コーヒーの美味しい、洋楽の聴ける喫茶店 1
どうも、初めまして。
登場人物紹介の方から引き続いてくれた方々は、今後もよろしくお願いします。
メタ的発言? 聞いたこともない言葉です。
『八葉 六十四の出会い方』
私が彼と出会ったのは、ほんの気まぐれからだった。
便宜上、彼という呼び名を使っているけれど、別に男女の関係を持っているわけではない。
彼はあだ名を嫌うきらいがあるから、使わないようにしているだけで。
かといって、名字で呼ぶのもよそよそしいし、名前を呼ぶほど親しい関係でもないと、私は思ってる。
だから彼を呼ぶときは必ず2人称で、あなた、と呼ぶことが多い。
ファーストネームをコールする時はあるけれど、それは気まぐれで、たまに呼んでみて反応を楽しむくらいである。
彼は良くも悪くも、人の言うことに敏感だ。別に従順とかそういうことではなく。
命令フェチ、とでも呼称しよう。
彼はとにかく命令されるのが好きだ。けれど別段、マゾヒズムを好む傾向にあるわけではない。むしろむしろそれを判断するなら彼は間違いなく、サディストの部類だろう。
話が逸れたけれど、彼はとにかく考えることが嫌らしい。
何も考えずに、他人任せ。時間の流れるまま、それに追従するだけ。それが彼のスタイルらしい。まあ、社会に適応できないからやめたと言ってはいたけれど。
あら、最初の方から話が大幅に逸れていた。そろそろ閑話休題。
私は放課後に、同級生に勉強を教えている。それの見返りとして、私はほんの少しの駄賃をいただいている。謙遜ではなく、本当に少額だ。
その日、臨時教師役のバイトも終わり、そのバイト代もそこそこの額になってきていた。
私はかねてより計画していた、午後のティータイムに勤しむことにした。
この高校の側には、こぢんまりとした喫茶店がひっそりと建っている。ゆっくり歩いていても見逃してしまうくらい、存在感がない。
放課後、その店の前を通ると必ず、とてもゆったりした曲が流れている。恐らくはクラシックか、洋楽の類であるのは容易にわかった。
そこの前だけ、時間がゆっくり流れている気がして、胸を躍らされた。
ああ、ここでお茶が飲めたなら、なんといいことだろう。
不意にそう思って、ちょっとした小遣い稼ぎを始めた。先程のバイトである。
なんとなく、親からもらったお金でいくのは気が引けた。かといって、堂々とバイトするのも何か引っかかるものがあった。
高校生は高校生らしく、もっと阿漕な方法でいい。
大学生はノートを売るけど、高校生は知識を売る。
そうやって稼いだお金で、私はその喫茶店に行くことにした。
すれ違う顔見知りに会釈をしながら校門を出ると、おあつらえ向きにも、心地よいそよ風が通り過ぎていった。
夕暮れはまだご健在で、やや濃いめの朱に真っ白な雲がよく映えていた。
喫茶店の前に着くと、今日もゆったりとした曲が流れていた。
扉にかかっている札がcloseでないことを確認して、私は右腕に力を込めた。
私の入店を知らす、控えめな鐘の音が響いた。
学校が終わって、僕は最寄りの喫茶店に入り浸っていた。
チャイムが鳴ってから割とすぐの入店。サボりや早引け以外なら、僕が催促だろう。
「そんなことを威張られても、なんの誇りにもならないよ」
僕がそんなことを呟いていると、耳ざといここのマスターに咎められてしまった。
僕の他に客もいないというのに、マスターはさっきからコーヒーを入れ始めた。いい香りだけど、僕が飲む銘柄じゃない。マスターのお気に入りかな。
って、自分で飲むってどうなのよ、飲食店として。自分で思っておいてなんだけど。
ふと窓の外を眺めると、生徒達がぞろぞろと下校していた。そろそろピークの時間帯かな。車通りも多くなってきたところだし。
僕の通っている高校は、ここから目と鼻の先だ。信号運さえよければ、店を出てダッシュで10秒かからないだろう。
この喫茶店に来る理由は、近いのも理由の一つ。
他の理由としては、静かだから。
僕が来るのは放課後。だから、自ずと人通りも車通りも、時間が経つごとに増していくのが道理。
けれど、なぜかこの喫茶店の中は、とても静か。まるでここだけ切り取られて、音のない世界に放り込まれているような、そんな錯覚さえ覚えるほどに。
そうしてその中で響く、曲名も知らない洋楽が、僕の耳に心地よく届く。
その中で1杯のコーヒーを飲んで、時間を忘れて、気付いたら寝てしまっていて、慌てて代金を置いて店を飛び出すような。
そんな流れを、ここ最近は繰り返している。
ある意味、何かの力が働いているのかもしれない。僕とマスターだけのここの空間は、時間が流れている限りそうなる運命なのかもしれない。だとしたら楽でいい。何も考えず、コーヒーをすすり、時間になったら出て行く。そんな単純作業。
邪魔するものいなければ、邪魔しようとも思わない。
願わくば、この時間が少しでも長く続いて欲しいな。
なんて思うと、えてしてすぐに破れるのがお約束、ってものだけど。
からん。ころん。
そんな古めかしい音が似合うような、聞き慣れた鐘の音が響いた。
不思議と、我が耳を疑った。
僕がいる間はなぜかいつも来客がなく、僕が帰るまでその音は鳴らないはずだった。
なのに、僕にとって無銘の洋楽の間をぬって、それは僕に届いた。
そしてそれに続いて、よく知った服装が目に入った。
女子の制服。つまりは、同じ学校に通う生徒の誰か。顔は、見たことがあるかもしれない。どこかで見ているような気がする。
どこか高校生らしくない雰囲気が、その人に漂っていた。たとえ上級生であっても敬語を使わざるをえないような。抵抗する、という考え自体が思い浮かばないような女性。
背が高いせいもあるのだろう、リクルートスーツでも様になる気がする。年上だと言われても、何ら違和感がない。
そんな彼女が入店してきた。
彼女は僕が注視していたことにも気付かず、どこか満足げな笑みを浮かべたまま、近くのテーブルに歩んでいった。
間髪入れずに、マスターはその席へと近付き、先程入れていたコーヒーを差し出した。
「気に入らなければ、そのまま残しても結構。気に入って頂けたなら、次回からご贔屓にして下さい。代金は結構ですので」
営業スマイルなのか爽やかな笑顔なのかわからない表情のまま、マスターは奥に戻っていき、カップを磨き始めた。
彼女は少し戸惑った表情のまま、呆然と置かれたカップとソーサー、及びその中身を見るのみ。
やがておずおずと手を近づけていき、それをゆっくりと、もしくはこわごわと口に近づける。
そうして液体をすする音が聞こえた時、同時に
「あちっ」
彼女が猫舌であるという事実が発覚。
それでも、風味とその味は舌に残ったらしく、その表情には驚嘆と喜色が見て取れた。
嬉しそうに二口目に取りかかり、今度は熱心にふうふうと息をかけて冷ましていた。
そして頃合いを見計らい、口に運ぶ。今度は飲める熱さだったらしく、少しずつカップの傾きが深くなっていく。
そして完飲を告げる喉越しの音が響き、彼女は満足そうに息をついてまぶたを閉じ、カップを置いた。
よほど美味しかったのだろうか。今度マスターに銘柄を聞いて、僕も飲んでみよう。
そう思っていると、不意に彼女がこちらを向いた。
それに驚いて目を楕円から円にしかかっていると、質問が飛んできた。
「はちよう、ろくとし君で、合ってる?」
初対面で名前を当てられたのは、初めてだった。まあ、僕の名前も珍しい方だから、学校の中じゃ知られてる方なのかも。
「はい、そうですけれど」
「そう、よかった。間違ってたらどうしようと思って。初めまして、になるのかな。廊下では何度かすれ違ってるし、クラスも同じだけど、きみは意識したことないだろうから。私は同級生の睦月院一子。一応同じクラスだから、よろしく」
テンプレートな返答を返すと、向こうも自己紹介を始めた。それも、明らかに僕に非がある自己紹介を。
同じクラスの人なのか。もう2年の初夏にも関わらず、いまだに僕はクラスメートの顔と名前もわかっていなかった。
確かにクラス替えもして、見慣れない顔ぶれも増えたけど、1年から一緒だと言われて、おおそうだねと返せた人は、僕にはいなかった。
そのせいもあってか、新人さんいらっしゃいな方々は、全くわかっていない。
それを知ってか知らずか、睦月院さんは改めて自己紹介をしてくれた。春頃にお互い自己紹介を交わし合っているはずなのに。
「ごめんなさい。僕、人の名前と顔を覚えるの、極端に苦手で」
非礼を侘びるために、僕は席を立って頭を下げた。
「いや、構わないよ。私だってきみの顔がうろ覚えで、知っている顔みたいだけど違っていたらどうしようと思っていたから、お互い様だ」
睦月院さんはそう言って、自分の失敗談のように笑ってくれた。
なんとなく、彼女からかもされるもののせいでこう思ったのかもしれないけれど。
きっと睦月院さんは僕の名前をわかっていた。読みも、綴りも。完璧に。
僕の自意識過剰だと思うけどね。
その話が落ち着いてから、また何度も質問が飛んできた。
「きみは、いつからここに?」
「へえ、そんなに長く。私は今日デビューしたばかりだから、色々ご教授願いたい。手始めにおすすめを教えてもらえるかな」
そんな感じの問答を幾度か繰り返した。
体感的に、今頃はうとうとうたた寝している時間だ。この時間に起きていたことはない。今日が初めてだ。
睦月院さんが来たせいで、と責任を押しつける気はないけど、どこか調子がくるっている気がしてならない。
別に睦月院さんが嫌いだからではない。単に、真っ直ぐ歩いていたのに、それがどこか曲がり道であることに気が付いたような、もどかしさに近いもの。
たぶん、いつもの流れにそっていないことが嫌なんだろう、僕は。
まあ、たまにはこういう日もいいかなと、自分を納得させた。
そうして僕自身を一段落させたところで、また質問が飛んできた。
「きみは、なんでこの喫茶店に入ったの」
答えるのに困る内容だった。
別段、変な回答を用意しているわけでもない。
でも、僕にとってそれを答えることは容易でない。ちょっとした理由のおかげで。
睦月院さんは僕の返答を待ち焦がれているかのように、両肘をテーブルに着き、その両手は頬に添えられている。表情は、少し笑っているかな。うっすらと唇の端が上がっているように見えた。
僕はマスターに助けを求めようと、わざとらしく奥の方を向いた。
マスターと目が合った。助けてくれと目で訴えた。いい笑顔でサムアップされた。奥の方に引っ込まれた。完璧に勘違いされた。しかもしばらく戻ってこない方面の。
僕は答えあぐねて、掛け時計と窓の外を交互に見ていた。
それに業を煮やしたか、睦月院さんの表情がやや曇った。
「答えて」
同級生に向けているとは到底思えない鋭い声音を、睦月院さんはそう発した。
それを聞いた途端に僕の中で、何かのスイッチが入った。
頭の中が真っ白になって、ほぼ無意識的に口が開き、喉の筋肉が動く。
「この高校に入学したその日から気になっていて、入学式が終わったその足で行ったんだ。そしたら店の中から音楽とコーヒーのにおいがもれてて、それに引き寄せられて入ったら、マスターがコーヒーを淹れてくれてて。それを飲んだら、すごく美味しくて。また今度も来ていいって聞いたら、うなずいてくれて。それから、毎日通い詰めてる。放課後になったらここでコーヒーを飲んで、音楽を聴いて、うたた寝して、門限がせまった頃に慌てて飛び起きて店を出るのが日課になって」
そこまで言って、はたと口の動きが止まった。
それからいくらか逡巡した。ある程度言いたい中身を吟味して。その間、睦月院さんは待ってくれてて。
「そんな毎日に憧れてたから、ここに入ったんだ。そしたら、案の定その通りになって」
そう言って、僕は頬をかき、話すのをやめた。
睦月院さんは、遊んでいる子供を見るような、微笑ましい笑顔でこう言った。
「私も、この店の雰囲気が好きになって、入った」
それから人なつっこい笑顔になって、右手を差し出してきた。
「きみと私は、根底のどこかが、似ているのかもしれない」
それからまた大人びた笑顔になって、じっと僕の目を見据えてきた。
「もしよければ、これからもここで、お茶をしに来てもいいかな」
そう言われて、僕はついつい呆けてしまった。だって。
「別に、ここは僕の家でもないので、来ても構いませんよ」
僕は差し出された右手を握らないまま、そう返した。
「いや、きみの話を聞いていたら、ここには一人で居たがっている気がしたからね。もしそうなら、邪魔をするのも悪いと思って」
睦月院さんは、申し訳なさそうにまゆじりを下げ、困ったような笑みを浮かべた。
「だから、もし邪魔にならないなら、たまにここに来てもいいかな」
文章は変わっているけど、2度目の質問。
僕は心の中で天秤にかけるように、その質問をじっくりと品定めする。
今までの流れを断ち切ってまで、睦月院さんがここに来るのを承諾するのか。
僕の答えは、案外あっさりと出された。
「はい。構いませんよ」
そう言って僕は笑い、睦月院さんの手を握った。女性らしい、柔らかですべすべした手だった。
「ありがとう。これからもよろしく」
睦月院さんはそう言って、僕の手を力強く握り返した。
それから時間が経ち、僕の門限が近づいていた。
僕は久々に門限を守ることができるようだとどこか安堵し、その旨を睦月院さんに伝えて席を立った。
すると、睦月院さんも鞄を持って立ち上がった。
「いやなに、一人でここに居続けるのもどこかばつが悪い。それなら、私も帰ろうと思ってね」
そう言われたので僕は代金をテーブルに置き、マスターに会釈をして店を出た。
初夏にしては少し冷え気味の風が通りすぎて、僕は対身震いをしてしまう。
それに目ざとく気付いたのか。
「夏風邪は長引くから、気をつけた方がいい。なんなら送っていこうか」
子供の心配をするような目で、睦月院さんに心配された。
普通、この言葉は冬時期とかに、男性が言うものと思っていたけど。時季外れで、通念外れな事で。
そのことを考えてしまうとついくすりと笑ってしまい、またそれを見とがめられて。
「何か、おかしな事を言っただろうか」
なんて言いながら、少し狼狽えた顔を見ていると、ついつい困らせたくなったりもしながら。
「いいえ、別になんでもないです。それじゃあ、睦月院さんも気をつけて」
そう言い残して、小走りでその場を後にするのだった。
次回はまた登場人物の紹介に戻ります。
文の書き方を意図的に変えてみましたが、どうでしたでしょうか。
次回も読んでいただければ、幸いです。