第7話:不本意な協力者
沈は、私が差し出した瘴気入りの魔石を、まるで危険物でも扱うかのように、白い布で慎重に包み、懐の奥深くへとしまった。
「この事態は、帝国の根幹を揺るがしかねない。極秘裏に調査を進める必要がある」
彼の表情は、これまでになく険しい。この未知の脅威を解明できる唯一の人間が、目の前にいる風変わりな人質の王女であるという事実。それを、彼は認めざるを得なかったのだ。
「凛殿。改めて、あなたに調査への協力を要請する。これは、帝国の官吏として、法を超えた判断だ」
自らの信念を曲げ、規則外の行動を取る。彼にとって、それは大きな決断だったのだろう。その声には、確かな重みがこもっていた。
正直に言えば、気は進まない。非論理的で、融通の利かない「醜い」官僚。そう思っている相手と手を組むなど、私の美学に反する。
「……私が、あなたに協力する利点は?」
私は、静かに問い返した。彼の出方を見るためだ。
「利点、か。そうだな」彼は、わずかに考える素振りを見せた。
「あなたは、あなたの言う『うつくしい』研究を、誰にも邪魔されずに続けられる。そして、この後宮を蝕む、あなたの言う『うつくしくない』存在を、排除できる。それだけでは、不満かな?」
完璧な回答だった。彼は、私の価値観を正確に理解し、交渉に乗せてきたのだ。
だが、それ以上に許せないのは、瘴気という、醜悪な存在そのものだ。世界のうつくしい調和を乱し、生命を蝕む悪意。それをこのまま放置することだけは、絶対にできなかった。
「……いいでしょう。ただし、条件があります」
私は沈を見据えて言った。
「私のやり方に、一切の口出しはしないこと。そして、調査に必要なものは、全てあなたが用意すること。これが、私の協力条件です」
「分かった。約束しよう」
彼が迷いなく頷いたのを見て、私は早速、次なる一手を打った。
「では、最初の要求です。私に、新しい研究室を用意してください。この冷宮の一室では、狭すぎる。次の術式を組むための、最低条件です」
「研究室……? 分かった。それは私が責任を持って手配しよう」
「お願いします。私は術式の分析と構築に集中します。ですが、それだけでは足りない」
私の言葉に、沈が訝しげに眉をひそめる。
「瘴気の発生源は特定する。ですが、それを作り出した『人間』を見つけ出すのは、私の専門外です。そちらは、あなたの仕事でしょう?」
私の問いに、彼は静かに頷いた。
「無論だ。あなたが術の解明を進めている間、私は私のやり方で犯人を追う。この異常事態に乗じて、利を得る者がいるとすれば誰か。そして、これほどの大掛かりな術を、誰にも知られずに準備できる者がいるとすれば、それはどのような立場の人間か。私の全ての人脈を使い、情報を集める」
私は目の前の男を、改めて観察した。
「(……なるほど。彼の言う『秩序』とは、いわば安定状態を維持するための数式。非効率ですが、民を守るという一点においては、一つのうつくしい形なのかもしれませんね)」
もちろん、口に出して言うつもりは毛頭ない。私のうつくしさは、あくまで世界の真理を探求する術式の中にこそあるのだから。
一方、沈もまた、私のことを見つめていた。彼の涼やかな瞳の奥に、ほんのわずかな変化が見える。
「(風変わりで、危険思想を持つ王女。そう認識していたが……)」
彼は懐の魔石に、そっと触れた。後宮に渦巻くのは、体裁のいい嘘と、美しく塗り固められた欺瞞ばかりだ。だが、この魔石の中にある醜い靄は、紛れもない真実。
「(彼女の探究心は、常軌を逸している。だが、その純粋さは、あるいは……濁りきったこの宮廷において、唯一真実を映し出す鏡となるのかもしれない)」
互いの心中を知る由もなく、私たちはただ、それぞれの目的のために手を結んだ。
世界の真理を解明したいと願う、孤高の天才。
法と秩序で民を守りたいと願う、実直な官僚。
決して交わるはずのなかった二つの道が、帝国の深い闇へと続く、一つの入り口の前で、今、重なったのだ。
お読みいただき、本当にありがとうございます!
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お知らせです。
本日も、第10話まで随時公開いたします。




