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第41話:第三の解

絶望が、部屋を支配していた。窓の外では、帝都の各地から立ち上る黒い()の柱が、夜空を醜く染め上げ、遠くから聞こえる人々の悲鳴が、断続的に私たちの鼓膜を打つ。宰相が仕掛けた、帝都そのものを犠牲にする「大手術」は、すでに始まっているのだ。


だが、その絶望の中心で、私は、ただ一点の光を見つめていた。

床に広げられた、『天脈創元図(てんみゃくそうげんず)』。千年の時を超えた、うつくしい処方箋。


「……本当に、そんなことが可能なのか」


最初に沈黙を破ったのは、(シェン)だった。彼の声は、疲労と絶望に深く沈んでいる。


龍脈(りゅうみゃく)の『整復』……。言葉にするのはたやすい。だが、相手は、この国の中枢を司る宰相閣下だ。我々だけで、一体どうやって……」

「宰相の道は、『破壊』による外科手術です」


私は、彼の言葉を遮り、静かに、しかし力強く宣言した。


「ですが、道は、もう一つあります」


私は、仲間たちに、もう一度『天脈創元図(てんみゃくそうげんず)』を広げて見せた。


「この図が示す、千年前の帝都の姿。それは、単なる都市計画ではありません。帝都そのものが、龍脈(りゅうみゃく)の調和を永遠に保つために設計された、一つの巨大な『調律術式』だったのです」

「……帝都が、術式……?」


(ヨウ) 子敬(シケイ)が、信じられないといった顔で目を見開く。


「ええ。考えてみてください。なぜ、帝都は、この場所に築かれたのか。文献に、その明確な理由は残されていません。ですが、この『天脈創元図(てんみゃくそうげんず)』の設計思想は、一つの仮説を導き出します。おそらく、この土地こそが、帝国全土の龍脈(りゅうみゃく)が合流する、帝国の心臓なのです」

「帝国の、心臓……」

「ええ。だからこそ、初代皇帝は、この場所を最も厳重に守るべき都と定めた。ですが、その事実は、国の根幹に関わる最高機密。敵に知られれば、帝国は滅ぶ。だからこそ、初代の設計者たちは、その真実を、帝都の構造そのものに隠したのです」


私は、図面に描かれた、いくつかの点を指し示した。


「この図をよく見てください。主要な官庁の配置、帝都を縦横に走る水路網、それらの位置と形状は、全てが龍脈(りゅうみゃく)()の流れを整え、安定させるための、計算され尽くした設計になっています。そして、これらの点。これは、街路を照らす主要な魔石灯(ませきとう)や、水を浄化するための術式が施された給水塔の場所です」


魔石灯(ませきとう)が……?」と、燕燕(エンエン)が眉をひそめた。「あれが、ただの明かりじゃないって言うのかい?」


「ええ。千年前の帝都では、それら都市を支える仕組みそのものが、龍脈(りゅうみゃく)の調和を保つための、巨大な術式の『部品』として機能していた。いわば、帝都全体が、大地の生命力を整えるための、壮大な鍼治療のようなものだったのです。ですが、千年の時を経て、帝都の形は変わり、道は付け替えられ、水路は埋め立てられた。その結果、このうつくしい調和は、失われてしまった」

「待ってくれ、姫さん」と、燕燕(エンエン)が、険しい顔で割って入った。

「つまり、あんたは、この帝都全体を、もう一度術式で作り変えるって言うのかい? 宰相が帝都中に仕掛けた術と戦いながらかい? 正気とは思えないね」


彼女の言葉は、この挑戦がいかに無謀であるかを、的確に示していた。だが、私は首を振る。


「全てを作り変える必要はありません。基礎となる術式は、この帝都の骨格に、まだ生きています。私がやるのは、失われた調和を取り戻すための、追加の『部品』を、正しい場所に配置し、再び全体を『調律』すること。龍脈(りゅうみゃく)が本来持つ生命力を信じ、その調和を取り戻させる『調律』の術。これこそが、宰相が捨てた、私たちの見つけた答えです」


龍脈調律ノ大陣りゅうみゃくちょうりつのたいじん』。


それは、あまりにも無謀で、途方もない挑戦だった。

「(焦りが、私の思考を鈍らせる。違う。焦りという醜い感情に、思考を支配されてはいけません。思い出せ。私が守りたいのは、完璧な数式ではない。私を信じ、助けを求めてきた、あの侍女たちのささやかな日常なのです)」


「……だが、(リン)殿」と、(シェン)が、かろうじて冷静さを保った声で問う。

「それが可能だとして、我々に、時間があるのか? 宰相の術は、すでに起動している。夜が明ける頃には、帝都は……」

「ええ。時間はありません。ですが、可能性はあります」


私は、仲間たち一人一人の顔を見渡した。


「宰相は、私の術理を盗んだ。だが、彼は、その本質を理解していない。彼は、龍脈(りゅうみゃく)を、ただのちからの供給源としか見ていない。ですが、龍脈(りゅうみゃく)は、生きている。意思を持つ、巨大な生命の流れです。その生命力を信じるか、信じないか。それが、彼と、私たちの、決定的な違いです」


私は、父の筆を、固く握りしめた。


「完璧な術式は、もう組めません。ですが、不完全でも、うつくしくなくても、諦めない限り、道はある。私は、そう信じます」


絶望の底で、私たちの、最後の戦いが、始まろうとしていた。

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