熱量 ―エネルギー―
こんな会話が出来る状況に憧れます。自分には無いですけど。
「宇宙にもちゃんと温度があるんだって、知ってた?」
週末の午後、待ち合わせた学食の俺の前に座って、開口一番彼女が言った。
あまりの唐突さに面食らって何も言えないでいる俺にかまわず、彼女は楽しそうに続ける。
「今さっきライブラリーでヒマつぶししてて偶然見つけたんだけど、絶対温度で3度なんだって」
「……絶対温度って、水素が固化する、あの……?」
呆然としながらも何とか口を挟むと、彼女は極上の笑顔で頷いた。
「それでね、宇宙空間にある全ての温度を集めると、ビッグバンの時に持っていた宇宙の初めの温度がわかるんだって」
「……へぇ……そう……」
何が嬉しいのか上機嫌の彼女に、俺は曖昧に返事を返すことしか出来なかった。
「よかったね」
「へ?」
いきなりの脈絡の無い台詞に、間抜け面を返した俺は、彼女の次の言葉が胸に染みた。
「宇宙にもちゃんと温度があって、しかも集めると物凄いエネルギーを持つような、そんな熱が存在してる。宇宙は冷たくなんか無いのよ」
宇宙空間――それは俺のことを揶揄する時に使われる、仇名だ。
何事に対しても冷静で、熱中しない。どんなにけしかけても煽っても反応が薄い。一段上から見下している。何をしてもそつが無さ過ぎる、薄気味悪い――人が一歩引いて囁く仇名を、三つ年下の万人に愛され天使の仇名で呼ばれる恋人は、ひどく嫌がる。
そう、彼女は俺の恋人だ。
今まで俺は物であれ人であれ行為であれ、のめり込むとか熱中するとか言う事が無かった。傲慢な言い方だが、欲しいと思った物は願う前から手に入ったし、飽きる前に無くなってしまう。女も然り。来る者拒まず、去る者追わず。飢えるとか、焦がれるとかいうことを知らなかった。
そんな俺が生まれてはじめて望み、行動し、エゴ丸出しにしたのが彼女だった。それこそストーカー並の執念深さと強引さで、三年かけてようやく隣の席を独占することが出来た。
席だけでなく、全てを独占していると実感出来るようになったのは、ここ半年ほどのことだ。
それ以前は、俺の押しに根負けしているのだろうと思っていた。彼女の寛容さと忍耐で続いているのだと思っていた。半年前にひょんなことから、彼女が外見からは想像も付かないほど頑固で反骨精神の持ち主だとわかって、ようやく独り相撲ではないという確証が持てた。
それからは自分でも不思議なほど、穏やかな関係になっていると思う。
「でも、絶対温度3度なんだろう?」
俺は紙コップのコーヒーを一口飲んだ。
「絶対0度って確か摂氏に直すと-273度だろう? それより3度くらい高くたって、そんなに変わらんと思うんだが?」
一瞬にして凍って砕ける温度だ。
多少の意地悪もあってそう言った俺を、彼女は即座に否定した。
「変わるわ! 少なくとも、水素は気体よ! 固まったまま動かないものじゃない! いろいろなものに変化する可能性を秘めてる!」
俺が彼女の凄さを実感するのはこんな時だ。さらりと――自覚があるのかないのか――相手の人間性・可能性を肯定する事を言う。自分でも自覚していなかった本質を、取り出して見せてくれる。
失えない、と思う。
彼女のくれる言葉は、一人で何も無い真っ暗な宇宙区間を漂っていたに等しい俺にとって、光であり、色であり、温度だ。
先日机の中を整理していたら、以前書いたメモがいくつか出てきました。そのうちの一つです。
たぶん何かの話のエピソードとして入れるつもりだっだのだと思いますが、当分そんなことはなさそうなので、中途半端な話ですが出させていただきました。