第46話:決行
「――以上が、『龍脈調律ノ大陣』の全貌です」
古い演舞場の床一面に広げられた、巨大な羊皮紙。その上に描かれた、複雑で、しかし、どこかうつくしい光を宿した術式図を前に、私は、静かに宣言した。窓の外では、帝都の断末魔の悲鳴が、嵐のように吹き荒れている。時刻は、子の刻をとうに過ぎていた。夜明けまで、あと数刻もない。
それは暴力的な光ではなかった。帝都という巨大な楽器を、再び正しい音階に調律するかのような、静かで、荘厳な音色。瘴気が奏でていた醜い不協和音が、一つ、また一つと、うつくしい和音へと上書きされていく。
「楊殿が特定した、帝都に点在する三十六の古の龍穴。それら全てを、この術式で結びます。燕燕が命がけで集めてくれた方石を、それぞれの龍穴に設置し、触媒とする。ですが、それだけでは足りません」
私は、設計図の中心、皇城が描かれた一点を指し示した。
「三十五の龍穴から集めた気を制御し、龍脈全体を『整復』するための、心臓部となる起動用の術式が、ここには必要です。これは、現場で、私が直接構築します」
それは、あまりにも壮大で、あまりにも無謀な計画だった。
「……姫さん、そりゃ、正気かい」
顔に巻いた包帯から血を滲ませた燕燕が、掠れた声で言った。
「帝都のあちこちに散らばったその場所に、この地獄の中を、どうやって時間通りにたどり着くって言うんだい」
「道は、私が作る」
即答したのは、沈だった。彼の背後には、李虎をはじめとする、覚悟を決めた衛兵たちが、静かに整列している。
「我々が、あなた方が龍穴にたどり着くまでの道を、何があっても、こじ開ける。民を避難させ、防衛線を張り、時間を稼ぐ。それが、我々の戦いだ」
「……沈殿」
「時間がない」沈は、地図の上に、駒を置くように、それぞれの部隊の配置を、淀みなく指示していく。それはもはや、堅物の官吏ではなく、一つの軍を率いる、指揮官の顔だった。
「楊殿は、最も複雑な配置が要求される北の区域をお願いします」
「……承知した。この老いぼれの、最後の務めとしよう」
「燕燕と李虎は、裏道に精通するお前たちにしか突破できない、西の商業区を頼む」
「へっ、任せときな!」
「そして、私と凛殿は、中心となる皇城へ」
作戦は、決まった。
私たちは、無言で、しかし、力強く頷き合った。これが、最後の作戦。
「……皆の者」
最後に、楊 子敬が、力強い声で言った。
「生きて、また会おうぞ」
その言葉を合図に、私たちは、それぞれの戦場へと、散っていった。
***
帝都は、地獄だった。
空は赤黒い瘴気に覆われ、建物のあちこちから黒煙が上がり、人々の悲鳴と、何かが崩れ落ちる轟音が、絶え間なく響き渡っている。
「――道を、開けろぉぉっ!」
沈が、先頭で剣を振るい、瓦礫の山を断ち割る。私は、起動用術式の構築に必要な、最も重要な触媒の入った箱を胸に抱き、彼の背中を必死に追った。
私たちの目的地は、皇城の最奥、皇帝の玉座が置かれた、大広間。そここそが、帝都の龍脈が、その心臓部として集束する、中心の龍穴。
「(……間に合って、ください……!)」
何度も、心が折れそうになる。だが、その度に、仲間たちの顔が、脳裏に浮かんだ。
今この瞬間も、楊 子敬や燕燕も、同じく帝都を駆けている。彼らが共に繋いでくれている希望を、私が、ここで潰えさせるわけにはいかない。
***
息も絶え絶えに、私たちは、ついに皇城の大広間へとたどり着いた。だが、そこに、皇帝陛下の姿はなかった。ただ、がらんとした空間の中央、玉座の前に、一人の男が、静かに立っていた。
まるで、私たちの到着を、ずっと前から知っていたかのように。
「……来たか。愚かな者たちよ」
宰相・季 浩然。 彼の声は、どこまでも穏やかで、そして、絶対的な自信に満ち溢れていた。
「お前たちの、うつくしくない、子供のままごとは、そこまでだ。この国の未来は、私が創る。お前たちのような、感傷に溺れた理想家が、踏み込んでいい領域ではない」
彼は、ゆっくりと、こちらに歩み寄ってくる。その手には、何も持っていない。だが、その全身から放たれる威圧感は、あの瘴気の獣など、比較にすらならなかった。
帝国の未来を賭けた、最後の問答が、今、始まろうとしていた。




