日常生活
ああ、面倒くさい。今日も学校だ。周りのやつらは俺とたいして変わらないくせに彼女がいるし、部活の顧問はめちゃくちゃ煩い。授業には集中できないし、ひとり暮らしなので朝食からなにまで体調に気をつけてつくらなければならない。毎日友達とも呼べるか怪しいクラスメートと馬鹿騒ぎをしては家に帰りひとりになったときに虚しさだけが残る。
そう、いつもとなにも変わっていないのだ。なにも変わっていない、ということは、面倒なだけで病気にかかることもなく、暇なだけのある意味シアワセな生活。
ーー中身が少なめの冷蔵庫。
ーー小さなベッド。
ーー色褪せた写真。
ーービンに入った人の目玉。
いつもとなにひとつ変わらない。
「こんな時間か……。ちっ、面倒くせぇ」
俺は何気なく呟いた。
そのとき、インターホンの音が鳴った。こんな忙しい時間に誰だろう。正直言って、迷惑極まりない。無視をしてさっさと学校へ行ってしまいたいが、インターホンが鳴ったということはボロアパートの前にいる。つまり、俺がそいつを避けて出て行くことは不可能なのだ。手荒くあしらって、とっとと学校へいってしまおう。
「あれ?だれもいないじゃん」
アパートの部屋から出ても、誰もいなかった。どうやら思考中に立ち去ったようだった。郵便だったら、紙を置いて行くはずだし、知り合いなら携帯に直接連絡してきてもいいだろう。では、誰だ?
とにかく、遅刻しそうなのでこの件はまた今度考える。めんどくさい。俺の中はただそれだけだった。
「おー、どーしたんだよ、遅かったじゃないか。このまま遅刻しちゃえばよかったのによ」
「ふざけんなよ、遅刻したら色々と面倒だろ」
俺はあのあとどうにかして遅刻せずに済んだ。友人に遅刻しろなどと言われたが、そんなことになったら本当に色々と面倒だ。いや、遅刻しなくても面倒だった。
まあ、いいや。授業中は寝るか。授業なんて、寝ててもチョークが飛んでくるだけだしな。
俺は席につくと、大きく欠伸をし、間もなく深い眠りに落ちていった。
目が醒めると、そこは家だった。
「あれ?学校にいたはずじゃ……」
頭がひどく痛む。風邪でもひいてしまったのだろうか。学校なんかで寝るもんじゃないな。俺は意外と健康マニアなのかもしれない。
台所で水を飲もうとペットボトルを手にとったとき、突然携帯電話が鳴りだし、危うくペットボトルを足に落とすところだった。
「……ったく、誰だよ、もう」
のろのろと携帯電話の元に歩いていき、電話にでる。
「もしもし?」
「あぁ、もしもし?はじめまして、突然で悪いのですが、お話がありまして、できれば、あなたの家に伺いたいのですが…」
若い男と思われる声だった。話とはなんだろうか。どうせ暇だし、構わないのだが。
「家に……ですか?別に構いませんけど」
「ありがとうございます。では、早速伺いますね。……できれば、家までの道を電話で構わないので、教えていただけますか?」
「え?……はぁ、いいですけど。俺、そーゆーの教えるの下手ですよ?」
「ええ、お願いします。この際、下手とか、関係ないですよ。あなたの家に行くことがすべてですからね」
なんだこいつ、家がわからないくせに来るとか言ってたのか。電話番号は知ってるくせに。住所を教えれば済むのだろうけど、俺は住所を言われて、そこに向かうことなんてできない。仕方ない、やっぱり教えるか。
「あ…そうそう、私が家につくまで、絶対に電話を切ってはいけませんよ?」
「は?なんでですか?」
「まぁ、それは置いておきましょうよ」
意味わかんねぇよ。置いておくなよ。
「今私は、あなたの学校の校門の前にいるのですが…」
うちの学校は校門がひとつしかない。先生たちが使っている専用の校門もあるというが、実際はどこにあるのかなんてわからない。普通の人なんて、職員用玄関があることさえ知らないのだ。ということは、いつもの門か。
「あぁ、それなら、自動販売機が見えるでしょ?そっちに向かってまっすぐ歩いて、二つ目の角で右に曲がってください」
「はい……曲がりました」
もうか?やけに歩くのがはやいんだな。そういえば、電話の向こうからはなんの音も聞こえない。あそこは商店街が近いから、結構騒がしい気もするが…。まぁ、古びているし、聞こえないのはある意味当たり前か?
「それで、そのまままっすぐ歩いて……えーと、フェンスがあるところでまた右に曲がってください。そこで工場が見えると思うんで、そっちへ向かってください」
「はい……工場の前につきました」
?いくらなんでもはやすぎないか?
「はやいっすね?えーと、そこから地面に血痕がついてるところまで行って、右に曲がってください。そこからまっすぐ進んだところにある、古びたアパートが俺の家です。部屋は○○○ですよ」
「ありがとうございました。でも、アパートなんてありませんよ?」
「え?間違えてましたか、俺」
「いやぁ……、なにしろ私はここら辺に詳しくないもので、私が間違っているのかと」
「んじゃ、今なにが見えますか」
「ハンコ屋が見えます」
「あー…それなら、北に向かってまっすぐです。そしたら見えるはずですから」
まさか、ここで迷うとは。別に複雑な地形でもなんでもないのだが。まぁ、この人は不思議な人という印象があるし、天然なのかもしれない。天然は関係ないか。
不意に電話の向こうから、トマトが潰れるような音がした。
「あの、すみません。やっぱりアパートが見えないんですけど」
「はぁ?あ、すんません。えーと、じゃぁ、なにが見えますか?」
「血溜まりが見えますけど…。あっ、なにかの塔が見えますよ?」
「あぁ、それなら北東に道なりです」
「あの、すみません。やっぱりアパートが…」
ああもう!しつこいな、嫌だ嫌だ。一体どれだけ方向音痴なんだ。
「………はぁ、なにが見えますか」
「いや、あの…もういいです。私、あなたの家に行きたいんです」
「だから、その説明を俺がしているんでしょ?」
「私、あなたの家に行きたいんです」
「わかりましたってば。で?なにが見えるんです?」
ぴんぽーん、そのとき、インターホンが鳴った。
あ、あいつ、やっと来たのか?じゃぁ、もう電話切ってもいいかな。
俺は電話を切る。そして、扉を開けようと、玄関へ向かう。
また、電話の音が鳴った。俺は取りにいくのももどかしく、扉を先に開けようと手を伸ばした。
扉を開けた俺は、
誰も出ない、とじられた携帯電話から、若い男と思われる声が漏れる。
「あなたの家に、行きたいんです」