこらえる二人。

「ちょっと、何いつまでも笑ってんのよ」

「いや、俺たちが待ってる間、緋影が本郷先生から必死で逃げ回ってたかと思うと楽しくて」

「天城のセリフじゃねえけど、やっぱ霧生って面白えな」

「あんたたちねえ……」

「そう言えば、緋影は何で空手やめたんだっけ?」

「え、それは……」

「やめててあれか!?」

 思い出したような青邪の言葉に、緋影は表情を(かげ)らせ、白郎は目を()く。

「緋影は運動神経いいからな」

「そういう問題かよ……」

 今、緋影は空手をしていない。幼い頃は非常に熱心に習っていたのだが、ある時を境にぷっつりと道場通いをやめ、それきり今に至っている。

「せっかく求められてるのにもったいないなー。どうしてなんだ?」

「それは……その、あの、えと…………」

 柄にもなく口ごもった末、緋影はうつむきがちに答えた。

「青を、怖がりたくなかったから……」

「……は?」

 不可解な理由に、当の青邪は目を点にした。

「白郎、俺って怖いか?」

 訊くと、

「ん……まあ、ある意味ものすごく」

 あまり嬉しくない返事が返ってきた。

「おいお……」

「初めて会った時、オレを半殺しにしたろーが」

 言いつつ青邪を半目でにらむ白郎。

「忘れてねーぞ、オレは」

 青邪の首を捕まえ、ぎりぎりぎり、とヘッドロック。

「あ、そういやそうだっけ」

「ったく……」

 ヘッドロックを食らい、それでようやく思い出した、という風情の青邪を見て、改めてかぶりを振る。

「……ものすごい出会い方してんのね」

 さりげなく語られた二人の凄惨な過去に、緋影は思わず顔をひきつらせた。

 のんびり和やかな表情の青邪と、目つきが悪くむやみに威圧的な白郎。

 それぞれ傾向がまるで別。並べて見れば、白郎の方がずっと凶悪そうで。

「どう見たって縁のなさそうな友達だなー、とは思ってたけど……」

 二人を交互に見比べ、結論。

「そういう出会い方なら、納得かも」

「ンな納得の仕方すんなよ……」

 緋影の結論に、白郎はがっくりと肩を落とした。

「――ともかく、だ。霧生が言ってんのも大方それだろ?」

「うん……」

 肯き、うっすらと頬を染める緋影。

「あたしね、元々青を護りたくて空手を始めたんだ」

「俺、そんなにか弱く見えるか?」

 振り返ると、全っ然、と首を横に力強く振る白郎がいた。

「ううん。実際すごく強いし」

「???」

 わけが判らない。強い、つまりは自分の身くらい自分で護れそうな存在を護る必要が、どこにある?

「ケンカしてる間の青って、相手に全然容赦しないから、見てて怖いんだけど……」

「あ、解るなそれ」

 すかさず白郎が相槌を打った。

「戦闘モードの天城はケダモノだからな。あの時は本当に殺されると思ったぜ」

 過去の脅威を思い出してのことだろう、白郎はぶるっと震えて自分の体に両腕を回した。

「一旦ケンカが収まると、する前より弱々しく見えるから。戦わずにすめば青がそうなることもない、って思って」

「よく見てるなー……」

 青邪は思わず感心して呟いた。

「でも……鍛えてる間に、嫌でも判ってきたんだ。青があたしとは違いすぎてるってことが」

「違い?」

「普通のシロウトは有段者を相手に無傷じゃすまねーよ。天城みてーにからかえるなんざ問題外だっつーの」

「あ、そういうことか」

 呆れ顔の白郎の指摘をようやく理解し、青邪は納得顔でぽん、と手を打った。

 今までに、緋影をからかって逆に襲われたことなど数え切れないほどあるが、攻撃を受けたこと自体ほとんどない。

「あたしがどれだけ強くなっても、その気にさえなれば、青ならあたしなんかあっさりねじ伏せるのかもしれない。そう思い始めたんだ」

 きゅっ、と拳を握り、緋影は俯きがちに呟いた。

「そうなのか」

 うん、と頷く。

「強くなるってことは、他の人の強さにも敏感になるってこと。……これ以上強くなったら、あたしは、青のこと怖がらなきゃいけなくなる。それが、嫌だったから」

「……つくづく一途な――」

 ごすっ、と鈍い音をさせて、再三殴られた白郎が大きくよろめいた。

「本っ当に一言多いわね! あんたデリカシーってもんがないの!?」

「うるっせえバカ! てめー見てっとイライラすんだよ! 言いてえこたァはっきりさっさと言いやがれ!」

 顔をしかめるのも束の間、白郎の方もすぐさま立ち直り、負けずにかみつき返す。

「なにがバカよ! あたしの気持ちも知らないで!」

「しるわきゃねーだろバカ!」

「お前ら本当に仲いいなー」

「この――」

「――鈍感!!」

 たった今までのいがみ合いもどこへやら、ものの見事に事情を理解していない青邪に、二人は完璧に重なり合った怒声の合唱で応えた。


◇◇◇


 日が暮れて、夜が更ける。

 狩りの時間がやってきた。

 狩場は公園、獲物はホームレスか中年のサラリーマン。仕留めれば、ちょっとした小金が手に入る。

 思い思いの武装をし、徒党を組んでたった一匹の獲物を追い回し、いたぶるのは、なかなかに刺激的な娯楽だ。

 加齢で衰えた体に鞭打って必死で逃げる後姿に、勢いよく、しかしほんの少し加減をして鉄パイプを振り下ろす。反撃はおろかまともな逃走もままならぬ不様な姿を嘲弄しつつ、更なる攻撃をかわるがわる繰り返す――。

 夢中になってそれに興じていた若い狩人たちは、地面が揺れていることに気付かなかった。

 ごう、という大きな音がし、狩人の一人が勢いよく宙を舞った。そのままの勢いで間近の公衆便所の壁に貼りつき、ピンのない、不出来な昆虫標本もどきが完成する。

 しんと静まり返り、しばらくして、狩人たちはようやく、仲間を潰したものの正体に気付いた。

 巨大な足。それに続くのは、やはり巨大な人体のパーツ。GS(ガン・スレイヴ)であった。余計な装飾のない、すっきりした輪郭を持つ有翼の機体。塗装は灰色で統一されており、よく見かける土木作業用の機体とは、雰囲気からして違う。

 その機体が、仲間をただ単純に蹴ったのだ、と理解し、狩人たちがどよめきを上げる。

 それを合図に、GSは動き出した。

 握り、叩き、蹴り、踏む。人間とは桁違いの質量に由来する、圧倒的な力をもって、狩人たちを無造作かつ速やかに駆除し始めたのである。

 その機体の人間で言えば口に相当する部分には、まるで昆虫か何かを思わせる意匠で機銃が一対装備されていたが、パイロットはそれを使う気がまるでないらしく、あくまでも人間に由来する手や足といった部分のみで直接手を下していた。

 死に様といい、残す死体といい、あまりにあっけなく、GSの手にかかってゆく狩人たちは、血を吸い過ぎた蚊と大差ない。まさに駆除対象以外の何者でもなかった。

 ほとんど手間をかけずに狩人たちの処理を全て終えると、GSは、その場に一人だけ残った、つい先程まで狩人たちの獲物だった男を見下ろした。

 突然繰り広げられた惨劇に、男は怯えることさえできず、ただその場に立ち尽くし、呆けることしかできなかった。

『危ないところだったね。大丈夫だった?』

 GSが男に向かって膝を折り、幼さを残した声を発した。

 それは、変声期も脱しきっていない少年のもの。子供がGSに乗るなど、普通は考えられないことなのだが……。

『そこの方! 離れてください!』

 不意に、女の鋭い声が響いた。

 間を置かず、銀と紫のアクセントを要所に持つ白いGSが、悪魔じみた鋭角な翼を広げて降下、地面を揺るがした。

 予想外の存在の登場によって、眼前に広がる悪夢からの呪縛を解かれた男は、言われるまま必死で走り出し、GS二機の視界から消え去った。

『……仲間集めの邪魔をしないでほしいな』

 暗く飾り気のないコックピットの中で、少年は不快感もあらわに灰色をした自らの機体を立ち上がらせ、威嚇するように一歩踏み出した。

 直後、そのすぐ間近で、電子音と共に仮想ウィンドウが開いた。画像情報はないらしく、本来なら通話相手の顔が映るべき四角形は、漆黒に塗りつぶされている。

〈退却よ〉

「なんで?」

 ウィンドウを通して聞こえてきた、たった一音節の女の声に、少年は怪訝そうというよりはむしろ不満げな表情で問い返した。

〈そんな相手に構わないで。厄介な敵が見つかったわ〉

「わかった」

 頷き、再び機体へと意識を戻す。

『!?』

 相手が踏み込んでくると思いきや、背を向けたことに、白い機体に装備された外部スピーカーが、搭乗者の発した戸惑いの息をそのままもらした。

 灰色の機体の背にたたまれていた翼が、展開されるなり光を放ち、本体を押し上げるに足る莫大な推力を生み出す。見る間に宵闇の中へと溶け消えてゆく灰色のGS。

 飛行。例え軍事用の機体だったとしても、ありえない、そもそもGSに具わるはずのない能力だった。

 人の機能をそのまま代行することこそが最大の特長であるGSは、その性質上、人型を維持しなければならない。空気抵抗の軽減に流線型設計を行うにも限界があるため、例え飛行能力を得たとしても、空中戦闘においては現行の航空戦闘機と比べ全くの役立たずなのだ。

 限りある動力源の出力をほとんど必然性のない能力に振り分けて総合面での弱体化を招くより、高効率で駆動系を動作させた方が合理的なため、軍事兵器としてのGSはあくまで陸戦兵器として位置付けられているのである。

『くっ』

 同様に翼を広げ、白いGSも追撃に出ようとしたが――そのコックピット内でも、搭乗者の間近に仮想ウィンドウが開いた。

〈追撃は許可できません。帰投してください〉

「なぜですの? あれを放置しては、またどこかで別の被害が――」

 白い機体のコックピットで、それを駆っていた少女は声を荒らげ、ウィンドウの向こうのオペレーターに反論した。

〈実験段階の飛行能力で空中戦を挑むのは危険すぎます。実戦レベルの『チェンジリング』が現時点でもあなたを含めて二人しかいない以上、無闇に危険を冒せません〉

 少女の言葉を遮り、オペレーターが告げる。

「……解りましたわ。〈厭輝(エンキ)〉、これより帰投します」

 少女の意を受け、白いGSは、灰色のGSよりもずっと不安定な体勢で、それが消えたのとは別の方向へ飛翔した。


◇◇◇


「……いいなあ……」

 風呂上がりに読んでいた少女マンガを放り出すと、緋影は腰かけていたベッドに倒れ込んだ。

 乾ききっておらず、結んでもいない、湿った長い黒髪が、布団の上に放射状に広がる。ほてった頬に、室温の布団がひんやりと心地よい。

「あー、しょーじょまんががうらやましーぃっ」

 うなりつつ、しばらく布団の上でごろごろと転げまわる。そうして、不意にそれをやめ、ため息をつく。

「――おいで、ブルー」

 気を取り直して跳ね起きると、両手を差し伸べ、部屋の隅で丸くなっている飼い猫を呼んだ。

 が、ブルーは緋影の声のする方向に耳を動かしたきり、何の反応も返さない。

「もう……」

 渋くも寂しげな表情を浮かべると、緋影は立ち上がってブルーに歩み寄り、脇の下に手を差し入れて抱き上げた。後ろ足が宙ぶらりんのブルーにしかめっ面を近づける。

「こら。それじゃ本人と一緒でしょーが。まともに相手にしてくれないんじゃ、(ブルー)って名前を付けた意味ってもんが……」

 言い聞かせるうちに気分が暗くなってきたのか、緋影の言葉にはどんどんと勢いがなくなってゆく。

「あー、もうっ、あの鈍感!」

 怒声を発し、ブルーを抱きしめる――そのしかめっ面が、不意に苦痛で歪んだ。

「あ、――く……っ」

 肩甲骨のあたりに、引き裂かれるような痛み。皮膚と筋肉の隙間を何かが無理やり押し広げ、広がっていく、そんな感覚。

 ブルーを放し、空いた両腕を背中に回してきつく自分を抱きしめるなり、床に倒れ込む。

 じわり、と全身に汗がにじんでゆく。

(いつからだろ……)

 おぼろな意識の中、緋影は思った。

 本当に、いつからだろう。こうして時折不可解な苦痛にさいなまれるようになってしまったのは。

 しかも最近になって、この正体不明の発作が襲ってくる回数が日増しに多くなってきているような気がする。

 周囲に隠しとおすのも、そろそろ限界だろうか。

「……は……あ……」

 異様な静寂がしばらく続いた後、のろのろと立ち上がり、乱れた呼吸を整えながら、ベッドに体を投げ出す。全身に浮かんでパジャマを濡らす汗が、今はもう冷たい。

「……どうしちゃったんだろ……あたし……」

 身も心も冷やす寒気に、膝を抱えて体を丸め、呟く。

 見上げた天井が、ぼやけて見えた。


◇◇◇


 朝は、いつもどおり何事もなくやってきた。

「おはよーございまーす!」

 元気な声を上げ、緋影は天城家の玄関に足を踏み入れた。入るなり、朝食のいい匂いが鼻をくすぐる。

「おはよう、緋影ちゃん」

 郵便受けまで取りにきていたのだろう、新聞を手にした中年の男が、入ってきた緋影を迎えた。言うまでもなく、青邪の父親だ。

「おはようございます、おじさん。青は……」

「……おはよ、ひー姉」

 訊きかけたちょうどそこに、パジャマ姿の少年が眠そうな目をこすりこすり階段を下りてきた。

「あ、おはよ、橙矢(とうや)くん」

「あお兄なら……まだ部屋じゃないかな?」

 自分の来た二階を見上げ、あくびを一つ。

「うー、ねみい……」

 見るからに眠気の抜けきらない、寝ぼけた虚ろな表情でぼやくと、橙矢は食卓の待つ台所へと去っていった。

「やっぱり。まだ寝てるわけ?」

 緋影は呆れ顔で呟いた。あまりに予想通りで嫌になってしまう。

 弟の橙矢もそうだが、青邪は朝が弱い。医学的に正しい表現かどうかはともかく、俗に言うところの低血圧というやつだ。

 大方、今もまだ布団の中で愛しの睡魔と抱擁を交わしているに違いない。

「……緋影ちゃん、悪いんだけど、ちょっと行って起こしてやってくれるかい?」

「あ、はい。いいですよ。元々そのつもりで来ましたから」

 すまなそうな青邪の父に答えると、緋影は勝手知ったる他人の家、と軽い足取りで階段を駆け上がった。

 二階には、部屋が三つ。階段に近い順に、物置、橙矢の部屋、そして一番奥に青邪の部屋、の順で並んでいる。

 もっとも、物置はともかく、橙矢の部屋のドアは海外の著名なバスケットボールプレイヤー、青邪の部屋のドアはなぜか愛くるしいウサギのぬいぐるみ、と無意味なほどに個性を主張する装飾つきネームプレートがぶら下がっているため、迷いようもないのだが。

 ドアの前まで来て、緋影は足を止めた。以前と同じ轍を踏んで、からかいの種を増やすわけにはいかない。

 息を吸い――ドアに向かって声をぶつける。

「青、朝だよ!」

「んー……?」

 案の定、ドアの向こうからは眠そうな声が聞こえてきた。呆けた表情が手にとるようだ。

「起きなさいってば! 遅刻したいの!?」

「んー…………」

 気だるげな声の後、ぼそ、と布団のめくれ上がる音がし、青邪の気配が近付いてくるのがドア越しに判った。

 気配だけで、足音はない。元々青邪は『静寂は美徳なり』という独特の美学を持っているため、自らもそれに沿い、ほとんど足音を立てないのだ。猫呼ばわりされる由縁の一つである。

「…………」

ドアノブを回し、パジャマ姿の青邪が顔を出した。

「起きた?」

「…………?」

 表情の欠落した顔で、青邪は目の前の緋影を無言のまま見つめた。目の焦点はどこにも合っていないが、そうかといって、今の青邪は世界の果てを見ているわけでもない。

 例え立って歩き、言葉の受け答えをしていたとしても、青邪の場合、完全に目覚めているとは限らないのだ。

「…………」

 見られていないということは解っていても、つい視線を意識してしまい、緋影はうっすらと頬を染め、俯きがちに視線を逸らした。

「……あ、緋影。おはよう」

 ようやくこちら側まで戻ってきたらしく、青邪は傍らの少女に笑みを向けた。

「……おはよ。早く朝ご飯済ませなよ。遅刻するよ?」

「ああ……悪い、ちょっと待っててくれ」

「うん、玄関で待ってる」

 大きなあくびをした締まりのない顔のまま、相変わらず眠そうな目の青邪は、ぽりぽりと頭を掻きつつ緋影の脇を通り過ぎていった。

 しかし。これからが問題だったりする。

 青邪は、物を食べるのが遅いのだ。

 三十分近く待った末、緋影はなんとか青邪を通学路まで引っ張りだすことに成功した。

「ほら、急ぐよ、青っ!」

「ああ……」

 急かされているにもかかわらず、青邪はのんびりとした所作で歩き出し――足を止めた。

「あ、歯を磨いてない……」

 ドアを出たか出ていないかという所で口元に手をやり、口の中を舌先で探る。

「遅刻するよりはましでしょ! 出かける寸前にいきなり牛乳出して飲み始めたのはどこの誰!?」

 ずるずると青邪を引きずりつつ、緋影が怒鳴り返す。

「俺」

「あー、もうっ!」

「……ま、いいか」

 あっさり気を取り直し、青邪は歩き出した。

「はー……」

 相変わらずのマイペースぶりに肩をすくめ、緋影もその隣を歩き出す。

 青邪には年中振り回されっぱなしだが、それ自体が苦にならないのは困りものだ。こうした状態を『惚れた弱み』と呼ぶのだろう。

 解ったところで何の解決にもならないのだが。

「ねえ、青?」

 朝もやの漂う、涼やかな空気に満ちたいつもの道を歩きながら、ふと、緋影は自分のすぐ隣を歩く青邪を見た。

「……ああ」

 振り向くでもなく、気のない生返事で応える青邪。

「青って、朝は本当にテンション低いよね」

「……ああ」

「普通に人目に触れてるときの青って、こういうときとは別人みたいな気がすんだけど、なんで?」

「……ああ」

「…………」

 あまりに不毛な会話に、いたずら心が頭をもたげてきた。

「青ってやっぱりあたしのこと好きでしょ」

 所詮は他愛もない引っ掛けでしかないが、恋する乙女の一人として、これは、一度は聞きたいセリフだった。

「だが言わない」

「え」

 頭の中で一層飛躍しようとしていた甘い想像を砕かれ、思わず停まる緋影を、青邪が肩を震わせつつ振り向いた。笑いをこらえているのが手にとるように判る。

「まだまだ甘いなー緋影。もう少し腕を磨いたらどうだ?」

 本当に楽しそうに、青邪が告げた。

「くっ……くやしーっ!!」

 自分から言ってしまった恥ずかしさも手伝い、緋影の頭には一気に血が上る。

「聞いてたんならちゃんと答えてよねっ!」

 ぽかぽかと叩きながらの緋影の八つ当たりを。

「いや、朝っぱらから考えるの面倒くさかったし」

 青邪はあっさり受け流す。

「きーっ!」

「いやー、やっぱ緋影って可愛いなあ」

 悔しがって地団駄を踏む緋影を、満面に笑みを浮かべた青邪が、ぎゅっ、と抱きしめた。

「ひゃあっ!? あ――青っ!?」

 自分の体勢に気付いたとたん、緋影はすぐさま硬直してしまった。

「ひ、人が来たらどうすんのっ!?」

 それこそ、顔から火を噴きそうなほど恥ずかしいのだが、離してよっ、とは言うに言えない。伝わってくる温もりが心地よいため、離れるのは少し――いや、かなり惜しい。

「うー……」

 もし言えば、青邪は本当にすぐ離してしまうに違いない。まるで自分の気持ちを見透かした上で(もてあそ)んでいるような青邪が、時々憎らしかった。

「さあ?」

「さあって……」

「どうでもいい」

「え……?」

 不意に聞こえた、ひどく真面目な声色に、緋影はとっさに顔を上げたが、青邪は相変わらず緋影をからかうときの呑気な顔しかしていなかった。

「どうかしたか?」

「青、今、何か言った?」

「さあ?」

「本当?」

「――そろそろ真面目に歩き始めないと本当に遅刻だな」

 思い出したように腕時計を見てあっさり緋影を放すと、青邪は問いをはぐらかしてきびすを返し、先に歩き出した。

「あ、ちょっと……」

 緋影も早足で青邪を追う。

 こうした冷酷なくらいの気まぐれさを見ていると、時々青邪には感情がないのでは、と疑ってしまうことがある。

(そういえば……)

 すぐに追いつき、隣を歩き出して、緋影は不意に思った。

 幼い頃から、青邪とはずっと同じ道を並んで歩いてきたような気がするが、手をつないだ覚えはいま未だになかった。

(いい、よね……ちょっとくらい)

 大胆な発想に、自分でも照れつつ――それとなく歩調を合わせ、青邪の手に、自分の手を恐る恐る伸ばす……。

 傍から見ていると滑稽(こっけい)な絵だが、緋影本人にしてみれば大真面目だった。

 じれったくなるような駆け引き(……と本人は思っている)の末に、ようやく手が触れ合った、と思ったとたん。

 青邪は不意に走り出してしまった。

「へ?」

 呆然と見送った背中の先には、今まさに校門に入ろうとしている白郎の姿があった。

「しろおおおっ!」

「!? 天城――」

 のけぞる白郎に跳びかかる青邪の脇を、凄まじい速さですり抜ける影、一つ。

「この――お邪魔虫ぃぃぃぃぃぃっ!!」

 陸上部員の肩書きに相応しい俊足で青邪の前に(おど)り出た緋影の両足が、青邪の両腕よりも先に白郎の体を捉えていた。

「だあああッ! 朝からこれかぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 恋する乙女の逆恨み特盛りの強烈なドロップキックをまともに食らった白郎の絶叫が、朝の空に響き渡った。


◇◇◇


 チョークが黒板にぶつかる、カツカツという硬質な音。伴奏に、シャープペンの芯がノートの上をすべる微かな音。そして、ひそやかな寝息。

 それらが、教室の中を占める主な音だった。

 教科書の記述を黒板に丸写しするだけの、至って単調な授業。これといって特徴のない内容ゆえの緊張感のなさや暖かな陽気ともあいまって、真面目にノートをとっている生徒は少なく、ほとんどがこの時間を昼寝に費やしていた。

 下手な授業のときよりも静かな教室の中、緋影の視線は窓際で空を見上げる青邪に注がれていた。

 世界の果てへと片足を突っ込み、そのまま消えかねない、見る者の不安をかきたてる姿。

「……はあ……」

 ひどく寂しさを覚え、緋影は深々とため息を吐き出した。

(やっぱり、あたしって、青にとっては「その他大勢」の一人でしかないのかな……)

 幼馴染みとして、青邪とは物心つき始めた頃から一緒の間柄だが、覚えている限り、今までに手をつないだことがなければ、寝顔を見たこともない。

 つながりの見受けられないただのクラスメイトにさえ、自分や白郎同様、性別に関係なく抱きつくというのにだ。

「はぅ……」

 二度目のため息をつき、緋影がその憂鬱(ゆううつ)な気分を新たにした時だった。

 突如、教室――否、校舎全体を巨大な震動が揺るがした。

「地震!?」

 ほとんど反射的に発されたのだろう、誰かのそんな声が聞こえた。

 だが――違う。

 単なる地震ならば、衝撃は単発では終わらず、しばらく揺れ続ける。

 何より、衝撃と共に校庭に現れ、校舎に、ひいては教室の中に影を落としたそれは、地殻変動などで生み出されるような造形ではない。

 灰色をした、巨大な人の形。

 教室の中からは胸に相当する部分しか見えなかったが、輪郭そのものは容易に判った。

「……いつから内戦始まったんだ?」

 文字通り降ってわいた脅威に対して、顔を引きつらせた白郎が、いささか間抜けなことを口走る。

 白郎の声を聞きつけたからというわけでもないだろうが、灰色のGSが、腰をかがめ、教室をのぞ覗き込んだ。

 窓越しに、緑色の機眼(カメラアイ)が教室内にいる人間の姿を捉え、教室中が何とも言えない緊張感に支配される。

(嫌な眼……)

 教室内を品定めするように眺め回しているGSの機眼を間近に見、緋影はそう思った。

 この世の全てを見下し、しかし同時に下からねめ上げているような、暗くよどんだ恨みがましい眼差し。

 恐らくは制御システムであるALSの性質に由来してのことなのだろう、そこには感情がはっきりと見てとれた。

「――!?」

 当のGSと、目が合った。とたん、破滅的に悪い予感が悪寒となって緋影の背筋を駆け上がる。

 硬直する緋影をしっかり捉えたまま、GSがその片手を拳に変え、わずかに引いた。

 静まり返った教室中に、恐怖を表す吐息が無数にもれ、細波(さざなみ)となって広がる。

 視界を覆い尽くさんばかりにスローモーションで迫る、巨大な拳。

 不意に、それを捉えている視界そのものが大きく揺れた。逃げるという選択肢さえ忘れて動けないでいた自分の意思に反して、教室の出口に向かって動き出す。

 首が苦しい。

 少しだけ目線をずらすと、すぐ傍に、あっけにとられた表情のまま誰かに襟首をつかまれ、引きずられている白郎がいた。ひょっとして、自分もそんな格好なのだろうか?

 廊下に放り出される。

 冷たい床に転がった直後――鈍い衝撃が教室の中から伝わり、教室側の廊下の壁が不自然に出っ張った。

 突き込まれた先の巨大な手がまさぐっているのだろう、教室の中からは、耳障りな金属音や、湿っぽくぬかるんだ音が、廊下まで聞こえてくる。

「……重いな、お前ら」

「え……?」

 間近から降ってきた声に顔を上げると、すぐ脇に青邪が、珍しく真顔で立っていた。青邪をはさんで向こう側には、白郎もぽかんとしたままへたり込んでいる。

 そうして、ようやく我に返った。

「な――何が起こったの!?」

「まあ……見ての通りだな」

 問われた青邪は、細めた目を教室の出入り口に向けた。緋影だけでなく、白郎もその視線を追い――。

「ひ――!」

「う……」

 教室の中から流れ出して床を浸し始めた、ねっとりした赤黒い液体の正体に思い至り、絶句する。

 かち、かち、かちかちかち……。蒼白になり、眼前の悪夢を否定するようにかぶりを振る緋影の口から、震える歯のぶつかり合う音が出始め。

 ほんの一瞬震えが収まったと思った矢先。

「い……い――やああぁぁぁぁぁッ!!」

 喉の奥からこみ上げた悲鳴が、吐き出されるなり周囲にほとばしった。

 まるで示し合わせたように、その直後、付近の教室から恐怖にかられた生徒や教師たちが一斉に飛び出し、廊下を埋め尽くす。

「何なんだよ、天城! これって一体何なんだよ!?」

 放り込まれた非日常の中でもなんとか理性を保とうと、白郎は涼しげな顔の青邪に理不尽な問いをぶつける。

「何でもいい。考えるのは逃げた後にしろ」

 表情の一つも変えずに放たれた、ひどく冷静な答えが、白郎の頭に更に血を上らせた。

「なんでおまえそんなに落ち着いてられんだよっ!? 人が大勢死んだんだぞっ!?」

 反射的に激昂(げっこう)した白郎に胸倉をつかまれても、氷の(かお)は揺らがない。

「文句も後だ。俺は霊媒師(いたこ)じゃない」

 死人に口なし。文句が言いたければ生き残れ――言外にそう告げて、青邪は白郎の手をもぎ離し、背を向けた。

「立てるか、緋影。俺につかまるんだ」

「いやっ、いやああっ!」

 眼前に広がった恐怖で恐慌状態に陥った緋影は闇雲に暴れ、自分を助け起こそうとする青邪の手さえ振り払ってうずくまり、頭を抱えた。

「ちっ――悪いが今構ってる暇はない」

 激しい反応に小さく舌打ちすると、青邪は緋影を強引に抱き寄せて力尽くでその動きを封じ、ぎゅうぎゅう詰めの廊下を歩き出した。

 緋影の気持ちも解らなくはないが、同じ場所に留まっていては、GSに潰されるより前に、逃げる他の生徒に踏み殺されてしまう。そのことを見越しての強行措置である。

 なんとか校舎を出た青邪たちの上を、不意に巨大な影がよぎった。

 校舎を破壊して(たたず)む機体同様に翼を持つ、白いガンスレイヴ。それは校庭へと降下し、灰色の機体と対峙した。

「おい、あれって……助けに来てくれたのか?」

 そんな誰かの呟きが元で、校舎から出て呆然としていた生徒たちの間に明るい気配が広がった。


◇◇◇


〈周辺住民の避難が完了していません。火器の使用は極力控えてください〉

「分かりました」

 オペレーターの言葉に頷くと、少女は機体の背部に折りたたまれた状態で装備してあった薙刀(なぎなた)を展開、構えた。

「これ以上の狼藉(ろうぜき)看過(かんか)できません。あなたはわたくしが今この場で成敗(せいばい)いたしますわ」

 外部スピーカーを通じて告げた矢先、対峙している当の灰色の機体から通信が入った。それを受けて少女が回線を開くと、すぐさま彼女の間近に仮想ウィンドウが開く。

『何バカなこと言ってるのさ、お姉ちゃん。ボクに勝てると本気で思ってるわけ?』

 顔を見るなり、コックピットに座した灰色の機体の幼いパイロットは少女に向けて嘲笑を送った。

「何を――」

『だってそうでしょ。お姉ちゃんは、当たるしかないもんねえ?』

 言いつつ、少女の駆る〈厭輝(エンキ)〉同様機体背部から一丁の火器を取り出し、校舎の陰で巨大な対峙を見守っていた生徒たちに向ける。

「!!」

 対GS用ショート・キャノン。装填(そうてん)されている徹甲(てっこう)弾は地上でも最硬クラスの重金属、劣化ウラン製で、対人用の小火器が通用しないGSの装甲をやすやすと貫通し、更に通過の際には発火、内部を焼き尽くす。

 そんなものが生身の人間に撃ち込まれれば、結果は火を見るよりも明らかである。

『さあ、そこのクズどもが砕けるのとお姉ちゃんが当たるのと、どっちが早いかな?』

「くっ……」

 馬鹿にしきった表情の少年をにらみ、少女は唇をかんだ。

『さあ、始めよっか』

 声と共に引き金が引かれる瞬間、〈厭輝〉は少年の思惑通りショート・キャノンの射線上に飛び込んだ。

 閃光があふれ……ぎぃん、という耳障りな音と共に、その胸部を大きくひしゃげさせた〈厭輝〉が、音を立てて校庭に沈んだ。

 奇妙なことに、放たれた徹甲弾はコックピットの間近を深々とえぐり、めり込んでいるだけで、機体を貫通してはいない。

それでも、ダメージであることには変わりなかった。

『へえー? それも【租界(そかい)】を展開できるんだ。でも、その程度じゃこの〈オルトロス〉の敵じゃないね』

 少年の声が、聞く者のない〈厭輝〉のコックピット内に虚ろに響く。

『さて……アレはどこに逃げたかな……』

 何かを探すような少年の声を残して、仮想ウィンドウが閉じた。


◇◇◇


「やられちまった……」

 事情はともかくとして、あまりにもあっさりと倒されてしまった〈厭輝〉を見、白郎が呆然と呟く。

「そうだな」

 大した感慨もなさそうに、さっきからの無表情のまま、淡々と相槌を打つ青邪。その腕には、はぐれるのを恐れて親にしがみつく人ごみの中の幼子の風情で、緋影が自分の腕をからめている。

「どうしよう……」

 不安を隠そうともせず、緋影が青邪に訊いた。

「逃げればいいに決まってる。そもそもこうしてぼーっと見てたこと自体がおかしいんだからな」

 冷めきった確固たる声で、青邪が緋影の弱気を支える。

 おりしも、障害を排除した灰色のGS〈オルトロス〉がこちらを視界に捉え、歩み寄ってくるところだった。

「走るぞ。……手を離しても大丈夫だな?」

 青邪は緋影を気遣い、見下ろして訊いた。

「うん……」

「いい子だ」

 まるで我が子を(いつく)しむ父親のように、頷く緋影の頭を穏やかな表情で優しくなでる。

「子供扱いしないでよ……同い年なのに」

 青邪のし仕ぐさ草に対して、すねたように口をとがらせる緋影だったが、見たところではそれほど不快そうでもない。

「それだけ言えれば大丈夫だ――行くぞ」

 生徒たちがくも蜘蛛の子を散らすようにばらばらの方角へ走り去る中で、三人も一斉に走り出した。

 地上十メートルの視点からは丸見えかも知れないが、〈オルトロス〉の視線を避けて職員玄関を横切り、体育館ののきした軒下を突っ切って、敷地の外れのフェンスに跳びつく。

「おい天城!」

「ん?」

 あわてた様子の白郎の声に、青邪はそちらを振り返った。

「なんかあいつ、オレらを追っかけてきてるぞ!?」

 言われて、彼の視線を追うと、確かにそうだった。

なぜか〈オルトロス〉は他の生徒たちには目もくれず、校舎の一部と逃げ遅れた生徒とを一緒に踏み潰しながら、青邪たちをまっすぐ追いかけてきていた。

 三人は決して足が遅くない。

 陸上部員の緋影はもちろん、青邪も元々運動神経のいい方だし、トイレや体育館裏で隠れて喫煙している割には、白郎もそこそこ足が速い。

 だが、いかんせん歩幅というものが違いすぎる。

 三人が、踏み出された巨大な足の放った風圧にたたらを踏んだ、ちょうどその時。三人の目の前にGSを搭載したトレーラーが急停止した。

「君たち! 早く逃げなさい!」

「ありがとう!」

 運転席で叫んだ警察官に礼を言い、三人はすぐまた走り出した。

 既にパイロットが搭乗していたらしく、すぐさま起動し〈オルトロス〉の前に立ちふさがったのは、パトカー同様白と黒のモノトーンで統一された警察の汎用GS〈桜花(おうか)一式〉。その数、五体。

「さすがにあれなら……」

「当てにするな。傍観するなら安全を確保してからだ」

 楽観しかけた白郎を、すぐさま青邪がたしなめる。

『機体の発動機を停止して、今すぐ降りてきなさい! さもなければ――』

 リーダー格の〈桜花〉が外部スピーカーから発した声が、言葉の最中でノイズに変わる。

 果たして、〈オルトロス〉は警告を無視して〈桜花〉へと襲いかかり、頭部をもぎ取ると同時に、機体の胸部にあるコックピットに無造作に手を突っ込んでいた。

 搭乗者の生存は、考えるまでもあるまい。

『く――』

 いち早く我に返った〈桜花〉の一体が発砲した――が、撃ち出された弾丸は、灰色の装甲に接触する前に、空中で半球形の何かにぶつかって破裂した。

『!?』

『ば~か。【租界】にそんなの効くもんか』

 生まれた隙を逃さず、ショート・キャノンが立て続けに弾丸を吐き出す。

 残された〈桜花〉が四体とも徹甲弾を受けてあっけなく爆散。飛び散る破片を受けて、トレーラーもまた炎上した。

 背後からの爆風を受け、三人はまともにアスファルトに叩きつけられた。

 炎の中に佇む〈オルトロス〉が、三人を超然と見下ろす。

「…………白郎」

「あ?」

 不意に呼びかけられ、きょとんとして振り返った白郎に、青邪は爆風からかばって抱き寄せていた緋影を押し付けた。

「緋影を頼む」

「え――おい!?」

「青!?」

 唐突な物言いにぎょっとした二人がそれを引き止める間もなく、走り出した青邪は爆炎の向こうへ消えていた。

「何考えてやがんだ!? 天城のやつ!」

 憤慨(ふんがい)する白郎の腕を、緋影が引いた。

「……いいから、逃げよう、相模」

「霧生も結構薄情だし……」

 言葉の途中で、白郎の頭が鈍い音を立てて揺れた。

「ンなワケないでしょ! ほら、グチってないで走るわよ! あんた死にたいの!?」

 拳を握って、緋影が白郎に怒鳴りつける。

「けっ……やっと元に戻りやがった」

 今回ばかりはまんざらでもなさそうに、白郎は頭をさすりさすり緋影の後を追って走り出した。


◇◇◇


 白郎たちを追って再度歩き出した〈オルトロス〉の姿を背に、青邪は先程走った経路を逆にたどっていた。

 フェンスを乗り越え、崩壊した職員玄関の前を通り抜け、そして――校庭に横たわる巨大な機体の元へたどり着く。

「……戻ったのが無駄にならないといいんだけどな」

 呟きつつ、停止した〈厭輝〉の機体によじ登る。

 全くもって、一体何の目的で自分たちを襲ってきたのか解らないが、あの灰色のGSは強い。警察の機体が瞬殺だ。

 だが、先程警察のGSをあっさり破壊した弾丸の直撃を受けてなお原形を保っている、この白い機体ならばどうか。

 システム系統が生きている保証はないが、うまくすれば再起動させることができるかも知れない。

 GSそのものの操作は簡単だと聞く。素人の自分でも、恐らくは。

 胸部にあるコックピットハッチは堅く閉ざされていた。が、幸いにもその間近を弾丸が深々とえぐりとっており、コックピット内に通じるであろう、人間一人が通れそうな大きさの裂け目が口を開けていた。

 裂け目を抜け、コックピットに潜り込む。そこには――当然ながら、この機体の本来のパイロットがいた。

 長い黒髪の、どことなく異国の血を感じさせる、整った顔立ちの少女。それが、額から一筋の血を流し、ぐったりしている。

 鼻先に耳を近づけてみると、微かな息遣いが聞こえた。パイロットの被害が気絶だけで済んでいるあたり、やはりこの機体は相当高い防御力を持っているらしい。

 青邪はさっそく少女をどかして操縦席に座ろうとしたが、このコックピットは狭く、どかした少女を置いておくスペース自体がない。

当然、この『厄介な荷物』を外に放り出すことも考えついたが、想定外の異分子である自分が正当な操縦者を排除できる理由がないため、ためらわれる。

 もっとも、怪我人に手荒な真似をするのは可哀想だとか、相手が女の子だから気が引けるとか、そんなことは元から気にもならない。

 青邪の行動を決定付けるのは、道徳でも法律でもなく、青邪の規範でしかないのだから。

 前提。この少女は他人である。最終的にどうなろうと、それは少女の人生であり、自分には関係ない。

 放り出すこと自体は問題ない。

 放り出した結果としてこの少女が死んだ場合、直接手を下した自分に責任はとれない。

 責任のとれないことは、するべきではない。

 結論。この少女を放り出すべきではない。

 仕方なく、青邪は少女の体をこうそく拘束しているシートベルトを解除、彼女を抱き起こして体勢を入れ替え、自分の胸にもたれさせた。

 シートベルトで自分の体を固定し、改めて見回してみると、初めて見たGSのコックピットは随分簡素なつくりをしていた。

 計器らしきものはほとんど見当たらず、コックピットを覆っている内壁もモニターの類には見えない。起動すれば外部の映像を映し出すというわけでもなさそうだ。

 そして、操縦席。印象は一言で言えば玉座に似ているが、座席は体をしっかりと包み込み、左右に伸びた肘掛けの先、余裕を持って腕を伸ばし、ちょうど手のひらのくる位置に、結晶質の透明な球体が収まっている。

 恐らく、この球体が、自動車で言うところのハンドルに相当するインターフェイスなのだろう。

 球体に、それぞれの手を置く。

 直後――球の内部に淡く青白い光が宿り、ヒュウウウン……と吹き抜ける風を思わせる細い稼動音を発して機体が微かに震えた。

「……やっぱり無駄足じゃなかっ――ツうっ!?」

 安堵した直後脇腹に走った激痛に、青邪はぎり、と歯を食いしばり、眉を寄せた。

 次いで、照明がなく暗いコックピット内を見ている自分の視界に、左に青空、右にグラウンド、正面には横向きの校舎、という別の視界が重なるようにして現れる。

(何――ああ、そうか。これがALS……)

 起こったことをとっさには理解しきれず、混乱しかけた意識が、とある記憶の復活をきっかけに整理されてゆく。

 考えてみれば、痛みを訴えている場所は機体の損傷部分、本来の自分の間近で口を開けている裂け目に相当するし、肉眼とはまた別のものを捉えている、もう一つの視界も、横倒しになった機体の視界と思えば納得がいく。

 以前何かの本で読んだことがある。GSの制御システムであるALSは、人の脳と直結して相互に情報を交換する仕組みになっているらしい。大方、球体に触れている手が機体と神経をつなぐ接続端子の役割でも果たすのだろう。

痛みは、機体の損傷を感覚的に把握するためのALSの一機能「痛覚システム」が作動している結果に違いない。それも、読んだことがある。

(道理で、コックピット内に余計な情報源がないわけだ。機体に意識を向けるには邪魔なだけだからな)

 そうと判れば話は早い。念のために機体の手を開閉し、問題なく動作するのを確認すると、青邪はすぐさま機体を立ち上がらせた。

 さっきから、しきりに無線で呼びかけられているような気がするが、回線の開き方や通話方法など知らないため、無視する。

「生きてろ――緋影、白郎」

 自分ではそれと知らず、言葉が口からこぼれる。

 彼方の〈オルトロス〉に向かい、青邪の駆る〈厭輝〉は歩みを速めた。


◇◇◇


「〈厭輝〉、再起動! な――これは!?」

「どうした?」

「パイロットの精霊指数、通常値を超えています! こんな桁違いの数値、でも、バイタルや他の数値は、まとも? 属性、波長パターン……該当データなし? 間違いありません、今〈厭輝〉に乗っているのは――正規のパイロットではありません! 別人です!!」

「馬鹿な、オリハルコンフレームが通常の人間に――まさか!? 第四の『チェンジリング』……!?」

「……駄目です! コックピット、依然応答ありません! 緊急停止信号、発信しますか!?」

「いや、待ちたまえ。どうやらアンノウン……あの灰色の機体に向かっているようだ。奪取と判断するにはまだ早い」

「りょ、了解……」


◇◇◇


 灰色の巨体との命がけの追いかけっこ。

 その巻き添えになる建造物の少ない場所を選んで移動を続けた結果、緋影と白郎の二人は現在、乗り捨てられた自動車以外に障害物のない、広い国道の路面にいた。

「き……霧生、いい加減、休もうぜ……」

「何バカなこと言ってんのよ!」

 ずっと走りづめで息を切らし始めた白郎の弱音を、緋影がはねつけた。

「アレに踏まれたいわけ!?」

 言って、背後に迫る〈オルトロス〉を振り返る。

 灰色の追跡者は、馬鹿にしたようにゆっくりと緋影たちを追っていた。歩幅の違いゆえ、彼女らが懸命に走っても余裕で追いつけているのだ。

「ンなこと言ってもよぉ……」

「うるさい!!」

 なおぼやく白郎に感情を剥き出しにして怒鳴ったきり、緋影は言葉に詰まり、しゃくりあげ始めた。

「霧生……?」

「何よ!? あたしなら泣いてないからね!」

 並走しながら怪訝そうに顔をのぞき込もうとする白郎を、潤んだ目でにらみつけ、鼻声ではねつける。

「思いっきり泣き顔じゃねーかそれ」

「…………」

 呆れ顔で放たれたツッコミに沈黙で応え、ぼそりと呟く。

「やっぱり、余計なこと考えないで鍛えてれば良かった。これじゃ、青は……」

「あん? 何でそこで天城が出てくんだよ。そりゃおまえが天城のこと気に――」

「このバカ! 何でこういう時になってもあんたにはデリカシーってもんがないの!?」

 そうは言いつつも微かに頬を染め、緋影は白郎の言葉を遮った。

「じゃあ何なんだよ」

 何か理不尽な気がしつつ、白郎は先を促した。

「あたしは、危ない目に遭っちゃいけないんだ。もしそうなったら、青がもっと危ない目に遭うから」

 視線をそらしたまま、緋影が答える。

「は?」

「青の左手が傷だらけなのは、相模も知ってるでしょ?」

「ああ……まあ、な」

 問われ、白郎はぎこちなく頷いた。

 知っているどころか、当の自分も青邪と初めて対峙した際にナイフで切り裂いた。

「昔、タチの悪い猛犬が近所にいてさ。放し飼いのそれに襲われたあたしを、ちょうどその頃同じクラスに転校してきてた青が助けてくれたんだ。それがきっかけで話をするようになったんだけど……」

「へえ……」

 意外そうに感嘆の声をもらす白郎だったが、その続きを聞いたところで、渋い顔をして納得した。

「あたしをかばって伸ばした左手を咬まれて、血まみれになりながら、無表情のまま、小学校で配られてた工作用の小刀で犬を仕留めちゃったんだ。その時のが、青の左手に付いた最初の傷」

「小学生ン時からそれか……ぶっ壊れてんなー」

「ぶっ壊れて……って、まあ、死んだ犬のことを誰より悲しんだのも青だったけどさ……」

 みもふたもない白郎の感想に口をとがらせつつ、続ける。

「それからも、青は、何かあるたびにあたしを必ず助けてくれたんだけど……」

 一度護るたび、一つ傷が増えてゆく。

 そこまで言って、緋影は言葉に詰まった。その姿の上を、巨大な影がよぎる。

「なるほど。だからピンチを招きたくねえわけだ――ってうわ!」

 アスファルトの細かな破片と共に行く手から押し寄せた強烈な風圧に押され、白郎は緋影ともどもその場でしりもちをついてしまった。

「――げ」

 いい加減〈オルトロス〉のパイロットは追いかけっこに飽きたらしい。灰色の機体が懸命に走る二人をやすやすと跳び越え、目の前に立ちふさがっていた。

 威圧感のある巨体をすぐ間近から見上げる羽目になり、白郎は恐怖で顔を蒼白にして沈黙、緋影は唇を固く結んで緑の機眼をにらんだ。

 緋影の視線を受け、機眼がぬらりとした光をたたえる。

 眼下の二人に〈オルトロス〉が一撃を加えようとした、その直後――先程までそれ自身が発していたものに似た、しかし別の規則的な震動が急接近し、周囲一帯に風を引き裂く轟音が響き渡った。同時に発生した衝撃波が、二人を道の端へと弾き飛ばす。

 灰色の機体が軽々と、しかし自らの力以外で宙に浮き、放物線を描いて路面に落下。アスファルトを削りながら彼方へと滑走していくのが見えた。

「!!」

「!?」

 二人が我に返って顔を上げると、すぐ間近にまた別の、GSの巨大な足が、接地面周辺のアスファルトに放射状の亀裂を入れ、そびえていた。

 見上げたそれは、先程倒れたはずの白い機体だった。

 半身になって前方の脚に体重をかけている、前傾気味の姿勢から推測するに、駆け寄りざまあの灰色の機体を殴り飛ばしたのだろう。やったことが単純明快な分だけ、余計に爽快だった。

「……青……」

 倒れた〈オルトロス〉の元へと歩みを進める〈厭輝〉の、翼を持つ背中を見送りながら、緋影は嬉しさと不安の複雑に入り混じった表情で呟いた。

「ウソだろ? あれを天城が動かしてるわけ……」

 白い機体の行った仕草を見、緋影の呟きに対し反射的に放ちかけた否定を、白郎は背筋を這い上がった悪寒と共に呑み込んだ。

 右手で顔を押さえ、中指と薬指の間からのぞく左眼だけで相手をにらむ――臨戦状態に入った青邪の癖だった。


◇◇◇


 機体の知覚系が捉えた情報だろう、後方にあった二つの気配が、揃って遠ざかっていくのが解る。

「……間一髪、か」

 呟きながら、青邪は自身本来の右手を目の前にかざした。

 灰色の機体を殴り飛ばした瞬間、殴った拳に鋭い痛みが走ったのである。

 何度か裏返し、念入りに観察したものの、それと思しき部位には何の異状も見当たらない。が、体全体は明らかに変調をきたし始めていた。

 動悸がする。全身が震えて、指先や爪先まで身体感覚がうまく行き渡らない。

 暴力の応酬を予期し、体がそれ向きの状態へと変化を始めているのだ。

 今の状態では、指先を使っての細かい作業ができない。できるのは――荒事だけ。

「は……あ……」

 どうにか制御しようと、震える息をゆっくり吐き出し、意識を機体に戻す――と、機体の右手に走っている亀裂が視界に入った。

(何……? 出力に、機体が耐え切れてないのか……? そんな、馬鹿な?)

 戸惑う青邪の視界の隅で、灰色の機体が立ち上がった。

『不意うちとはひきょうだね、お姉ちゃん』

 発された幼い声に、青邪の眉がわずかに動く。

(子供? ……まあ、いいか。機体越しならそう簡単にはくたばらないだろう)

 早くこいつを殴りたい。無茶苦茶にしてやりたい。

「ちっ……」

 体の変調に伴い凶暴性を増している自分の思考を半ば嫌悪しつつ、青邪は外部スピーカーに意識を乗せた。

『お前の言う「お姉ちゃん」とやらは気絶している。……教えろ。何の権利があってお前はここまで暴れた?』

 青邪の声は予想外だったらしく、灰色の機体は一瞬だけ沈黙したが、すぐに答えが返ってきた。

『ボクが他の下らない人間とは違う、選ばれた者だからに決まってるだろ? ――ザコキャラのくせに、ボクの使命を邪魔しないでほしいな』

 その言葉が終わると同時に、ショート・キャノンが火を噴いた。

 向けられた銃口に対してとっさに身構えた白い機体が、至近距離からの直撃を受け、内側から爆散――しなかった。

 放たれた弾丸が機体目前の空間に展開された半球形の何かにぶつかり、破裂してしまったのである。

 先の〈オルトロス〉と全く同じ現象だった。

『さっきはどうしてこうならなかったんだろうな?』

 搭乗者である青邪の動きをそのまま再現して(いぶか)しげに首をかしげる無傷の〈厭輝〉を見、〈オルトロス〉はかぶりを振って後ずさった。

『な……そんな、ウソだ! この〈オルトロス〉が最強のはず、ボクは無敵のはずなのにっ!』

『そんなことはどうでもいい』

 青邪は無造作に一歩踏み出した。無意識のうちに最適の間合いを測っているその動きは、獲物を攻撃する隙を狙う捕食者のそれである。

『殺すからには、殺される覚悟をしろ。何の代償も払おうとしないお前は――』

 二歩目を踏み出す。それをきっかけに、ふくれ上がっていた攻撃衝動を解き放つ。

 そう、こちらに非はない。暴力を振るっても――大丈夫。

『不当だ』

 断じるそれを最後の会話にすべく、青邪――〈厭輝〉は灰色の機体へと襲いかかった。

『う、うわあああ!!』

 恐慌の叫びと共に、ショート・キャノンの銃身が動く。

 しかし――標的に銃口を向け、しかる後に引き金を引く、という二段構えで初めて威力を発揮する武器が、既に相手の腕の間合いに入った状態で役に立つはずもなかった。

 〈オルトロス〉の両手持ちのショート・キャノンが火を噴くのと、〈厭輝〉の左手が銃口を空の彼方にそらし右の拳が〈オルトロス〉の顔を捉えるのは、同時だった。

 武器を取り落とし、丸腰の状態になった〈オルトロス〉は、殴られた顔を両腕でかばいつつ後ろによろめいた。

『キシ――アァァァァ……!』

 絶好の攻撃チャンスを目前にした青邪が、自らの顎自体を傷めかねない力で食いしばっている歯の隙間から、(きし)る呼気を吐き出す。

『ひ……ッ!!』

 自分を遥かに凌駕(りょうが)する獰猛(どうもう)に遭遇してしまった少年の恐怖が、そのあまりの強さゆえまともな声にならず、途中で途切れる。

 後は、凄惨だった。

 殴られた場所をかばい、体を丸める〈オルトロス〉。

 防御の隙間に、手当たり次第に拳を撃ち込む〈厭輝〉。

 精密な電子機器の塊であるはずの最新鋭の兵器による、簡素にして粗野極まりない暴力。

 青邪の容赦ない猛撃により、見る間に灰色の装甲が剥離、粉砕され、細かな金属片と化して周囲に飛び散る。

「――!?」

 何の前触れもなく、ざらついた、抽象的な不快感を覚え、青邪は立っていた場所から即座に跳び退いた。

 間髪を入れず、青邪の手で既にスクラップ同然の状態にあった〈オルトロス〉が、何か不可視の巨大な刃によって真っ二つに切り裂かれた。

『あ――ぎ、あァァァァァッ!!』

 少年の断末魔と共に、灰色の機体は炎上、一体どういう仕組みになっているのか、内側から猛烈な炎を生み出し、一秒とせずに跡形もなく消滅した。

「……?」

 思わぬ横槍で一気に頭の冷えた青邪が、その攻撃の来たと思しき方向を見上げると――地上百メートル近い高空に、黒いGSが一機、自身の身長並みに巨大な漆黒の片刃剣を手に、翼を広げて、まるで空間そのものに張り付いたかのように静止していた。

 流線が多用された形状の機体は、紅い機眼を除く全てが漆黒に統一されており、頭部を半ば覆って背中へと伸びている複数の放熱板のようなものが、まるで長い髪のような印象を与える。また、腰の辺りからは、鳥の尾羽のように長く鋭利な突起が九本、下向きに伸びている。

 黒と赤という威圧的な配色とは裏腹に、どこか柔らかな、女性的なものを感じさせる意匠だった。たった今(ほふ)られた〈オルトロス〉と似ていなくもないが、雰囲気がまるで別格だ。

 それは〈厭輝〉――青邪に対して、良くも悪くも感情のこもらない平静な一瞥(いちべつ)を送ったかと思うと、すぐに彼方を向き、凄まじい速度で飛び去ってしまった。

「……まあ、いいさ」

 特別気にする必要はないだろう。攻撃してこなかったのだから、敵ではない。

 索敵――本機体周辺に動体及び熱源反応なし。せっかくだからついでに緋影たちのことも探す……とそれらしき反応は程なく見つかった。

 もうこれでこのGSに用はない。

 青邪は降りやすいようその場で機体をひざまずかせた。全身の関節にロックがかかり、それ以降一切動かなくなる。

 搭乗したときと同様、裂け目を通って降りるついでに、何気ない思いつきで、ポケットからハンカチを取り出し、少女の頭に適当に巻きつける。

 まあ、傷口の保護くらいにはなるだろう――化膿はするかも知れないが。

 緋影たちの元へ歩き出したところで、コックピットから小さな呻き声が聞こえたような気がした。が、そこまでは知ったことではない。無視した。


◇◇◇


「……〈ザナンディース〉……」

「あ?」

 傍らから聞こえてきた奇妙な呟きに、白郎は怪訝な顔で、自分同様、飛び去る黒いGSを見上げていた緋影を見た。

 どこか――普段の彼女とは、雰囲気が違っていた。目が虚ろなこともあるだろうが、彼女のまとう空気そのものが変質しているような……。

「戻ってたんだな……ルリ……」

 それだけ呟くと、緋影の全身から力が抜けた。

「お、おい!?」

 倒れる緋影を受け止め、白郎があわてた声を出す。

「霧生! おい! 霧生!?」

 呼びかけ、揺さぶっても、緋影は反応しない。

「……霧生ん家ってどこだったっけか!? ったく、必要なときにいねえんだから、天城の役立たずめっ!」

 その場にいない青邪に向かって毒づきつつ、白郎は緋影を抱き上げて走り出し――曲がり角から現れた青邪の姿を認め、急停止する。

「げ――オレは何も言ってないからな!」

「はあ?」

 何の脈絡もない釈明に、青邪が怪訝そうに首をかしげた。その和やかな反応に、今まで見せていた冷静さはかけらも見受けられない。

 青邪は完全に普段の調子に戻っていた。先程の狂乱ぶりなど想像もできないほどに。

「……おまえ、本当にさっきのGSに乗ってたのか?」

 思わず疑問が口をつく。

 以前青邪の凶気を目の当たりにしたのは友達付き合いをする前だったが、付き合い出して以降はそれを全く見ておらず、普段の人畜無害な態度に慣らされてしまっているため、余計に信じがたい。

「? ああ、乗ってたけど」

「……そっか」

 本人がそう言うなら、それ以上疑っても仕方ない。

「まあ、それはそうと、霧生がいきなり倒れちまったんだ。見てくれ」

 そう言って緋影を示した矢先、

「どこ――触ってんのよっ!!」

 声と共に勢いよく繰り出された拳が、白郎の頬をまともに捉えた。

「ぐえ……」

 白郎の腕から解放され、青邪の手を借りて立ち上がると、緋影は白郎をにらみつけた。

「ったく、油断も隙もありゃしない! ちょっと気分が悪くなっただけだってのに、調子に乗って!」

「……まるっきり元気じゃん」

「そんなあ……心配損かよ……」

 青邪のツッコミに、白郎はがっくりとうなだれた。


◇◇◇


 活動を停止した〈厭輝(エンキ)〉を見下ろす、ビルの屋上。

「あんな伏兵がいたなんてね」

 ひざまずいたまま動かない有翼の巨人を、蒼ざめた色の瞳に映しながら、女は呟いた。

「本命と同等か、それ以上じゃないの」

 無風の屋上に大気が動き、揺られた銀髪が、その口元に浮かぶ笑みを彩る。

 きびすを返し、歩むその先の空中に、巨大な青白い姿が翼を広げ、佇んでいた。

「……素質あり、か。存外早く、事が進むかも知れないわね」

 呟く女を胎内に収め、それは宙へと溶け消えた。


◇◇◇


「ただいま」

 玄関のドアを、自らの美学に沿って静かに閉めながら、青邪は半ば独りごちるようにして定時より少し早い帰宅を告げた。その直後――

「青兄?」

 声とドアの開閉音を聞いてか、奥から橙矢が顔を出し、両親が駆けつけてきた。

「青邪……良かった、無事だったのか。学校でGSが暴れて何人も死人が出たと聞いて、仕事放り出して帰ってきたんだ」

「学校に電話しても連絡が取れなかったから、心配してたのよ?」

 心底ほっとした表情を見せた二人を、青邪は怪訝な顔で眺めた。

「あのさ、何で心配するの?」

 唐突といえば唐突な問いに、両親はやはり怪訝な表情で顔を見合わせ、

「親が子供の心配をするのは当然だろ?」

「何バカなこと言ってるの?」

 口々に言った。

「ああ、そう。心配してくれてたんだ?」

 微かな驚きを漂わせ気のない返事をすると、

「まあ、何にしても父さんや母さんに迷惑がかからなくて良かった」

青邪はそう続けてさっそく階段に足を乗せた。

「青邪」

「何? 父さん」

 二階の自室へ上がろうとしたところを呼び止められ、首だけで父親を振り返る。

「おまえは、何で親にまでそんなに気を遣うんだ?」

 家族なのに……。

 息子を気遣ってのことなのだろう、やや言いづらそうな父親の問いに、青邪はにこやかに微笑んだ。

「別に? 俺の性分だから気にしないでいいよ」

 所詮他人なんだから。と青邪は笑顔のまま内心で独りごちた。

「そう……か?」

「うん」

 はっきりと縦に振られる青邪の頭を見、父親は安堵したように深々と息を吐き出した。

「なら、いいんだ」

「じゃ、俺は部屋にいるから」

「ああ」

 奥に戻っていく父親を尻目に、青邪はほぼ無音で階段を上がり、部屋に入った。

 少々散らかり気味の床にブレザーを脱ぎ捨て、倒れ込むようにしてベッドに体を預ける。

「ふう……」

 脱力し、大きく息を吐き出す。

(また、やっちまった……)

 疲労と共に、自己嫌悪が襲ってくる。暴力を振るった後に必ず訪れる、不快な余韻だ。

 暴力に愉悦を感じる自分と、報復の恐怖ゆえに他者への攻撃に強い拒絶反応を示す自分。

 矛盾する二者の力関係は、ケンカの最中でもない限りは変わらず、“臆病者”が常に理性の肩入れを受けて勝利し、“乱暴者”を拒絶して終わる。

 どちらにせよ一人の人物を形成する一部分なのだから、これほど不毛なこともないのだが、そうかといって簡単に割り切れないのがまた困りものである――。

 こんこん、という軽いノック。

「!」

 瞬時に目を覚まし、青邪はほとんど反射的にベッドから跳ね起きた。

 いつの間にか寝付いてしまっていたらしい。

 眠っている間に日が暮れてしまったらしく、カーテンを閉め損ねた窓の向こうには宵闇が広がり、当然部屋の中は黒一色に支配されている。

 唯一の光源としてドアの隙間から差し込んでくる廊下の照明が、闇に慣れきった目には痛かった。

 鋭い目をドアに向けたまま、

「入ってまーす」

 声だけはおちゃらけてみせる。

「……あたし。入ってもいい?」

 ドア越しに聞こえたのは、緋影の声だった。

「鍵なら最初からないぞ」

「うん、知ってる」

 少々ひねくれた承諾を得て、緋影はドアを開けた。

 暗い室内を目の当たりにして、驚くこともなく、一言。

「青って、暗いところ好きだよね」

 理由は解らないが、青邪は夜が好きらしい。時折、日が暮れて部屋の中が暗くなっても、あえて明かりを点けずに過ごそうとすることさえある。

「寝てただけだ」

 本人はベッドに腰かけ、自分の行動を指摘して納得する緋影の言葉を訂正した。

「明かり、点けてくれるか?」

「うん」

 ぱちん、と軽い音をさせてとも点った蛍光灯の光によって、部屋の中が瞬く間に漂白される。

「うー……目が痛い」

 目のくらむまぶしさに顔をしかめ、青邪は細めたままの目を、傍らに腰をおろした緋影に向けた。

「案外、平気そうだな」

「うん……あたしも、あんなことがあったその日の夜に平然としてられる自分が、何か不思議」

 開口一番に気遣われて嬉しかったのだろう、緋影の声がわずかに弾んだ。

「ふーん……」

「「大丈夫だった(か)?」」

 顔を見て相手を気遣うという言動が、期せずして見事に重なり合った。

「「何が?」」

 これまた一分の隙もなく重なった声に、二人揃って妙な緊張感に支配され、硬直する。

 沈黙を破ったのは、青邪の方だった。

「……緋影。先攻どーぞ」

 やや芝居がかった手振りで、緋影の発言を促す。

「あ、うん」

 青邪に促され、緋影が改めて口を開いた。

「ケガ、しなかった?」

「生足娘がそれ言うか?」

 呆れ顔で、青邪が絆創膏の貼られた緋影の膝をぺしっと叩いた。

 灰色のGSから逃げている際できた傷だ。ズボンの青邪と白郎はともかくとして、膝が剥き出しになるスカートを穿いている緋影が怪我をしやすいのは言うまでもない。

「痛っ! 何すんのよっ!」

 顔をしかめるのも束の間、反射的に伸びた手が、青邪の背中を叩く。

「いてて……」

「あ、ごめん……本当に、ケガしなかったんだね?」

「ああ。――今度は俺の番だな」

 頷くと、青邪は話題を切り替えた。

「怖くなかったか?」

「そりゃ怖かったよ。でも……その……その、青が、支えててくれたから」

 散々言葉に詰まった末、緋影は真っ赤になって、結論を早口で答えた。

「は?」

「いいのいいの! それより、青はあの時どうしてあんなに落ち着いてられたの?」

 早口を聴き取れずに首を傾げた青邪に、質問をぶつけ、それ以上の追及を遮る。

 果たして、緋影のもくろみは成功し、青邪はその問いに対してどこか釈然としない口調で答えた。

「落ち着き……ね。俺に言わせれば、パニックを起こす方が不思議なんだが」

「え……え? 何で?」

 その答えには、その場しのぎとして質問を発しただけの緋影自身も興味をひかれた。

「そうだな、例えば、俺たちの高校生活は三年で終わるし、生き物もいつかは死ぬだろ。時間は永遠じゃないわけだ」

「うん、そうだね」

「要するに、日常は薄い氷だ。いつ割れるかなんて誰にも判らないし、ほうっておいても融けてなくなる。いきなり割れたからって、それで動揺するのはおかしくないか?」

「それは……理屈としては、確かに、そうだけど……普通はそんなこと考えないし、その時になっても、考える暇なんかないと思う」

 頭の中で問題を整理して答えつつ、緋影は青邪の言葉に違和感を覚えていた。まだ根底には別の何かが潜んでいるのかも知れない。

 ただ、今まで感じていた、消えそうな危うさの正体には近づけたような気がする。

 多分、青邪はいつも“境界”にいるのだ。氷を氷として認識できてしまっているために、現実との接点が限りなく弱いのだろう。

「……俺が心配性なだけなのか?」

「そう、なんじゃないかな」

「ふーん」

 気のない返事を残したきり、青邪は誰も映さない冷たく遠い眼をして物思いに沈んでしまった。

「…………」

 息がかかるほど近くにいるのに、同時にその横顔は限りなく遠い。

 青邪を見ているうち言いようのない寂しさに襲われた緋影は、その肩にこつん、と額を押し当てた。

 反応は、ない。元々青邪は他者との肉体的接触にまるで抵抗がないため、緋影のこうした行為も一切特別視せずに受け入れる。

 その(うち)にある感情になど、気付くはずもなかった。

「青――」

 呼びながら顔を上げる、そのごく何気ない動きが停まり、表情が歪む。

 時と場所をわきまえず、例の発作が襲ってきたのである。

「……緋影?」

 青邪が我に返った。触れている肩を通して緋影の全身に異様なほど力がこもっているのを感じとったのである。

「ん、何でも……ないよ」

 気遣わしげに顔をのぞき込もうとする青邪に先がけて、緋影は伏せていた顔を上げ、明るく笑った――額に脂汗を浮かべながら。

(時間……ないの、かな……)

 発作を押さえ込みはしたものの、まだ微かに震え続ける自分の体を、青邪の視界の外で抱きながら思う。

 ついさっきもそうだ。幸いにもすぐ目が覚め、なんとかごまかせたものの、発作はどんどん進んでいるらしい。

「具合が悪いのなら、寝てろ」

「え――ひゃっ!」

 不機嫌そうな青邪の声が聞こえたと思った時点で、体がひっくり返され、仰向けに押し倒されていた。そのことに驚く間もなく、ばさっと布団がかぶせられる。

「え、あの、ちょっと……」

「どこの調子が悪いんだ? 適当な薬を探してこよう」

 青邪が立ち上がる――行ってしまう。

ほうっておけば、また会えるかどうか――。

「いや――ダメえっ!」

 襲った不安の内容を考えるより早く、体が動いた。

 かけられていた布団をはねのけて起き上がり、つかんだ青邪の手を渾身の力で引き寄せる。

「ひか――げ?」

 いぶかる声が急に近付き、語尾まで到達する頃には顔のすぐ真上から聞こえていた。

 誰がどう見ても、青邪が若気の至りで緋影を押し倒しているようにしか見えない体勢が、見事に完成していた。

(や……やっちゃった……!)

 自分で招いたこととはいえ、すぐ間近に困惑する青邪の顔を見上げながら、緋影は頭に血が上るのを感じていた。

「何が駄目で、こうなるんだ?」

 状況を理解できていないらしく、怪訝な顔で問う青邪。その態度に、照れなどと呼べるものはまるでない。そしてそれを見て、緋影の覚悟は固まった。

 今を逃せば、きっと後悔する。

「あの、ね。真面目に答えてほしいの。青は、あたしを、どう……思ってるの?」

「ふむ……まあ、どうでもよくはないな」

 意を決した緋影の問いに、しばし考え込み、青邪はそう答えた。

「違う……。もっと、もっとはっきり言ってほしいよ。好きか、嫌いか……」

「それは――解らない」

「……どう、して?」

 視界を占める青邪の顔が、不覚にも揺らいで見え始めた。

「緋影の訊いてる内容は判った。でも、俺には、そういう種類の『好き』の意味が解らないから、口にできない」

「いいよ。それでも、あたしは――」

「やめろ――俺には言わない方がいい」

思いの丈を打ち明けようとする緋影を遮り、青邪は起き上がった。

「どうして……?」

 その姿を追って起き上がり、潤んだ眼で見つめる緋影に、遠い――死に逝こうとする老人が自分の最期をみと看取る者に向けるような――笑みで応える。

「知ってるか?古語の『影』って単語は光そのものを意味してるんだ。お前は、俺にはまぶし過ぎる。俺はきっと、お前には応えられないし、嫌な思いをさせる」

「そんなことないよ。そりゃ度合いにもよるだろうけど、迷惑はかけられた方が嬉しいんだよ?」

「別に変な慰めはいい。お前が困ってるのは解ってるから。こんなことなら知り合わなきゃ良かったな」

 ははははは。そっぽを向いたまま発される、乾いた笑い。

「何で……そんな、寂しいこと言うわけ?」

「俺は、他人に迷惑をかけないためだけにいる。本来なら誰とも関わらずに独りで消えなきゃならない――寂しいと言えば寂しいけどな」

「あたしは他人じゃないよ、青……」

 ぽろりと漏れた呟きに緋影が応えた矢先、部屋のドアがノックされた。

「青兄、ごはんだよ」

 それだけ言い残して、橙矢の足音は遠ざかっていった。

「……あたし、青の傍にいるから。明日も、明後日も、ずっと。また、明日の朝起こしに来るから」

 それだけ言い残して、緋影は青邪の部屋を後にした。

「……お前の傍にいると、俺は時々不安になるんだよ、緋影……」

 来訪者の残した温もりも既に冷め、聴く者のない部屋に、その主の呟きだけがこぼれた。


◇◇◇


「――司令。回収した〈厭輝〉の点検作業が終了しました。大変申し上げにくいことなのですが……」

「何だね?」

「再起不能です。今回の戦闘でフレームに設計限界を超えた負荷がかかっていたらしく、擬似オリハルコン結晶が崩壊しています」

「……『チェンジリング』専用機体を、操縦するだけで……凄まじいポテンシャルだな」

「はい。『完全体』である可能性が。あるいは、あの機体も……」

「……例えそれが不可能だとしても、未だに調整中の試作機で完全な状態の【租界】を発現させた人材だ、戦力になることは間違いない。人物特定は進んでいるかね?」

「はい。正パイロットから得られた情報もありますので、今日明日中には絞り込みが完了します」

「よろしい。それと……あれだけの戦闘を行ったのだ、そろそろ我々も日の目を見る頃合いだろう」

「かしこまりました。資料を作成しておきます」


◇◇◇


 夜が更け、日付も変わっているというのに、その部屋の主は未だ寝付けずにいた。

「く……うあ……ああっ…………!」

 すぐにも途絶えそうな、細く苦しげな喘ぎ声が、部屋を支配する闇に吸い込まれてゆく。

「……いや、だ……ちがう……ちがうぅっ……! あたしは、そんなことっ、……知らない!」

 覚えのない記憶が浮かび、脳裡(のうり)を占拠してゆく。

 感覚が薄れ、体が自分の意思に反して動き出す。

 自分自身に対する違和感が増大し、まるで入れ代わりに何かが自分の中に入ってくるような、おぞましく、不安な現象。

 それが始まった理由は、大体予想がついていた。

 黒い、翼のあるGS。あれを見た瞬間、それが目覚めてしまったのだ。

「あたしは……そんな名前じゃ、な――ぅあッ!」

 布団の中で頭を抱えていたその体が、急にびくんっ、と背を反らした。

 感じとれる限界を超えかねない苦痛に、まともな言葉が出ない――悲鳴を上げようと大きく開けた口からさえも。

 それを証明するように響く、皮膚が破れ、筋繊維の断裂していく、めりめりという生々しい音。

「……ぃや…………なれた……ない…………あ、お――」

 それが最後の言葉。

 ぼろ布を力尽くで引き裂くような、今までで一際大きな、嫌な音。それと共に、布団が内側から吹き飛んだ。

 荒い息遣いだけが闇の中を流れ……やがてやむ。

 ベッドから生まれた足音が、部屋を横切り、ベランダへ続く窓際で止まる。

 サッシがレールをすべり、夜空へと続く窓が開かれた。限りなく細い月は黒雲に食われ、その空に光はない。

 ひたり、とコンクリートに裸足(はだし)が踏み出され、それきり二度と触れることはなかった。

 部屋に残ったのは、遠ざかる羽音。

(第一章・了)

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