3話 母は剣では測れない
剣を振るう腕が、重かった。
森に入ってから、ずっとだ。
魔獣の数が多い。質も、妙に揃っている。
まるで――何かに引き寄せられるように。
「隊長、血の匂いが――」
言い終わる前に、魔獣の首が落ちた。
鎧に返る感触。人斬り包丁のような鈍い抵抗。
「……終わったか」
騎士は剣を下ろし、周囲を見渡す。
そのときだった。
風向きが変わる。
血でも、魔獣でもない。
もっと甘く、もっと深い匂い――
禍々しい魔力の匂い――瘴気だ。
それも、濃すぎる。
肌が、じわりと粟立つ
「……止まれ」
騎士は手を上げ、部下たちを制した。
足音がしない。
だが、何かが近くにいる。
視界の奥、沢の方角。
光を反射する無数の結晶の向こうに――
「……人?」
否。
最初に見えたのは、角だった。
樹の根のように節くれ、枝分かれした異様な角。
次いで、異様に長い腕。
細く、四本指。黒曜石の爪。
騎士は、反射的に剣を構えた。
「――悪魔だ」
だが、次の瞬間。
その悪魔は、子供の頭を撫でていた。
「ほら、重かったでしょう。無理しなくていいのよ」
澄んだ、穏やかな声。
若い少女が振り返る。
「おかあさん、騎士さんだよ?」
――おかあさん。
その言葉が、騎士の動きを止めた。
悪魔が、ゆっくりとこちらを見る。
複眼が、騎士たちを一つずつ捉える。
殺気は、ない。
魔力は膨大だ。
だが、それは抑え込まれている。
「……驚かせてしまったようね」
悪魔は一歩、前に出た。
その動きだけで、地面の草が伏せる。
「私はネルフィリア。あなた方の分類では、侯爵級と呼ばれているようですね。
あなた方と争うつもりはありません」
騎士は、喉が鳴るのを感じた。
――侯爵級。
間違いない。
だが、これまで対峙したどの悪魔とも違う。
「その子は……」
問いかける声が、かすれる。
「私の娘です」
即答だった。
「……人間だな」
「ええ」
悪魔は否定しない。
「捨てられていました。
拾って、育てています」
騎士の脳裏に、かつて遭遇した男爵級の悪魔がよぎる。
温厚を装い、油断した村を食い尽くした存在。
だが――
「危害は加えていない、か」
「一度も」
ネルフィリアは、はっきりと言った。
「むしろ、避けています。
あなた方が来る前から」
少女が、悪魔の裾を掴む。
「おかあさん、この人たち悪い人?」
「いいえ、マロティ」
その名に、騎士は眉を動かした。
「森や村、人々を守る人たちよ」
騎士は、剣を下ろした。
「我々は異変を調査している。
この森の魔力が……異常だ」
ネルフィリアは一瞬、視線を沢へ向けた。
「そう……でしょうね」
それ以上は、語らない。
悪魔という存在は一つ何らかの執着をもつ。
魂を蝕む思考
8つに分類される執着を持ち満たされずにいる。
人ならざる者故にそれはを満たそうとする行動は歪んでいる。
子を育てる……それだけ見ればさぞ美しい光景だろう。
だが言い返せば子を育てる悪魔は幼子にしか興味を示さない。
かつて見た、子を育てることに執着した悪魔は、成長しきった子を無残に殺しその血肉を新しく攫ってきた子供に食べさせていた。
今目の前にいる悪魔もそのたぐいだろう。
目の前にいる少女が成長しきる前に助けなければなその命の保証はできない。
「……一つ、聞かせてほしい」
騎士は言った。
「その子が大人になったら……どうする」
複眼が、わずかに細まる。
「我が子です」
「あなた方は」
ネルフィリアは、静かに問い返した。
「子が大人になったら、赤の他人になるのですか?」
騎士は、答えられなかった。
「私は、あの子が成長することを望みます」
「大人になって、誰かを愛して、
家族を作ることも」
その声は、どこまでも真剣だった。
「……それでも?」
「それでも、我が子です」
騎士は、深く息を吐いた。
この悪魔は、確かに異常だ。
執着している。
歪んでいる。
だが――
人間と、何が違う?
「……我々は、王に報告する」
「ええ」
ネルフィリアは頷いた。
「それで構いません」
騎士たちが去るとき、少女が小さく手を振った。
「またね、騎士さん」
森を離れながら、騎士は確信していた。
この出会いは、
災厄の始まりではない。
だが――
物語の始まりではある。




