第47話:砕かれた完璧
皇城の最奥、玉座の間。そこは、帝都の心臓部。全ての龍脈が収束し、そして、再び帝国全土へと広がっていく、最も清浄で、最も強大な力を持つ龍穴。
だが、今、その神聖な場所は、宰相・季 浩然が放つ、圧倒的な威圧感に支配されていた。
「……来たか。愚かな者たちよ」
彼の声は、どこまでも穏やかで、そして、絶対的な自信に満ち溢れていた。
「お前たちの、うつくしくない、子供のままごとは、そこまでだ。この国の未来は、私が創る。お前たちのような、感傷に溺れた理想家が、踏み込んでいい領域ではない」
「閣下……!」
沈が、絞り出すようにその名を呼んだ。だが、宰相は、もはや彼に目をくれることすらなかった。その視線は、ただ一人、私にだけ、注がれていた。
「あなたの言う『国』とは何です? 私がこの後宮で見たのは、名もなく、か弱く、それでも懸命に生きる人々のうつくしさです。その一つ一つを犠牲にして成り立つ国など、醜い不協和音の塊でしかありません!」
「凛殿。あなたには、失望した。あなたのその類稀なる才は、私の『大手術』を完璧なものにするためにこそ、使われるべきだった。それを、このような、愚かな感傷のために浪費するとは」
「……あなたのやり方は、間違っています」
私は、震える体を叱咤し、まっすぐに彼を睨み返した。そして、床に広げた『天脈創元図』の写しを、指し示した。
「帝国の病は、不治の病巣などではない! ただの『脱臼』です! この図面が示す、千年前のうつくしい調和を取り戻せば、犠牲などなく、この国は救える!」
「……脱臼、だと?」
宰相は、初めて、心から面白がるかのように、口の端を吊り上げた。
「なるほど。実に、天才らしい、面白い理論だ。だがな、姫君。それは、机上の空論に過ぎん」
「空論では、ありません!」
「いいや、空論だ」
彼の声は、穏やかだが、有無を言わせぬ響きを持っていた。
「私のやり方は、醜いかもしれぬ。だが、実績がある。私は、これまで幾度となく、この『外科手術』で、この国を延命させてきた。だが、君の言う『整復』とやらは? 成功した試しが、一度でもあるのかね? 千年前の忘れられた地図を頼りに、この国の運命を賭けろと? それこそ、狂気の沙汰だ」
「狂気なのは、あなたの方だ!」と、沈が叫んだ。
「民の命を、実績と言い換えるその思想こそが!」
「黙れ、沈よ」宰相は、冷たく言い放った。
「お前も、まだ分からぬか。私が今、この国を救わねば、いずれ全てが死ぬのだ。私は、その全ての責任を、一人で背負っている。お前たちのような、感傷に溺れた理想家が、踏み込んでいい領域ではない!」
彼は、私に向き直ると、最後の通告を突きつけた。
「やめろ、愚か者どもが! その不完全な術では国は救えん! 私の計画を、民の犠牲を、全て無に帰す気か!」
私は、彼の言葉を無視し、玉座の前に、最後の起動用術式を描き始めた。それは、帝都全域に広がる『龍脈調律ノ大陣』全体の縮図。いわば、術式で構築された、管制盤だ。三十五の龍穴に対応する小さな魔石が、仲間たちの成功を知らせる光を灯すのを、待っていた。
「――邪魔はさせない!」
沈が、私を庇うように前に立ち、剣を抜いた。だが、宰相は、彼を一瞥だにしただけで、その動きを止めた。
「無意味だ、沈よ」
宰相が、静かに右手をかざす。すると、彼の足元から、黒い瘴気の奔流が、まるで生き物のように湧き上がり、巨大な壁となって、私たちの前に立ちはだかった。沈の剣は、その壁に触れることさえできずに、弾き返される。
「今の私の目的は、ただ一つ。お前たちの、その愚かな希望を、断ち切ることだ」
彼は、私から目を離さぬまま、静かに呟いた。
「――第一の龍穴、破壊」
ゴゴゴゴ……!
その言葉と同時に、足元が、遠い地鳴りのような低い振動で、揺れた。
「――っ!?」
私は、目の前の光景に、息をのんだ。
私の足元にある、管制盤の術式図。その北の区域に置かれていた、観測用の小さな魔石が、「パキリ」と、乾いた音を立てて、砕け散ったのだ。
「馬鹿な……! ここから、あれほどの距離を……!?」
「――第二、第三の龍穴、破壊」
彼の、淡々とした声が響く。それに呼応するように、再び地鳴りが起こり、西の商業区を示す魔石が、次々と、虚しく砕けていく。
私の描く、うつくしいはずの術式図。仲間たちの命がけの努力の結晶であるはずの光点が、一つ、また一つと、私の目の前で、無慈悲に、死んでいく。
「(……やめて……! やめてください……!)」
声にならない悲鳴が、喉の奥で凍りつく。私の術が、私の世界が、遠い場所で、私の知らない力によって、無残に破壊されていく。
「お分かりかな、姫君。お前の術は、所詮、砂上の楼閣。あまりにも、脆い」
宰相の強力な妨害によって、『龍脈調律ノ大陣』は、致命的な損傷を受けていた。完璧な起動は、もはや、不可能。
完璧な術式以外を、認めることのできない、私の心が。
完璧な調和だけを、信じてきた、私の魂が。
再び、砕け散ろうとしていた。
私は、ついに筆を落とし、描きかけの術式図の前で、力なく、膝をついた。




