時の屑
窓の外からは活気かる呼び込みの声。
それは早朝の鳥達を払い、休憩場所を探す労働者を引き寄せる。
既に日差しを失った窓辺の光景。
それでも、従者に仕える給仕は数時間前と同じ作業を始めた。
これが見納めとも思える扉。
トントンと硬質な打音は、若干苛立ちが滲む。
「・・・ベーゼン様、失礼します」
余り響く事の無い靴音は、町で見かける女性給仕よりも男性寄り。
ガチャンと閉まる扉の音に続くのは彼女のため息。
彼女の瞳に映るのは、半年以上前に主人の家で見た光景。
主人を見つめる視線は、昨晩のそれではない。
「ベーゼン様、もう一泊するおつもりですか?
いっそ、奥様をお呼びしましょうか?」
「・・・母様より・・かですわよ。・・たくし・・むにゃむにゃ・・ん~・・」
「ハァ・・・・ダメですね。
夜更かしなどするからですよ。まったく」
ヨハンは、ため息を残し退出する。
それは主人の勝利ではなく、従者を含めた大敗の始まりである。
少し経つと、宿の階段は2つの足音と共に再び軋んだ。
扉は軽快に高い音を響かせる。
続く声は、聴きなれた優男のホンワカしたものだ。
「ベーゼン、おはようってもう昼か・・・
おきろ~ベーゼン・・・・・
ん~幸せそうな寝顔だね、フフッふわぁ・・・」
「アイネス様?」
アイネスは、徐に近くの椅子に腰かけ机に片肘を乗せる。
妹を見つめる視線は極めて優しいが、少しずつ閉じていく。
ハッとするヨハンだが時は既に遅い。
アイネスの口からは、行動と反する言葉が羅列を作る。
「ダメだなぁ・・・ベーゼン。
あんまり、ヨハンに迷惑かけちゃ・・・・
そうだ・・ヨハン? ヨハン居るよね?・・・・
必要そうなモノの・・・手配? んん?終わってたか・・
後お願いね‥‥見てたら眠くなっちゃったよ・・・・・」
「あっ!・・・アイネス様!・・・・はぁ・・・
忘れてたわ・・・この人が " ベーゼン様 " の兄だって事・・・」
寝息が増えたポカポカとした主人の借り部屋。
その光景は、もう半時ほど続き、主人の素っ頓狂な声で幕を閉る。
始まるのは、遅すぎる昼食。
在るのは主人はムスッとした表情。
蒸かし芋に鋭く刺さる木製のフォーク。
変らぬ表情で頬張る姿は、目の前の兄には可愛らしく映る様だ。
「なんで、お兄様がいるんですか・・・もう。
もぐもぐ・・・いくら兄妹だからって、私は・・もぐもぐ。
お判りですか・・・もぐ・・・お兄様」
「ヨハンに頼まれてね。
まあ、ベーゼンの寝顔を見ていたら、フフッ。
かわいい寝顔に僕も引き込まれちゃったんだけどさ。
フフッ、ほっぺたに芋付いているよお姉さん」
「んん~・・・・ハァ」
ベーゼンは視線をヨハンに向けるも、彼女はうまい事躱す。
その上で彼女から返るのは正論。
「出発が遅くなってしまいましたよベーゼン様。
ジェラール王子達は朝早く。
ツォーネさん達も昼食時前には部屋を払っております。
それと、コホンッ・・・アイネス様、私はベーゼン様の ─────── 」
彼女の説教染みた小言は、ベーゼンの食器が片付くまで続いた。
とは言え彼女は従者でメイド。口も動くがそれ以上に行動は早い。
小言が終わる頃には、残る準備は完了していた。
そこに合わせう様に到着する2人の男性。
焦っている様でもその素振りは一切ない。
「おお、何とかなりましたな。さすがはヨハン殿だ。
それでは、アイネス様、ベーゼン様、馬車の準備ができてます故」
「ご準備、有難う御座います。モーガン様。
アイネス様、ベーゼン様、さあ腰を上げてください」
はいはいと急かす様に主人たちを煽る従者。
その姿をフォッフォッフォと髭を撫でる老人。
どう見ても老師の風格は無く、里帰りの娘家族を見送る祖父母。
馬車へと向かうモーガンは、無駄と判っていてもそこは商人。
後れを取り戻す様に、そんな老人をエスコート。
一行は、ホカホカとした日差しに見送られ家路に就いた。
復路は、往路とは異なり青々とした葉が茂る草木。
色彩溢れた蝶々達が一行の目を楽しませた。
しかし、ヨハンは葛藤の末、眉を顰め大きなため息を吐き捨てる。
彼女の瞳に映る二人の主人。
彼らは頭を寄せあい、またしても睡魔の虜になっていた。
(これは・・・いやいや、今はダメだよヨハン。
どうせ、ベーゼン様は今夜も寝られなくなるんだから・・・・)
「起きてください、ベーゼン様、それとアイネス様も。
ほら、明日も早いんですよ!」
ヨハンは胸元でパチンと両手を強く叩く。
一般的な従者には見られない行動だろう。
しかし、彼女には彼らの母から許しは貰っている。
特にベーゼンについては、強く指示されている程。
音に反応するのは、兄アイネス。
「・・・んん~ん、また寝てしまったようだね。ハハッ。
いつもありがと、ヨハン。
・・・・お~い、ベーゼンもおきろ~」
何処までも優しい兄アイネス。
自らの肩に乗る妹の頭はそのままに、静かに妹の体を揺らす。
荷馬車の揺れに身を任せるベーゼンには少し物足りない。
見かねたかの様に、風すらも彼らに加勢する。
ブワッと靡くベーゼンの髪。
家を出発したころに比べ、背に掛る程に伸びていた。
中継の町に入る頃には、髪はボサボサだがベーゼンの意識もしっかりしていた。
やはりと言うべきか、少しだけ不機嫌な顔で首を揉んでいる。
幾度か同じ痛みを経てベーゼンはヴァンファブリックへと帰り着いた。
そこに在るのは母の小言といつもの平穏。
ベーゼンにとっては、少し退屈なモノへと変わっていた。
目まぐるしく過ぎた日々は今は無い。
前触れなど静かな程、気が付く者はいない。
しかし、起こってしまえば気づけぬ者などいない。
" あの時 " と後悔しても戻る事など何一つないというのに。




